第28話「Rainbow in the Rain」
「危なかったね……すぐに片付けられてよかった」
みゃお先輩がほっとしたように言う。
「皆、こうして協力してくれるのが一番だよ」
東雲先生は譜面台をタオルで拭きながら、優しく微笑んだ。
音楽室に戻った皆は、少しずつ落ち着きを取り戻していた。
月音は端の椅子に座って、まだ少し興奮したように言う。
「先生のギターの音、すごかった……」
普段は静かな彼女の声が、今日は少しだけ力強かった。
「そうだね。ああいう音に心を動かされるって、いいことだよ」
みゃお先輩が柔らかく答えたそのとき、音楽室のドアが開く。
照がずぶ濡れのまま駆け込んできた。
「アンプは?」
そらがすぐに尋ねる。
「階段の上に置いてきた。……悪ぃ、秘密バレた」
照の目には、いつもと違う真剣な色が宿っていた。
「え?」
そらが小さく驚いた声をあげる。
「クラスの男子に気付かれてさ、ついさっき屋上の前まで来てたんだ」
「……詳しい話は後でな」
照がドアを閉めると、廊下は薄暗く静まり返っていた。そのとき——
コン……コン……
足音が——ゆっくりと近づいてくる。
硬い床を踏みしめるその音に、皆は自然と顔を見合わせ、無言のまま耳を澄ませた。
「……なんか、ホラーみたいだね」
そらが小声で言った直後——
ゆっくりとドアが開き、制服の少年がひとり、姿を現した。
表紙が2色でデザインされたスケッチブックを胸に抱え、濡れた髪が頬に張り付いている。
「海!」
照は目を見開いて声を上げる。
現れたのは、大須海だった。
驚く一同の前に、彼は一言も発さず、抱えていたスケッチブックを開いて照に差し出す。
描かれていたのは——深く蒼い炎をあしらった、舞台衣装のラフ画。
「……これって」
そらが息をのむ。
「“蒼の炎”だ……」
月音が呟いた。
「えっ?」と雫が覗き込む。
デザインは彼女のノートの世界観と不思議なくらい合致していた。
「なんで……それを?」
照が静かに問いかける。
「屋上で見てたのか?」
海は少し間を置いて、申し訳なさそうに言った。
「確かに屋上には行ったけど、それは雨が降り出したから……照が帰っちゃうと思って……ごめん」
彼はポケットから一冊のノートを取り出した。雨に濡れたのか、ページが少し波打っている。
「あっ……!」
雫が小さく声を上げた。
「これ、……君のだよね?」
海は、少し濡れた雫のノートをそっと返す。
雫はノートを胸元に抱えるようにして、小さく息を吐いた。
「……ありがと。どこで……?」
「さっき照に会った後、屋上に落ちてた。
……それを読んだ瞬間、頭の中に色と形が溢れてきた。気づいたら、描いてた」
海の瞳には、まだそのときの熱が宿っていた。
「すげえな……そんな短時間でかよ」
照が感嘆したように言う。
「さっきは照に、こっちを見せたかったんだ」
海がスケッチブックのページをめくる。
現れたのは、淡いブルーと白を基調にした、軽やかな、でも芯のある衣装。羽のようなモチーフが施されている。
「これは……『Aozora Drop』……?」
みゃお先輩が小さく声に出すと、海は静かに頷いた。
「動画からイメージが湧いたんだ。
バズったてるてる坊主の曲、ラジオのアーカイブも聴いた。
その前のバラード調のやつも……」
そらたちが顔を見合わせる。言葉が出なかった。
描かれた衣装には、ただの技術ではなく、熱があった。曲を“理解した誰か”の手によって描かれた熱量が、そこに宿っていた。
「これは、Aozora Dropのバラードのイメージだよね?」
そらが呟く。
「うん、そうだね」
雫が静かに応えた。
「で、誰……なの?」
そらが小さく尋ねる。
海は少しだけ口元を緩めた。
「大須海。照のクラスメイト。……実はさ、前にバズった動画で、もう俺は気づいてたんだ」
照が静かに続ける。
「動画に映ってたお前たちと、俺が一緒にいるところを廊下で見たってさ。こいつ、すげえ目が利くやつでな。顔じゃなく動きで分かったんだと。で、……俺が活動に出てこなかったのはそれが理由。シラ切るためにさ」
「それで、秘密にしてやるから……衣装作り手伝わせてくれって俺から言った」
海は小さく笑い、スケッチブックを閉じた。
そして、少しだけ真面目な顔で続けた。
「中学のときから衣装作ってた。演劇部とか、文化祭の着ぐるみとか、裏でこっそり……自分の世界を形にするのが好きなんだ……でも、男子がやるの、変だって思われそうで、いままで誰にも言ってなかった」
言葉にしなくても、描線が語っていた。
彼が、この“空の下のステージ”を、真剣に見つめてくれていたことを。
静かに皆のやり取りを見守っていた東雲先生が、穏やかな表情で口を開く。
「才能って、面白いよね。こうやって集まってくるんだから。
雨上がりの空に、新しい虹がかかるみたいに。
バラバラだった光が、いつの間にか、一番素敵な色になる。
ここからどんな音が出てくるか、私も楽しみだな」
音楽室の窓の外、雨はまだ静かに降り続いていた。
だけどその空の下で、また一人——新しい“ステージの仲間”が増えたことを、誰もが感じていた。
そのとき——。
先生がふと、何かを思い出したように、ぽんと手を打つ。
「あっ、そうだ。……黒瀬くん、アンプ。それから屋上、鍵……閉めてないよね?」
「——あっ」
「——あーっ!」
照と雫の声がハモった。
一瞬の沈黙の後、皆が慌てて立ち上がる。
「せ、先生、行ってきます!」
「て、てる、階段走るの禁止だって——って、もういないし!」
慌てふためく空気の中で、みゃお先輩が小さく笑う。
「……ま、こういうオチも悪くないね」
先生は肩をすくめて、タオルを譜面台にかけ直した。
雨の中にかかった虹は、まだ消えていなかった——。




