第6話「向かいの屋上」
ダンス部を離れても、照は踊ることをやめたわけじゃなかった。
授業の合間に指先でリズムを刻み、帰り道のショーウィンドウに映る自分の姿に、無意識にステップを合わせようとする。
それでも、あの頃のような自由さはどこにもなかった。
中学時代。仲間内で遊び半分に始めたダンス。
放課後の教室、人気のない公園、文化祭で披露した即興のステージ。
あのときは、誰が上手いとか下手とかじゃなくて、ただ一緒に踊るのが楽しかった。
踊るだけで、世界がちょっとだけ広がっていく気がした。
でも高校に入ると、少し違った。
地元を離れて進学したこの高校は、共学化されたばかりだった。
事情を知らなかった照は、当然のようにダンス部へ入部届を出した。
男子部員がいないなんて、思いもしなかった。
入部はすんなり受理された。誰も反対はしなかった。
けれど——部活の空気は、微妙だった。
悪気があるわけじゃない。でも、自分が“いない方が自然”な存在なんだと、毎日のように感じた。
それに、部の雰囲気も中学とは違っていた。
ダンス部は確かに熱量があった。だけど、そのぶん「枠」も強かった。
ルール、順位、評価、先輩後輩、指導と競争。
それは、大切なことなのかもしれない。
けれど照には、そこに「自由」を見いだすことができなかった。
踊ることは、まだ好きだった。
けれどいつの間にか、自分の居場所がわからなくなっていた。
それでも、誰にも見られない場所で、彼は密かに踊り続けた。
深夜の公園。体育館の裏。
そして、その踊りを、身近な友人にも明かさない匿名のアカウントで、こっそりSNSに投稿することが、唯一の自己表現だった。
ただ、自分の「好き」を、どこかに記録しておきたかった。
そんなある日——
照は、校舎の階段をのぼっていた。
窓の隙間から吹き込んだ風に誘われるように、踊り場でふと足を止める。
顔を上げると、向かいの校舎の屋上が目に入った。
フェンス越しに、誰かがいた。
制服の袖が、光をはらんで揺れている。
軽やかに跳ねる腕、リズムに合わせて踏み出す足。
遠目でも、それが踊りだとすぐにわかった。
その振りに、見覚えがあった。
あの曲だ。
本家の動きを、ぎこちなくも真似している。
けれど、ぎこちなさよりも、ただそのまっすぐさが胸を打った。
誰かに見せるつもりなんて、きっとなかったのだろう。
だからこそ、どこまでも素直で、真っ直ぐだった。
音楽が彼女の中を流れて、身体に伝わり、ただただ“嬉しさ”だけで動いているような……そんな踊りだった。
照は、しばらく動けなかった。
ずっと探していたものを、目の前に見つけた気がした。
——これだ。これが、踊るってことだ。
気づけば、心の奥に置き去りにしていたものが、静かに疼いていた。
この子の踊りは、まだ未完成だ。けれど、だからこそ可能性がある。
評価の目も、賞賛も、まだ何も背負っていない、ただひとつの“芽”が、そこにあった。
照は思った。
もう、自分が表に立つ理由は、ないのかもしれない。
でも——この踊りを、もっと自由に、もっと遠くへ運ぶ手助けならできる。
彼は静かに、心の中で決めた。
俺が、この子のステージをつくる。俺にしかできない方法で。
風が吹いた。屋上のフェンス越しに、舞う髪と、その踊りがきらめいた。
その日から照は、もう一度ステップを踏み始めた。
誰かを照らす“光”として。