電車に座るための素質
「牛って何だと思う?」
エリは目の前の二人にいきなり言った。カオリとジェイクはぽかんとした顔をする。当たり前だ、牛は牛でしかない。そんなことは分かっている。でも誰かからヒントが欲しい。
「牛丼のウシですか?牛乳もウシですよネ」ジェイクが日本語の復習とばかりに答える。
「うん、そうだね。読み方はギュウでも牛。エリ、その牛のことだよね?」とカオリ。
「うん、ごめんね、日曜の昼間からいきなり意味不明で・・・」
エリは苦笑いしながら言った。昨日のカップルの会話。そこから一つだけ確信したことがあった。それは何かしらの方法で座太郎はあのメガネの男に席を奪われているということ。『入れ替わる』『牛』これらがヒントであることは間違いないだろう。しかし、それ以上全く何も分からない。エリは親友とその彼氏に助けを求めていた。
「もう一回聞かせて、その女の人は何て言っていたの?」
突拍子もない話にもかかわらずカオリもジェイクも真剣な表情だ。それだけ座太郎への感謝と次は助けてあげたいという気持ちがあるのだろう。
「うん、『次の牛に切り替える』『今の奴を使って入れ替わって』って言ってたの。聞いていても意味が分からなかったけど二人とも本気で話してた。そして何か駅で撮影した人の画像を見せて、週に3回だ、4回だ、誰にするか、って相談してた。そして座太郎はピカイチだって」
改めて自分で言葉にしてみてもやっぱり意味が分からない。
「その男が妙な超能力を持っていて、ザタローから席を奪っているとして、つまり・・・」
「でもジェイク、それはあり得ないよ」カオリが即座に否定する。
「うん、私もそう思う。それはさすがに・・・」
エリも同調するとジェイクはゆっくりと二人を見つめた。そして人差し指を顔の高さでピンと立てながら言った。
「ノンノン。現実、非現実今は関係ないよ。今はその仮定で話を進めてみようよ。仮に、その男が現実離れした力を持っているとしたらどういうものになるか考えてみよう」
エリはカオリと目を合わせ大きく頷いた。ジェイクの言う通りだ。今は分かっている情報から様々な仮説を検証しないといけない。
「次の牛、座太郎はピカイチ、その言葉から今の牛は座太郎だと推測できる」エリは整理するように話し出した。「週3回や週4回と言いながら見ていた画像のサラリーマンたち。彼らが次の牛の候補だと考えられる。その回数はその週に座席に座れていた回数。男は女に週5回座れる人を探して欲しいと言ったが女はそれは厳しいと答えていた。座太郎や最近知り合ったもう一人のスワリストが言うには私たちが使う駅は座るのが相当難しいらしい。週5回確実に座れる人間。おそらく座太郎くらいしかいないはず。だから狙われてしまった」
「でも、どうして座太郎さんから次の牛へ移る必要があるの?それだったらずっと座太郎さんでいいような気もするけど」カオリが疑問を口にする。
「諦め始めてる、って言ってたの。二人も見たと思うけど座太郎は座ることへの情熱や思いが強すぎるせいで座れないと信じられないくらい落ち込んで廃人みたいになっちゃう。先週も最初の三日間は勇猛に座席を取りに行ってたけどラスト2日は覇気がなくて席を取れる雰囲気すらなかった。電車に乗る前から諦めているというか・・・そしてその木曜と金曜は例の男も座れずに二人とも満員電車の人波に飲み込まれていった」
「なるほど。つまりその男の人は座太郎さんから奪い取りすぎて他の牛に移らざるを得なくなった」カオリは考え込むようにストローをグラスの中で回しながら言った。
「人間と同じだネ。環境を破壊して地球に住めなくなっちゃうみたいな話だネ」
「でも、それってどういうことだろう?」カオリはカフェラテのグラスからエリへ視線を向ける。「仮に超人的な能力を持っているとして、その人は座太郎さんが座る気がないと座れないの?だったら、週何回座れるみたいな実績は意味がないんじゃない?」
確かに。エリはついさっきのカオリのマネをしてゆっくりとグラスのなかの氷をストローで回転させながら考える。木曜と金曜の座太郎は電車に乗り込む前から覇気が感じられず座ってやろうという気合がなかった。駅を利用する他の人たちと同じようにホームに並びそのまま電車に乗り込んでいった。するとメガネの男も座ることができなかった。じゃあ、もし気合を入れて並んでいたとしたら?ホームに並ぶ、扉が開く、メガネの男に席を奪われる。この時の違いは何?情熱?
「座席に座りっていう情熱をその男がエネルギーに変換して座れるようになるとか・・・?」
「うん」カオリが頷く。「座太郎さんならおそらくそれが極端に強いだろうからピカイチかもしれない。そして木曜と金曜はそれがなかったからその人は座る力が足りなかった。突拍子もないけど何でもありで考えるなら答えはそうなるよね」
「イエス。いい推論。何でもあり、この調子で考えよう」ジェイクはエリ、カオリの順に見つめオーバーに拍手をする。「じゃあ、次は牛が何を意味しているかだネ。どーして座太郎は牛?次の候補の人たちも牛?」
牛か・・・。考えなきゃいけないことは分かるがここが一番意味が分からない。ジェイクの言う通りどうして牛なのだろう?
「牛と情熱・・・牛の力・・・」カオリが呟いく。「牛車とか?牛が疲れ果てて他の牛に変えなきゃいけなくなったのが今の状況で、だから急いで優秀な牛を探している、みたいな・・・」
「すごいすごい!さすがカオリだよ!」エリは落ち着いた店内に不釣り合いの声量を出してしまう。「ごめんごめん、でもそれが正解かも。情熱を失った座太郎と言う牛はもう車を引けなくなって交代させられるんだ」
「なら馬でもいいよネ。馬車の方がしっくりくるよ」
「うう、確かに・・・」エリはジェイクの言葉に喜びを挫かれる。「情熱・・・闘牛っ?例えば座太郎は怒れる闘牛で、座りたい情熱をエネルギーに猛進する闘牛」
「それもありそうかも・・・」カオリが言った。
そんなこんなで二人は沢山の牛のアイデアをだし、ジェイクがそれらについて考えをまとめていった。
「じゃあ、次のステップに進もう」とジェイク。「座太郎が牛なら彼は何になるノ?」
「牛車なら乗客・・・」カオリが言う。
「闘牛なら闘牛士・・・」エリが言う。
「なるほど。じゃあ、『入れ替わって』とは何?」
そうだ、間違いなくあの男は言った。入れ替わる?立場が変わる?あの男が牛になる?考えれば考えるほどドツボにハマっていくような気がする。
「ううう、分からない・・・」
エリは頭を抱えて机に突っ伏す。
「おー、ゴメンね。一度リフレッシュしましょう」ジェイクがその様子を見て空気を変える。「ちょっと、違う視点から見ていこう。どうして座太郎はそんなに座りたいノ?」
「えっと・・・」
エリは思い返しながらジェイクとカオリに伝える。座太郎がかつてエリに話したスワリストになるまでの過去について。改めて思い返してみても座太郎の言うような悲しい過去とは思えない。もちろん先輩が亡くなっていることは悲しいが。
「座太郎さん、やっぱり変わってるね」カオリが率直に言った。「それに、その座教さんって人も」
「うん、おそらく座太郎は相当この人の影響を受けてるの。座る方法とか考え方も座教ハジメの影響を受けてるみたい」
「じゃあ、座太郎はどうして座れるの?カオリを助けてくれた時も、座りたいだけじゃなくて、その力があるってことだよネ?」
これについてもエリは記憶を辿りながら説明をする。師匠は万物の呼吸を読むとか何とか言っていたが、エリなりに現実的に解説すると分析能力がずば抜けて高いということに落ち着く。カオリの件もそうだ。彼は様々な状況を分析して座れる席を割り出すことができる。実際に電車が来る前からこの扉で待てば席に座れるとアドバイスをくれてその通りに座ることができた。
「電車が到着する前からどの席が空くか、どの席に座れるかが分かる・・・」カオリが呟いた。
「えっ?」エリが聞き返す。
「座太郎さん言ってたの、私を助けてくれた時に。あの時、必死に話を聞いていたから覚えてて・・・。そうだ『俺はホームに並んでいる時から座る席を決めている』・・・って言ってたはず」
「ワーオ、素晴らしいネ」ジェイクは改めて聞く座太郎の力に感心した。
「あー、そんなこと言ってた気がする・・・。もう超能力じゃん。あと天気とか気温とか、季節による日光の当たり方で座れる席が変動するとも言ってた気がする・・・」
「座太郎さんのお仕事って何か分からないけど、その力を使えば凄いことを成し遂げられそう」カオリが言った。
「ふふっ、本当にそうだよね。でもきっと本人は座ることにしかその力は使わないと思う。だって、電車に座るために仕事に行ってるって言うくらいだもん」
「オー。クレイジーサムライ」
「お兄ちゃんが割り込みしたあああ」
突如ファミレス内に小さな女の子の泣き声が響き渡った。
三人はその声の方向を見る。どうやら四人席の窓側の席、そこを少し年上の小さな男の子に取られてしまったようだ。
「割り込みじゃないよ、競争だもん」
小さなお兄ちゃんは妹に席を譲る気は無いらしい。
本人たちからしたら死活問題だろうが、周りから見たら平和で微笑ましい光景。
ジェイクとカオリも笑顔でその様子を見ている。
しかし、エリだけは何か真剣な表情で先ほどよりも小さくなった氷を見つめていた。
「割り込み・・・競争・・・牛・・・」ブツブツと呟くエリ。「・・・分かったかも・・・」
「えっ、分かったって何が?もしかして」カオリが聞き返す。
「うん、座太郎の牛とあの人が何なのか」
「いいねエリ、聞かせてくださいよ」
ジェイクが身を乗り出した。
昔々、神様は動物たちに向かって告げました。
「新年の始まりに私の元へ一番早く来た順に、年の守護者として十二の席を与えよう」
この知らせを聞き、動物たちは張り切って競争を始めました。
牛は早朝から歩き続け、ついに神様の門の前に到着しました。ゴールの喜びを噛みしめながら一歩踏み出したその瞬間!
ネズミが牛の背中からピョンと飛び降り、全力で走り出しました。
「俺が一番だ!」
ネズミが神様の元へ一番乗りで到着したのです。
「干支の話だね」カオリが感心したように言った。
「そう、座太郎は干支の牛だったの。そしてあの男は闘牛士でも何でもなくネズミ。座太郎が座ろうとするその席に入れ替わりでピョンと座るネズミ・・・それだと全てがまとまらない?」
「エリ、グレート、素晴らしいネ」
「座太郎が座ろうとする席を奪えるから優秀な牛であればあるほどその人は座れる。そして座太郎が諦めて座席を取りにいかないとネズミはゴールへ辿り着けない・・・うん、一本につながってる気がする」
しかし、自分でそう言って大変なことに気がつく。
「でもそれじゃあ」カオリが言う。「座太郎さんはその人に狙われているうちは絶対に座れないんじゃ・・・」
カオリの言う通りだ。座太郎がスワリストとして優秀であればあるほどその席は奪われていく。座太郎はピカイチだ。それゆえにあの男は座太郎にとって天敵。今のままじゃ座太郎は絶対に座れない。
「そう言えば最近知り合ったスワリストも言ってた。その力や経験自体が邪魔をしている可能性があるんじゃないかって・・・」エリはハゲ頭の師匠の言葉を思い出した。
「座太郎の精度が高いほどその人座れる。やっかいだネ」ジェイクが腕を組む。
「精度・・・」エリはその言葉を反芻する。「・・・精度が落ちてて扉が開くときの狙いが間違ってた」
「何っ?」カオリが早口で突然呟いたエリに聞き返す。
「精度が落ちてて扉が開くときの狙いが間違ってた!」
エリは再びしっかりと声に出して言った。確かに聞いていた、ずっと引っかかっていたのに思い出せなかった言葉。
そして、師匠の車両を模した部屋で席に座った時のことを。
「ねぇ、ちょっと」
エリは二人とテーブル越しに身を寄せ合い、他人に聞かれないようにそっと話をした。
「・・・だから・・・して、・・・みたいな」
「エリ、ユーはスワリストの素質あるネ」
ジェイクがウインクをしながら言った。