表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
セキトリ!〜満員電車 Sit or Dead〜  作者: 伊波氷筍
座った席から見えるもの
35/52

二人の会長

 目的地はたった二駅先だった。

 そのためだけにスワリストたちはその類まれな能力を駆使していたのだ。



「何、ここ・・・?」


 駅直結の超巨大なタワーマンション。その最上階の部屋にエリはいた。

 人が住む場所とは思えない広大な一室。その部屋の一面は全てガラス張りになっており、そこから東京が一望できる。その部屋の入口と言っていいのか分からないほど豪華な扉の両脇には黒いスーツを着たガタイのいい男たちが直立していた。言葉の通りの門番が2人、この部屋を厳かに守っている。

「ここは本当に・・・」とエリ。


「そうじゃ、ここがワシの家じゃ」


 師匠は信じれられないレベルの大金持ちだった。誰もが名を知る大企業。日経平均株価に影響を与える最重要プレーヤー。そんな会社の会長。ただのエロじじいではなかった。

「あの・・・ビンタしたり耳ひっぱたり、すみませんでした」

 あまりに圧倒的な肩書きに、エリは迷うことなく深々と頭を下げる。

「おほほほ、いいんじゃ、いいんじゃ。お嬢ちゃんのような可愛い娘にしばかれるのはウェルカムじゃ」

 思わずもう一発手が出そうになるが何とか我慢する。


「でもそんなに凄い人と座太郎がどうして師弟関係に?そんなに凄い人がどうして電車に?」

 次から次へと疑問が湧いてくる。

「ああ、師匠も座るために電車に乗っているんだ」座太郎が誇らしげに言う。「電車に座るために企業の会長をやっていると言っても過言じゃない」

「過言です」エリは即座に冷静なツッコみを入れる。

「いや、お嬢ちゃん、座太郎の言う通りじゃ。ワシは電車で座るためにひたすら会社に通い続けた。席に座る、元気がでる、仕事を頑張れる、また席に座る・・・このサイクルが自然と完成し、気がつけば会長になっとった。今も会社に行く必要がない時だって毎日電車に乗ってるぞ。座るためにのぉ」


「はぁ」エリはスワリストの異常な論理にため息が出る。「じゃあ、電車に座り始める前は普通の平社員だったんですか?」

「そうじゃ。全くうだつのあがらない一サラリーマンじゃった。会社だ成績だなんてどうでもよくて、とにかく電車に座りたかったんじゃ。しかしある日気づいた。電車に座れるとその日の歯車が上手に回り出して全てが上手くいくことに。その効果を利用して次から次に新しい事業を成功させ、あれよあれよとこの状態じゃ」

「歯車が上手に回るってのは分からなくはないですが・・・」

 確かに朝に良いことがあるとその日一日ハッピーでポジティブに頑張れることは多々ある。だが、日本を動かしている大企業の会長に上り詰めるほどの効果があるとは思えない。


「お爺さ・・・会長は」

「お爺さんと呼んでくれ。仕事の関係じゃないんじゃから。こんなキュートなお嬢ちゃんとは近い距離でいたいんじゃ」東京を一望できる背景を背に小さな師匠は腕を組んでいる。

「・・・じゃあ失礼して」エリは微妙な気持ちで呼び方を変える。「お爺さんはさっきの瞬間移動みたいな力、雷光をどうやって手に入れたんですか?修行と言ってましたけど、どんな特訓を?何か経営している会社とも関係が?」

「会社なんぞ関係ないよ。ひたすら足腰を鍛え、雨の日も風の日も駅のホームで鍛錬を重ねた。そうじゃ、今日座太郎が駅のベンチでやっていたトレーニングもその基礎のうちの一つじゃ。そういった積み重ねから雷光が生まれたんじゃ」


 エリは汗だくでベンチに座る練習をしていた座太郎の姿を思い出す。あのスピーディにベンチの左右両端に座る動き。あんなトレーニングに意味が・・・?それをずっと続けるとあんなスゴ技が・・・?いや、待てよ、エリはふと一つの仮説を思いつく。この人は座れたから会長になれたわけじゃなく、元々そうとう粘り強く根性のある性格だから会長に慣れたのではないだろうか。仕事もセキトリも、その不断の努力によって手に入れた純粋な成果なのでは?


「じゃあお爺さんは座太郎とどこで出会ったんですか?まさか同じ会社の会長と社員ってことはないでしょうし、最寄りの駅も違うし、接点はどこにあるんですか?」


「オフ会じゃ」と師匠。


 オフ会。咄嗟には意味が頭に入ってこなかった。

 オフ会。何かしらの共通の趣味を持つネット上の仲間たちが現実で集まるイベント。


「何のオフ会だったんですか?」

「電車の席に座る人たちのオフ会だ。6人の、いや今は5人か・・・小さなオフ会だ。通称スワリスト会」今度は座太郎が答えた。


 電車の席に座る人たちのオフ会。なんじゃそりゃ。


「スワリストってのはどうしても孤独なんだ。セキトリってのはチーム戦じゃない。一人での戦いだからな。だから何となく寂しくなることも多くて、ネットで呼びかけて集まったんだよ。この日、暇な人飲みませんかって。師匠とはそれ以来の付き合いだ」

 凄く浅い。ありふれた出会いと関係性だった。なんとなくスワリストは孤独でも孤高でいれるのかと思っていたが、案外横の繋がりを求めているらしい。別にスワリストに幻想を抱いていたわけではないが、意外ではある。

「そのオフ会で何をするんですか?」エリが興味半分、呆れ半分で尋ねる。

「カラオケをしたり、ボーリングをしたり、飲み会をしたり、プライベートの話をしたり、意外と気が合って定期的に開催しているんだ」

 ただのどこにでもあるようなありふれたオフ会のようだ。共通の趣味があって集まった気の合う仲間たち。


「お爺さんはどうして師匠なんですか?やっぱりスワリストの中でも一番の座るのが上手なんですか?」

「いや、酒を飲んでて皆が酔っぱらっててな」高級そうなソファに我が物顔で座って答える座太郎。「その席であだ名をつけ合ったりしたんだが、師匠ってあだ名があまりにぴったりでそのまま皆の師匠になったんだ。それからオフ会を重ねるうちにどんどんと仲良くなって、師匠の家で初めてオフ会を開催した時に大企業の会長だって知ったんだ。ただ俺たちからしたら会長じゃなくて師匠だな。でもせっかくの会長ならってことで、そのままの流れでオフ会の会長にもなったんだ。スワリスト会の会長。二足のわらじ、ならぬ、二足の会長だな」


 会長の重みが全然違う。エリはスワリストたちの狂った価値観に戦慄する。


「それで今日はそのオフ会が開かれるってことですか?」エリは話の流れを整理しようと尋ねる。

「いやいや、今日はワシらだけじゃ。でもどうじゃ?スワリスト会に入らないか?」師匠が嬉しそうに誘う。

「お断りします!」エリは即答した。

「そ、そんな・・・すぐに姫じゃ、オフ会の姫じゃぞ」

「そんなものになりたくもありません。それに私はスワリストじゃありませんから」

「そうじゃ、まだまだ卵。でもこのオフ会に参加すればすぐにスワリストになれるぞ!」

「ち、違います、能力が足りないから違うんじゃなくて、意志として違うんです。私はスワリストになりたくありません」

「な、なんと・・・」師匠がショックでフラッと倒れかけた。

「し、師匠!」座太郎が慌てて駆け寄り背中を支える。「生徒会長、どうしてだ?アンタには素質がある。スワリストになれるんだ」

「そんなことは知りません。私は素質なんてないし、なりたくもないんです」


「そ、そうじゃ、座太郎、例のものを取ってこい。あれさえあればこのお嬢ちゃんもいちころじゃ」

 師匠がそう言うと座太郎は力強くサムズアップをして全速力で部屋から出て行ってしまった。




 二人だけになった部屋でゆっくりと師匠がエリに近づいてきた。

「座太郎は行ったかの?」小さな声で師匠が囁く。

「・・・?はい、きっと外に行ったんじゃないですか?お爺さんの提案ですよね?」

「まぁ、そうなんじゃが、そうじゃないんじゃ」

 エリは意味が分からず、きょとんとした顔で自分よりも小さな師匠を見つめる。

「どういうことですか?」


「座太郎は座れていないのか?」

 師匠の纏う空気が変わった。


「はい、そうなんですけど・・・何か知っているんですか?」

「まぁ、かけてくれ」

 エリは大きなソファにちょこんと座る。信じられないほど快適な座り心地。一体いくらくらいするのだろうか。


「座太郎は間違いなく天才じゃ」師匠も向かいの一人掛けのチェアに腰を下ろす。「その天才がどれくらい座れていないんじゃ?」

「はい、一ヶ月くらいでしょうか?・・・天才・・・セキトリの?」

「セキトリ?!・・・おお、セキトリ・・・セキトリか。いい響きじゃな。ワシも使わせてもらおう。その天才座太郎が一か月も座れていない・・・どうしてだと思う?」

「それを私も考えているんですが、中々原因が分からなくて・・・でも、一つ分かったことがあります」

「ほう」師匠が鋭い眼差しをエリに向ける。

「座太郎は毎回同じ人に席を取られているんです。もう少し、ってところで、いつもその人に座られちゃって」

「同じ奴に負ける?」師匠が腕を組む。「なるほど、何かありそうじゃの」

「でも、そんなことってあり得ますか?あれだけカオスな朝の通勤電車で毎回同じ人に狙った席を奪われるなんて・・・」


「お嬢ちゃん、座太郎の能力、座太郎の凄さってなんじゃと思う?」

「はいっ?」エリは考え込む。「そうですね・・・、分析力とかですか?」

「なるほど・・・奴はな、万物の呼吸を読めるんじゃ」

「それは大袈裟です」ロートーンで答えるエリ。

「大袈裟じゃないぞ。座席、扉、車両、ホーム、駅、街、人、それら全ての呼吸を読んで、座れる席を洗い出すことできるんじゃ」

「まあ確かに・・・」カオリの駅での講座を思い出す。様々な条件をもとに座れる席を割り出していた。「でも、万物の呼吸を読むなんて大袈裟ですよ。状況を読んで、条件を整理して、答えを導き出しているだけ。それって、そんなカッコいいものじゃなくて、もっと泥臭いものです」


 師匠が嬉しそうにコクリと頷いた。

「そうじゃ、泥臭い力なんじゃ。座るために必死に努力し、積み重ねて手に入れた力。その力で全てを読み切り、座れる席を見極める。ならば、万物の呼吸を読むと言っても過言ではないじゃろ?」

「まあ、ギュッと濃縮して表現するならそうなるかもしれないですけど・・・。ただ・・・」エリは少し間を置いてから言う。「その万物の呼吸を読む力が本当にあるなら、座れないなんてことにならないですよね?」

「そこなんじゃよ・・・そんな力を持つ座太郎がどうして座れなくなったのか?」そう言って師匠はまた鋭い視線をエリに向ける。「いや、こうは考えられないじゃろか?そんな力があるからこそ座れなくなった、とな」


「そんな力があるからこそ・・・」

 エリは師匠の言葉を反芻する。電車の車両、ホーム、街の流れまで、すべてを分析して座れる席を割り出せる座太郎。そんな彼が座れなくなった原因。その力があるから・・・?


「お爺さんどういうことですか?何か知っているんですか?」

「いやいや、ワシにも分からんのじゃ。ただ可能性としてな。あれだけ絶対的な経験や分析に基づく力を持っているのに座れないってことは、その力や経験自体が邪魔をしている可能性もあるのかなと思ってな。まあ、そうなってしまった原因は分からんが」

「・・・まぁ、そうですね。でもその可能性だけもまず座太郎に伝えた方がいいんじゃないですか?」

「ワシからはダメじゃ」師匠は首を振る。「これはスワリストのプライドの問題なんじゃ。ここまで確たるものを築き上げてきた天才スワリストに、ワシがその全てを否定するようなことは言えば、余計に意固地になるかもしれん・・・。そこで、お嬢ちゃんの出番じゃ」

「いやいや、だったら私の意見なんてなおさら通らないですよ」


「実は先日、偶然駅で座太郎を見かけたんじゃ。あんなに落ち込んだ姿、見たことがなかった。声をかけることもできないほどじゃ。さすがに心配で、偶然を装って電話をしたら辛うじて会話はできてのお」

「まだ会話ができたならいい方ですよ。一番ひどい時はもう言葉すら通じないんじゃないかってレベルで。怖かったですもん。人じゃない何かと話しているようで」

「そうか・・・でもな、そんな落ち込んでいる座太郎もお嬢ちゃんの話をしていたぞ」

「・・・私の?」

「粗削りだが将来有望なスワリストだ、とな。ワシが話を聞いているうちに徐々に元気を取り戻して、嬉しそうに語っていたわい」師匠は静かに言葉を紡ぐ。「ワシはそこで確信したんじゃ、おそらく、どれだけ闇の中にいても、お嬢ちゃんの声なら届く。いや、お嬢ちゃんの声しか届かない」


「そんなことありません!」何かとんでもなく面倒なことを押し付けられているような気がしてエリは否定する。「絶対にお爺さんから伝えた方がいいですよ。だって、師匠なんですもん!」

「師匠なんてのは呼び名だけ、ただのあだ名じゃ。座太郎を闇から救い出せるのはお嬢ちゃんだけなんじゃ」


「ああ・・・なるほど、そのために私は今日・・・」

 エリは小さくため息をつく。そして話の流れを変えようと師匠から視線を逸らした。彼が座る背後の天井近くに大きな肖像画が飾ってある。音楽室のベートーベンを思わせるキリッとした男性が白髪をなびかせ鋭い目つきでこちらを見据えている。

「あの、これって」




 ガチャッ

 部屋の扉が開いた。


「師匠、戻りました!」座太郎が買い物袋を持って勢いよく戻ってきた。「さすが師匠、ばっちり入荷してました」

「何ですか、それ?」エリが袋を指さす。

「ああ、駅弁じゃ」師匠が答える。

「駅弁?どこでそんなものを?」

「まぁいいからいいから。遅いランチにしようかのぉ」

 師匠がソファからさっと立ち上がり、ゆっくりと隣の部屋へ向かう。


 座太郎がその後に続き、エリも黙って従った。

 師匠がその扉を開ける。



「すごい・・・」

 エリはその部屋に入って思わず息をのんだ。


 扉の向こうに広がっていたのは、電車の車両を模した空間だった。この部屋に入る扉は電車の連結部分のドアを再現したもの。左側の座席列は壁に沿っており窓ガラスは飾りにすぎない。しかし、右側の座席列には本物の大きな窓があり、そこから見えるのは、タワーマンション最上階からの絶景。どんな電車からも絶対に見ることができない景色が広がっている。


「すごい、すごい」エリはその景色に目を奪われる。

「さあ、好きな席に座っていいぞ。日頃座れていないなら好きなだけ座ってくれ」

 そう言った師匠が誰よりも早く奥の端の席を取った。こんな時でも貪欲にセキトリする師匠の姿に、エリは逆に感心してしまう。

「座太郎、こっちの端に座る?」

 エリは入ってすぐ左の端の席を示す。

「いや、俺はいいよ。生徒会長が座ってくれ」

 座太郎はそう言うと左側の列の真ん中の席に座った。

「珍しっ、いつも端の席に座ってるのに」

「たまには、な」

 座太郎がそう言って窓からの景色を見つめた。いつも見つめているタワマンからの眺めは彼にはどう映るのだろう?エリは少しカッコつけたその横顔を見ながら、聞いてみたくなった。


「朝のラッシュとかでも何も考えずにこうやって空いてる席に座れたらいいのに」エリはそう言って端の席に座る。「毎朝これくらい空いてればなぁ。それにしても凄い景色。電車の席に座りながら東京が一望できるなんて変な感じですね」

 

「・・・」

 何かが引っかかる。

 なんだろうこの感じ?

 何か大切なことを掴み損ねたような。


「そして駅弁じゃ。ささ、座太郎配ってくれ」師匠が満足げに言う。「飲食禁止の電車の中で駅弁を食べれる背徳感は最高じゃ」

 エリは景色を眺めながら駅弁の蓋を開けた。電車の中、弁当の匂い、この景色。普通では絶対に体験できない組み合わせ。今日来てよかったかも、エリは嬉しそうに微笑みながら箸を手に取った。

「うまいのぉ、うまいのぉ。お嬢ちゃんもいるからいつもより倍はうまく感じるのぉ。どうじゃ、この景色、オフ会に入りたくなったか?ほれ、座太郎、おぬしも誘うんじゃ・・・座太郎・・・?」

「だから、私はオフ会には入りませんって・・・」

 エリは呆れたように言いながら、師匠をちらりと見る。その瞬間、座太郎の異変に気づいた。


 座太郎はまだ弁当の蓋も開けていなかった。

 一人だけ時が止まったかのように景色をじっと見つめている。静かに綺麗な涙を頬に伝わせながら。


「ちょっと座太郎、泣かないでよ、ほらお弁当おいしいよ」

「・・・ああ、ああ」エリのその言葉にようやく座太郎が意識を戻す。「久しぶりにここに来たな・・・この景色・・・そして・・・」座太郎は座席のシートをゆっくりと撫でるように触った。「やっぱり・・・座れるって、いいなぁ・・・」

 大粒の涙を流しながら座太郎は黙々と駅弁を食べ始めた。


 大袈裟なんだから。エリは涙を流す座太郎を見ながら改めて思う。座太郎も引っ越しを考えていると言っていたから座れなくてもあと数か月の話だ。会社の近くに引っ越すことは、なんら悪ではない。電車は座るためのものだなんていう座太郎の考え方が間違っている。師匠も座るために会社に行ってるらしい。座教ハジメも同じようなことを言っていた。スワリストたちはそんなことをしているから罰があたるのだ。そう、電車は目的地へ行くための手段であり、座ることは目的ではない。まあ、エリ自身も引っ越すのでスワリストたちのこんなハチャメチャな価値観に振り回されるのも残りあと数か月なのだが。



「ちょっとしんみりしちゃったのぉ、話題を変えようか」

「きゃっ」

 気がつかないうちに師匠がエリの左隣に移動していた。ちょうど座太郎とエリの間に座っている。

「びっくりした・・・」

「すまぬすまぬ。ところでお嬢ちゃんはたまには座れているのか?あの駅はレベルが高いじゃろ?」

「全然ダメです」エリは即答した。前に座太郎が言った通りあの駅でのセキトリは至難の業だ。「毎朝揉みくちゃですよ。座太郎でも座れない駅なんですから、私が座れないのは当然かもしれません。でも、私ももうすぐ引っ越す予定なんです。次はもうちょっと、座れる駅がいいなって思ってます」

「なんと、引っ越してしまうのか・・・遠くへ行ってしまうのか?」

「いえいえ、配属先が郊外にあるので、本社とその中間あたりに引っ越そうかなって。だから東京から離れるとか、そういう引っ越しではないです」

「おおお、よかったよかった。これでオフ会には参加できるのぉ」

「だから、私はオフ会には参加しません!」エリは勢いよくツッコむ。

「かたくなじゃのぉ」師匠は苦笑しつつ、何か思いついたように指を立てた。「じゃあ、そんなお嬢ちゃんに面白い話を聞かせてやろう。誰にも聞かせていない秘密の話じゃ」

「もう、何ですか?」

 エリは駅弁を食べつつ耳を傾けた。


「それは、ある夜のことじゃった」師匠がゆっくりと語り始める。「帰りの電車で座っていたとき、急に電車が止まり、そのまま停電をして真っ暗になったんじゃ」

「そんなこともあるんですね」

「ああ、ワシも初めてそんな場面に出くわしたわ。しかし、話はここからじゃ」師匠は隣で怪談を語るような顔になった。「停電だけじゃない。その車両が本当の闇に包まれたんじゃ。経験したことがあるか?何も見えない闇を?」

「本当の闇ですか?」エリは眉をひそめる。「夜、家に帰って真っ暗とかそういうのならありますよ。何も見えない暗さで」

「ならばお嬢ちゃんはまだ本当の闇を知らないんじゃな。暗いんじゃない、闇じゃ。もう何も見えん。自分が目を閉じているのか、開けているのかさえ分からなくなる。そんな闇に襲われたんじゃ。電車の中は静まり返る。アナウンスも何も入らない。突然の停電と闇。徐々に徐々に電車内には不安が伝染していく。その時、突然、大人の男の『うわっ』という驚いた声が聞こえたんじゃ。それから数分後に電気が復旧し、車掌のアナウンスが流れた。トラブルによる停電だったらしい。電車は、まるで何事もなかったかのように。ゆっくりと走り始めた。・・・だが、ワシだけがその異変に気づいたんじゃ」

「何ですか、その異変って?」

 本当に興味深い、そしてわずかに怖さもある、面白い話だった。てっきりスワリストの極意とか、スワリストの歴史とか、そういう類の話かと思っていただけに、早くその続きが聞きたくなった。

「ワシの正面の席、つまり反対側の端の席に座って眠っている男。そいつは停電前にはそこにいなかったんじゃ」

「えっ?!」

「停電前、その席には別のサラリーマンが座っていた。なのに、電気が戻った時には違う男がそこにいたんじゃ」


「・・・普通に怖い話ですね」

「そうじゃろ?」師匠が得意げに頷く。「ほれ、怖かったらもっとワシの近くに寄っていいぞ。ワシが守ってやるからの」

 ペチン。エリは師匠の見事なハゲ頭を叩いた。

「見間違いとか、人違いとかじゃないですか?停電中に席が空いて違う人がそこに座るなんて、あり得ないですよね」

「そう、そうなんじゃ。ワシの考えでは、その男が停電中に何かをしてサラリーマンから席を奪ったんじゃないかと思っておる」

「いやいや、そんなわけないですよ。もし停電中の驚いた声がサラリーマンのもので、その人が席を奪われたとしても、電気がついた瞬間に言い合いになったりしませんか?」

「その通り。じゃが、そうならない何かをしたとか・・・」

「何かって?」

「特殊な力で幻覚を見せて立ち上がらせるとか」

「・・・あり得ないですよ」

「お嬢ちゃんはまだ上京して日が浅いから知らんのじゃ」師匠は薄暗い顔で囁く。「毎朝、毎晩、よく電車を観察するんじゃ。そういう特殊な能力を持つ連中は意外と近くにおるかもしれんぞ」

「いないですよ」エリは呆れながら肩をすくめる。「まあ特殊な能力って言うと、お爺さんの雷光や座太郎の万物の呼吸を読むとかもそうなのかもしれませんけど・・・」

「違う違うっ!さっきも言ったようにワシらの能力は泥臭く特訓や分析をして手に入れた力じゃ。そうじゃなくてもっと非科学的な、人間を超越した能力のことじゃ」

「なら、なおのことそんな人たちはいませんっ!」

 せっかく怖くて面白い話かと思ったら単なる誇張された妄想話だった。おそらく座っていた人が変わっていたのも師匠の見間違いかなにかだろう。

「分からずやなお嬢ちゃんじゃ・・・」




「師匠、生徒会長、俺先に帰るわ」

 座太郎が突然立ち上がった。


「えっ、もう?」とエリ。

「師匠、ありがとうございました。今日、久しぶりにここに来れて、座りながらこの景色を見て、何か掴めたような気がします」

「そうか・・・それならばよかった。幸運を祈っとるぞ」


 座太郎は軽く会釈すると、車両を模したその部屋から静かに出て行った。


「ちょ、まっ、ざ・・・」

 エリが立ち上がって声をかけたときには、もうその姿は見えなくなっていた。


「・・・ワシらもお開きにしようかのぉ」

 師匠がゆっくりと立ち上がる。

「じゃあお嬢ちゃん。座太郎のセキトリ、くれぐれも頼んだぞ」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ