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スウィング・ロウ  作者: 潮見若真
プロローグ
1/44

もう、その能力のせいで困ることはないよ

「もう一度うかがいますが。本当にその能力、必要ありませんか?」


 革張りの立派なソファの上で姿勢を正して、楠見くすみははっきりとした口調でそう訊ねる。


 半分はテーブルを挟んで向かいに座った少女に問いかけたものだが、「ええ」と間髪入れずに答えたのは、その横で少女以上に身を硬くしている母親のほうだった。


「お願いします。本当に、困っているんです」

 震えるような息の混じった声。母親は、楠見と、その連れている少年に交互に目を向ける。

 楠見の渡した「本業」の名刺を左手に。右手にはレースの刺繍の入った白いハンカチを握り締めた女性。


 トラブルを処理できる、と紹介されてやってきた男が、思いもかけず若かったこと。そのくせ名刺の肩書きは大層なものであること。しかも、彼が「アシスタント」だと言って連れているのが、自分の娘と変わらないかむしろ幼く見える子供であること。

 そのすべてに最初、露骨な不安と戸惑いをにじませていた母親だが、話が核心に触れるとそんな疑心はどこかに吹き飛んでしまったらしい。


 娘を助けるよりも、問題を解決するよりも、彼女にとっての至上命題は「自分の置かれた窮状を誰かに訴えて聞かせる」ということのようだった。


「失くすことができるって聞いて。わたくしたちどれだけ助かったか……ねえ」

 傍らの娘に目をやると、娘は無表情に小さく頷いた。

「こんなこと、誰にでも話すわけにはいかないし。もう娘を連れて海にでも飛び込むしかないかと」


「お母さん――」

 延々と始まりそうな気配を察し、楠見は遮る。

「この能力は、失くしたら、もう元には戻せません。それでも?」


「ええ。ええ。お願いします。このままじゃ学校にも行けなくて。もうこの子、二ヶ月も学校に行っていないんです。担任の先生からも、まるでわたくしがなっていないかのようになじられるし、近所じゃいろいろと噂されているようですし、これじゃ中学校に上がっても――」


 目に涙を浮かべて、また切々と語り続ける母親。隣で娘は、俯いたまま膝の上に置いた拳をきゅっと握り締めた。楠見は少女の拳に目をやりながら、彼女らに知れないよう小さくため息をつく。

 そうして、この小一時間、道端のお地蔵様にでもなったみたいに黙って座っている隣の少年と目を合わせ。また母親に向き直り。


「分かりました。お母さん。少しの間、彼女と我々だけにさせていただけませんか?」

「え? ええ……ですけど……?」


 縋るような目で見られて、楠見は特技の「真面目で爽やかな青年実業家」に見えるらしい笑顔を作り、

「彼女の能力を失くさせる『作業』をします。大丈夫、心配は要りません。すぐに済みますから」


「ええ、ええ……いえ、心配だなんて。そりゃ、井上先生のご紹介ですから、もちろん信用申し上げておりますけれど、ただ、その……何かあってはわたくしが主人に叱られますし、ああ、いえ、疑うわけではないんですよ」


 母親は、楠見と隣の少年と自分の娘を代わる代わるに見比べ、たっぷり十分は逡巡し。その間、楠見は顔に笑みを貼り付けたまま、どんな心配も必要ないことを説明し続け。最後は娘の口から出た「ひとりで大丈夫」の言葉に押されるようにして、母親はようやく席を外した。


(娘が斬られる(、、、、)ところなんか、この母親には見せられないもんな……)

 その上、「作業」をするのが、実は楠見ではなく連れてきた子供なのだということを知られるのも、いささか具合が悪い。


「ふーっ」と息をつき、固まっていた頬を両手でほぐしながら隣の少年に目をやった。「キョウ。やれるか?」


「ん」キョウは、こくりと頷く。


「よし。――マナちゃんって言ったね」

 楠見は頬の筋肉の引きつるのを我慢して、もう一度笑いかけた。


「うん」

「お母さんはああ仰ってたけど、きみも、その能力は要らないのかな?」


「うん」少女はまだ俯き加減に、小さな声で答える。「上手く使えないから、困るんだ。学校でもたまにやっちゃったり」


「そう? 練習してきちんと使いこなせるようになるなら、どう?」

「うーん……」

「お母さんには言わないよ。きみの本当の気持ちが知りたいんだ」


 覗き込むようにして聞くと、少女は少し考え、しかしやはり首を横に振る。

 肩の上で切りそろえた髪が、ふるふると揺れた。

「やっぱり、いいや。お母さんも……怖いのかな、マナのこと。やっちゃうと、すごく嫌がるし。泣くんだ」

「そう。大変だったね」


 楠見は微笑みを抑えて、目を細める。

(UC‐PK……小学校六年生……十二歳、か……)

 憔悴しきった様子の母親の顔。それに、ずっと黙って俯いていた先ほどまでの少女を思い浮かべ、顎に手を当てて考え。


「分かった。それじゃ、能力を失くすようにしよう」

「うん」

 ホッとしたように小さくつぶやく少女。柔らかく、楠見はそれに微笑みかける。

「お母さんも安心される。きみのことが怖いわけじゃないんだ。きみが困っているのを見るのが辛いんだと思うよ?」

「……うん」

 賢い少女は、ただ、仕方なさそうな顔をして頷いた。


 それから隣の少年にまた目をやると、キョウは、視線に応えるようにちらりと楠見を見上げた。「斬る(、、)か?」

「ああ。そうだな」


斬る(、、)って?」

 特に脅えた風でもなく、少女は視線だけわずかに持ち上げて、変わらず小さな声で聞く。


 その向かいでキョウが立ち上がり。

 見えない鞘から抜き放つように。右手にゆっくりと、細身の日本刀を出現させた。


 ゆらり、と。キョウの周りの空気がかすかに動くような気配。

 見える(、、、)者に言わせると、少年の体と白刃はくじんはこのとき、ほのかな青色の光をまとっているのだという。


 少女はまた少し瞳を上げ。刀に吸い寄せられるように、その目を見張る。


「大丈夫。きみの能力を失くす作業だよ。一瞬で終わるし、痛くないし怖くもない。少し眠くなるけど、目が覚めたら――もう、その能力のせいで困ることはないよ」


「うん……」

 少女の声はどこかふわついているが、それは恐れているというよりも、目の前で起きている不思議な光景に、恍惚と目を奪われているように見えた。


 彼女にも、キョウのまとう光が見えているのだろうか。

 さぞかし――。楠見は思う。息を呑むほどの美しさなのだろう、と。


 もう一度キョウは、感情のうかがえない端整な瞳を楠見に向ける。楠見はそれに、深くゆっくりと頷き。立ち上がる。


 瞬間。

 少年の持つ刀が、素早く横薙ぎに払われた。


 脅える隙も与えない速さで。

 ソファに腰掛けたままの、少女の体を。その刃は、両断したはずだった。


 わずかに残心を取ったキョウ。楠見は崩れるようにかしいだ少女の肩を受け止め、その身に異常のないことを確かめると、ソファの背に持たせて。


「うん。大丈夫だな。キョウ、ご苦労様」

「ん」

「帰ろうか」

「ん」


 眠ってしまった少女をソファの上に残し、応接間の出入り口へと向かう。

 キョウの右手には、既に刀はなかった。楠見の胸あたりの高さにある少年の頭を、軽く叩くように撫でながら、楠見はドアを開けた。



 ※  ※  ※  ※  ※



 一九二〇年代。ドイツの超心理学者、カール・エルンスト・フェルツ博士は、人間の持つ通常の感覚を二十二に分類し、さらに一部の人間にだけ発現する二十三番目の感覚の存在を主張した。

 現在、「第六感」という言葉で表現されるものに近いそれに、博士は、「超常能力」を意味する「PSI(サイ)」にちなんでギリシャ文字二十三番目の「Ψ(psi)」を当てた。


 フェルツ博士の研究は、超心理(パラサイコロジー)学会に大きな影響を与え、従来の科学では解明できない現象を説明するこの学説は当時の学会を大きく賑わせた。が、博士はその後、オカルトめいた超心理現象に傾倒。「科学」の域を大きく踏み外したとして学会から追われ、次第に彼の論文は忘れられていった。


 現代のPSI研究に関わる者たちの間でも、このフェルツ博士の学説が想起されることは、ほとんどない。ごく一部の、それが真実(、、)であることを知る人間たち以外には。


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