第13話「ふたつの影」
音楽室の窓から、やわらかな西陽が差し込んでいた。
ピアノの屋根が静かに開かれ、みゃお先輩がその前の椅子にそっと腰を下ろす。その向かい、そらと照がパイプ椅子に座り、雫は机の上にノートを開いていた。
歌詞作りの時間が、ゆるやかに始まっている。
「曲の雰囲気は……やっぱり春、かな。始まりの季節」
みゃお先輩が、ぽつりと語りながら、白くて長い指で鍵盤をひとつ叩いた。透明な音が空気に混ざって消えていく。
「じゃあ、歌詞も、春っぽく?」
照が顔を上げると、そらは考え込むように頬に手をあてた。
「希望とか、出会いとか……」
「ベタすぎるのもいやだよね」
みゃお先輩が笑いながら返す。
そのとき、雫がノートにペンを走らせながら、ぽつりとつぶやいた。
「じゃあ……カピバラとか……?」
「……カピバラ?」
全員の視線が一斉に雫に集まる。
「うん、こう……春の草の上で、のんびりしてる感じ? 癒しってことで……だめ?」
「いや……だめじゃないけど、歌詞にはしづらいかも……」
照が苦笑していると、雫はさらに続けた。
「じゃあ、パンダとか。かわいいし。あと、ウミガメ。帰ってくるイメージ。カメレオンとか。変化するし。あとは……エビとか?」
「エビ?」
そらが思わず聞き返すと、雫はちょっとだけ顔を赤らめて笑った。
「ごめん、変なことばっかり言ってるよね……」
雫の声が少し小さくなる。
「なんか……いつも、こういうとき変なこと言っちゃうの。まともにやると、できないって思われるのがこわくて……。だったら、変なこと言って『個性的』って思われたほうが、楽なんだよ。最初から“できない子”って見られるの、嫌だから……」
雫は笑っていたけれど、その笑みはどこか、無理に作ったようだった。
その言葉のあと、少しの沈黙が降りる。
みゃお先輩が静かに立ち上がり、雫のそばへと歩いていった。
「雫ちゃん、無理することないんだよ」
その声は、ピアノの音よりもやわらかく、まっすぐだった。
「変わってるって見せるより、ちゃんとあなたが見てるものを言葉にするほうが、ずっと素敵だと思う。
……“ウミガメ”っていうのも面白かったけど、私が綺麗だって思ったのは、“帰ってくる”っていう、その一言のほうだったよ。」
雫は息を呑んで、視線を落とした。
そして、しばらく黙ったあと——ゆっくりと顔を上げる。
「……誰かと一緒に歩いてて、影がふたつ並ぶのを見ると、安心するんだ。ひとりじゃないって、思えるから」
教室の空気がふっと変わる。
そらが、ぽつりとつぶやいた。
「それ……すごく、いいね」
「今の、歌詞になる」
みゃお先輩がそう言って、ピアノの前に戻り、鍵盤にそっと手を置いた。
雫は驚いたように目を見開き、それから少しずつ、ほほえんだ。
(影がふたつ、並んでる。ただ、それだけで——)
みゃお先輩の指が、白と黒の鍵盤をすべり出す。
新しいメロディが、春の光に滲む教室に溶けていった。
やがて、その旋律が「Aozora Drop」の未来の光になることを、まだ誰も知らないまま——




