親友、白鵬、エイリアン
「でしょ、本当にやばい人だった・・・」
京浜エリはカフェのテラスにいた。
喋りながらストローでゆっくりとグラスの氷をクルクルと回す。
「でも話しかけたんだ・・・勇気あるね」
「まあ、そうなんだけどね。でも、ただの変態でした、ただの変態。だって普通なら『その時間ならこの車両が~』みたいな座るコツとかを教えない?それが、GDPだ、出生率だ、って・・・。まあやっぱり都会ってのは色々な人がいるんだなって、いい勉強になりました、はい」
金曜日の記憶をこれ以上呼び起こさないようにしよう。
無駄にした過去を憂うより今を楽しもう。
ストローを咥えてカフェラテを一口飲む。
あまりに完璧な日曜日の昼。
空の青さ。
街を覆いつくすウキウキ感。
幼馴染の親友カオリ。
儚くも美しい時の流れの中にいる。
仕事は仕事で楽しいが、この開放感のある空気を味わえるのはやはり休日の特権だ。
「午後はここのお店とこのショッピングモールに行くんだよね?」
カオリがgoogleマップを開く。
「そうそう、都会って本当に何でもあるから時間が足りないね。あとこの映画も見てみようよ、あー明日も休みならいいのに」
「ふふふ、そうだね」
田舎育ちの二人にとって東京はあまりにも新鮮で、やりたいことをリストアップするといつも時間の有限性にぶち当たってしまう。
「次の3連休って7月までないんだよ?知ってた?あと2か月・・・どうしよう・・・」
エリはオーバーにテラスの机に突っ伏す。
「そうなんだ・・・」
「6月ギルティ」
「せめて一日くらいは祝日欲しいよね・・・」
カオリも同意をする。
「そう言えばさ」うなだれていたエリがピョコっと顔を上げる。「カオリ、ちょっと疲れてる?ゴールデンウィークから短い久しぶりだけど、ごめんね、気になっちゃって・・・」
目の前に座るカオリはいつものカオリだ。優しくてしっかり者。
しかし幼馴染のエリだからこそ分かる若干の違和感があった。5月病という言葉もあるくらいだし、さすがのカオリも社会人生活の疲労が溜まっているのだろうか。
「えっ?・・・そうかな・・・ごめんね、気を使わせちゃって・・・疲れてるのかもしれない」
「まあ私たち、フレッシャーズだしね、きっとこの5月って一番疲れが溜まるんだよ。私も疲れてるなぁ」エリはそう言って大きく背伸びをした。「でも新卒の私たちだけじゃないかもね。ほら見てよ、この日曜日のみんなのウキウキした表情。やっぱりみんな仕事では疲れてて、ここを目指して頑張ってるんだよ」
「仕事じゃなくて通勤の電車だったりして・・・」とカオリ。
エリはハッとしてカオリを見つめる。
通勤の電車、その言葉で座太郎の顔がパッと浮かんでくる。
「スワリスト」どこからともなく空耳が聞こえる。
急いで目を閉じて首を振り邪念を吹き飛ばす。
もし座太郎と出会っていなかったら疲れの理由を通勤電車にしていたかもしれない。しかしそんな考えはもうやめたのだ。エリはスワリストではない。通勤電車のせいにすると「素質がある」などと意味不明なことを言う変態が現れかねない。
「ちょっとカオリ、やめてよ」
「ふふふ」
そんなエリの葛藤を微笑ましく見つめていたカオリ。
「ごめんごめん。冗談だよ・・・」
「もうっ」
エリは腕を組んでカオリ見つめる。
カオリは優しく微笑んでいた。
「家賃のバカヤロー」
エリは小さな体を上手に使ってパンチングマシーンを力強く殴る。
ショッピング、映画、夕食、予定していたスケジュールをすべて終え、最後にゲームセンターに来ていた。
最愛の日曜日、時刻はもう午後7時を過ぎていた。
パンチングマシーンに備え付けられている緑色のエイリアンのような人形。腹が赤くなっていてそこがパンチをするポイントだ。
「エリ、凄いよ、こんなにスコアが高い」
「そうかな?・・・日頃の思いが力をくれたのかも」
予想以上に家賃の負担が重く、苦しんでいた思いがスコアになったのか。エリ自身にも多少の驚きがあった。
「カオリもやりなよ、ほら日頃のうっ憤をこの無機質な何も悪いことをしていないエイリアンにぶつけよっ」
「私はいいよ・・・しかもそんなこと言われたら余計殴れないよ」
罪のないエイリアンは無表情のまま、殴られた衝撃でまだ少し揺れていた。
「でも、ほらまだもう一回パンチできるよ?怒りをぶつけなよ」エリは回数表示を指さした。
「いいよ、いいよ。エリがやって、私は見てるから」
エリは遠慮がちなカオリに代わって再びグローブをつけた。
そして殴りやすい位置に立ち、思い切り振りかぶってモーションに入る。
子供の時から運動神経が優れていたエリ。
彼女の怒りがこもったフォームには美があった。
白鵬の塵を切る動きのような。
大谷翔平のバッティングフォームのような。
そして井上尚弥の右ストレートのような。
「そもそも座太郎ってなんなのよ、おかしくない!?」
ゲームセンターの喧騒の中だからいいものの、エリはかなり大きな声を出しながら全力でエイリアンを殴った。
まるで本当に苦しんでいるかのようにエイリアンが激しく前後に揺れる。
「ちょっと、スゴイ・・・」
周りの客の視線もエリに集まる。
ザワザワとしながら皆がスコアの表示とエリを交互に見比べている。
エリは恥ずかしさから顔を真っ赤にする。
カオリの手を引き、急いでゲームセンターを後にした。
残されたエイリアン。
ようやくダメージが回復したのか揺れは収まっている。
彼の背後で表示されているパンチの威力は本日の最高記録を更新していた。
「だってさ、座太郎だよ、座太郎。座る太郎と書いて、ざたろう、だよ」
二人は帰宅するために駅へ向かって歩いている。
「卵が先か、鶏が先か、じゃないけど、そんな名前の人があそこまで座ることにこだわるなんて奇跡だよ。それか名前に毒されてそういう思考になっちゃったのかな・・・」
「ちょっと可哀想だよ、名前は仕方ないじゃん」
「いや、それか座るために改名したのかも・・・アイツならありえる。それくらいのことはしそう」
カオリの制止は届かず、エリは考え込みながらブツブツと呟いた。
駅に到着する。
改札を通る二人。路線が違うため今日はここでお別れ。楽しかった休日が終わってしまう。
「じゃあカオリ、今日は楽しかったよ、ありがとう」
「あっという間だったね、楽しかったね」
「はぁ~、明日から月曜だよ・・・一瞬で土日が消えてしまった。まあ仕事頑張ってまた思い切り遊ぼう!また連絡するね」
「そうだね・・・あっ、エリっ」
「ん?何?」
「・・・いや、何でもない、じゃあね」
二人はそこで別れた。
エリは少し歩いてから立ち止まり、振り返る。カオリの小さくなっていく背中が見えた。
気のせいだよね?
勘のいい彼女はその僅かな変化がずっと気になっていた。
背中はどんどんと小さくなっていく。一緒にいた時と比べて暗く俯きながら歩いているように見える。
何かを探しているのか左右をキョロキョロしながらカオリの姿はホームへ向かう階段へ消えていった。