6、事情説明
「はあ、犬もくわねぇ、何とかだな・・・。おい、ヤスオッ。結局お前が原因だろ?キレてんじゃねぇよっ。ミカちゃんに謝れっ。」
ようやく笑いがおさまった頃、富士見さんがヤスオにそう言った。
「ミカコ・・・誤解させて、嫌な思いさせたな・・・アンのことは何とも思ってねぇ・・・俺にはお前だけだ。」
富士見さんに反抗的だったヤスオが素直に言葉に従ったので、驚いた。
そして、父親ってこういうものなのだろか、と少し羨ましくも感じた。
そんなことを考えていたら。
膝の上に座っていたユウが立ち上がり。
ヤスオの手をとり、私の手とつながせた。
「ユウ・・・。」
ヤスオは嬉しそうに、ユウの頭をつないでいない方の手でゴシゴシと撫でた。
ユウはニコニコと笑うと、そのまま富士見さんの方へ歩いて行って。
そして、また富士見さんの膝の上に座った。
さっき会ったばかりなのに、何でこんなになついているのだろう。
確かに。
富士見さんの今の色は・・・力強くて、柔かな、安心のできる優しい色をしている。
それが、父親の色なのだろうか―――
そんな風に、富士見さんを見ていたら。
ギュッ。
私の手を握っていたヤスオの手に、力が入った。
「キャッ。」
「他の男、見てんじゃねぇよっ。」
他の男って・・・富士見さんだよ?
オーナーと富士見さんが、ゲラゲラ笑う。
姿はみえないけれど、キッチンへ戻っているノリオさんの笑い声も聞こえてきた。
「あー、ヤスオ。これじゃ、ミカ、キャバで働かせられねぇなぁ・・・つっても、16歳って知った以上、キャバはアウトだけどな?」
「オーナー!?」
店を辞めさせられたら、困る!
なのに。
「はい、ミカはもう店には出しません。つうか、俺もうムリだからなっ。お前が他の男に笑いかけて、酒一緒に飲んでるの許せねぇしっ。この間、ノリオが店に来た時も、相手がノリオだってわかってんのに、ムカついたし。」
オーナーと富士見さんがお腹を抱えて笑いだした。
「・・・ヤスオ、それが仕事だし。それに、私、働かないといけないの。いくらつきあっていたって、ヤスオに食べさせてもらうわけにはいかない。」
「あ?何でだよっ。結婚すりゃあ、いいじゃねぇかっ。16だからできるだろっ。」
私はため息をついた。
「一応、私にも・・・なりたいものがあるし。高校も中退したから、お金を貯めて落着いたら、大検うけて、大学へ行きたいし。」
そう言うと、ヤスオが眉間にシワをよせた。
「そんなこと、俺に言ったことなかったじゃねぇか・・・。」
「うん、まだここへきて1ヶ月くらいだし・・・これからどうするかとか、色々まだ考え中でもあったし。その話をすると・・・私の事情も年齢も話さないといけないし・・・・だから・・・。」
「この際だからよ、ミカ。全部話しちまえよ。お前、この先もこの街に住んで、ヤスオと一緒にいたいんだろ?アンにやきもちやいて、子連れだってホラふくくれぇだもなぁ?お前がこの街好きなら、ここの街のやつらもお前を受け入れる。そんな場所だ。しかも、ヤスオがホレてる女っつったら、おせっかい連中どもがだまっちゃいねぇよ・・・って、そのおせっかいの大親分が、こいつらの母ちゃんだ。今日は、明日店が休みだから実家に泊まりに行ってていねぇけど。ユウ見たら、もうぜってぇ世話やきまくりだぞ?」
オーナーの言葉に、富士見さんも笑いながら頷いている。
って・・・。
「あの、ヤスオのお母さんって・・・ジャージの・・・?」
「おー、そうそう。マケタスポーツの腐った信じらんねぇ色のジャージ、いつも着てんだよ。」
オーナーがゲラゲラ笑う。
オーナーってこんなに笑う人だったんだ・・・。
「母ちゃんのジャージの話、何で知ってんだ?」
ヤスオが不思議そうな顔で私に聞いてきた。
「あ、この間、富士見さんが来店した時に、聞いたの。だって、富士見さんの話は殆んど奥さんと・・・子供さんの話ばっかりで・・・って、ヤスオとノリオさんだったの知らなかったけど。」
そう答えると、ヤスオは怪訝そうな表情をした。
「さ、刺身っと、お、お握りっつくったぞ、と、父ちゃん達には・・・塩辛と、きゅ、きゅうりのっ浅漬けっ。」
ノリオさんがそう言って、笑顔でお盆をもって居間に入ってきた。
ヤスオがお盆を受け取り、テーブルに並べだした。
私も手伝う。
それから、またキッチンに入って行ったノリオさんが、飲み物を持ってきた。
オーナーと富士見さんには焼酎のセット。
ユウには麦茶。
ヤスオとノリオさんはビールらしい。
で、私には・・・。
「あの・・・・私も、麦茶でいいんですけど。」
いや、嫌いじゃないけど。
「だって、の、喉にいいんだろ?」
そう言いながら、ノリオさんは、プシュッ、とコーラの缶を開けた。
え?
意味がわからず、首をかしげていると。
私の前に置いたグラスにノリオさんがコーラを注ぎ、その後何故か瓶を取り出した。
「ええっ!?」
「おまっ、ノリオッ!?何やってんだっ!?」
驚くことに。
ノリオさんは、コーラの入ったグラスに、酢を注ぎ足した。
そして、満面の笑みで私にグラスを手渡す。
って・・・・これ。
絶対に、不味いと思う!!!
私が固まっていると。
「ノリオー。ミカちゃんがこれ好きだって言っていたのか?」
優しい口調で、富士見さんがノリオさんに質問した。
ユウは富士見さんの膝の上で、マグロを美味しそうに頬張っている。
「いやっ、す、好きとは言ってねぇけどっ。ミ、ミカちゃんっ、声デカくてっ。その上声、スゲェ綺麗だからっ。そう言ったら、中学、高校でっ、コーラと酢飲んでるって。普段から、気をつけてるんだって、スゲェ、よなっ。お、俺だったら、コーラと、酢なんて、いくら喉によくたって、ぜ、絶対、の、飲めねぇしっ。」
「・・・・・・。」
いや、私も・・・・・絶対に、飲めない。
ノリオさん・・・完全に勘違いしているよね。
「ミカコ、お前変なもん、飲むんだな?」
・・・ヤスオ、何で信じるんだろう。
私はため息をついた。
「あのねぇ、コーラと酢を飲んでいるんじゃなくて・・・私は中学、高校とコーラス部に入っていたって言ったんだけど。」
そう言った途端、オーナー、富士見さん、ヤスオが一斉に噴き出した。
だけど、ノリオさんだけ意味がわからなかったようで。
「コーラ?ス?・・・ぶ?って何だっ?コーラと酢じゃねぇのかっ?あ、な、何か冷やして、こ、凍らす、ってことかっ!?」
更に、予想の斜め上をいく質問をしてきた。
「あの、コーラスって・・・何十人もで、一緒に歌を歌うことで・・・その部活のことですよ。」
簡単に説明したら、ノリオさんは納得してくれたが。
どんな歌を歌うのかとまた質問をしてきたので、曲名をいくつかあげたけれど、知らないようで。
仕方が無いので、『エーデルワイス』のソプラノ部分を、英語で少し歌って見せた。
それは、本当なら夏にある全国大会で私が独唱をする部分だったのだけれど。
これくらいで分かってもらえたかなと思い、歌を止めたら。
何故か。
オーナーも富士見さんも、ヤスオもノリオさんも、驚愕の顔で私を見ていた。
ただ、久しぶりに私の歌を聞いたユウは、嬉しそうにニコニコしていた。
「スゲェ・・・ミカ、お前・・・もしかして、相当学校で期待されてたんじゃねぇか?」
オーナーが鋭い質問をしてきた。
私はため息をつくと。
「・・・実は、私・・・歌の特待生で高校に入ったんです。だから、母が家を出ても授業料は免除だったのでどうにか高校は続けていられたんですけど。ああ、高校は横浜三崎学園っていって、合唱では全国的に強豪校なんです。あ、横浜三崎はコーラス部って名称でしたけど。毎年夏に、全国大会があって、何度も優勝の実績があって・・・今日戸田さんと店に来た吉川先輩・・・あ、本当は、4つ上の先輩なんですけど・・・吉川先輩が部長の時も全国大会で優勝して・・・。」
「ミカコ、おまえんち、母ちゃんいるのか?家出たって・・・どういうことだ?」
ヤスオが真剣なまなざしで聞いてきたから、私の生い立ち、ユウの事、諸事情をざっと説明した。
ユウはマグロをご機嫌で食べた後眠くなったようで、ノリオ君が2階で寝かせると上に連れて行ってくれた。
「暴力を振るわれていたのに、ユウの父親のことを母は好きだったようで・・・ユウの事をかわいがっていました。でも、半年前に家を母が出る時、ユウを置いていったんです。私は学校にいっていたので、どんなやりとりがあったのかわからないんですけど・・・それから、ユウはしゃべらなくなって・・・笑わなくなって・・・私も生活しなければいけないので、直ぐに夏休みだったからキャバクラでバイトして・・・夏休みが終わっても金曜と土曜の夜にはバイトをいれて、冬休みもそんな風にして、なんとか生活していたんですけど。さすがに住むところがなくなったら、高校も無理だなって・・・で、ここへ来たんです。本当は、昔来たことがある鎌倉で降りようかと思ったんですけど、ついここまで来てしまって。」
そこまで話すと、富士見さんが静かに言った。
「ミカちゃん、うちにくりゃあいいさ。ああ、ヤスオとどうのって、気にしなくていい。ユウと2人、うちの子になっちまいな。うちのかあちゃん今いたら、ぜってぇそう言ってる。」
もう、もう・・・・それだけで充分だった。
だから、富士見さんのありがたい言葉を、気持ちだけ受け取ると言おうとしたのだけれど。
「ありがとうございます。でも――「ミカ。うちの仕事クビにはしねぇよ。ただ、配置換え・・・職場の異動だ。だから、社員寮もそのまま住め。それから――」
オーナーから願ってもない命令が、下された。