クソニートと呼ばれた俺は、少しだけ居場所に慣れる
※本作はカクヨムにも投稿しています。
第4話です。
少しずつ関係が動き始めます。
「……ここ、です」
案内されたのは、出版社の一角にある作業室だった。ガラス張りでもなく、かといって完全に閉じられているわけでもない、半ば外界と隔てられたような空間。外の喧騒は届かず、かすかに空調の音だけが耳に残る。
机は広く、余計なものは置かれていない。椅子も、長時間座ることを前提にしたしっかりした作りだ。壁際には資料棚があり、必要なものはすぐ手に取れる位置に整理されている。
「電源も、Wi-Fiも安定しています。回線速度も問題ありません」
女性編集が淡々と説明する。
「……あ、ありがとうございます」
小さく頭を下げる。それだけで、精一杯だった。
こんな場所に、自分がいていいのか分からない。場違いな感覚は、まだ消えない。
「……本当は」
ドアの近くで、島波桃花がぽつりと呟いた。
「ウチに来てもらえたら、よかったんですけど」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
「……えっと……その……」
言葉が、出てこない。頭の中で何かを考える前に、口が止まる。
どう返せばいいのか分からない。
沈黙。
「ふふ」
小さく笑われる。
からかわれているわけではない。むしろ、柔らかい響きだった。
「冗談です。……半分くらいは」
最後の一言が、少しだけ小さくなる。
「……あ」
結局、まともな返事はできなかった。
ただ、視線を逸らすことしかできない。
「……じゃあ、始めます」
逃げるようにそう言った。
ノートパソコンを開く。電源を入れる。ペンを持つ。
その瞬間――空気が、変わった。
視界から、余計なものが消える。音も、人も、距離を置いたように遠ざかる。
残るのは、画面と、自分の手だけ。
ペンが走る。
迷いのない線が引かれ、わずかな違和感が即座に修正される。
「……そのままだと、破綻する」
思考が、そのまま口に出る。
「影の方向、逆」
誰に向けたわけでもない。ただ、見えた事実をそのまま言葉にしただけだった。
「この構図だと、視線が流れる……ここ、少し詰めた方がいい」
手は止まらない。
むしろ、止める理由がない。
「……はい」
気づけば、桃花が素直に頷いていた。
その声は、さっきまでとは違っていた。余計なものを削ぎ落とした、仕事の声だった。
視線が、刺さる。
気づいてはいるが、意識の外に置く。
今は、描くことが優先だ。
それ以外は、どうでもいい。
ただ、それだけのことだった。
――なのに。
(……なんでだろう)
桃花は、目を逸らせなかった。
ただ作業をしているだけ。
それだけのはずなのに。
空気が違う。
存在感が、違う。
そして――
その横顔から、目が離せない。
ペンを走らせるたびに、わずかに動く視線。
集中しているはずなのに、どこか余裕すら感じさせる表情。
(……違う)
これは、ただの仕事じゃない。
そんなはずがないのに。
それでも――
視線が、外れない。
さっきまでの、あの頼りなさそうな姿 と、どうしても結びつかない。
(……違う...これは..仕事)
そう思おうとする。
だが
気づけば――見ていた。
ずっと。
「……大丈夫ですか?」
不意に、声をかけられる。
「……え?」
「こういうイメージでどうですか?」
「……あ」
自分がうわの空なのに、ようやく気づく。
思考が完全に、止まっていた。
「……すみません」
「いえ」
(……本当は)
こういう構図で。
この角度から見せて。
光は、少しだけ落として――
頭の中で、完成図はできている。
指示を出そうと思えば、出せる。
それだけの経験も、知識もある。
だが。
「……」
言葉が、出てこない。
いや――
出す必要が、なかった。
画面の中で。
すでに、それ以上の構図が仕上がっている。
自分が思い描いたものよりも。
自然で。
正確で。
そして――美しい。
(……なんで)
理解できる。
どうしてそうなるのかも。
全部、分かる。
分かるのに。
自分では、そこに辿り着けない。
その差だけが、はっきりと見えてしまう。
「……すごい」
小さく、漏らす
「...この私が、のまれている...」
驚きと同時に、その頬は、わずかに熱を帯びていた。
理由は、分からない。
分からないままでいい、とも思っている。
――今は、まだ。
その頃。
新しく買ったタワマンの一室で。
「はぁ……やっと静かになったな」
父が、ソファに深く体を預ける。
重苦しかった空気は消え、部屋には穏やかな時間が流れていた。
「ほんとよね」
母も、肩の力を抜く。
「あの子がいないだけで、こんなに違うなんて」
どこか、安堵の混じった声。
「正直さ」
妹が、スマートフォンをいじりながら言う。
「いなくなってくれて、助かったよね」
軽い口調だった。
冗談の延長のように。
だが。
「……せいせいした」
その一言だけは、はっきりしていた。
三人で顔を見合わせる。
そして、笑う。
誰も、否定しなかった。
それが、この家の答えだった。
――その時。
スマートフォンの通知音が鳴る。
「……?」
父が画面を見る。
次の瞬間。
その表情が、凍りついた。
「……は?」
「どうしたの?」
母が覗き込む。
そこに映っていたのは。
株価急落のニュース。
真っ赤に染まった、数字。
見慣れた銘柄。
そして。
信じたくない、現実。
「……嘘だろ」
手が、わずかに震える。
呼吸が、浅くなる。
さっきまでの穏やかな空気は、跡形もなく消えていた。
静かに。
確実に。
何かが、崩れ始めていた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
少しずつ状況が変わり始めてきました。
ここからの展開も楽しんでいただけると嬉しいです。
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