クソニートと呼ばれた俺は、なぜか結婚を迫られる
※本作はカクヨムにも投稿しています。
第9話です。
少しだけ、空気が変わります。
出版社の廊下を、島波桃花は足早に歩いていた。
その表情は、いつになく真剣だった。
「……それ、本当ですか?」
担当編集に向かって、低く問いかける。
「はい……つい先ほどの話です」
少し困ったように答える。
「ご家族の方が来られて……かなり強引に」
桃花の目が、わずかに細くなる。
「……なるほど」
短く、息を吐く。
そして。
そのまま編集長の部屋のドアをノックした。
「失礼します」
「おう、どうした?」
編集長が顔を上げる。
その前に立った桃花は、迷いなく言った。
「編集長。これはもう、高坂くんをここに置いておくのは危険です」
部屋の空気が、変わる。
「……ああ、さっきの件か」
編集長は腕を組む。
「だからと言って、どうする?」
「私のところに来てもらいます」
即答だった。
一切の迷いがない。
「……だから、そういうわけにはいかないって言ったよな?」
編集長が苦笑する。
「個人の家に囲うのは問題になる」
「なら」
桃花は、一歩も引かない。
「結婚して、家族になれば問題ありませんよね?」
「……あっ」
一瞬。
時間が止まった。
部屋にいたスタッフ全員が固まる。
そして――
「ええええええっ!!!!!」
絶叫が響いた。
廊下にまで聞こえるほどの声だった。
「ちょ、ちょっと待ってください桃花先生!?」
「い、今の本気ですか!?」
「いやいやいやいや!」
完全にパニックだった。
その中心で。
当の本人だけが、少しだけ目を見開いていた。
そして。
「……え?」
ようやく、自分の言ったことに気づく。
「ち、違うの」
慌てて手を振る。
「今のは、その……勢いでというか……」
言葉が追いつかない。
顔が、みるみる赤くなる。
その様子を見て。
「わはははは!」
編集長が大きく笑った。
「それなら文句は言えないな!」
「編集長!?」
周囲が一斉にツッコむ。
だが、編集長は楽しそうだった。
そして。
ふと、視線を横に向ける。
そこには。
完全に固まったままの真人がいた。
「……と、とと……桃花さん……?」
真っ赤な顔で、かろうじて声を出す。
思考が追いついていない。
状況も理解できていない。
ただ、ひとつだけ。
とんでもないことが起きた、ということだけは分かる。
「……っ」
桃花も、一瞬だけ視線を逸らす。
だが。
すぐに、覚悟を決めたように顔を上げた。
「……ごめん、高坂くん」
まっすぐに、見つめる。
「今のは、その……勢いで出ただけだから」
少しだけ言葉に詰まりながら。
それでも、はっきりと言った。
「でも」
一歩、踏み出す。
「必ず、振り向かせるから」
「え?」
空気が、変わる。
さっきまでの騒ぎとは違う。
真っ直ぐな言葉。
逃げも、ごまかしもない。
真人の理解が、追いつかない。
島波桃花。
若干二十歳で作家デビューを果たし、瞬く間に頭角を現した天才作家。
現在二十四歳。
その勢いは衰えるどころか、むしろ加速し続けている。
新作を出せば必ず売れる。
ランキング上位の常連。
今や、飛ぶ鳥を落とす勢いとまで言われる存在だ。
容姿もまた、整っているという言葉では足りないほどに美しい。
長い黒髪に、落ち着いた雰囲気。
どこか近寄りがたい気配すら纏っている。
――そんな人物が。
今、目の前で、あんなことを言った。
その言葉だけは、しっかり届いていた。
顔が、さらに赤くなる。
何も言えない。
ただ、固まることしかできなかった。
その様子を見て。
周りのスタッフたちが、顔を見合わせる。
そして。
にやりと笑った。
空気は、一気に変わっていた。
さっきまでの重苦しさは、どこにもない。
代わりに。
妙に騒がしくて。
妙に温かい空気が、そこにはあった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
物語もいよいよ終盤です。
次話で一区切りとなりますので、最後までお付き合いいただけると嬉しいです。
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