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第1話「追放と契約」

 「――もう、お前はいらない」


 焚き火の火が、パチ、と乾いた音を立てた。勇者カイルの声はそれよりも乾いていた。剣を背負い、陽光を反射させる金の髪。彼は視線だけで人を従わせる天性の華を持っている。だがその視線は、今は俺に向けられていない。俺の肩越しにある、遠い地平線へ向けられていた。

 

 「【構成支援】? 聞こえはいいが、戦いの最前線で役に立たない。数字や配置をいじって、準備に何時間もかける。俺は即効性が欲しいんだ」

 

 「即効性だけで勝てるなら、世界はとっくに救われてる」

 

 俺――リアムは、言葉を呑み込んだ。言い返したところで、彼の耳には届かない。彼の望む「派手な火力」では、俺は確かに空気だ。俺のスキル【構成支援】は、対象の適性を診断し、相性の良い組み合わせと連携手順を設計し、時間経過とともに定着バフとして恒常化させる。発動には面談、訓練、配置換え、評価、調整――とにかく手間がかかる。戦場のその瞬間、剣を振るう代わりに俺は図面を引く。彼らにはそれが「遅さ」に見える。

 

 聖女のリリエラは唇をかみ、槍士のオズは視線を逸らした。誰も俺を引き留めない。カイルは懐から革袋を投げた。中で硬貨が鈍く鳴る。

 

 「手切れ金だ。ここで終わりだ、リアム」

 

 「……ああ。ここで終わりだ」

 

 それは、勇者パーティの一員としての俺の終わり。だが、俺自身はここから始める。俺は焚き火の余熱を背に、荷を背負いなおした。地平線はどこまでも白く、乾いている。風に砂が混じり、足跡をあっという間に消していった。


 *


 辺境の宿場町は、夕刻になると風が止む。砂塵は嘘みたいに落ち、屋台の布が張りを取り戻す。俺は井戸の縁に腰を下ろし、手帳を開いた。薄い紙に、矢印と四角形がびっしりと並ぶ。人材配置図。勇者パーティの過去の連携を、俺は何度も書いてきた。最短の動線、負荷の分散、回復のタイミング――すべてが噛み合ったとき、弱い者でも強くなれる。けれど、彼らはその瞬間の派手さを好む。設計者は舞台裏でいい、と俺は思っていた。舞台裏にさえいられなくなっただけだ。

 

 「――あなたが、リアム殿かしら」

 

 水面が小さく揺れ、声が落ちてきた。振り向けば、青いマントの旅人が立っていた。砂色の街に不自然なほど清潔な靴。マントの下の装飾は、粗末な布の中でも品の輪郭だけは隠せない。

 

 「王都の刺客なら、手切れ金はもう受け取った」

 

 「刺客にしては声が柔らかいでしょう? ――私はアリシア。オルメリア辺境小国の第二王女」

 

 ……王女。冗談めいて聞こえる肩書だが、彼女の目の静けさが冗談ではないことを告げていた。薄い灰の虹彩は夜の始まりみたいで、直視しても刺さらない。不思議な目だった。

 

 「用件は?」

 

 「契約結婚と、王家が管理する封印ダンジョンの運営権。あなたの【構成支援】で国を再設計してほしい」

 

 井戸の縁から尻が落ちかけた。王女の口から出てくる言葉の並びが、砂漠の真ん中にオアシスを見つけるよりも現実味がない。

 

 「唐突だな。俺は派手なことはできない」

 

 「派手さはいらない。私たちに必要なのは噛み合う仕組み。私の国は小さい。王都からも見放され、隣国からは笑われ、ダンジョンは暴走の兆し。最下層が脈動して、地表に震えが出ている。このままでは飲まれる」

 

 彼女は巻物を差し出す。封蝋を割れば、緻密な図が現れた。谷の中央に黒い円。そこから螺旋状に伸びる階層の線。そしてそれに糸のようにつながる集落の点。筆跡は、几帳面で、それでいてところどころ勢いよく走っている。描き手はおそらく彼女自身だ。

 

 「ダンジョンを……国家エンジンに」

 

 「そう。産出物は資源であり、訓練場であり、観光資源でもある。適切に設計すれば、国民の生活に直結する。今は暴れる獣に鎖をつけているだけ。あなたは鎖を動力軸に変えられる」

 

 彼女の言葉は詩ではなく、仕様書だった。俺は巻物に重ねるように、手帳の空白ページを開く。

 

 「交渉の前に確認だ。契約結婚は政治的な盾?」

 

 「そう。王宮内の派閥が私を“外す口実”を探している。外様の改革者を夫として迎えれば、最低限の権限は保持できる。もちろん、これは形式。あなたが望むなら、いつでも解消できる」

 

 「条件をメモにしよう。誤解は連携の敵だ」

 

 俺は書き出す。彼女は頷き、必要な箇所で数値を補った。


 ――合意メモ(初期草案)――

 ・目的:封印ダンジョンの国家エンジン化(産業化/教育化/治安化)

 ・権限:運営権は王家よりリアムへ委任(監査は王女)

・報酬:収益の40%を運営へ再投資、30%を王家へ、30%を市民配当に

 ・婚姻:形式的契約。互いの意志で解消可。王家行事への同伴義務あり

 ・人材:落ちこぼれ含む再配置プログラムの主導権はリアム

 ・守秘:連携設計図は国家機密。外部流出時は共同責任

 ・危機:最下層暴走時の指揮権はリアムに一時移譲(王命相当)


 ――――


 書き終えると、王女は迷いなくサインをした。俺は革手袋を外し、同じくサインする。

 

 「信じるのか」

 

 「あなたの書き方を信じた。誰のために何をするかが、最初に来る人の設計は強い」

 

 彼女の言葉に、手の中のペンがほんの少し軽くなった気がした。


 *


 辺境の王都――といっても、石壁と木造の塔が並ぶ素朴な都市だ――へ入ると、空気の密度が変わった。地面のどこかが脈打っている。足裏に、それが伝わる。ダンジョン核が浅い呼吸をしているような感覚。

 

 「最下層が時々、逆流のように脈動するの。地下水脈と繋がっていて、街の井戸が時々温かくなる」

 

 アリシアは淡々と説明した。恐怖を隠すための淡々さではない。恐怖ごと抱えて歩く人の、無駄のない説明。俺は頷き、城下の広場で立ち止まる。

 

 「ここで最初の配置換えをやる。〝戦える者〟からじゃない。“伸びる者”から」

 

 俺は声を張った。集まっていた雑多な人々――鍛冶屋、薬草売り、荷車引き、孤児院の少年少女――の視線が集まる。

 

 「お、俺たちが……?」

 

 腕を組む大男が言う。腕は太いが、肩の位置が微妙に歪んでいる。偏った作業の癖だ。俺は彼に近づき、肩甲骨の動きを見、握力の左右差を確かめる。

 

 「あなたは鍛冶屋じゃない。物流だ。筋力はあるが反復動作で怪我をするタイプ。重心が低く、荷の揺れに敏感。隊列管理を任せる」

 

 「おい、俺はハンマーが――」

 

 「ハンマーはあなたの自尊心の象徴だ。仕事の道具ではない。ガロス、だな?」

 

 男の目がわずかに見開かれる。「名前、言ってねえけど」

 

 「背中の刺青がそれを言っている。北街の盗賊団“ガロスの群れ”。群れを率いた経験があるなら、隊列は組める」

 

 笑いが起きる。だが、嘲笑ではない。ざわめきの中から、一人の少女が手を挙げた。髪に草の種がたくさん絡まっている。目が妙にきらきらしていて、焦点が合っていないようで、しかし合っている。

 

 「わ、私は魔法がへたです。でも、ものを分解するのは得意。歯車とか、ばねとか、分けて並べると、すっきりする」

 

 「名前は」

 

 「ミラ」

 

 「ミラ、君は魔法使いじゃない。回路術師だ。ダンジョンの魔導回路を可視化する班で、俺の右腕になれ」

 

 ミラの口が「右腕」という言葉に合わせて小さく丸くなり、次に満開の花みたいに笑った。孤児院の少年が二人、遠巻きにこちらを見ている。片方は両耳がよく動き、もう片方は目の焦点が遠い。どちらも前へ出ない。俺はしゃがんだ。

 

 「怖いか」

 

 「……怖い。けど、お腹は空いてない。孤児院のパンが美味しいから」

 

 「なら、後方エンジニアをやれ。図面を写し、点を結ぶ仕事だ。手先は器用そうだ」

 

 少年の指先は、震えながらも、俺のペンを正確に受け取った。俺はその小さな手に、最初の役割を渡した。

 

 短い間に十数名を抽出し、適性に合わせて印をつける。鍛冶屋の若夫婦には、農業層での温度管理を任せる。薬草売りの老婆には、工業層の危険植物判別の教官を。食堂の青年には、採掘班の栄養設計を。人は道具ではない。けれど、役割がないと人は自分を道具以下だと思い込む。役割は、尊厳だ。

 

 「……本当に、戦わないのね」

 

 アリシアが呟いた。俺は笑う。

 

 「戦うよ。準備って言う名の戦いを」

 

 彼女は一瞬だけ唇を和らげる。街の奥で、低い唸りが続いた。地脈のうねりが強くなる。時間がない。


 *


 封印ダンジョンへの入り口は、王都の中央広場の地下にあった。厚い石扉。王家の紋章――三つの小川が一つの大河に注ぐ図――が刻まれている。階段の下からは、冷たい風と、金属が擦れるような微細な音が上がってきた。

 

 「ミラ、回路視を。俺の図面に重ねる」

 

 「う、うん!」

 

 ミラは白墨で床に円を描き、指先に微弱な魔力を灯す。彼女の視線の先に、誰にも見えない線が浮いた。俺の【構成支援】は、他者の才能を「可視化」する手段を持たない。だからこうして、才能を持つ人間の「見えているもの」を、仕組みで拾う。

 

 「温度の落差が大きい。農業層を工業層の廃熱で温めよう。ガロス、搬入路を二本化して、無駄足を減らす」

 

 「了解した。……隊列、組むか」

 

 「孤児院チームはこの図面の点を写経する。点と点の間に線を引く。それが君たちの最初の仕事だ」

 

 「はい」

 

 石扉が重く開いた。最初の階層は、薄い霧に包まれた湿地だった。地表からは、かすかに白い蒸気が立ち昇る。足を踏み入れた瞬間、俺は首筋の毛が逆立つのを感じた。脈動が強い。最下層からの逆流が、ここまで上がってきている。

 

 「戻る?」

 

 アリシアが問う。俺は首を振る。

 

 「今、引いたら全部が遅れる」

 

 俺はバッグから小さな木片と糸、鈴を取り出した。音の仕掛けだ。踏まれれば乾いた音を立て、間隔と順序で侵入の規模を読める。密偵の道具を民間用に落とし込んだものだ。人手が足りないときに、音は目になる。

 

 「設置しながら進む。戻るとき、音の抜けや揺れで異常がわかる」

 

 ガロスが笑った。「お前、盗賊の仕事知りすぎだ」

 

 「知ってるだけだ。やるのは君だ」

 

 湿地の奥、黒く沈む水面の向こうに、石造りの橋が横たわっていた。古い。だが、ただ古いだけではない。石が編まれている。編まれた何かは、たいてい動くために編まれている。

 

 「……橋、が?」

 

 ミラが首を傾げ、両手を掲げた。彼女の指先から薄い線が吐き出され、橋の内部をなぞる。見えない回路が、彼女の瞳に映っている。

 

 「回路が、眠ってる。ううん、寝返り打ってる」

 

 「王女、過去に橋の自律稼働の記録は?」

 

 「ない。橋はただの橋――のはず。古い記録では“橋守”と呼ばれていたけれど」

 

 嫌な予感は、たいてい当たる。俺は手帳を開き、筆記具を叩く。連携設計の骨格を組み始めた。

 

 「橋の手前で一旦、役割再配置。前衛は一歩下がれ。ミラ、回路の覚醒トリガーを推測。ガロス、退路確保。王女は――」

 

 「王女は?」

 

 「俺の後ろに」

 

 「命令、ね」

 

 彼女は一瞬だけ意地悪く笑い、次にさっと身を引いた。王女は命令され慣れている。だが、従う理由を自分で選ぶ人の歩き方だった。

 

 湿地に敷いた音の仕掛けが、ひとつ、ふたつ、カンと鳴る。風もないのに、鈴の音が反響して広がった。足元の泥が、泡立つ。

 

 「――来る」

 

 最下層から這い上がる脈動が、橋の石へと収束した。編まれた石の継ぎ目が、ひとりでにほどけ、次に噛み直す。橋は、背骨のように身を起こす――。

 

 「……今、橋が動いた?」

 

 「違う。橋守が、起きたんだ」

 

 石のうなりが低く、長く続いた。眠っていた都市の歯車が、ゆっくりとかみ合い始める音だった。俺の【構成支援】は、派手じゃない。だが、目覚めさせることはできる。人を、組織を、そして都市そのものを。


 ――この瞬間、役割は回り始めた。


作者より

読んでくれてありがとうございます!面白かったらブクマ・評価・感想が次回の励みになります。

次回予告:「最初の設計図」――落ちこぼれ達の再配置で、採算黒字の第一歩へ。橋守との“交渉”も始まる。

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