5、夜の訪問
ユウを迎えに行くと、何故か明るい顔をして私に抱きついてきた。
今日はご機嫌だなと嬉しくなり、ユウを抱き上げる。
だけど、ヒョイと横からユウをヤスオが取り上げた。
せっかく、ユウの温もりを感じようと思っていたのに!
と、少し拗ねた気持ちで、ヤスオを見上げると。
あ・・・やっぱりだ。
ヤスオの色は、温かな生成り色だ。
ヤスオって、見た目はこんなに厳ついのに。
どうして、心はこんなに穏やかなのだろう・・・。
こういう色のヤスオと一緒にいると、とても落ち着く。
きっと、それは。
ユウも同じ・・・。
そっと、ヤスオの腕に手をかければ、ヤスオが驚いた顔で私を見た。
「え、ユウを抱っこしてるから・・・私までつかまったら、重かった?」
慌てて手を引こうとしたら、ヤスオはユウを片手で抱きかかえ、私の手を握った。
そして、ぶっきらぼうに。
「つかまってろ、俺に・・・ずっと。」
前を向きながら、そう言った。
決して言葉は多くないけれど。
そんなぶっきらぼうさが、ヤスオらしくて、嬉しかった。
何となく、気恥ずかしくて・・・無言のまま、社員寮へ歩き続けたけれど。
その沈黙はちっとも、嫌ではなかった。
むしろ――
突然、その沈黙を切り取るように、携帯が鳴った。
そこは、まるで陽だまりのような色で溢れていた。
「あっ、ミ、ミカッちゃん!おおっ、ユ、ユウだっ。ひ、久しぶりだなッ。」
ヤスオが玄関を開けると、ノリオさんが部屋から出てきた。
ヤスオに抱かれていたユウが、ノリオさんに気がついて笑顔になった。
パン屋さんで親切にしてもらった事を覚えているのだろう。
お世辞にも広いとは言えない玄関を、言われるがままヤスオについて上がった。
ここは、ヤスオの家らしい。
襖を開けると、6畳ほどの居間に男の人が2人座っていた。
って、あれ?
「おー、ミカちゃん!久しぶりだなー。入って、入って。」
そう言ったのは、前にお店に来た富士見さんだった。
そして。
「ミカ、お疲れ。今日は、戸田のスケベに高い酒入れさせたから、売上げよかったぞ?」
上機嫌だけど、相変わらず闇の色をまとうオーナーが何故か座っていた。
先程の電話は、オーナーからだった。
私に話があるって事だったけれど・・・まさか、ヤスオの家で話をするのだろうか。
ヤスオが床にユウを下ろすと、ユウは何故か富士見さんのところへ歩いて行った。
人見知りで、基本私から離れないユウなので、その行動に私は驚いた。
「ユ、ユウッ!?」
慌てて名まえを呼ぶが。
「お、ユウっていうのか?この子だろ?ミカちゃん、この間言っていた子って?」
と、富士見さんがユウの手を握り私に聞いてきた。
私が、頷くと。
「そっかー。ユウ、お前、マグロ好きなんだって?おじちゃんち魚屋なんだよ?旨い、マグロあるけど食うか?」
なんて、この間の話を覚えていたらしく富士見さんがユウに話しかけたら、ユウは嬉しそうに思いっきり頷いた。
すると。
「そっかー、ユウは、ま、まぐろっが好きなんだなっ?よ、よしっ、今っ食わせてやるっ。」
そう言って、ノリオさんが立ちあがった。
「おー、ノリオ。ミカちゃんはイカが好きなんだと。で、浜田さんと俺飲むからよー、イカの塩辛出してくれ。」
富士見さんがそう言うと、ノリオさんはわかったと答えて隣のキッチンへ入って行った。
「あの・・・富士見さん、って・・・。」
富士見さんの膝の上に座るユウに驚き、そしてヤスオに問うた。
「ああ・・・あのどうしようもねぇスケベジジイは、俺の親父。んで、オーナーは親父の昔からの連れ。しょっちゅうウチで飯食って、酒飲んでる。つうか、俺、ユウがマグロ好きで、お前がイカ好きなんて知らなかったんだけど?」
途中からヤスオの色が不機嫌になった。
「え、と・・・先日富士見さんが来店された時に、そんな話になって・・・。」
正直に説明をしたのだけれど。
「あ?客にガキがいるって、話したのかよ?」
何か、ますます不機嫌になって。
私は理由がわからず、オロオロとした。
だけど、そんな私達を見て、オーナーと富士見さんが噴き出した。
「ヤスオ、お前ダセぇな。ミカにマジだとは思ったけどよ?全く余裕ねぇじゃねぇか。」
オーナーが喉の奥で笑いながらヤスオを冷やかした。
うそ・・・私から見たら、ヤスオは余裕だらけなのに。
「悪いっすか?」
って、オーナーに反発しているけど、ヤスオ・・・否定しないんだ・・・。
何だか、恥ずかしくなって俯いた。
だけど、急にオーナーの声が変ったので、慌てて顔を上げた。
「おう、悪ぃなぁ・・・お前、だから大事な事、見落とすんだよ。」
「え、大事な事って、何ですか?」
ヤスオが驚いた顔でオーナーを見た。
って、何か・・・嫌な予感がする。
「・・・丈治もあの通り、綾乃ちゃんにベタボレで余裕ねぇけど?だけど、あいつは余裕ねぇ分、綾乃ちゃんに100パー向き合ってる。まあ、性格かもしんねぇけどよ、綾乃ちゃんのことで不確かなことがねぇようにいつも綾乃ちゃんを見つめてんだ・・・で、不安なことがあったらしつこいぐれぇ問いただすし、ぜってぇ引きさがんねぇ。だけど、どうだ。お前は?今日だって、戸田が連れてきた若造にイラついてんのに、肝心な事は遠慮してんのか、指くわえて見てたじゃねぇかよ。それに、お前・・・ミカに関しちゃ、仕事になってねぇじゃねぇか。うちは、別に従業員同士がどうこうって、あんま干渉しねぇけど・・・まあ、俺がこんなんだからな?だけどよ、それは遊びっつうこった。マジになったら、途端に仕事に支障をきたす。現にお前がそうだろうが。」
「・・・・・。」
オーナーの言う事は全くその通りで。
ヤスオは無言だった。
やっぱり、同じ店のヤスオと付き合うのは間違いだったのだろうか。
そう思って、ため息をつくと。
ヤスオが横から私の手を握ってきた。
そして。
「わかりました。ミカは店を辞めさせます。」
いきなり、ヤスオがそんな事を言いだした。
「え、ヤスオ!?ちょっと、そんなこと勝手に・・・私、困る!ユウと2人で生活していかないといけないんだよ!?私なんか雇ってくれるところ、そんなにすぐ探せないし!オーナー私辞めません!これからも、頑張って働きますから!!」
とんでもない、店を辞めたら途端に路頭に迷う。
住んでいるところだって、社員寮だから追い出されるし。
焦る私にオーナーは喉の奥でクッ、と笑った。
「ヤスオ、ミカはこう言ってるが、どうすんだよ?そりゃぁ、ミカのいう通りだよな?ユウかかえて、生きてるんだ。店辞めたら路頭に迷うって、バカでもわかるぞ?」
「ミカコとユウを路頭になんて迷わせません。ミカコ一緒に住むぞ。」
ヤスオがとんでもないことを言い出した。
私は、ヤスオの言葉に驚いた。
「い、一緒に住むって・・・そんなのダメだよ。」
「ダメって何だよ。ユウのためにも、ホステスはやめた方がいい。大体、こんな夜中の1時過ぎに起きていて、マグロ食うっていう5歳児はどうかと思うぞ?ユウのこと可愛いと思うし、3人で一緒に住むの問題ねぇと思うんだけど?」
確かに、ユウの生活時間を考えると幼児にはよくないと思うけど・・・でも、そこまでヤスオに甘えられない。
私が困っていると、ノリオさんがキッチンから顔を出した。
「ヤ、ヤスオッ、ミカちゃんと一緒に住むって、家出るのかっ!?そ、それとミカちゃん、お嫁さんにす、するのかっ!?」
広いとは言えないキッチンと居間はくっついていて、話はまる聞こえらしい。
ノリオさんが興奮したように、ヤスオに問いただした。
「おう。改めて親父と母ちゃんに話はするけどよ。しばらく、家出るわ。つっても、今建設中のマンションは俺の部屋別に作ってるだろ?そこができたらそこに入るつもりだし。まあ、9月まではミカコとユウとどっか部屋借りて別に住むけどな。」
私の事情も聞かないで、勝手にヤスオがそんなことを言いだした。
「ヤスオ、私・・・そんなの、困る!」
「ああっ!?何言ってんだっ。お前のことマジだって言ってんだろうがっ。ユウのことだってちゃんと考えてる。俺、ユウの父ちゃんになるつもりだからなっ。」
勘違いしたままのヤスオが、大きな声で宣言をした。
途端に、オーナーと富士見さんが噴き出した。
「何がおかしいんだよっ。」
笑うオーナーと富士見さんにイラつくヤスオ。
だけど。
「ヤスオッ。おかしいぞっ。」
ノリオさんが声をあげた。
「何がだ?」
「ヤスオは、ユ、ユウのっ、父ちゃんになるつもりかっ!?」
「おう、そのつもりだ。ユウのこと可愛いしな。」
「そ、そうかっ。じゃ、じゃぁ、ミカちゃんはっ、よ、嫁さんにで、できないなっ。」
「ああっ!?意味わかんねぇよっ。」
誤解したままのヤスオが、ノリオさんにくってかかる。
「わ、わかんねぇのはっ、ヤスオッ。」
「ああっ!?」
はあ。
やっぱり、ヤスオの気持ちを考えたら、私からきちんと言うべきなのだろう。
そう思い、口を開いたのだけれど。
「あのね、ヤスオ、ユウは私の――「お前、まだユウの親父にホレてんのかっ。」
見当違いなことを言われた。
オーナーと富士見さん、そしてノリオさんまでゲラゲラ笑いだした。
そして、憮然としているヤスオに富士見さんが。
「お前、遊んでる割に、女のことわかんねぇなぁ。良く見ろ。ミカちゃん大人っぽいけどよ、子供産んでるように見えるか?どう見ても姉弟だろ。ノリオでさえ、最初からわかってんぞ?・・・しかも、まだ・・・高校生くれぇだろ?」
「はっ!?」
「そーだよなぁ。女好きのヤスシがミカみたいないい女を前にして、手も握らねえって不思議に思ったけどよ。そら、いくらヤスシでも高校生のバージンには手ぇださねぇわな?」
「オーナーッ!?」
何で、オーナーに分かってしまったんだろう・・・って、富士見さんも!?
あ、だからこの前、店で急に欲の色が無くなって優しくなったの?
「ミカコ・・・今の話、本当か?」
ヤスオが信じられないという顔で私を見た。
仕方がなく頷く。
「何で・・・ユウのこと自分のガキだって言ったんだよ!?」
「別に・・・私は、ユウのことを自分の子供とは、一言も言っていないし・・・否定しなかっただけ・・・そう誤解された方が、都合がいいと最初は思ったから・・・。」
「最初は思ったって・・・俺と付き合いだしたんだから、その時本当の事言えばよかったじゃねぇかっ!?ウソつくんじゃねぇよっ!!」
突然、ヤスオが大きな声を出した。
その瞬間、富士見さんの膝にご機嫌ですわっていたユウが立ち上がり、ヤスオにむかって、私を守るように間に入った。
「お、ユウ、お前男じゃねぇか。ねーちゃん守ってんのか?えらいなぁ。おい、ヤスオ。女相手にそんな怒鳴るんじゃねぇ。ミカちゃんにも事情があったんだろ?じゃなかったら、自分の男に純情に見せてもその反対に見せるなんてこと、普通はしねぇだろ?」
いつも柔かい口調の富士見さんが、キツい口調でそう言った。
それに対し、ヤスオがグッと詰まった。
「なあ、ミカ。お前、この街に初めて来たんだろう?どうだ、住んでみて。」
沈黙の続く中。
艶のある低音の声で、オーナーが突然そんな質問をしてきた。
私は、私を守るように立ってヤスオをにらんでいるユウを膝の上にすわらせながら、オーナーを見た。
「・・・どうしてなのかわからないのですが・・・とても、居心地がいい街です。駅向こうのスーパーより、商店街のお店の方が温かくてすごく好きですし。できたら、このまま仕事を続けさせてもらって・・・この街に腰を落ち着けたいです。ユウも来年は小学校ですし・・・。」
私が思っていることを正直に言うと、ヤスオも、富士見さんも驚いた顔をした。
オーナーはいつものように喉の奥でクッ、と笑って。
「は・・・!こんな環境の悪ぃところが居心地がいいなんて、ミカ、お前も随分とはみ出しもんだな?・・・だけどよ、俺らの街をそう思ってくれて、ありがとよ。おい、ヤスオ。お前しっかりしろっ!ミカの何を見てんだ?この街がいいってミカはそう言ってんだよ。お前の生まれ育った街だぞ?そう言ってくれたミカをお前、正面からちゃんと受け止めねぇでどうすんだ?・・・まあ、お前が嘘を嫌うのはわかるけどよ?そのミカの嘘の意味を聞いてから、キレても遅くねぇんじゃねぇか?」
オーナーは富士見さんと友達という話だけど、その息子のヤスオもオーナーにとって特別なのだと思った。
オーナーのまとう闇色の中にも、優しさが見えたから――
オーナーの言葉にヤスオがため息をついた。
「ミカコ・・・何で、嘘・・・ユウがお前の子供だって、わざと俺に思わせたんだ?」
ヤスオが、真剣な目で私を見つめた。
そこには怒りはなくて、ただ切ない・・・寂しい色が見て取れた。
私は、そんな気持ちにさせてしまったことを申しわけなく思い・・・。
「あの・・・すごく、くだらない事なんだけど・・・。」
改めて、理由を言うことにためらいを感じた。
「何だよ、くだらなくてもいいじゃねぇか。お前にとっては、理由があったんだろ?」
ヤスオの声が優しくなって。
ヤスオからはいつもの温かな生成りの色が見て取れた。
その途端、この先ずっと、この色に包まれていたいと。
そんな風に思ってしまった。
「・・・だって・・・今更、ヤスオに16歳って・・・男の人と付き合ったことが無い・・・なんて、言えなかったの・・・・子供だと思われそうで・・・。」
正直に言ったのだけれど。
「あ?子供に思うなんてことあるわけねぇだろっ!?つうか、俺なんだったんだよっ。ずっと、ユウの父親に妬いてたんだぞっ!?意味わかんねぇしっ。」
キレられた・・・。
意味わからないって・・・。
「だって、ヤスオ、大人の女の人の方が好きでしょっ!?」
「あ?俺がいつそんなこと言ったよっ!?お前がいいって思ってんのわかんねぇのかよっ!?」
ますますキレてるし・・・。
もう、ムカつく!!!
「だって、アンさん!すごく大人のいい女って感じでしょっ!?」
「・・・・・・。」
私の言葉に、オーナーと富士見さんは大爆笑。
そして、ヤスオは固まっていた。