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時間屋~あなたの時間、売ります、買います~

作者: ゆい

賑わう繁華街から一本路地を入ったところに、無数の時計を並べた店がある。いかにもひなびた感じで、若者受けしそうもないその店は、時計のほかにも一風変わった商品を扱っている。それは……



 「あーあ。あんなチャンス、もう来ないかなぁ」

大河内明美おおこうちあけみは通学カバンを肩にかけなおすと、ため息をついた。ずっと前を歩く、背の高い後姿を眺めていると、余計にため息が出るような気がする。

「そうだよ、明美。あんなこと一生に一度あるかないかじゃない。もったいないことするんだから!」

明美と友人の立川絢たちかわあやは、共にサッカー部のマネージャーである。1ヶ月ほど前、3年生の引退試合の後、部の仲間内でカラオケに行ったときのことを、しきりに悔やんでいるのである。

「先輩は今年卒業だし、本当にもう、あんなチャンスないね……」


 灰色の雨の中、物憂げな顔で来店したのは、県内では有名な進学校の制服を着た女子高校生だった。私が陳列棚の時計を拭き取るべく、消毒した布巾を手にしていた時、その年若い客は濡れた傘をたたみながら、店の入店ベルを鳴らした。

「いらっしゃいませ」

手を止めてカウンターに戻り、私はその少女を出迎えた。最近の学生服は、ずいぶんとお洒落になってきたものである。ついこの間まで、この市内の高校の制服は、ほとんど黒か紺であったような気がするが、この少女はモスグリーンを基調としたチェックのプリーツスカートに、同じくグリーンのブレザーを着ていた。髪はショートカットで、これもまた時代を感じさせる。昔なら、女学生はおさげ髪と相場が決まっていた。「昔なら」……これは私の口癖だ。

久々に来た若い客だったため、私は思わず値踏みするような顔をしていたに違いない。私のほうも少女の方も、しばらく沈黙を続けていた。

「あの……この時計なんですけど」

先に沈黙を破ったのは、少女の方であった。少女が差し出したのは、茶色い革バンドの女物の腕時計だった。もう大分年季が入っていて、文字盤は黄ばんでおりバンドもひどくひしゃげている。

「ちょっと拝見しますよ」

左の手のひらに柔らかい布を乗せて、腕時計を受け取った。

「今朝までつけてたんですけど、急に止まっちゃって。電池が切れたみたいなんです」

なるほど、今は秒針も動いていない。

「電池交換ですね。すぐできますので、その辺にかけてお待ち下さい」

「はい」

少女が片隅の椅子に腰掛けるのを見て、私は背を向けて作業に移った。時折少女が私の手元と、店の外にチラチラと視線を送っている。外は相変わらずの雨である。

「お嬢さん、この時計ですけどね」

私が声をかけた時も、少女は店の外を眺めていた。

「は、はい」

「ずいぶん古いが、当時かなり人気のあった高級品なんですよ。狂いにくくて丈夫で、まだまだ使える代物ですが、革はずいぶん傷んできてますから、バンドも交換されたらいかがですか?」

「え、いえ……」

少女は困ったように俯いてから、首を横に振った。

「それ、形見なんです。だから……」

そう言って、また窓の外に目をやる。

「そうですか。本体自体はまだ問題なく使えるので、これからも大事に使ってやって下さい」

私の言葉に無言でうなずき、また、私の手元と店の外を交互に見ている。雨は先刻よりも激しさが増してきたようで、薄暗い夕方の路地は、ろくに見えないほどであった。この少女がいったい何を見ているのか、私にはもうピンときている。

「あの……」

少女の呼びかけは今にも消え入りそうであった。私は作業の手を止めずに、声だけで応答した。

「何です?」

私の態度に少女は少し臆した様子であったが、勇気を振り絞るように私に問いかけた。そう、あの問いを。

「表の看板に、『あなたの時間、売ります、買います』ってあったんですけど、どういう意味ですか?」

電池の交換を終えて、本体の蓋閉め作業にとりかかる。

「あなたのお読みになった通りです。どのような意味だと思いますか?」

少女は「えっ」と言葉に詰まってから、ゆっくりと口を開いた。

「時間を売ったり買ったりなんて、現実的じゃないですよね。でも、ただの時計屋さんでもない感じがします」

手早く蓋を閉じて指紋を拭き取ると、私はようやく少女の方へ向き直った。

「もうひとつ質問をしましょう。あなたは、時間を買いたいと思ったことがおありですか?」

少女は再び俯いて考え込んだ。

「結構。時間を買い戻したい、それがあなたの望みですね」

「え?どうしてそれを……?」

「心当たりがないのなら、迷うこともないでしょう。人は時に、時間が足りないと言って寝る間を惜しんで何かに没頭することがありますが、そういった方が時間を買いたいとはなかなか考えません。そのような考えに時間を割くだけで、大いなる無駄と考えるからです。人が時間を買いたいと思う大きな理由は、過去のやり直し。過去を変えたいと思っている人々なのです」

少女は私をあっけにとられたような目で見ていたが、やがて意を決したように両手の拳を握った。

「私も、やり直したい過去があるんです。でも、たいした理由でもないので、きっと時間は売ってもらえませんよね」

少女の視線が、探るように私に纏わりつくのが分かった。

「そんなことはありませんよ。理由は問いません。あなたの時間ですから。ご興味があるなら、詳しい話をいたしましょうか?」

少女は一瞬、いや、半瞬迷ってから、はい、と返事をした。

いつもは私一人で飲むアールグレイの紅茶を淹れると、少女の前に置いた。紅茶には少女のシルエットと、薄暗い店内の照明が映りこんでいる。

「時間の売買契約では、金銭のやり取りはありません。したがって、契約書のようなものはありません。まずはそれに同意して下さい」

「はい」

紅茶の表面で、少女の顔がこくりと頷いた。

「あなたが仮に、丸1日の時間を買う場合、金品は一切いただきませんが、代償としてあなたの時間を1ヶ月いただきます。2日なら2ヶ月、10日なら10ヶ月をその対価としていただきます。どのような手段で時間の売買を行うかということは、企業秘密ですのでお教えできません」

「はい」

およそ非現実的な私の説明に、またも少女はこくりと頷く。

「あなたは希望の時間を買い戻すことができますが、支払う時間の指定はできません。私が選別し、あなたが買い戻した時間に見合う価値の時間を規定どおりに頂きます。また、売買はあくまで時間のみを対象としており、例えば買い戻した時間に、買い戻す以前と同じ出来事が起こることを保証するものではありません。起こることなどはあなたの行動次第で変化しますし、気象条件がまったく同じになるという保証もいたしかねます。もっとも…買い戻し前と天気が変わったという例は、今までにはありませんでしたが。……大丈夫ですか?」

少女は完全に俯いてしまい、握り締めた拳が震えていた。私の問いで初めてそのことに気づいたようで、さっと両手をテーブルの下へ隠した。

「すみません……。あの、あんまり色々なことを言われて、何がなんだか……」

私は薄く笑って、右手をテーブルの上へ乗せた。

「そうでしょうね。時間はいくらでもあります。ゆっくり考えて下さい」

「はい」

少女は小さく頷くとティーカップを持ち上げ、ストレートのままのアールグレイを飲んだ。

「たとえば、私が1日時間を買ったとすると、今までの人生の中の1ヶ月がなくなってしまうんですよね?」

「そうですね。たとえば、あなたの先月がまるきりなくなってしまうかもしれませんし、生まれてすぐの1ヶ月がなくなるかもしれません。あなたはその1ヶ月を省略し、タイムスリップしてその続きの人生を変わらずに過ごします」

「あの…ええと…それじゃあ、消えてしまった1ヶ月の間に私がしたことや私に起こったことは、いったいどうなるんですか?」

この少女はずいぶんと聡明のようだ。このような突拍子もない話に、まだアイデンティティもできあがっていないような少女が、ここまで私に問い質してきたのは初めてだからだ。

「いい質問です。私があなたから頂くのは『時間』です。あなたの存在そのものではありません。したがって、あなたはその1ヶ月間もきちんと存在し続け、家族や友人と過ごします。しかし、あなた自身の記憶には残りません。そうですね……この事象を説明するには、並行世界<パラレルワールド>という概念を説明しなければなりません。並行世界……聞き覚えはありますか?」

少女は自信なさげに「物語の中でなら……」と、答えた。当然の返答であり、当節の女子高生にしては、むしろよく本を読んでいるほうなのだろう。

「私たちのこの世界を、ひとつの川に喩えて考えてみましょう。川にはいくつもの分岐、支流があります。私たちの世界にも、いくつもの分岐点があるのです」

「分岐点……ですか?」

「そうです。たとえば、太平洋戦争勃発の時、日本軍は真珠湾に奇襲攻撃をかけました。当然、これまで常識とされてきた手順を踏まない開戦に、アメリカ側は激怒しました。当初の日本側の計画としては、攻撃の前に宣戦布告の通告をアメリカに出す予定だった。しかし、慣れない英文タイプを叩かされた担当者は、時刻までに宣戦布告文を作成できなかった。だから結果的に奇襲攻撃になったのです。これがもし、宣戦布告が間に合っていたら?万に一つでも話し合いのテーブルについた可能性があったかもしれない。そうでないにしても、あれほどまでにアメリカの怒りを買わずに済んだかもしれない。その、『かもしれない』の世界が、我々の知る歴史の流れとは別に、しかし良く似た形で、並行していくつも流れているのです」

「はぁ……」

「それらのいくつもの流れ……並行世界は、時折合流したり枝分かれしたりを繰り返しながら、確実に歴史の大河となって流れています」

少女は絶句するかと思いきや、くすりと笑った。

「歴史の大河だなんて、意外にロマンチストなんですね。なんだか、今までの説明に似合わないみたい」

なんと落ち着いた少女なのだろう。それとも、現実感が薄いのか。

「ロマンのない人間に見えましたか。こう見えて、映画を見るたびに涙が出るロマンチストなのですよ」

私は軽く微笑んでから、

「話を戻しましょう。長々とご説明した並行世界が、あなたのご質問にどのように関係するかというとです」

少女は黙って真剣な表情で頷いた。

「あなた……この世界に存在するあなたの時間は、時間販売の代償として私が頂きます。先ほどの話ですと、仮に1ヶ月としましょう。その、あなたにとっては空白となってしまう1ヶ月間、あなたの代わりに並行世界のあなたが、いえ、並行世界そのものが、この世界と合流します。申し上げましたが、並行世界は分岐もすれば、合流もするのです。ある分岐点で違う方向へ流れ出した時間の流れが、時を経て、その分岐自体にそれほど大きな意味が……歴史を変えるような意味がなく同じ結果になった場合、自然に合流します。その合流を、私が人工的に作り出します。もちろん、この世界と極めて酷似した並行世界を選び、あなたのいない1ヶ月間をバイパスのようにつなぎます。この作業の都合上、たとえば5ヶ月の時間取引があった場合などは、色々な『時間』から、1ヶ月ずつくらいを見繕って、頂戴することもあります。あまりにバイパスが長すぎると、元の流れに戻せなくなることがありますので。結論として、あなたの記憶の中では空白の1ヶ月となりますが、歴史の大きな流れの中では、あなたは欠けることなくずっと存在するということです」

少女はしばらくの間押し黙っていた。その表情から察するに、私の説明をその小さな頭の中で反芻して納得しているようだ。たっぷり15分も経った頃だろうか。店の時計が一斉に5時のアラームを叩いた。少女はその音に弾かれるように顔を上げた。

「わかりました。お願いします。時間、買います」



 「おはよう、お母さん!」

明美は制服姿で階段を駆け下りると、用意された朝食を口に放り込んだ。過去の1日間を過ごした翌日、明美は現在に戻っていた。彼女が買戻したのは、引退試合の打ち上げがあった、あの日である。引き換えとして支払った時間がいったいどの1ヶ月なのか、明美自身、よく分からなかった。生まれてから十数年の中の、たった1ヶ月である。分からぬまま生涯を終えるに違いない。明美はちらりとそんなことを考えながら、朝食を終えて足早に家を出た。鼠色の雨模様だが、明美の心は晴れ晴れとしている。学校へ向かういつもの道。思いを寄せる先輩の卒業も近い。

「あ……」

見覚えのある後姿を見つけて、明美は駆け出した。買い戻した1日が、これからの希望の象徴となるに違いない。明美ははつらつとした声で呼びかけた。

「先輩!おはようございます!」

しかし彼は顔を上げて……



 少女は恋する相手と過ごした1日間を買い戻した。時間の売買は極めて単純なやり取りであるから、この際省略させていただく。私は少女から、少女が買い戻した1日間の翌日から1ヶ月を報酬として受け取った。だから彼女が体験している現在は、ちょうど、彼女が私の店に来た日である。少女は思いを寄せる相手に、その気持ちを伝えたのであろうか。そして、二人はどのような並行世界を作り上げたのであろうか。我々の世界はどのように動き、どの並行世界と合流し、飲み込まれて行ったのだろうか。この先は読者の皆様のご想像にお任せするとしよう。

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― 新着の感想 ―
[一言] 文章も申し分無く、短編として上手くまとまっていると思います。 どうしてもホラーになりがちな題材ですが、それをホラーではなくSFとして構築している点が特に興味深く面白かったです。
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