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第2章  5月(3)

5月もようやく終わりそうです。

 週明けて月曜日。多少の余裕を持って教室に入った私に、麻莉子が一番で声を掛けてくる。

「小春ちゃ~ん、おはよぅ~」

「おはよ、麻莉子」

 麻莉子は私の顔をじろじろと眺めると、なんだかとても安心したような表情になる。

「小春ちゃんさぁ、やっとふっきれたんだねぇ~」

「えっ?」

(麻莉子は占研での事、知ってる?)

「だってさぁ、先週1週間は小春ちゃん、別人みたいに元気がなかっただもんねぇ。友哉くんも麻莉子もすごく心配してたんだよぅ。小春ちゃんは、友哉くんと麻莉子が心配してるなんて、感じる余裕もなかったみたいだけどさぁ~」

「あぁ……うん。ごめん」

 確かにそうだ。全然まわりの事なんて目に入らないでいた。

「でもねぇ、体調が悪いんじゃないのは分ってたからさぁ、友哉くんとしばらくはそっとしておこうね、って話してたのぅ」

「なんで私の体調が悪くないって分ったの?」

「だってぇ、小春ちゃんはぁ、元気のなかった先週だって、ずうっと友哉くんのお弁当は残さずにバクバク食べてたんだもんねぇ。食欲があるうちは大丈夫だよねってぇ~」

「え……そこが判断基準なんだ」

 だが、麻莉子と友哉の、私に対する理解は確かに正しい。私は、精神的なダメージで食欲を無くしたことなんて一度もないんだから。

 でも、とりあえず麻莉子が占研での事を言ってるんじゃないことを知って、私は胸をなでおろした。

「心配かけちゃってごめんね。後で友哉にも謝っておく。でも、もう大丈夫だから安心してよ」

 そういって、親指をグッと立てる。

「うわぁ~、良かったぁ。いつもの小春ちゃんが戻ってきたよぅ~」

(友達っていいもんだな)

 素直に感謝。


 それから私は、桐生の席に向かった。

 ここで言っておきたいんだけど、その時の私は、席にいる桐生しか目に入らなかった。桐生の横で仲京香が、桐生に一生懸命なにやら話しかけている姿は、本当に本当に目に入らなかったのだ。

「桐生、おはよう」

 不覚にも、二人が会話をしている場に割り込んで、声を掛けてしまった私。仲京香と目が合てしまった私。

(あぁーーーーっ、やっちまった!)

 仲京香がいることに気付いた時には、時、既に遅し。

「あら、波原さん。おはようございます。誠也さんになにかご用?」

 よくも邪魔をしてくれたなという仲京香の視線に、呪われそうな気さえしてくる。

「いいえ~、全然ご用事なんてございませんのよ。私ったら何を間違ってご挨拶しちゃったのかしらね~」

などど意味不明な日本語を言った私は、二人にくるりと背を向ける。

「――!!」

 その場をさりげなく離れるはずの私は、逆に桐生に腕を摑まれて、その場から動けない。

「待て、波原。俺に話したいことがあるんだろう」

 仲京香の視線に殺意を感じた私は、桐生の手をふりほどきたかったのに、予想外に強い桐生の力に振り払うことが出来なかった。

「用件はなんだ?」

 桐生の声で。

「あっ、うん。今日の放課後、生徒会室へ行こうかなと思って」

 わざわざ仲京香の前でこんな事言わなくて良いものを、つい言ってしまう自分の軽率さが恨めしい。

「あら、波原さんが生徒会室に行かれるなんて、そぐわない感じがしますわね。そのことが誠也さんに、どんな関係があるのかしら」

「仲さん。君には関係ないことだから」

 桐生にぴしゃりと封じられた仲京香の顔から、血の気がひいていくのが分かった。

「誠也さん、わたくし、そんなつもりで言ったんじゃないのよ。ごめんなさい、余計な口出しをしてしまって」

(いいんですってば。桐生はアナタに熨し付けて差し上げますから)

「わかった。波原、それじゃ今日の放課後に」

 桐生は、私の腕を掴んでいた手をようやく放してくれる。仲京香の恨みがましい視線に、余計な火種をまいてしまった事を感じる。

(頭が痛いわ、マジで)


 そして放課後、桐生と私は生徒会室に行こうと連れ立って廊下を歩いている。

 生徒会室は、実習室や職員室などが入っている実習棟の中にあるらしい。


『僕はどうしても生徒会室あたりからは良い感じを受けなくてね』


 小林の言葉を思い出す。

 学園内には本当に特別なエネルギーが流れていて、生徒会室付近ではその流れが乱れてたりするんだろうか。

(全てはここからだ)

 先入観にとらわれないように、できるだけニュートラルな気持ちになれるように、まずはひとつ深呼吸を。

(ニュートラル、ニュートラル)

 大きく一度。

 目を閉じて、すーーーーーっと。


 生徒会室の前で桐生は、なんのためらいもせず慣れた感じで生徒会室の引き戸を開けるではないか。

(なにものだ、こいつ?)

 ゴールデンウィーク中に図書館で、生徒会長と親しげに話していた桐生の姿を私は思い出した。

(やっぱりアヤシイ。やっぱり学食1年間フリーパス券の譲渡なんて、ハナシがうますぎるんじゃない?)

 おいしいハナシには、たいてい裏があるものだし、小林から言われた忠告も忘れちゃいない。

 どうやら先入観を捨てようとした努力も、無駄になりそう勢いだ。

「入るぞ」

 桐生が声を発した。

(入るぞ?)

 生徒会役員でもないぺーぺーの1年が、入室する時の言葉とはとうてい思えない。

(どう考えてもアヤシすぎる)

 ところがそれに答えた生徒会長の言葉は、私のはるか想定外だった。

「おう、誠也か。待ちくたびれたぞ、入れ、入れ」

(せい、や?)

 いぶかしげに引き戸の前で硬直している私には、副会長の藍原さんが優しく声を掛けてきた。

「波原さんもお入りなさいな」

 相変わらずの美しい笑顔が眩しい。

 生徒会室には、生徒会長の早水坂と、副会長の藍原さん、そして桐生と私の4人だけのようだった。

「失礼します」

 覚悟を決めて、私も桐生に続いて生徒会室の中に入る。生徒会室内は特に変わった感じを受ける事もなく、ごくごく普通だった。

 学食1年間フリーパス券を頂くまでは帰らないぞ、と改めて自分に言い聞かせる。


 入室してからずっと早水坂が私を見ているような気がして、どうにも居心地が悪い。

「そうか、君が波原小春くんか」

「……」

「私は、この星杜学園で生徒会長をさせて貰っている早水坂だ」

「知ってます」

「よく来てくれた」

(あまり来たくはありませんでしたが、背に腹は代えられなくて)

 でも、なんだろう。

 なんとなく歓迎されているような暖かい感じを受けるのは、間違いだろうか。


「ところで誠也。小春くんにはいったいどこまで話をしているんだ?」

 今度は、早水坂が桐生に問いかけた。

「いや、まだ何も。こいつは俺の話なんて、まじめに聞きやしないしな」

 もしかして、桐生がこれまで何か話そうとしていたことと、今日ここへ連れて来られたこととは、何か関係があったりするのだろうか。

(ヤバイ、私、ハメられたかも)

「今日は、寮祭の学食券の権利を譲渡するという名目で、こいつをここへ連れてきたんだ」

(やっぱり!)

 波原小春、絶体絶命。

「波原、実はおまえにハナシがあってな。自発的に生徒会室へ足を運んで貰いたくて、今日に至ったというわけだ」

(聞きたくない)

「おまえはどうやら聞きたくないという顔だが、ここに来たからには、聞いて貰わない事には俺も困るんだ」

(聞くべきか、聞かざるべきか)

 迷ったものの、結局、話を聞くだけは聞こうと決めたのは、自分がこの場に歓迎されているように感じたからだった。

「わかった、とりあえずは聞く。でもその話とやらを聞く前に、ひとつ確認したい事があるんだけど」

「あぁ。学食一年間のフリーパス件の事だろう」

(なんだ、桐生、ちゃんと分かってるじゃん)

「おまえはそれが目的でここに来たんだし、心配は無用だ」

 

 そんな私たちの会話を聞いていた早水坂と藍原さんが、互いに目を合わせて笑う。

「なんだ、誠也。おまえ、そんな理由をつけてしか、ここへ小春くんを呼べなかったのか?」

「入学式からずっと桐生くんのお手並みを拝見させて貰ってたけど、わりと日数が掛かったわねぇ」

(なんだ、なんだ? みんなグルか?)

「立ち話もなんだから、とりあえず座りましょうよ」

 私の向かい側には早水坂と桐生が、横には藍原さんという並びでイスに座ると、なぜだか1年の桐生が、場を仕切るように話し始める。

「まずは波原。本題に入る前に、おまえに先に話しておかないとならない事がある」

(よかろう。この波原小春、受けて立とうじゃないの!)

 こうなったら何を聞いても驚かないぞと覚悟を決めると、深呼吸をヒトツする。


「波原」

(さぁ、こい)

「実は俺は」

(実は俺は?)

「星杜学園の生徒だったんだ」

「……?」

(あのぅ。なんだか日本語が間違ってるようですけど)

「星杜学園の生徒なのは私もだけど、それが?」

「違うんだ、波原。俺は、中3の始めにお前のクラスへ転校する直前まで、ここ星杜学園の生徒だったんだ」

「えっ?」

 ちょっと意味が分らない。

「どういうこと?」

「俺は星杜学園に入学して早水坂と同じクラスになった。でも2年に進級する時に、俺はおまえの通う中学に転校し、1年間おまえと同じクラスで時を過ごしたんだ」

(なんだって??)

「って、そんなこと、ありえるわけっ!?」

「まぁなんとでもなる。っていうか、なんとでもなったから、おまえと同級生ってことになっている」


 ……。

 …………。

 ………………。


「桐生くん。波原さんが混乱してるわよ」

 いたずらっぽく口をはさむ藍原さん。

(彼女は? 藍原さんも知ってることなの?)    

「私は、早水坂さんにスカウトされて軽い気持ちで生徒会役員に立候補したんだけど、いろいろなお話を聞かされたのは、役員に当選してからよ」

「いろいろなオハナシ、ですか」

「そう、いろいろなお話」

 束の間、藍原さんの瞳が哀しみを帯びたように見えたが、またもとの涼しい目元に戻り、かわいらしい表情になる。

「桐生、今の話しって本当?」

「こんな事でウソをついておまえを騙したところで、なんの得になる?」

 私は、早水坂にも確認する。

「会長が桐生と同級生だったっていうのは、本当のことなんですか?」

 最初から答えは分っていたような気もするけれど、でも、どうしても聞かずにはいられなかったのだ。

「本当だ。私は1年の時、この学園で桐生誠也とクラスメイトだった。小春くんには、桐生と私の関係を正確に理解しておいて貰う必要があると判断し、この事を最初に話しておくことにした」

 そういういきさつがあったから、桐生と早水坂は、最初の頃から親しげだったのだと、ようやく合点がいく。


「でっ、でも、なんで桐生は、わざわざダブるような真似を?」

「早水坂恭一と話しあった結果、波原小春という人間を探しに行く必要があるという結論に至ったからだ。もっとも、その時には、俺たちには、まだ探したい人物が波原小春だとは分らなかったがな」

(私を探しに?)

「なんで? なんで私を?」

 生徒会室内の空気に緊張感が走る。

(この3人は、何かを隠している)

「すまないが、波原。今のお前には、理由を聞くための準備がまだできていない。従って、一度に全てを話すことは出来ないんだ」

 桐生が苦しげにそう言った。

 そして早水坂も。

「小春くん、君には時間をかけて、この学園内に関わる様々な事柄をゆっくり理解していってもらいたいと思っている。それと、決して忘れて欲しくないのは、小春くんの協力なしには、我々の望みはかなわないということだ」

「波原さんには、私たちのことをきちんと知って貰いたいの。知って貰った上で、協力して欲しいわ」


(我々の望みって何なわけ?)


 小林の透視した『否応なく波原小春も巻き込まれていく』だろう大事件というのは、はたしてこのことなのだろうか。


「さて、それでは小春くん。それじゃここからは本題に入らせてもらおうかな」

 生徒会長の言葉に、私は再び身構える。今のが本題でなかったのなら、本題はどれだけの驚愕を私にもたらすのだろうか。

(落ち着こう、波原小春)

「小春くんは、我が星杜学園が、創立から数えて今年で100周年になることは知っているかな」

「はい」

(そうか。あの時、桐生が話していたクリスマスツリーは、ここに繋げるための布石だったんだ)

「創立記念日は12月25日だが、前日のクリスマスイブには、毎年恒例で『創立記念前夜祭』が催される」

「桐生から聞きました」

「なんだ、誠也。それなりに話しはしてたんだな」

「それなりに、な」

 早水坂ににやりと笑われた桐生が、気まずそうにしている姿はなかなか面白い。

「それならば話しは早い。そこでだ。小春くん。我々生徒会の方でも、今年は100周年記念ということなので、創立記念前夜祭は、いつもの年よりも大掛かりで、きらびやかなものにしようと考えている」

「はぁ」

「そこで君に相談だ」

(落ち着け、落ち着け、波原小春)

「そういうわけなので、波原小春くんにも、是非、創立100周年記念前夜祭の実行委員に加わって貰いたいと思っている」

(へっ??)

「あのー、今、なんて?」

「我々は君に、実行委員を引き受けてほしいと思っている」

 いきなりの脱力。

「会長、こっちが本題とやらなんですかっ?」

「これが本題だが? なにか問題でも?」

「あ、いえ……」

 私は、実行委員などの役割は決してキライではないけれど。


『だから、もしも生徒会の人間と接する機会がある時には、決して気を許さないようにしてほしい。気をつけてほしいんだ』


 小林の言葉を思い出すと、このままハイと言ってしまうには、少々ためらいがあった。ここにいる3人がどういう人間なのか、私にはまだ全然分かっちゃいないのだ。


『ある特定の場所でだけ流れが乱れることが多々あるんだ』


 そして私は今、その乱れるという場所にいる。

 桐生と早水坂の関係。創立100周年記念前夜祭の実行委員。いったいどこでどう繋がってくるというのか。

(虎穴に入らずんば虎児を得ず、か)

 

 藍原さんが話しを継ぐ。

「波原さん、学食フリーパス券、欲しいんでしょう? だって寮祭であんなに頑張って走っていたんですものね」

 全然関係ないと思われるワードが、またまた飛び出してくる。

「なんでフリーパス券のハナシがここで出てくるんですか?」

 実行委員を引き受けるという話しとフリーパス券の関連もイマイチ分らない――と思ったが。

「あっ!!」

 私の叫び声を聞いた時の、3人の、あの1本取った的な嬉しそうな表情を、私はこの先ずっと忘れる事はないだろう。

 藍原さんなんて、外見が美しくて優しそうで物腰の柔らかい分、高圧的な雰囲気丸出しな桐生や早水坂よりもずっとタチが悪いというものだ。しかし、そうでもなければ、こんな早水坂の下で副会長など務まるはずもないということなのか。

「ごめんなさいね、波原さん。お気付きになったかと思うんだけど……そうなのよ。実行委員を引き受けて頂くことが、桐生くんの学食フリーパス券譲渡の条件なの」

 そして見る者をとろけさせる、華やかなその満面の笑顔で。

(それって脅迫って言うんじゃないんですかっ!?)

 

 そうして私は、泣く泣く学食1年間フリーパス券を入手したのだった。


☆☆☆

 翌日。

 学食1年間フリーパス券を手には入れたものの、昨日の生徒会室での出来事をひきずって調子の出ない私に、さらに追い討ちをかける事件が起きる。

 それは昼休みのこと。

 いつものように私たち3人は、友哉が作ってきてくれたお弁当をおいしく食べていたのだが、なにやら友哉がどよどよとした暗くて重いオーラを発散しまっくていた。

(もしかして、私がフリーパス券をゲットした事を知って)

(これからはお弁当を作らなくていいから、って言われるのが哀しくて)

(時々友哉のお弁当を食べさせてね、って言わないと)

 友哉、無言。お弁当をもそもそと食べながらも無言。

 私は麻莉子の耳元でささやく。

「ね、ね、友哉ったらいったいどうしたの?」

「う~~~ん、まぁねぇ、こればっかりは、しょうがないことだしなぁ~。小春ちゃんのせいじゃないんだけれどぉ、う~ん……」


 そうか。

 友哉は、やはりどこからか話しを聞いて、私がフリーパス券をゲットした事を知ったんだろう。

 今の時代、情報が伝わるのは速いんだ。

(隠さないで、最初から話しておくべきだった)

「やっぱり、あの事で?」

「そうだよぅ~」

「麻莉子も知ってたの?」

「麻莉子は友哉くんから聞いたんだけどぉ、さすがにビックリしちゃったなぁ~」

「でも、友哉がこれからも今まで通りの方が良いって言うんなら、私はそれでも良いんだけどね」

 麻莉子のくりくり目玉が、より一層くりくりになった。

(目ン玉、落ちちゃいそうだ)

「えーーっ!? 小春ちゃんったら、そんな簡単に言っちゃってもいいのぉ~?」

「簡単なことだと思うんだけど、違う?」

「じゃあさぁ、友哉くんに直接言ってあげてよぅ。とぉーっても喜ぶと思うよぅ~」

 いえいえ、これからも、おいしいお弁当を毎日食べさせて貰えるんなら、私の方が喜ぶというものです。


「友哉」

「……」

「友哉ってば」

「……」

「と・も・や・くん」

「……」

 実は、私は意外と気が短かったりする。

「友哉ったら、聞こえてるんでしょ!?」

 つい口調がキツクなる。

「聞こえてますけど……」

 消え入りそうな友哉の声。

「だったら、なんで返事してくんないのさ」

 麻莉子がやれやれという顔をしている。

「だって……」

「だって、なに?」

 友哉の目に、涙がぶわっと溜まってくる。

「え? え? え?? ち、ち、ち、ちょっと待ってよ。友哉ったらいきなりどうしたの?」

「だって、だって」

(頼むから、泣くのだけは勘弁してくれ)

「ぼっ、ぼっ、僕、昨日見ちゃったんです」

 涙がつーーーーーっと。

 それは、マジですかっ!?

「小春さんが、きっ、きっ、桐生くんと楽しそうに話しながら並んで歩いているところを……」

 楽しそうだったというのはどうかと思うけど、生徒会室へ行く途中、どこかで友哉に見られていたんだろう。

「そっか、友哉に見られちゃったんだー。いや、そのね、なんていうか……ごめん、友哉。今まで隠してて」

「やっぱりそうだったんですね……」

 友哉、机の上に突っ伏して号泣。麻莉子は首を左右に振っている。

「あの、友哉さ。なんで泣いてるのかよく分らないんだけど、友哉がお弁当を作ってくれるんなら、私はこれまで通りで良いんだよ?」

 と言った途端、友哉は机から顔を上げて、泣き顔のままキッと私を見据えてくる。

「小春さんは、なぜこんな時にお弁当の話しなんて持ち出すんですかっ!?」

 なぜと言われても、そこが問題なんだと思っているわけで。

「でも、本当に隠していたことはごめん。なんか言い出しずらくて、ほら私と桐生はさ」

 私が桐生の名前を口にした時だった。友哉が耳を塞ぎながら叫んだのだ。

「聞きたくありませんっ! 小春さんの口から、桐生くんの名前なんて、僕は聞きたくないんですからっ!」


 どうも。

 話しが食い違ってはいないか?

 私は麻莉子に助け舟を求める。

「麻莉子ぉ、友哉はなんであんなに泣いてるワケ?」

「ホントに小春ちゃんはにぶちんだなぁぁ~。どう考えたって、桐生くんの名前は禁句でっしょ~、この場合」

 呆れ顔の麻莉子。

(分らん)

「確かに私が桐生から、学食のフリーパス券を譲り受けたのを隠してたのは悪かったけど、それって友哉が泣かなきゃならないほどひどい事だった?」


「えっ?」

「えっ?」

 二人同時に。


「えっ?」

 続いて私も。


「小春さん、桐生くんとお付き合いしてるんじゃないんですか?」

「うぇーーーーっ、なんでそうなる?」

 友哉、沈黙そして安堵。

「あぁぁ~~~~~~、良かったです~~~~」

 そして、暗くて重いオーラはどこへやら、一転、バックに大輪のバラを背負う友哉。

「なに? 二人でそういう話になってたわけ?」

 麻莉子と友哉、二人顔を見合わせてうんうんと頷いている。

「なぁんだぁ~、違ったのかぁ~。友哉くんは、早とちりなんだからなぁ、もぅ~。でも友哉くぅん、良かったねぇ~」

「はい! 良かったです。僕、すっかり安心しちゃって、嬉し涙に代わっちゃいましたよ」

(やっぱりよく分らん)

「そうなんですか。小春さん、桐生くんから学食券を譲って貰えたんですね。それは良かったです」

 友哉の口が軽くなる。表情も、打って変わって明るい。

「あ、うん。ホントにゴメン。なんか言い出しずらくって、隠す形になっちゃったけどさ。

 昨日、桐生と一緒に生徒会室へ行って受け取ってきたんだ。ほら、これがフリーパス券」

 決して失くさないようにと、鞄に取りつけたパスケースを見せる。

「そうですか。僕が見かけたのは、生徒会室へ向かうお二人の姿だったんですね」

「そうだと思うよ」

(生徒会室でフリーパス券を貰うまでが、これまたいろいろと大変だったんだけど)

「今度はさ、3人で学食デビューしようよ。今回のお詫びに友哉と麻莉子の分は私がご馳走するからさ」

 こうして、ようやく一件落着。

 でも、なんで桐生と私が付き合ってると、友哉が号泣になるんだろうか。あとで麻莉子に聞いてみなくっちゃ。


☆☆☆

 いよいよ今日は私たち3人の学食デビューの日である。

 4時間目終了のチャイムと同時に学食へ向かってダッシュする事は決めてあったし、一番早く学食へ飛び込んだ人が3人分の食券を買うことも了解済みである。そんな取り決めをしなくても、その役目が私になるだろう事は、最初からほぼ決まっている。


 キンコーンカンコーン。


 私たち3人は、教師が出て行くのと同じ早さで後ろの扉から飛び出す。寮祭で寮棟を走った事をふと思い出した。

「麻莉子、友哉っ!先に行って適当に食券買っておくからね!」

「うん、小春ちゃ~ん、お願いしますぅ~」

「小春さん、よろしくお願いします」

(波原小春に任せなさいっての)

 実習室や実験室などが入っている実習棟の突き当たりの1階から3階までのスペースが、星杜学園の学食となっている。

 1階には調理室があって、まず1階で食券を買い、続いてメニューに対応する窓口に並んで注文した料理が出てくるまで順番を待ち、受け取ったらそれを自分で2階・3階の食事スペースまで運んで食べるというシステムである。学食から一歩外へ出た所には、大きなウッドテラスコーナーもあり、気候の良い期間は外で食べる事も認められているらしい。

 次回はテラスの席を狙おうと心に決め、とりあえず学食デビューの今日は、3階の空いている席を陣取ることにする。

 調理室に近い2階席には上級生が、遠い3階席には1年生が座るというのが星杜学食の暗黙のルールだそうで、これを知らずにルールを破ってしまった1年生は、『学年が上がるまで二度と学食で食べる事ができない』というオソロシイ噂が、まことしやかに囁かれている。

 私一人なら、間違いなく学食1年間フリーパス券のご利益を無駄にするところだったが、情報通の麻莉子のお陰でそういうハメにもならずに済みそうなのは本当に有難い。

 一家に一人、情報通の麻莉子。


「あっ、麻莉子、友哉ぁ、こっちこっち」

 ふぅふぅ息を切らしながら、二人がようやく3階まで上がってくる。

「小春さんはやっぱり早いですね。ぼくたちがようやく学食に到着した時には、もう席まで取っててくれてるんですから」

「食べる事に関してはぁ、小春ちゃんに任せておけば間違いないよねぇ~」

「いっただきまぁーす」

 3人が揃ったところで、夢にまで見た学食メニューに私はかぶりつく。

「ん~~~~~、噂に違わず、ゲキうまっ!!」

 ところが、どうしたことか麻莉子も友哉も手をつけないで黙って食事を見つめているばかり。

「2人ともどうしたのさ。大丈夫、これは私のおごりなんだから、さ、さ、遠慮なく食べて、食べて」

 2人は当惑気味に、かつ遠慮がちに私に尋ねてくる。

「小春ちゃん、あのさぁ、麻莉子、ちょっと聞きたいんだけどぉ、小春ちゃん、なんでこのメニューに決めたのぅ?」

「小春さんと同じメニューじゃなくても、ぼくたちは全然構わなかったんですけどね」

「だって、ほら、みんな同じメニューだと、食券買うのにも手数が掛からないし、窓口に並ぶのも楽だしさ」

「まぁ確かにそうだとは思いますが」

(もう。2人とも遠慮しちゃって)

「でもねぇ、小春ちゃん。麻莉子、これはねぇ、なんだか恥ずかしいんだよぅ」

「???」

「ぼくも、このボリューム感は勘弁してほしいです」

 私たち3人の前には、ゆうに3人分ありそうな『メガ盛りオムライス』が、大きな平皿に盛られて3つ。テーブルの横を通り過ぎる生徒たちが、横目で見てくすくす笑っているような。


「2人にはいっつもお世話になってるんだし、ホント遠慮なんてしなくていいんだってば。私の事前調査によるとね、このメガ盛りオムライスは特製で、中のライスの味が二種類なんだよ。ケチャップ味とカレー味の両方が一度に味わえる幸せ、うーーーん、やっぱりこれは3人で分かち合わないとね」

 2人、だんだんとテンションが低くなっていく。でも、とりあえず2人とも食べ始めると

「あれぇ、小春ちゃ~ん。このオムライス本当にとぉーっても美味しいんだねぇ~。麻莉子、感動だよぅ~」

「ほんとだ、すごく美味しいですね。こんなに美味しい食事が食べられる学食なんて、そうそう探せないですよねぇ」

 思った通り、喜んでくれる。

「でっしょーーーー!!」

 皆で分かち合えない幸せなんて、その幸せ感も半減というもの。その味に感動しつつ私たち3人は、しばらくメガ盛りオムライスを食べることに熱中する。


 そうして食べる事にひと段落した時だった。

「小春ちゃんっ、それっ!!」

 麻莉子が叫び、いきなりガタンと席から立ち上がって私の方を指差す。

「えっ? なに、なに? 麻莉子、どれ??」

 麻莉子に指差されたモノは、トレーの横に置いてあった、学食1年間フリーパス券を入れた定期入れだ。

「あっ、ほら、これは学食フリーパス券を失くしたら一大事だから、こうしえ定期券入れに入れて持ち歩いてるの。ほら、これは私の命の次に大事なものだからさぁ」

 私の説明もろくに聞かず、麻莉子は言葉を続ける。

「違う、違うよぉ、小春ちゃん。麻莉子が言ってるのはぁ、そんなフリーパス券じゃなくって、一緒に入ってる黒い方の事だよっ!」

(私の宝物を、『そんなフリーパス券』だなんて、麻莉子……(涙))

 

 定期入れを見ると、そこにはプリーパス券と一緒に入れておいたあるモノが入っていた。

(そうだった)

 連絡を取りたい時に、掲示板の隅に貼るようにと言われて小林から貰った、黒い厚紙を切り抜いた5cmくらいの大きさの。

「小春ちゃん、それって『大福』でしょう!?」

「えぇーーーーーーーーーっ!? なんで麻莉子が大福を知ってるの?」

 今度は、驚いた私がガタンと立ち上がる番だった。

「そんなの、知ってるに決まってるじゃないよぅ! 小春ちゃんったらぁ、情報通の麻莉子をなめないでよねぇ」

 麻莉子が食い入るように、定期入れに入っている大福を見つめている。

「小春ちゃん、ちょっと見せて、それ見せてちょうだいっ!」

 私は、麻莉子に定期入れごと渡す。

 しばらく眺めていた麻莉子曰く。

「うんうん、そうそう、これこれ、この感じが大福なんだよぅ~。このアンバランスにまるまるとした太っちょの胴体、そしてこの短くて太い足、中途半端に途切れた太いしっぽ、デカすぎる頭。そして極めつけは、この緑色の目と、全身で唯一白いこのヒゲと、ニヒルなこの表情なのぉ!」

(あのぅ。本物の大福ならいざしらず、こんな厚紙を単純に切り抜いたようなちゃっちいモノでは、そこまでの要素は見受けられないと思うんですけど)

 本物の大福っていうのが、小林の持っていたあの特注の黒猫ぬいぐるみのことだとしてのハナシだけど。


「かわいいよぅ~、かわいい、かわいい、大福は本当にかわいいよぅ~」

 大福グッズに陶酔していた麻莉子だったが、またしても突然に。

「小春ちゃんっ! それで、これは、いったいどうしたの? どこで手に入れたの? 誰に貰ったの? いったい、いつ貰ったの?」

 麻莉子がこんなに早くしゃべれるなんて、ちょっと意外だった。

「い、いや、ちょっと待ってよ、麻莉子。いったん落ち着こうよ。」

「なに言ってるの、小春ちゃんはぁ。麻莉子は全然落ち着いてますよぅ。小春ちゃんこそ、この大福が今や、押しも押されぬこの学園の大人気キャラだってことを知った上で、持ってるんでしょうねぇ~?」

(大人気……キャラ?)

「あれぇ、やっぱり小春ちゃんったら、全然知らないって顔だよぅ」

 ここからは、友哉が大福について説明をしてくれる。

「小春さん。大福っていう黒猫ちゃんはですね、星杜新聞の占いコーナーに出てくるマスコットキャラなんですよ」

(星杜新聞?)

 私は興味のない事に関しては、他人が呆れるほど全く情報を持っていない。

「その中に『黒猫大福のヒトリゴト占い』ってコーナーがあるんですけど、とにかく的中率が高い事で評判なんです。星杜新聞の名物コーナーになってからは、そのマスコットキャラの大福くんの人気も、うなぎのぼりで」

(小林が自分の占いを、新聞部に提供しているんだろうか)


「それで、小春ちゃんっ! この大福は、どうやって手に入れたわけっ? 麻莉子も、大福グッズが、欲しいったら欲しいったら欲しいんだからぁ~」

小林が、私との関係は他人には知られたくないと言っていた事を思い出し、私は少々困ってしまう。

(どう答えたらいいものか)

「えっとね、それは、その大福グッズは、その、あのぅ」

「うんうん」

 麻莉子のキラキラした目が眩しすぎる。

「実はね、実は……」

「うんうん」


(えぇーーーーい、ままよ!!)


「えっとね、その、友哉から貰ったんだよね」

「ええっ!?」

 友哉の驚愕した表情に、胸が痛む。

(友哉、ここはなんとか頼む)

 テーブルの下の友哉のすねを思いっきり蹴っ飛ばす。

「あいたっ!」

 友哉、ごめん!

「友哉くん、それ本当なのぉ? えーーーーっ、小春ちゃんにだけあげるなんてずるいよぅ~。友哉くぅん、麻莉子にも大福グッズ、ちょうだいよぅ~」

「え? えっと、そのぅ、大福グッズですよね。そうですねぇ、それは、なんていうか……」

「あのねぇ、友哉くんったらぁ、いくら小春ちゃんが特別だからって、3人の間でえこひいきするのはダメなんだからねぇ。えこひいきはダメだよ、えこひいきはさぁ~」

「そ、そ、そんな、えこひいきだなんて。ぼっ、ぼくはそんな人間なんかじゃありません」

「それじゃあ、友哉くん、麻莉子にも教えてよぅ。この大福はどうやって手に入れたのぉ~?」

「あっと、そっ、そ、それはですねぇ。そっ、そうそう、そうだ。この間、廊下を歩いている時に、落ちていたのを偶然拾ったんだっけかなぁ」

「えっ? 拾ったのぅ? それって、どこ? どこの廊下?」

「……じゃなくって、えっと、その、あの星杜新聞に出ている大福のイラストを見て、それで自分で」

「えっ!? 友哉くんったら、自分で作ったわけぇ?」

「自分で作ったというか、いえ、僕には作る才能なんてありませんけど……」

 空気を読んで、なんとか話しを合わそうとしてくれている友哉の姿が哀れを誘う。友哉の額に吹き出る汗。

(友哉、感謝)


 そんな私はといえば現金なもので、自分の身から危機が去った事を知るや否やすぐに食事に戻る事にした。 頃合を見計らって、二人のオムライスがまだ三分の一くらいしか減っていないのと、麻莉子に問い詰められてあわあわしている友哉を救うべく、二人に言葉をかける。救って貰ったのは私の方だったが。

「二人ともさ、とりあえずオムライス食べてからにしたら?」

 しかしすでに二人はお腹いっぱいだったらしく、それ以上は食べなかった(それでも普通の一人前以上は食べたと二人とも主張していたけれど)。

 二人が食べきれなかったオムライスについては私が引き受けたが、さすがに量が多過ぎて、午後からの授業は生ける屍状態だった。


 そして、私のこの食べっぷりは、学食のおばさんたちを大いに喜ばせるところとなり、日をおいて大食いの表彰あまりありがたくないを受けた私の名前は、見届け人の友哉と麻莉子の名前と共に、長く星杜学園学食の伝説となっていくこととなる。

 

 大福グッズの出所についての激論?が、その後、友哉と麻莉子の間でどうおさまったのかについては、あえて聞いていない。


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