第20話「雨の中でも踊れますか?」
次の日の放課後、そらは一人で階段を上っていた。雨はまだ降っていなかったけれど、空気は重く、曇り空は今にも泣き出しそうだった。
扉を開けると、屋上には雫がいた。
先生との約束を守って、いつも鍵を開けて待っていてくれる。
雫は、ノートを閉じてベンチから立ち上がると、少し乱れた髪を指で整えながら、そらの方を見て微笑んだ。
「ねえ、そら……昨日見た?」
「……うん。フェンスの向こう、誰かいた気がした」
雫は小さく頷いた。
「気のせいじゃないと思う。私も感じた。視線……っていうか、気配?」
「照くん、何か言ってた?」
「ううん。見てないって。でも……」
雫はそこで言葉を切り、ノートに書かれた文字の上をそっとなぞった。
「でも、誰かに見られてるのって、ちょっとだけ……嬉しかった」
そらも思わず笑ってしまった。怖さよりも、嬉しさ。あの瞬間に感じたものは、不安ではなくて、むしろ期待だった。
「もしかしたら……次の誰かが、見つけてくれるのかもね」
「……うん」
二人は並んでベンチに座った。風が一瞬止み、世界が静かになる。
その静けさの中、勢いよく扉が開く音がして、照が入ってきた。
「来週、水曜の夜、オンエア決まったって」
「えっ、本当に……?」
そらの声が少しだけ上ずった。
「地元だけでやってるインディーズ枠。投稿音源紹介するやつ。……DJが気に入ったって」
照はそう言いながら、スマホを差し出して見せる。
『Aozora Drop、番組内で使用予定。放送後、アーカイブも残ります』
「すごい……! 本当に流れるんだ……!」
そらが胸の前で手をぎゅっと握りしめると、雫もすぐに頷いた。
「それって……たくさんの人に聴いてもらえるってことだよね」
「少なくとも、偶然耳にする人がいるってことだな。まあ、梅雨の夜にラジオ聞く人がどれくらいいるかはわかんねぇけど」
照の言い草に、二人はくすりと笑った。
けれど、その笑いの裏側には、確かに何かが始まる予感があった。これまで自分たちだけの世界だった「屋上ステージ」が、少しずつ“外”に繋がりはじめている。
*
週が明けて月曜日。朝の空気は、梅雨の湿気をたっぷり含んでいた。
そらは教室の窓から、にじむような曇天を見上げていた。
「放送、もうすぐだね」
昼休み、廊下ですれ違った雫が小声でそう言ってきた。
そらは頷きながら、胸の奥に湧き上がる小さな不安を抱きしめた。
その日の放課後、屋上には三人が集まっていた。
「拡散はされてないけど、コメント欄には少しずつ反応が増えてる」
照がスマホを見せながら言う。
まだ「いいね」も再生回数も目立つほどではなかったが、
「歌、好きです」「声がやわらかくて癒された」「屋上の空がいい」
――そんな、ぽつりぽつりと灯る言葉たちが並んでいた。
「知らない人の言葉なのに、どうしてだろう……すごく、届いたって感じがする」
そらがつぶやくと、雫も「うん」と笑う。
「だけど、ね……これって、逆に『誰かに見られてる』ってことなんだよね」
その一言に、そらははっとした。
怖くはない。でも、胸の奥がそっと波立つ。
「そら。ラジオ、声だけじゃなくて名前も流れる可能性あるぞ」
「……え? あ、そっか……名前も……」
そらは一瞬言葉を失い、曇り空を見上げた。
「……学校の人に知られたら、きっとびっくりすると思う。でも……それでも、いいかも。ちゃんと自分の声、届けたいから」
その言葉に、照も雫も顔を見合わせて、静かに頷いた。
そして、照がスマホ画面をもう一度指差す。
「……これ、見た?」
コメント欄のいちばん新しい投稿には、こう書かれていた。
『雨の中でも踊れますか?』




