第10話「七夕のマーチ」
七月七日、パレード当日――私立陽向学園
着替えを終えた三人が、廊下の大きな鏡の前で、自然と視線を交わす。
ひときわ強い西日が差し込み、レースの透け感や宝石の輝きが淡く浮かび上がる。
「……改めて見ると、ほんとすごいよね、この衣装」
雫が感嘆まじりに言うと、月音がそっと肩に手を添える。
「レースの重なりも完璧。肩の羽根も、全然ズレてない……」
そらは軽く体をひねりながら、背中のラインを確認するように言った。
「動いても崩れない。……本当にありがとう、海くん」
その声に応えるように、壁際で様子を見ていた海が、少し照れたように笑って小さくつぶやく。
彼は、さらりと着こなした深い藍色の浴衣に、からし色のハンチング帽を合わせた、風変わりな出で立ちだった。
「……“文化活動”って、便利な言葉だよな」
そのひと言に、場の空気がふわっとゆるむ。
「男子がひとりで被服室にこもってても、誰も何も言わないもんな」
照が軽口を叩けば、海は肩をすくめて笑う。
「おかげで快適だったよ。ミシンもアイロンも、潤沢な材料費も思う存分使えるし、しかも冷房付き」
それは、準備がすべて整った今だからこそ言える、ちょっとした冗談だった。
そのやり取りを端で聞いていた未碧が、静かに言葉を添える。
「――正式な“部”だから、ね。何でも堂々とできる。いいことだね」
未碧がそう言い終えるのを見計らうように、海がぽん、と手を打った。
「じゃ、次は――照が着替える番な」
「……はあ?」
一瞬、周囲の空気が固まった。
――駅前のロータリー。
パレード参加団体がぞくぞくと集まり、誘導員の指示で待機列が作られていく。
浴衣姿の子どもたち。
うちわを片手に並ぶ地元のチーム。
そして、パリッとしたユニフォームに身を包んだ――陽向学園 吹奏楽部。
その中に、舞台芸術部の6人が自然に合流していた。
特に指示もないのに、列の動きやテンポがぴたりと噛み合うのは、昨日までの準備の成果だ。
誰も何も言わなくても、「もう慣れてる」空気がそこにあった。
公認の文化活動、という名目の下で準備されてきた計画が、今ここで形になる。
その前方に立つのは、もちろんこの男。
駅前の石畳にまっすぐ立つ、ひときわ目立つひとりの男子生徒。
胸を張り、前を見据え、手にはプラカード。
《私立陽向学園高等学校 吹奏楽部・舞台芸術部》
そして――
濃紺の装束に金の帯、その姿は、まごうことなき彦星だった。
しかし、その肩で誇らしげに揺れるのは、「本日の主役」と描かれたパーティーグッズの襷。
「ちょ、なんで真顔なのよ……!」
「逆に完成度高くてツッコみにくいんだけど……!」
雫とそらが並んで肩を震わせ、月音はこっそりスマホを構える。
その様子を見て、海が少し困ったように笑いながら、そっと後ずさった。
「ごめん、俺、やっぱ関係者じゃないふりしてるわ」
「うん、その浴衣と帽子、めっちゃ目立ってるから無理だけどな」
照の冷静な返しに、また小さな笑いが起きた。
一通り笑いが落ち着いたあと、海が軽く手を挙げる。
「……じゃ、俺はこのへんで。がんばれよ」
「未碧先輩は、一緒に行かないんですか?」
そらが尋ねると、未碧は穏やかに微笑んで首を振った。
「私は、みんなの頑張りを客席から見てるよ」
「吹奏楽部のみんなも、ありがとうね。短い時間で、新曲2つも……本当に頑張ってくれたよね」
後輩たちは「いえいえ!」「こちらこそ!」と笑って返す。
「本番、楽しんでね」
「ありがとう。行ってきます!」
そらたちの声に背中を押されるようにして、ふたりはゆっくりと隊列を離れ、木陰に立っていた東雲先生のもとへと向かっていった。
「……あの子たち、本番になるとちゃんと一番いい顔するのよね」
先生はそう言って、静かに笑った。
未碧は、その横で立ち止まり、穏やかな表情でうなずく。
「僕は、ちょっと裏方でいるのが落ち着きます」
海はそう言うと、照れたように笑いながら、ハンチングのつばを直した。
そして、ゆっくりと前を歩きはじめるマーチングバンドの指揮役、ドラムメジャー。
そのすぐ後ろに、照を先頭とする合同隊列が続く。
笛の音とともに、隊列が動き始めた。
照が掲げたプラカードの文字が、夕陽を受けてわずかに光る。
それに続いて、3人の少女たちが、ゆっくりと歩き出す。
その胸元には、しずく形の心が確かな輝きを放っていた。
――Aozora Drop、再始動。
次に奏でられる音が、何を運んでくるのかは、まだ誰も知らない。




