力が欲しいか? 2
それからの生活は今までと変わらないくらい大変で忙しかったが何よりも楽しかった。働きながら高卒の資格をとり夜間大学に通い、死に物狂いで働き死に物狂いで学んだ。サユリは本心から勉強に拒絶心があるらしく高校を出ていなくても働ける仕事で一生懸命働いていた。大丈夫、いつか働かなくても暮らせるように俺が稼いでやる。それからも両方の家族からチクチクとした攻撃やトラブルは数えきれないほどあったが今の俺たちはそんなもの簡単に薙ぎ払えた。突き進む俺たちは無敵だった。
ある日の仕事終わり、サユリとのデートの待ち合わせ場所に向かった。俺が遅れて到着すると彼女は三人のサラリーマンに声をかけられて困っている様子だった。俺が登場するとその男たちはそそくさとどこかへ消えていった。サユリはナンパに緊張したのか怖かったのか呼吸を乱して落ち着かない様子だった。少し休ませるために駅ビルの中にある雰囲気のいい喫茶店へ連れて行った。紅茶やサンドウィッチを頼んでゆっくりと過ごす。最初はマグカップを持つ手が震えていたようだったがどんどんと落ち着きを取り戻しいつものサユリに戻った。俺は少し安心してトイレに行くために店を出た。一つ下のフロアにトイレがあるらしくエスカレータに乗る。前方に先ほどサユリに声をかけていた三人のサラリーマンがいた。俺は自然に距離を詰めてその後ろにつく。どうやら彼らは先ほど声をかけていた相手の男の顔など覚えていないらしく全くの無警戒だった。
「マジで、絶対にサユリだったな」
その一言は俺の全神経のスイッチを入れた。俺は一フロア降りてもエスカレータに乗り続けて男たちの後ろに続いた。
「5、6年前だけど間違いないって・・・」
断片的に声が聞こえる。奴らは何かバカにしたように笑っていた。
「あの女、何でもしてくれたからな」
時間の感覚が消えた。俺はただコイツらの話に聞き入ってしまった。色々なことが分かった。正直聞かなければよかったとも思ってしまうほどだった。あの夏、サユリが持っていた大金はコイツらに体を売って稼いだ金だった。サユリは仕事と並行して何度も東京に往復して金を作っていた。きっと家族からの指示があったのかもしれない。そんな10代半ばのサユリにコイツらは複数人で悪魔のようなことをしていた。頭が真っ白になった。それでも俺は三人の後をつけていく。奴らは警備員が目を光らせるビルの中へ消えていった。さすがにそこまで入っていくことはできなかった。そこは誰もが名を知る有名な銀行で、奴らはそこのエリートバンカーたちだった。
「遅かったじゃん」
急いで戻るとサユリが心配そうに俺を見つめていた。彼女は何も悪くない。あの時、あの地獄から抜け出すために、彼女は別の地獄を使った、そして俺を助けてくれたんだ。
「ちょ・・・ヤバっ、泣いてない」
サユリが慌てて俺の方へ身を寄せてくれる。ありがとう。そしてごめんね。次は俺が助けるから。俺はこの時に改めて誓った。サユリを永遠に幸せにすること。そして、あの三人に復讐をすることを。顔は、覚えた。
夜間大学を卒業し俺は本格的に就職活動を始めた。あの銀行を含めて数えきれないほどの企業に応募を出した。そこで俺は現実を突きつけられる。やはりそう甘くはなかった。経歴がボロボロな俺の応募を相手にしてくれる企業はほとんどなかった。ようやく面接に辿り着いてもボロカスに言われて落とされた。そんな就職活動の中、まさかの出来事が起こった。なんとあの銀行の書類選考が通ったのだ。何やら間口を広げ多様な人材を求めている、とかいう耳障りのいいスローガンに救われたようだ。その理由はどうあれ一歩前に進むことができた。復讐ももちろんあるがまずはしっかりと稼がないとサユリとの生活もままならない。
新しく下した少し高めのスーツを着て電車に乗る。まあ恰好を決めたところで今の段階の俺があの銀行に入れる可能性はほぼゼロだろう。でも数年前の地獄から考えたら信じられない進歩だ。その面接のために少しお金をかけたって許してもらえるんじゃないか。腕時計だけはあの時のまま。俺はおそらくこの時計を一生手放すことはないだろう。常にその秒針のように確実に前に進んでいく。
「マジ、リョータのスーツ姿かっこいい」
隣にはサユリもいた。何やらソワソワとしている。面接を受ける俺よりも彼女の方が緊張しているらしい。この日、電車は混んでいて通勤時間じゃないのにすぐに満員になった。次の駅でも乗客が増える。立っている乗客が押し合いを続けながら爺さんが俺の前に立った。俺はその姿を見て迷わず立ち上がり座席を譲った。本音を言えば気づかなかったふりをして座ったまま面接で話す内容とかを考えたかった。でも、いいんだ。「偉いじゃん」サユリが笑顔で言った。小柄でハゲあがった爺さんは「さんきゅ」と言いヒョイっと席に座った。性格は全然違うらしい。でもその爺さんの姿は誰かに似ていて、何かそれが嬉しかった。
目的の駅に着いた。サユリが立ち上がる。そして座席を譲った爺さんも目的地が同じ駅だったようで立ち上がった。三人で並んで電車を降りる。
「若いの、座らせてくれてありがとよ」サユリよりもずっと小柄な爺さんが軽快に歩いていく。「電車で座るっていうのは人生の基本じゃ、不思議な力がみなぎってくる。電車で座れれば全てが絶好調。全ての歯車がかみ合いだして何をしても上手くいくぞ」
「このチビ爺さんウケる」サユリが吹き出した。
「おお、ギャルじゃギャルじゃ、ギャルは最高じゃ」
「ヤバすぎ。お爺さん、リョータは今日は面接だから邪魔しちゃダメなんだよ」
「おお、お前さんは面接があるのにワシに席を譲ってくれたのか、ならきっと神様も見ているじゃろ。いいことがあるはずじゃ」
「だといいんですが」
俺は笑いながら答えた。見た目は似ていても中身は正反対の爺さんだ。でも朝起きた時から感じていた緊張が不思議なくらい消えて何か清々しい感覚があった。
「じゃあ、俺はここで」
面接をする銀行のビルの前で爺さんに言った。
「おお、じゃあ最後に面接の極意を教えてやる。」爺さんが俺の腰を軽く叩いた。「面接で席に着いたらそこは電車の席だと思うんじゃ。やった、座れたラッキーってな。満員電車でぎゅうぎゅうの状態で面接をしなくていいんじゃからな。それだけで相当なアドバンテージじゃ」
「はははっ、肝に銘じておきます」
爺さんは俺をリラックスさせるために楽しい冗談を言ってくれたんだろう。そう思いながら彼の後ろ姿を見送る。その冗談を挨拶に爺さんはそのままどこかへと消えていった。
「じゃあ、頑張って」
サユリも面接が終わるまで別行動で近くのショッピングビルへ向かった。
俺は気合を入れなおして目の前にそびえる巨大な銀行のビルに足を踏み入れた。
「すみません、当行の面接を受ける予定ですか?」
ビルに入るなり後ろから来た貫禄のある男性に声をかけられた。「はい」そう答え、しっかりと向き直るとその男性の後ろにさらに貫禄のある初老の男が立っていることに気がついた。当行ということはこの銀行に勤めているのだろう。
「突然で申し訳ないのですが、先ほど話をしていた男性とはお知合いですか?」
先ほどの男性。最初はすぐにピンとは来なかったが少し考えてすぐに分かった。あの爺さんだ。
「はい」俺は噛みしめるように答えた。「すごく辛い時期に世話になって、そして、私を助けてくれた人です」不思議と地元の社長への思いが口をついて出てしまった。
「そうでしたか。あなたのお名前は?」
「はい、鼠井リョータです」
「鼠井さんですね。ありがとうございました。では面接の受付はあちらですので」
その男性は面接会場の受付スタッフがいる場所を手で指し示して、重厚感のある初老の男と高層階用エレベータルームへ消えた。面接会場は沢山の就活生がいてこの中で勝ち切る大変さを想像しながら自分の順番を待った。時間が経つにつれ緊張感が増してくる。俺はサユリから貰った腕時計を見つめ、これまでの人生を振り返り気持ちを高めていった。
その面接の出来に点数をつけるなら90点くらいか、悪くはなかった。いい緊張感の中でしっかりと想定した受け答えもできたし、本音の部分で自分の育ちも話をして同じような境遇の人間を救いたいという思いも語ることができた。その一週間後には一次面接合格の通知が来た。正直、間口を広くというのは面接までのおべんちゃらで結局は有名大学の高学歴の連中だけが受かるものかと思っていたから驚いた。でもそれ以上に驚き喜んでくれたのはサユリの方だった。面接の座席を電車の座席だと思ったから上手くいったんだね、なんて言われたが正直そんなことを考えている余裕はなかった。だけどそのおかげで緊張がほぐれていたこともあったからあながち間違いでもないのかもしれない。
面接の次の案内は若干気になるものだった。それはいい方向に。普通はこのあと何度も面接を繰り返して最終面接なのだが俺の案内にはもう次が最終面接と書かれていた。飛び級面接なんてそんなことあるのだろうか?だが少ない分にはプラスしかない。あと一回。あと一回で俺はあの銀行で働ける。
最終面接。それはそれはあっけないものだった。色々と社会課題だの環境への意識だのを上手にまとめて頭に入れて面接に臨んだが、それは面接という名のただの意思確認だけで俺はそのままスルスルっと銀行への就職が決まった。泣いて喜ぶサユリを抱きしめながら俺はようやく人生が好転し始めたことを実感し、人生の誓いを立てた。
サユリを永遠に幸せにすること。
雇ってくれた銀行のために一生懸命働くこと。
あの3人を見つけ必ず復讐をすること。