第20話「夏の約束」
八月も半ばを過ぎた陽向学園。
屋上へ向かう階段の途中、上の階から男女の話し声が聞こえてきた。
「……なくて、ごめんなさい……」
「大丈夫、気にすんなって」
聞き覚えのある声――。
そらは手すりを握ったまま、そっと足を止める。
(どうしよう……引き返して、別の階段から行こうかな)
迷っていると――
「お、そら! お疲れ〜」
照が、いつもの調子で声をかけてくる。
(お願い……照くん、空気読んで)
隣にいた女子生徒には見覚えがなかった。
どうしていいかわからず、そらはその場に立ち尽くす。
「あ。うちのクラスのダンス部の子。
パレードの動画がバズってたじゃん?
文化祭では負けないって、今その話してたとこ」
「そ、そう……。じゃあ、私、先に行ってるね!」
高鳴る鼓動を悟られないように、そらは階段を駆け上がった。
目の奥から、何かがこみ上げてくる。
扉の前で足を止め、深呼吸。
泣きそうな目を両手でパタパタと仰ぎ、なんとか気持ちを整える。
(……ううん、大丈夫。私は、平気)
扉を開ける直前、そらは一度だけ目を強く閉じた。
「みんな、お疲れ〜」
「そらちゃん、遅かったね〜」
「照、見なかった?」
「下にいたよ。ダンス部の子と話してた」
いつもの調子を装ったつもりだった。けれど、自分でも声の震えに気づく。
「てるてる先生いないと、ダンス練習できないじゃん!」
「ま、俺らは見学だけどさ」
そこへ――
「ごめん、遅くなった」
扉が開き、照が三人の女子生徒を引き連れて姿を現す。
「紹介するよ、ダンス部の一年。
この子たち、パレードには出られなかったんだけど、『吹奏楽部ばっかりずるい』って言っててさ。
舞台芸術部の“源流”は、うちらダンス部にもあるって」
「……え?」
「で、コラボ動画撮ることになった。ダンス部のチャンネルに投稿したいってさ」
そらの口から、ぽろりと声が漏れる。
「……じゃあ、さっきの“ごめんなさい”って……」
「ああ、それは――」
照は少しだけ苦笑して言った。
「俺、男子部員がいないって知らずにダンス部に入ってさ。孤立してた時、何もしてあげられなかったって……それが“ごめん”の意味」
「でもさ、それを気にしてくれただけで、十分だよ。誰も悪くない。
何より、それも含めて――今の俺がある。だから俺たち、こうしてここにいる」
「おかげで、俺たちはみ出しもの同士、つるむようになったもんな」
海は照の首に腕を回して、いたずらっぽく笑った。
そらの誤解が解けた頃、少し離れた場所で控えていたダンス部の一年生たちが、そわそわと視線を交わし合っていた。
やがて意を決したように数歩前に出て、横一列に並ぶ。
きちんと揃ったその姿に、そらたちは少し驚いて目を見開いた。
「……あの、朝日先輩!」
代表のひとりが、少し緊張した声で、それでもしっかりと口を開く。
「『青春の影、私の光』――あの曲を、私たちも一緒に踊りたいです!」
未碧は少し目を見開いたあと、すぐに穏やかな笑みを浮かべて、静かにうなずいた。
「……もちろん。一緒にやろう」
彼女たちは、ぱっと顔を輝かせる。
そのやり取りを見ながら、そらは自分の胸にそっと手を当てた。
さっきまで冷たくざわついていた心の奥が、今はじんわりと温かい。
照が笑うと、屋上の空気が、いつもより少しだけきらきらして見える。
そのことに気づいて、そらはほんのりと頬が熱くなるのを感じた。
そらがそっと隣の雫を見ると、雫はすでに目を潤ませかけていた。
「……いいなぁ、青春だ……」
その場で簡単に話し合い、
三人の歌唱とダンス部十数名による「Aozora Drop × ダンス部 コラボ動画」制作が決定した。
が――
「じゅ、16人? 衣装は……勘弁してください……!」
海がスケッチブックを抱えながら、半ば本気、半ば泣き笑いの顔で訴えた。
みんながどっと笑った。
屋上の空に、またひとつ新しい「夏の約束」が生まれた――。