2人のミサンガ
アキラくんには、ダイキくんという大事な大事なお友達がいます。2人は小さな頃から一緒で、毎日のように遊んでいました。
ダイキくんは足が動きません。これは生まれつきのもので、お医者さんが治せるものではないのだそうです。
同じく、アキラくんの足も動きません。こちらも最初から、そうだったのです。
「アキラくん、これあげるね!」
ある日、ダイキくんがアキラくんにプレゼントをしました。
「こうして、ああして⋯⋯よし!」
ダイキくんはアキラくんの足に、おばあちゃん家の絨毯みたいな模様の紐を巻きました。
「これは『ミサンガ』って言うんだ。君と僕との友情の証だよ!」
そう言って自分の足にもミサンガがついているのを見せました。なんでも、自然に切れると願いが叶うのだそうです。
5年経った今でも2人の足にはミサンガがついています。アキラくんはこのミサンガが2人を繋いでくれているような気がして大好きでした。
今年、ダイキくんが中学生になりました。制服の袖はまだ少し長く、歩くたびにかすかに揺れています。アキラくんはそれを微笑ましく、誇らしく眺めていました。学校に行けない自分のぶんも代わりに楽しんでほしいと、そう思ったのです。
しかし、ダイキくんは毎日暗い顔をしていました。学校でいじめられているのです。小学校にはいじめっ子はいなかったのですが、中学校にはいたのです。
「お前はいいよな、学校行かなくていいから」
ふと出てしまった言葉でしたが、ダイキくんは謝りませんでした。
それから、ダイキくんはアキラくんに会う度に酷いことを言うようになりました。
「何とか言えよ!もう!」
怒鳴られて、蹴られても、アキラくんは喋れないので、ただ頷くことしかできません。
アキラくんは蹴られても痛みを感じませんでした。彼にとっての痛みとは、ダイキくんの沈んだ顔を見ることに他ならなかったからです。
ある日、ダイキくんがアキラくんにこれまでの謝罪をしました。いじめられて辛かったからきつく当ってしまった。どうか許して欲しいと言うのです。
なんでもいじめっ子がバイク事故で死んだらしく、ダイキくんをいじめる人間がいなくなったそうなのです。
それからダイキくんは毎日学校に行くのが楽しみだと言うようになりました。友達も出来て、部活にも顔を出すようになり、なんと、ガールフレンドも出来たそうなのです。
アキラくんは毎日楽しそうなダイキくんを見て嬉しくなる一方で、寂しい気持ちもありました。でも、学校のみんなと仲良くした方がダイキくんのためになるということも彼は分かっていました。
日に日に2人でいる時間が短くなっていき、1週間会わないということもありました。
ある日、アキラくんは外にいました。生まれて初めての外は、恐怖そのものでした。
ダイキくんはアキラくんを置いて帰ってしまったので、帰りようがありません。
それからアキラくんは、道行く車椅子の人を見る度にドキッとするようになりました。ダイキくんが迎えに来てくれたのかもしれない。そんな期待を一瞬だけ、ほんの一瞬だけしてしまうのです。
それから月日は流れ、車椅子の人を見かけても何も思わなくなった頃に、その人は現れました。
「手垢にまみれた汚ぇ人形だな⋯⋯」
彼を拾い上げたのは、お世辞にもカッコイイとは言えないシケた面の酔っ払い(?)のおじさんでした。
(何をされるんだろう⋯⋯怖い⋯⋯でももう、僕なんて⋯⋯)
アキラくんは諦めていました。何年も遊んでボロボロになって捨てられた自分を持って帰って遊んでくれる人なんているはずがないからです。
「人間にしてやろうか?」
(えっ? 聖飢魔IIの逆?)
アキラくんは驚きました。ですが、この酔っ払いの言っていることが実現出来るわけがありません。すぐに冷めます。
「お前、辛い思いしてきたんだろ? ツラ見りゃ分かんぜ」
うんうん頷きながらそう言って、アキラくんを地面に下ろしました。
「そろそろ幸せになってもいい頃だぜ? お前」
アキラくんの目から涙が出ました。
「え、涙が⋯⋯って僕、喋ってる!?」
自分の体を見てみると、血の通った人間になっていました。周りのものと比べてみると、ダイキくんと同じくらいの背丈になっているようです。
「じゃあなガキ。幸せになれよ」
「あの、おじさん僕――」
呼び止めようとした瞬間、おじさんはまるでろうそくの火のように、ふっと消えてしまいました。
「人間になれたけど、この先どうしたら⋯⋯」
帰り道の分からないアキラくんは、とりあえず西へ向かいました。方角の中で1番「それっぽい」と思ったからです。
するとビンゴ! 見覚えのある家にたどり着きました。
「ここっぽいよな⋯⋯でも⋯⋯」
自分がダイキくんに捨てられたということを、彼は分かっていました。だからインターホンが押せないのです。
結局勇気を出せなかったアキラくんは、家の近くの電柱の陰で朝まで座っていました。
「なにやってんだろ、僕⋯⋯」
ダイキくんに会いに行けない自分を情けなく思いながら、ぼんやりと玄関のほうを眺めています。
すると、ダイキくんが出てきました。お母さんが車の鍵を開けています。学校に送っていくのでしょう。
「ダイキくん⋯⋯」
アキラくんは迷いました。
捨てられたのを分かっていながら会いに行くというのは、どうなのだろうか。お互い嫌な気持ちになるだけなのではなのか。それとも、何か自分を捨てなければならない理由があって、仕方なく捨ててしまったのか。もしそうなら再会を喜んでくれるだろうか。いろいろなことを考えていました。
ふと、ダイキくんの足に目が行きました。
「あ⋯⋯」
ミサンガがなくなっていました。
2人の友情の証である、あのミサンガが。
「やっぱり⋯⋯そうなんだ」
アキラくんは涙を必死に堪えながら、ダイキくんに見つからないようにその場を去りました。
とにかく西へ走りました。西へ走ると「それっぽい」からです。
「ハァ⋯⋯ハァ⋯⋯ハァ⋯⋯ハァ⋯⋯!」
走ります。
「ハァ⋯⋯ハァ⋯⋯ハァ⋯⋯ハァ⋯⋯!」
めちゃくちゃ走ります。
「ハァ⋯⋯ハァ⋯⋯ハァ⋯⋯ハギャエッホッホ!!」
エグ走ります。
「ハァ⋯⋯ハァ⋯⋯ハァ⋯⋯ハァ⋯⋯おぇおろろろろろろろろろ!」
ゲボ走ります。
「着いた⋯⋯」
いつのまにか、海に来ていました。
「きれいだなぁ」
あたりはもう真っ暗ですが、海に映る月光は落ち込んでいるアキラくんを励ますかのようにユラユラと踊って照らしてくれます。
「きれいだなぁ⋯⋯ほんとうに」
アキラくんは、海を知りません。
空を知りません。
星を知りません。
「⋯⋯ダイキくんに会いたいなぁ」
アキラくんは、ダイキくんのことはなんでも知っているつもりでした。1番の理解者で、親友のつもりでした。二人三脚で生きてきたつもりでした。
「全部『つもり』だったんだなぁ⋯⋯」
そう思っていたのは自分だけだったのだと思うと、悲しくなりました。
「僕っていったい⋯⋯」
ダイキくんとの楽しかった日々を思い出します。思い出せば思い出すほど、涙が出てきます。
「おい坊主、こんなとこでどうした」
後ろからの聞き覚えのある声に振り返ると、昨日のおじさんがいました。
「おじさん、なんでここに」
涙を拭いながら訊ねます。
「理由なんかねぇよ。散歩してたらお前が見えたんでな。たまたまだ」
「おじさん、僕、どうしたらいいんだろう」
「お前の好きにすりゃあいい。そのために人間になったんだからな」
アキラくんはなんとなく、このおじさんはすべてを知っているのだろうと思いました。その上で、こう言っているのだと直感しました。
「会いたいけど⋯⋯でも⋯⋯」
「直接話さんことにゃ何も分からんだろ。互いに腹の中のものを全部ぶちまけて、それでダメだったらそれまでだ」
「もうちょっとポジティブなこと言って励ましてよ。ダメだった時の話なんて⋯⋯」
「そりゃ世の中難しいことだらけだからな。簡単には行くまいよ。相手が自分の期待してた答えを出してこなくても、どこかで折り合いつけてやってかなきゃいけねぇんだ」
「人間ってたいへんなんだね」
「ああ、大変だ。でも、それが嫌だってんならもうその友達との仲は諦めちまえ。『アキラ』だけにな」
「ひどいよおじさん。僕のアキラは『諦めない』のアキラだよ」
「そうか。じゃあ上手くやれよ。ほんじゃ」
「え、もう行っちゃうの!?」
おじさんはまた消えてしまいました。いったい何者なのでしょうか。
海辺には、なかなかにうるさい波の音が響いています。
アキラくんは自分がどうするべきか⋯⋯ではなく、「どうしたいか」を、改めて考えました。
「⋯⋯東へ走らないと!」
アキラくんの中では目的地に走るよりも、特定の方角に走る方がカッコイイのです。
「ハァ⋯⋯ハァ⋯⋯ハァ⋯⋯ハァ⋯⋯!」
走ります。
「ハァ⋯⋯ハァ⋯⋯ハァ⋯⋯ハァ⋯⋯!」
めちゃくちゃ走ります。
「ハァ⋯⋯ハァ⋯⋯ハァ⋯⋯ハァ⋯⋯うーん⋯⋯」
ちょっと止まります。
「⋯⋯あれ? ここどこだ」
迷いました。当たり前といえば当たり前ですが、アキラくんには目的地まで行く能力がなかったのです。
「ぬうぇ〜ん迷っちゃったぬぉおおおお!!!」
アキラくんが癖の強い泣き方をしていると、後ろから足音がして、誰かが肩を叩きました。
「どうしたの?」
その声はアキラくんが最も知っている声でした。
「ダイキくん!?」
「え、どうして僕の名前を⋯⋯キモっ」
「いや辛辣!!!!!!!!」
「ごめん、誰だったかな?」
「僕だよ! アキラだよ!」
「アキラ⋯⋯? アキラくんなんて知り合いは僕には⋯⋯ってえぇ!?」
「そう! 人形のアキラだよ!」
「んなアホな!」
「んなアホなことがあるんだよ!」
「本当にアキラくんなの?」
「そう!」
「本当の本当に?」
「本当の本当!」
「100%?」
「うん! 100%!」
「アキラ100%?」
「ん?」
「人間になったってこと⋯⋯?」
「そうだよ!」
「もしかして、あのおじさん?」
「そうだよ! よく分かったね!?」
「実は今日、突然目の前に変なおじさんが現れて、足を治してくれたんだ。それでテンション上がって深夜徘徊してたんだ」
「あっほんとだ。しまった、真っ先に気づくべきだった」
「アキラくんもあのおじさんが魔法かけてくれたんだね」
「うん、昨日人間にしてくれたんだ」
それから数分間、2人はいくつか会話を交わしました。
ダイキくんは現在、またいじめられているそうです。それで寂しくなって、アキラくんを捨てた場所に戻ったところ、いなくなっていたというのです。
「で⋯⋯聞きにくいんだけど。あの日、どうして僕を捨てたのか聞いてもいいかな?」
「まぁこっちも言いにくいんだけど⋯⋯リア充になったから、かな⋯⋯」
「え? どゆこと?」
「中学生にもなって人形と話してるとキモいかなって」
「百歩譲ってそれは分かるとして、それなら捨てなくてもいいんじゃ⋯⋯」
「それはまぁ⋯⋯そうだね、ごめん」
「いや謝られても。理由教えてくれればいいから」
「なんていうかまぁなんか⋯⋯うん、ごめん」
「え? なに?」
「ごめん。なんか捨てたわ」
「なんか捨てた!?!? 特に理由はないってこと!?!?!?」
「うん、ごめん」
「てめえぶっ殺――」
言ってはいけないことを言おうとした瞬間、あのおじさんの言葉が浮かびました。
『相手が自分の期待してた答えを出してこなくても、どこかで折り合いつけてやってかなきゃいけねぇんだ』
怒りをグッとこらえます。
「⋯⋯そうだったんだね。分かった。過去のことは水に流すよ。夜も遅いし、早く帰ろう」
「えっアキラくん家あるの?」
「えっ?」
「どこに帰るの?」
「え、ダイキくんの家だけど⋯⋯」
「あ、そうか⋯⋯そっか」
「え、なに? どうしたの? 僕を迎えに来てくれたんでしょ?」
「それはそうなんだけど、まさか人間になってるとは思わなかったし、人間が家に住むとなると食費とか学費とかその他もろもろかかるから⋯⋯」
「え? なにこれ夢?」
「アキラくんと喋れるようになったのは嬉しいんだけど、さすがに⋯⋯あっ!」
「なに? どうしたの?」
「アキラくんが人間になったの、僕のせいかも!」
「え、そうなの? ていうか『せい』って⋯⋯」
「実は今日、朝起きたらミサンガがなくなってて、いつかどこかで失くしちゃったのかなと思ってたんだけど、多分あれ切れて願いが叶ったんだ」
「僕が人間になれるようにってお願いしてくれてたの?」
「うん、その時はね。まだ小さかったし、現実見てなかったから。ていうか本当に叶うなんて思ってなかったし」
「それは確かにそうか⋯⋯ていうか! それならダイキくんの足が治ったのも僕のミサンガが切れたからなんじゃない!?」
確かに、アキラくんのミサンガもなくなっていました。
「あ、そうなんだ。ありがとうアキラくん」
「いやぁ不思議なこともあるもんだねぇ」
「ね」
2人の間にしばらく『無』の時間が流れます。
「で、家に⋯⋯」
「ごめん」
「そっか、とりあえず歩こっか」
「うん」
また無の時間が流れます。
「⋯⋯どこ行こうかな」
「うん⋯⋯」
「やっぱり家に⋯⋯」
「ごめん⋯⋯」
「そうだよね⋯⋯」
気まずい時間が流れます。
「⋯⋯家に」
「ごめん」
「家に⋯⋯」
「ごめん」
「家に⋯⋯」
「ごめん」
「家に⋯⋯」
「ごめん」
「家に「ごめん」
「家「ごめん」
「い「ごめん」
「ごめん「家」
「フライングもあるんだ」
「⋯⋯ごめん」