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第31話「はじまりの音」

「実はね……二年前、私が一年生の時――『舞台芸術部』って部活があったんだ」


それはまるで、誰にも話さず大事にしまっていた宝物を、そっと差し出すような言い方だった。


音楽室の空気が、静かに震える。


その言葉をきっかけに――


物語は、時を遡る。


***


二年前の春。


朝日未碧、はじまりの日。


四月。

自宅の小さな部屋。

電子ピアノの鍵盤を指が軽やかに走る。


未碧は静かに息を整え、やわらかな声で歌った。

作りかけのメロディを確かめるように、何度も繰り返し。


中学時代、合唱部で培った歌声は自然と身体に馴染んでいた。

毎日のように自室で自作の歌を奏でることが、彼女の小さな日常であり安らぎだった。


高校に入ってからは、部活には入らずに過ごしている。

孤独や不安を感じることはない。

けれど、どこか自分の居場所とは違う気がしていた。


その日も放課後、未碧はいつも通り自分の席で教科書を閉じた。

周囲がにぎやかに帰り支度を始める中、彼女はひとり、窓の外をぼんやりと見上げていた。


ふと──


校舎の屋上。

フェンスの向こう、夕陽に照らされた空の下で、誰かが体を動かしていた。

音は聞こえなかった。

けれど、彼女の仕草や動きから、確かに「音楽」が伝わってきた。


(……踊ってる?)


強くもなく、派手でもない。ただ、自由で楽しげな動きだった。

制服のスカートが風に揺れ、髪がふわりと跳ねるたび、夕陽がその輪郭を照らした。


見てはいけないものを見つけてしまったような気がして、未碧は思わず目を伏せた。

でも、そのまま下校する気にもなれなかった。


数秒後──

彼女は、鞄をそのままに、静かに立ち上がった。


屋上へ続く階段。

誰もいない廊下の端。

ちょっとした冒険のような気分だった。


(入っちゃいけない場所じゃない……よね?)


鍵は……かかっていなかった。

そっと扉を押し開けると、ほんのり風の匂いが頬を撫でた。


視界いっぱいに広がる茜色の空。

そしてその手前で、楽器を持った先輩たちが数人、輪になって笑い合っていた。

トランペット、サックス、カホン、そして──ギター、ダンス部らしい先輩も数名混じっていた。

未碧の代から共学となったこの高校、先輩たちは全員女子生徒だった。


「……えっ」


思わず声が漏れる。

誰かが振り向き、未碧と目が合った。


「……あ、ごめんなさいっ、私、別に──」


逃げ出そうとしたそのとき。


「おーい、新入生? 迷子ちゃん発見ー」


優しげな声がそう言って、輪の中から手を振った。

くすくすと笑う先輩たち。誰ひとり、未碧を追い返そうとはしなかった。


***


屋上は、元・吹奏楽部の三年生たちが引退後、自主的に音楽を続けるために集まっていた場所。しかし、いつしか部外者も参加するようになっていた。

東雲先生によれば、本来は吹奏楽部の第二練習場として使われていた場所だったが、

彼女たちの熱意に負けて、いまは“仮の部活動”として黙認されているらしい。


東雲先生は屋上の音楽空間を見守りつつも、その非公式な活動に複雑な思いを抱いていた。

吹奏楽部の第二練習場として使われるべき場所が、管理されずに自由に使われていることは問題でもあった。


だが、彼女たちの熱意は確かに存在し、形にしてあげたい。

部活として認めることを考え始めたのもその頃だった。


未碧は、その場の唯一の一年生として、先輩たちに温かく迎え入れられた。


ピアノの前で一人歌っていた日々とは違う、新しい音楽の世界がここにあった。


先輩たちは、最初こそ不思議そうな顔をしていたが、未碧が、誰かが持ち込んだポータブルキーボードを弾きながら「自作の歌を歌える」と言うと、面白がって聴いてくれた。

彼女の音楽に笑い、時に涙ぐみ、自分の書いた歌詞に曲をつけてとリクエストまでするようになった。


のちに「舞台芸術部」と名乗ることになるこの集まり。

最初はたった数人だったが、やがてダンス部を引退した先輩たちも正式に加わり、屋上は小さなステージへと変わっていった。


ある日、元・ダンス部の先輩がふとこう言った。


「朝日ちゃん、アイドルっぽい曲って作れる?」


「アイドルっぽい……って、たとえば?」


「キラキラしてて、でも、どこか切なくて……。卒業ライブの、最後の曲にしたいの」


未碧は少し考えて、ゆっくりと頷いた。


「うん……やってみる」


未碧が作り出した歌は、ただの曲ではなかった。

それは、これまで共に過ごした時間、重ねた想いが込められた“みんなのための歌”だった。


こうして生まれた、“お別れの曲”。

歌詞には「さよなら」なんて一言も出てこない。

でも、そのすべてが「さよなら」を越えていこうとする気持ちに溢れていた。


卒業ライブの日。

屋上に集まった三年生達。


彼女たちは、練習を重ねてきたその歌を披露した。


舞台の上で輝く先輩たちの姿を見つめながら、未碧の胸は熱くなる。


卒業ライブは大成功に終わり、その曲は元・ダンス部の先輩たちのパフォーマンスをきっかけに広まっていった。


ショート動画の音源としてバズり、知らない誰かの心を動かした。

そして、先輩たちはその曲で、アイドルとしてデビューした。業界関係者の目に留まったのだ。

三年生が卒業し、舞台芸術部は自然消滅となったが、

消滅した「舞台芸術部」は、通称「アイドル部」として、この学校の伝説となった。


未碧は、作家としてデビューを果たすこととなったが、満たされはしなかった。


でも、未碧の中には、あの時の音が、笑顔が、風が、今も残っていた。

「ありがとう、みんな」


未碧はひとり、屋上に置かれたスツールに座り、そっとその曲を弾いた。

その旋律は確かに“みんなのための歌”だった。

しかし、ひとりで奏でるその音は、フィルターを通したかのように遠く、

あの頃の鮮やかな輝きは失われていた。


それからは塞ぎ込み、うまく曲が作れなくなっていた。


依頼されたラクダの曲も、どこか空虚で、あの頃の輝きは戻らなかった。


そんなとき、東雲先生がそっと声をかける。


「吹奏楽部のピアノ伴奏、手伝ってみない?」


吹奏楽部との練習の時間、自由な空き時間、ピアノに向かう未碧の心は少しずつほぐれていく。

ピアノの前で歌うことは日常だった。

でも、いまは誰かと音を合わせる喜びに癒やされていた。


季節が巡り、1年が過ぎた。

未碧は、3年生になっていた。


放課後、吹奏楽部の手伝いを終えた未碧は、自分の部屋に戻り、制服のまま電子ピアノの前に座った。


何気なく開いたSNSのおすすめ欄に、茜色の屋上で踊る二人の動画が現れる。


スマホで撮られた映像。小さな音。


それでも、未碧の耳は一瞬で捉えた。


ほんの数秒、風の音にまぎれて流れていた、あの旋律。


『青春の影、私の光』──あの曲だ。


未碧は、無意識にスマホを握りしめていた。


その小さな音が、胸を強く揺らした。


「……私も、あそこにいたい」


スマホの画面を見つめながら、未碧の胸の奥に、ひとつ火がともったような気がした。


気づけば、指先が滑っていた。


「私も仲間に入りたいな」


送信ボタンを押した瞬間、にゃんこちゃんがそっと前足で未碧の手をつつく。


未碧は小さく笑って、その毛並みに頬を寄せた。


「……言っちゃったね、私」


屋上ではそらと雫、そして照がスマホの画面を覗き込んでいた。


数日前の屋上に、下の階からかすかに漏れ聞こえていたアイドルソング。

歌詞には「さよなら」なんて一言も出てこない、“みんなのための歌”。

あの日の“お別れの曲”は、この瞬間、私たちの“はじまりの曲”になった。




第一章 - 完 -

「青春の影、私の光」


茜色の空、そっと見上げて

遠くで聞こえる、懐かしい声

揺れる制服のスカートと一緒に

心も揺れてる、あの日々が消えてく


「もう戻れない」って気づいたけど

この胸の中で、ずっと輝いてるよ


夕陽に照らされ、夢が消えても

新しい私、ここから始まる

涙が溢れても笑ってみせるよ

強くなれるから、未来はきっと優しい


教室の窓、夕暮れ染まる風景

大切だった、あの時間も遠くへ

少しだけ不安になるけれど

私ならきっと、大丈夫だよね?


「ありがとう」って言える日が来るよ

今は振り向かずに、歩いていこう


夕陽に消える青春の影も

私の中でずっと生きてる

涙がこぼれそうな夜が来ても

前を向くから、未来はもっと輝く


手を振る君に、「ありがとう」って言うよ

大切な想い出、心に抱いて

変わりゆく景色、怖くないよ

強くなる私が、ここにいるから


青春の影、私の光

過去も未来も、私を照らす

涙の先に見える明日へ

一歩ずつ進むよ、未来はいつもここに


夕陽が沈む、その先に

新しい光が待っている

青春の影を抱きしめながら

私の光が、これから輝き出す


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