第15話「揺れる気持ち、確かな音」
昼休み、風にそよぐ新緑の匂いが、初夏の空気に溶け込んでいた。
音楽室の窓から見える空はどこまでも澄んでいて、真っ白な雲が音もなく流れていく。
けれど、翠谷雫の姿はそこになかった。
「……やっぱり、来てないですね」
そらがぽつりとつぶやいた。
みゃお先輩が隣で軽く息をつく。
「昨日は帰るとき、ふつうに笑ってたのにね。しずくちゃん……」
「詞、書き終えたって言ってましたよね」
「うん。たぶん、それで——ちょっと、立ち止まってるのかも」
「……立ち止まる?」
そらが首を傾げると、みゃお先輩は静かに答えた。
「今までは“いつか”だったものが、現実になろうとしてるから。
ほんとに誰かに届いちゃったら、ほんとに聴かれちゃったらって……そういう不安、わたしにもあったから、わかる気がして」
そらはその言葉を受け止めるように目を閉じた。
完成に近づくことが怖い——それは前向きだからこその揺れ。
春から初夏へ移るこの空みたいに、晴れているのに、どこか落ち着かない気持ち。
その頃、雫は図書室の隅にいた。
静かな午後、空調の低い風音と、遠くの草刈り機の音が混じる。
季節が変わる匂いが、窓からふと差し込んだ。
彼女の手元には、開いたノートと、空の青を閉じ込めたようなゲルインクのボールペン。
「影がふたつ 並んでる ただそれだけで
こんなにも強くなれるなんて 思わなかった」
そこまで書いた数日前のページに、今日の彼女は、そっと言葉を重ねていく。
「涙のあとには 澄み渡るこの青空
手招くの 新しい物語が
Hope is calling us
希望が降りそそぐ」
ペンが止まる。
「……ほんとに、そう思えたから」
口にした自分の声が、少しだけ誇らしく響いた。
ためらいも不安も、歌詞に込めた。
それでも、その先へ行こうと決めた。
放課後。
音楽室には、やわらかい夕陽とピアノの音。
そらが見守るなか、みゃお先輩の指が鍵盤の上を滑っていた。
そっと——ドアが開く。
「……しずくちゃん!」
そらがすぐに立ち上がって駆け寄る。
雫は少しだけ笑って、両手で持っていたノートを差し出した。
「ごめん。ちょっとだけ、考えてた。でも、もう大丈夫。これで……完成、だと思う」
受け取ったみゃお先輩が、ゆっくりとページを開く。
まっすぐで、やさしい言葉たち。
読みながら、ピアノの鍵盤に指が戻る。
ふっと流れる伴奏に合わせて、そらが口ずさみ始めた。
「うつむいた視線の先 いつも同じ景色……」
歌が終わると、雫が静かに言った。
「——聴いてて、怖くなかった。むしろ……うれしかった。そらの声で、詞がほんとに“きらめいた”って思えたから」
そらが雫の手をぎゅっと握る。
「これが、私たちの“はじまり”なんだね」
「うん」
「そろそろ……録ろっか。簡単でいい。私たちの“Aozora Drop”を」
誰かがうなずき、誰かが笑った。
その夜。
そらから届いたのは、スマホで録音された音源。
まだ音も声も粗いけれど、それでも伝わるものがあった。
イヤフォンを外し、照はぼそっと呟いた。「誰かに、聴かせてみたいな……」
そのままスマホを手に取り、再生中の音源を見つめた。無意識に指が、シェアのボタンへと向かい——ふと止まる。
「……まだ早いか」
窓の外を見上げる照の目に、遠くの星が淡く瞬いていた。
「Aozora Drop」
うつむいた視線の先
いつも同じ景色
胸の奥 閉じ込めてた
小さなためいき
春風が吹いても
まだ曇ったままの空
誰にも見せないように
強がっていたけど
あなたの声がした
ふいに光が射して
凍えてた何かが
そっと溶け出すみたいに
影がふたつ 並んでる
ただ それだけで
こんなにも温かいなんて
知らなかったよ
閉ざした扉の向こう
広がった私の青空
見つけたの ひとりじゃない
この場所で
My heart is shining bright
雫がきらめいた
小さな勇気が ほら
メロディに変わる瞬間
世界が息づき始めた
鮮やかに
ぎこちない一歩も
きっと無駄じゃないから
信じてみたくなる
みんなといる未来
影がふたつ 並んでる
ただ それだけで
こんなにも強くなれるなんて
思わなかった
涙のあとには
澄み渡るこの青空
手招くの 新しい物語が
Hope is calling us
希望が降りそそぐ
不安も迷いも
全部抱きしめて
重ねた手が 教えてくれた
ここから始まる夢があること
影がふたつ 並んでる
ただ それだけで
こんなにも世界は優しいと
感じてるんだ
どこまでも続く
私たちの青空 見つめながら
羽ばたこう その名前を呼んで
輝け Aozora Drop
to the endless sky!
未来へと




