完結
その男は、空を飛べなかった。
目から光線も出なかった。
鋼鉄の肉体も、怪力も持っていなかった。
ただひとつ。
誰よりも、足が速かった。
名前はサム。
二十八歳。
職業、ピザの配達員。
特技、遅刻しないこと。
ただし、赤信号では必ず止まる。
*
午後三時十七分。
ニューヨークの空が暗くなった。
巨大な宇宙船が、摩天楼の上に現れた。
街中のスクリーンが、一斉に切り替わった。
銀色の鎧をまとった巨人が映し出された。
「地球人よ。三十分以内に降伏せよ」
宇宙皇帝ガルガント。
千の惑星を征服した、銀河最強の支配者。
戦闘機が出撃した。
ミサイルが放たれた。
しかし、宇宙船を包む青い防御壁に、すべて弾かれた。
「無駄だ!」
皇帝が笑った。
「この防御壁を破れる者など、宇宙には存在しない!」
そのころ、サムは交差点で信号を待っていた。
背中には、焼きたてのピザ。
目の前には、逃げ惑う人々。
そして、横断歩道の真ん中に、車椅子の老人が取り残されていた。
巨大な戦闘機の残骸が、老人めがけて落ちてきた。
サムはピザを置いた。
次の瞬間。
ドン!
車椅子は歩道に移動していた。
残骸が道路を砕いた。
「な、何が起きた?」
老人が振り返った。
サムはピザを背負い直した。
「危なかったですね」
「君は、いったい……」
「配達員です!」
サムは笑った。
*
宇宙船から、巨大な機械兵が降りてきた。
一体。
十体。
百体。
街を踏み潰しながら進んでくる。
サムは走った。
時速百キロ。
二百キロ。
三百キロ。
機械兵の足元を駆け抜け、関節の配線を引き抜いた。
一体が倒れた。
その巨体に別の一体がつまずいた。
十体が将棋倒しになった。
「なんだ、あの赤い影は!」
兵士が叫んだ。
「味方か!」
サムは走りながら答えた。
「配達中!」
「どこへ!」
「五番街!」
「世界が滅びるぞ!」
「じゃあ急がなきゃ!」
サムは笑った。
*
皇帝ガルガントは、地上の映像を見ていた。
「たった一人の地球人に、何を手こずっている!」
側近が震えながら答えた。
「速すぎます。照準が追いつきません!」
「ならば、街ごと消せ!」
宇宙船の底が開いた。
巨大な砲身が、地上へ向けられた。
発射まで、十秒。
サムは足を止めた。
空を見上げた。
宇宙船を包む青い防御壁。
その表面に、無数のミサイルが弾かれている。
だが、砲身の先だけは違った。
青い光が、ゆっくりと左右に開いていく。
主砲を発射するため、防御壁に穴が開き始めていた。
サムは腕時計を見た。
残り五秒。
「間に合うかな」
四秒。
サムは走り出した。
三秒。
非常階段を駆け上がった。
二秒。
屋上のクレーンを駆け抜けた。
一秒。
サムはクレーンの先端から跳んだ。
ゼロ。
主砲が発射された。
巨大な光線が地上へ伸びる。
サムはその脇をすり抜け、防御壁の内側へ飛び込んだ。
外壁の整備通路に着地した。
*
「侵入者!」
警報が鳴った。
サムは走った。
主砲の脇に、赤い非常停止レバーがあった。
そのとき、艦内放送が響いた。
「主砲、第二射充填開始!」
サムが手を伸ばした、その瞬間。
巨大な影が立ちはだかった。
宇宙皇帝ガルガントだった。
「貴様か!」
銀色の拳が振り下ろされた。
サムはかわした。
拳が床を砕いた。
「ちょこまかと!」
二撃。
三撃。
四撃。
サムはすべてをかわした。
皇帝が吠えた。
「なぜ逃げる!」
「逃げてないよ!」
サムは笑った。
「急いでるだけ!」
皇帝が両腕を広げた。
逃げ道を塞いだつもりだった。
その一瞬。
サムは皇帝の股の下をくぐり抜けた。
赤いレバーを引いた。
ガコン!
砲口の装甲板が閉じた。
次の一撃を放とうとしていたエネルギーが、砲身の内部で暴走した。
「何をした!」
皇帝が振り返った。
サムは肩をすくめた。
「閉店!」
ドォォォン!
主砲の内部で爆発が起きた。
船体が大きく傾いた。
青い防御壁が消えた。
*
「今だ!」
地上の兵士が叫んだ。
ミサイルが一斉に放たれた。
巨大な宇宙船に、次々と命中した。
皇帝は床を転がった。
「馬鹿な! 千の惑星を征服した、この私が!」
側近が駆け寄った。
「陛下! 脱出を!」
皇帝は脱出艇に飛び乗った。
「覚えていろ、地球人!」
サムは手を振った。
「次は予約してね!」
脱出艇が飛び出した。
しかし、すぐに地球軍の戦闘機に包囲された。
「敵皇帝、確保!」
通信が響いた。
*
宇宙船は炎に包まれた。
背後で、爆発がひとつ、またひとつと続いた。
サムは走った。
崩れ落ちる床。
噴き出す炎。
迫る爆風。
時速三百キロ。
四百キロ。
五百キロ。
宇宙船は高度を下げながら、街の上空を傾いていった。
サムは船体の端まで駆け抜けた。
眼下には、ニューヨークの街。
そのすぐ下を、地球軍の救助ヘリが飛んでいた。
サムは叫んだ。
「乗せてー!」
そして、跳んだ。
ヘリの兵士が目を見開いた。
「うわっ!」
サムは開いた側面扉から飛び込んだ。
床を転がった。
兵士が叫んだ。
「お前、何者だ!」
サムは背中の箱を開けた。
「あちゃあ」
ピザのチーズが、片側に寄っていた。
兵士は、ピザとサムの顔を交互に見た。
その背後で、宇宙船が大爆発した。
*
世界中が歓声に包まれた。
ニューヨークでは、人々が抱き合った。
ロンドンでは、鐘が鳴った。
東京では、号外が配られた。
ニュースキャスターが叫んだ。
「たった一人で人類を救った謎の男!」
画面いっぱいに、赤いスニーカーが映った。
「その名は、スーパースター!」
*
翌朝。
サムは、いつものピザ屋にいた。
店長が腕を組んでいた。
「サム」
「はい」
「昨日の五番街の配達なんだが」
「はい」
「四分遅刻だ」
「すみません」
「しかも、ピザが冷めてたそうだ」
「はい」
「チーズも片側に寄ってたそうだ」
サムは深く頭を下げた。
「次から気をつけます」
店長はため息をついた。
そして、新しいスニーカーの箱を差し出した。
「ほら」
「え?」
「世界を救った男に、穴の開いた靴で配達させられるか」
サムは箱を開けた。
真っ赤なスニーカーだった。
「店長!」
「給料から引くぞ」
「はい!」
二人は笑った。
*
その日の午後。
街角で、小さな女の子が泣いていた。
赤い風船が、木の高い枝に引っかかっていた。
サムは立ち止まった。
「どうしたの?」
「あれ……」
女の子が指をさした。
サムは木を見上げた。
少し助走をつけた。
タッ。
風船が、女の子の手に戻った。
「ありがとう!」
「どういたしまして!」
女の子は、サムの靴を見た。
「あ!」
「ん?」
「テレビの人だ!」
サムは人差し指を口に当てた。
「内緒だよ」
女の子は大きくうなずいた。
それから、聞いた。
「ねえ、スーパースター」
「なあに?」
「どうしたら、ヒーローになれるの?」
サムは少し考えた。
そのとき、交差点の信号が赤になった。
サムは女の子の手を取った。
二人は並んで待った。
信号が青になった。
女の子は手を振って、駆け出した。
サムも走り出そうとした。
そのとき。
向こう側の歩道で、女の子が転んだ。
サムはすぐに引き返した。
「大丈夫?」
女の子は膝をさすりながら、笑った。
「うん!」
サムは、女の子が立ち上がるまで待っていた。
*
午後三時十七分。
また、配達の注文が入った。
サムは新しいスニーカーの紐を結び直した。
交差点の信号が赤になった。
サムは止まった。




