第七話 浩美先生の家庭訪問
「ふん、ふんふふ~ん♪」
今日の愛奈ちゃん、鼻歌を歌いながら授業の準備をしてます。
「ご機嫌ね。今日何かあったの?」
「いさちんこそ忘れちゃったの? 今日は家庭訪問だよっ!」
「……ああ……」
勇子ちゃんは、愛奈ちゃんがどうして嬉しそうにしているのか察しました。
そうです。今笑特小学校は、家庭訪問の週間なのです。既に家庭訪問が始まってから三日が経過し、今日はいよいよ愛奈ちゃん、勇子ちゃん、友香ちゃんのトリオの番なのでした。
浩美先生がお家に来てくれると思うと、浩美先生大好きな愛奈ちゃんは気分が弾んでしまいます。
「あ~、早く学校終わらないかな~。でも早く終わっちゃうと、学校で浩美先生と一緒にいられる時間がなくなっちゃうし……くぅ~! ねぇいさちん! こういうのジレンマって言うんだよね? ね!? ね!?」
「わかったからちょっと落ち着きなさい!」
「でも愛奈の気持ち、私はわかる」
「友香?」
愛奈ちゃんが勇子ちゃんに迫っていると、友香ちゃんが話に割り込んできました。
「今日はお父さんが帰ってくるから」
「へぇ!! 友香のお父さん帰ってくるんだ!?」
これには愛奈ちゃんも驚きです。友香ちゃんのお父さんは仕事で世界中を回っており、滅多に戻ってこないのですから。
「うん、二ヶ月ぶりに。先生が家庭訪問に来るまでには、帰ってこれるって」
久々にお父さんに会えるので、友香も嬉しそうです。
「それはよかったわね」
「今から楽しみ。だから愛奈の気持ちは、すごくよくわかる」
愛奈ちゃんとは違う意味ですが、友香ちゃんも今回の家庭訪問は楽しみにしていました。
「いさちんだって、本当は楽しみなんじゃないの?」
「う……ま、まぁね……」
あまり強くは言いませんが、勇子ちゃんも楽しみにしていました。
「ほらやっぱり! ああもう、早く来てくれないかな、浩美先生!」
学校が早く終わるのは残念ですが、やっぱり早く浩美先生に、自宅に来て欲しいと思っている愛奈ちゃんでした。
◇◇◇
「はぁ……」
浩美先生は車の中で、溜め息を吐いていました。理由はもちろん、今回の家庭訪問の事です。
今全ての家を回り終え、残っているのは愛奈ちゃん、勇子ちゃん、友香ちゃんの三軒のみ。意図的にそうしました。だって、絶対に普通に終わらない事がわかってましたから。
(松下さんはともかく、愛奈さんと要さんの家は普通じゃないからなぁ……)
浩美先生が一番気を使う二軒です。後回しにしたくもなります。
最初は、愛奈ちゃんよりはいくらかましな、友香ちゃんの家です。
「えーっと、要さんの家は確か……」
教えてもらった道を通りながら、浩美先生はたどり着きます。
そこは、とても大きな豪邸でした。友香ちゃんの家は、以前説明した通り大金持ちなのです。
「……いつ来ても緊張するなぁ……」
浩美先生はお金持ちと知り合った経験がないので、こういう豪邸に来るといつも畏縮してしまいます。しかし、ここを回り終わらなければ、次の勇子ちゃんの家にはいけません。
意を決した浩美先生は、柵の前に設置されているゲートに車を入れ、窓を開けてインターホンを押します。
「どなたですか?」
「ひ、姫川浩美です」
「姫川様ですね? 奥様から承っております。お通り下さい」
インターホンからの声に受け答えすると、柵が左右に開いて、浩美先生は車を入れました。
案内標識に従って車を進めていくと、駐車場に着きます。ここも大きな駐車場で、車が十二台は停められそうです。浩美先生は車を停めて降り、玄関に向かい、チャイムを鳴らしました。
「いらっしゃいませ。奥様がお待ちです。こちらへ」
「は、はい……」
少しするとドアが開いてメイドさんが迎え、浩美先生を応接間に案内します。
「奥様。姫川様がお見えになりました」
「は―い、ありがとうざます。いらっしゃいませ浩美先生。お待ちしておりましたざます。お掛けになって下さいませ」
「ど、どうも……」
部屋の中には二つのソファーがあって、片方にはいかにもマダムといった感じの女性が座っていました。この人が友香ちゃんのお母さん、要栄子さんです。
「紅茶とコーヒーどちらがお好みざます?」
「で、では、紅茶で……」
「かしこまりましたわ。聞いていたざますね? 紅茶をお持ちして。もちろん、最高級品のレモンティーざますよ」
「はい。かしこまりました」
栄子さんはメイドさんに紅茶を持ってくるよう言い、メイドさんは紅茶を取りに行きました。
「この度はようこそ、要家においで下さいましたざますわ。いつもうちの友香がお世話になりまして、浩美先生にはほんとーに、感謝しておりざますのよ」
「きょ、恐縮です……」
相手は服飾デザイナーの新風。自分より遥かに格上な、それこそ雲の上のような人なので、浩美先生はかなり緊張しています。
「お母さん。浩美先生、来た?」
そこへ、友香ちゃんが来ました。見知った人物が現れて、思わずほっとする浩美先生でしたが、
「……それ、何ですか?」
友香ちゃんの着ている服にツッコミを入れてしまいました。
友香ちゃんはかなりテンションが上がっているようで、今日の気分シャツを着ていたのです。愛奈ちゃんから今日の気分シャツについては必ず突っ込むよう言われており、今日は『アゲアゲ↑御家大騒動』と書いてありました。
「今日の気分」
「何となくどんな気分かわかりますけど言葉のチョイスがすごいですね!?」
「あーらステキ! おっほっほっほ!」
浩美先生は驚いていますが、栄子さんは嬉しそうに喜んでいます。
「……浩美先生が来たのに、お父さんがまだ帰ってこない……」
友香ちゃんは落ち込みました。
「確かにちょっと遅いわね……」
それは栄子さんも思っていたようで、何かあったのではないかと心配しています。
その時でした。
「すまない! 遅くなった!」
「お父さん」
応接間に一人の男性が慌てて飛び込んできて、その人に友香ちゃんが飛び付きました。彼が友香ちゃんのお父さん、要石動さんです。
「あなたが石動さんですか?」
「はい。あなたが浩美先生ですね? 娘からよく伺ってます」
「ちょ―っとあなた! 遅すぎざますよ!」
「本当に遅い。今までこういった事で遅れた事なかったのに」
石動さんは考古学者です。世界中のいろんな遺跡を研究していて、その為ほとんど家にいません。ひどい時には、半年近くいなかった事もあります。
それでも、友香ちゃん関連で特別な事があった時には必ず帰ってきてくれるのですが、ここまで遅れた事はありませんでした。
「いや~申し訳ない。帰りの電車が事故で駅前に止まっちゃってね、ドアを蹴破って走って帰ってきたんだ」
「ドアを蹴破った!?」
「ええ。自慢ではないのですが、私の足は電車や車より早いんです。でもあんまりそういう慌ただしいのってよくないなって思ってて、だからたまにはゆっくり帰ろうと思ったんですが、慣れない事はするものじゃないですね」
「もうあなたったらしょうがないざますねぇ~。後で鉄道会社に、電車の修理費と慰謝料を払っておくざますわ。五千万くらいあれば足りるかしら……何なら五千億でも大丈夫ざますけど……」
さらっととんでもない会話をしている要夫妻。浩美先生はなぜ友香ちゃんに念力が目覚めたのか、理由がわかった気がしました。
「お父さん、お母さん。浩美先生が置いてきぼりになってる」
「す、すいません浩美先生……」
「これは失礼致しましたざます。レモンティーまだかしら……」
「い、いえ。お構い無く……」
友香ちゃんに指摘され、その後レモンティーを飲みながら、簡単な話をして、友香ちゃんの家庭訪問は終わりました。
「今日はありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそありがとうございます。あ、そうだ!」
栄子さんが、何か思い付きます。
「浩美先生。ぜひお願いしたい事が……」
「? はい。何ですか?」
「浩美先生のお身体の寸法を計らせて頂きたいざます」
「え?」
栄子さんは服飾デザイナーなので、良さげな人を見ると血が騒ぎ、寸法を計りたくなってしまうのです。
「後日計った寸法で服を作ってお届けするざます。本当はもっといろいろ差し上げたかったざますが、私は服を作る以外能がなくて……どうかお願いざます」
「……いいですよ。友香さんのお母さんのお願いなら」
「ありがとうございますざます!」
浩美先生が了承すると、栄子さんは服のポケットからメジャーを取り出し、素早く寸法を計りました。
「この寸法……あの服が着れるざますね……」
「えっ?」
「いえいえ、こちらの話ざます。さて、終わりましたざますよ」
何か気付いたようですが、計り終わったようです。
「お引き留めして申し訳ないざます」
「いえ。私みたいな平凡な人間が、お母さんのお役に立てたなら幸いです」
「素晴らしい先生が来て下さってよかった。これなら私も安心して、友香をお任せ出来ます。これからもよろしくしてやって下さい」
「はい、お父さん」
「浩美先生、また来てね。じゃあ、明日学校で」
「はい。では、失礼しました」
浩美先生は要一家と挨拶し、豪邸をあとにしました。
「いい人達だったなぁ……でも、やっぱりお金持ちが相手だと気を使っちゃうわ……」
それだけではありませんでしたが、結果的にいい交流になりました。
次は、勇子ちゃんの家です。勇子ちゃんの家は先程の豪邸とうって変わって、とても普通な二階建ての家でした。
(普通だ……)
「こんにちは―」
浩美先生はそう思いながら呼び鈴を鳴らし、少しして家から初老の女性が出てきます。
「初めまして。勇子ちゃんのクラスの担任の、姫川浩美です」
「これはどうも。勇子の母の、尚子と申します。お上がり下さい」
「失礼します」
浩美先生は尚子さんに上げてもらい、居間に通されました。
「粗茶ですが」
「いえ。ありがとうございます」
それから、お茶と大福を出してもらいます。普通の緑茶に普通の豆大福。何の面白味もないおもてなしの組み合わせですが、
(普通だ)
その普通が、浩美先生にとってはひどくありがたいものでした。
「勇子、おいで。浩美先生が来られたよ」
尚子さんが勇子ちゃんを呼び、勇子ちゃんも居間に座ります。
「こんにちは、浩美先生。一時間ぶり、ですね」
「そう、ですね……」
久しぶりというにはあまりに早い再会なので、勇子ちゃんは何と言えばいいか、少し困っていました。
「さっき友香の家に行ってきたでしょ? すごい貧乏な家だって思いますよね」
「そ、そんな事ないです! 普通で素敵なご家庭ですよ。最近普通と無縁でしたから……」
「普通じゃないですよ。私、お父さんいませんから」
「……あ……」
浩美先生は、しまったと思いました。
勇子ちゃんのお父さん、宗治さんは、勇子ちゃんが五歳の時に亡くなっています。それから尚子さんが、女手一つで、勇子ちゃんを育ててきたんです。
決して裕福とは言えない家庭ですが、愛奈ちゃんの家や友香ちゃんの家に助けてもらっているので、不自由はありません。しかし、他の家族には普通にいるお父さんがいない事を、勇子ちゃんは少なからず気にしているようです。
「すいません。無神経な事を言ってしまいました」
「いえいえ、大丈夫ですよ。浩美先生には何の責任もありません」
謝る浩美先生を、尚子さんが慰めました。
「ただうちの勇子と仲良くして下されば、それでいいんです」
「……はい。これからも勇子さんとは、仲良くさせて頂きます」
浩美先生は、これからも勇子ちゃんと、自分の生徒として付き合っていく事を決めました。
◇◇◇
(あの子もいろいろ苦労してるんだなぁ……)
浩美先生は車を走らせ、愛奈ちゃんの家に向かいます。
(……愛奈さん、かぁ……)
少し気が重くなりました。勇子ちゃんの家でたくさん癒してもらったとはいえ、一番問題な家です。
浩美先生は愛奈ちゃんの家の駐車場に車を停めると、覚悟を決めて玄関に向かい、呼び鈴を鳴らそうとして、
「いらっしゃい浩美先生!」
先に愛奈ちゃんに迎えられてしまいました。
「ま、愛奈さん……」
「早く早く! あたし先生が来るのずっと待ってたんだから!」
「ちょ、ちょっと!」
愛奈ちゃんは浩美先生の片手を引っ張り、どんどん進んでいきます。
やがてたどり着いたのは、居間でした。壁に『浩美先生歓迎パーティー』と書かれた紙が貼ってあります。
(家庭訪問なんですけど……)
これはあくまで授業の一環であって、断じてパーティーなどではないのですが、愛奈ちゃんからすれば浩美先生が来てくれる事は、パーティーと同じなのでしょう。
「あっ、どうも浩美先生。うちの愛奈がすいません」
「い、いえ……」
梨花さんがコーヒーを用意しながら謝りますが、浩美先生としては、愛奈ちゃんが自分を慕ってこういう事をしているのがわかっています。だから、無下に出来ないのが悩み所です。
「さぁさぁ浩美先生! 早く始めよっ!」
「こら愛奈。あんた先生が来て下さって嬉しいのはわかるけど、もうちょっと遠慮しなさい」
「……ちぇ~」
梨花さんから怒られて、愛奈ちゃんは口を尖らせました。
「それで浩美先生。愛奈は何かご迷惑をおかけしたりしてませんか!?」
家庭訪問が始まります。質問したのは、梨花さん。というか、梨花さんとしてはそれだけが、ただ一つの心配です。
「迷惑だなんてとんでもない! むしろ私の方が愛奈さんによく助けて頂いてまして……」
浩美先生は今まであった事を思い出します。
よくよく考えてみれば、まだ笑特小に転任してきて、まだ一月も経っていません。それなのに、強盗の人質にされるわ、いつの間にか決闘の賞品にされるわ、竜巻に追いかけられるわ、変質者に襲われかけるわ、いろんな事がありました。
そしてその度に、愛奈ちゃんが守ってくれたのです。
「本当に、愛奈さんには感謝してもし足りないくらいです」
「そうですか? ならいいんですけど……」
梨花さんは一安心しました。
「成績も授業態度も、特に問題はありませんし……」
授業外での行動がアレな愛奈ちゃんですが、授業自体はちゃんと受けています。
「あとは」
「浩美先生浩美先生」
と、愛奈ちゃんが話に割り込んで、
「プードル!!」
バルーンアートで作ったプードルを見せました。今の間に作ったんでしょうね。
「それ今どうしても見せなきゃいけないものですか!?」
「だってこの日の為に頑張って覚えたんだもん!!」
「労力の使い方!!」
「こら! 愛奈!」
「はーい……」
梨花さんに怒られて、愛奈ちゃんは黙りました。
「すいません浩美先生。この子本当はここまでやんちゃな子じゃないんですけど……」
「いえ。元気があっていいじゃないですか」
元気すぎる気もしますけどね。
気を取り直して、家庭訪問は続きます。それからいくつか話をして、聞いておかなければならない事は全て聞いた頃、
「おや、浩美先生」
「亮二さん」
今までどこにいたのか、亮二さんが入ってきました。
「この前はお見苦しい所をお見せしましたな」
「そんな事ないですよ。愛奈ちゃんにお願いされてやったって事は、愛奈ちゃんからもう聞いてますし」
そこで、浩美先生は愛奈ちゃんを見ます。
(全部、私の為なのよね)
愛奈ちゃんはいろいろと滅茶苦茶な事をしますが、その根底にあるのは、浩美先生の為というただ一つの理念です。
「愛奈さん」
「何、浩美先生?」
「どうして愛奈さんは、私の事が好きになったんですか?」
どうして、ここまで自分の為に動いてくれるのか。それは、浩美先生の事が好きだから。ではなぜ? そう思った浩美先生は、思い切って愛奈ちゃんに訊いてみました。
「……まだナイショ。話してもいいかなって思ったら、あたしから話すね」
どうやら、まだ教えてはもらえないみたいです。でもそれは、きっと子供心なりに、とても大切な事。
「じゃあ、楽しみに待ってますね」
だから浩美先生は、教えてもらえる時が来るまで、気長に待つ事にしました。
◇◇◇
「ただいま」
浩美先生が家庭訪問から帰って数時間後、仕事を終えた慎太郎さんが帰ってきました。
「今日家庭訪問だったろ? 浩美先生、どんな人だった?」
「いい人だったわよ。ただ、人が良すぎるって感じはしたわね。トラブルを呼び込みやすいタイプの人」
「……トラブルか……」
梨花さんからそれを聞いて、慎太郎さんは心配になりました。浩美先生が巻き込まれた事件の数々については、もう愛奈ちゃんから聞いていたからです。きっとこれからも、いろんなトラブルに巻き込まれる事になるでしょう。
「心配いらないわよ。愛奈がそばにいるから」
しかし、梨花さんは心配していません。だって、すごく強い愛奈ちゃんが、浩美先生を守りたいと思ってますから。
愛奈ちゃんは道場で、修行をしています。もっともっと頑張って、もっともっと強くなりたいからです。
そして、もうすぐゴールデンウィークです。
「休日返上で修行して、いっぱい強くなるぞ―!!」
愛奈ちゃんは意気込みます。
「勉強も忘れずにな」
「もちろん!」
亮二さんから言われて、愛奈ちゃんは答えました。
今回はギャグが弱いなぁ……まぁいつもいつもギャグばっかりだと疲れますし、たまには小休止回も設けないと、ですね。




