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セキトリ!〜満員電車 Sit or Dead〜  作者: 伊波氷筍
座った席から見えるもの
34/52

今朝の自分を殺してしまいたい

 日曜日。正午過ぎ。


 エリは駅へ向かっていた。

 昨日、座太郎から突然連絡があり急遽会うことになったのだ。


 一体何の用だろうか?エリは歩きながら考える。突然の呼び出し・・・まあ予定もないからいいんだけど。

 特に意識したつもりはなかったが、今日のファッションはばっちりと決まっていた。駅に近づくにつれ思い出されるのはカオリとジェイクが手を繋いで帰っていった姿。そして「モテそうなのにな」と言った座太郎の言葉。

 ないないないない。エリは首を振りながら改札を抜けた。でも、時折見せる優しさや頼りになるところもある。

 何か一昨日からずっとらしくもなく考えてしまっている自分が情けなかった。だからこそ今日一度会ってすっきりさせたいという思いがあった。


 座太郎のメッセージを見る限り、メンタルはかなり回復しているようだ。あのダークサイドに落ちた状態なら休日に人を呼び出して外出なんて不可能だろう。




 ホームに到着する。平日の朝とは違い、人もまばらな穏やかな休日昼間のホーム。


 座太郎がいつも座る5人掛けのベンチにいた。


 左端の席に座り、素早く立ち上がる。

 そのまま反復横跳びをするかのような動きで移動する。

 右端の席に座り、素早く立ち上がる。

 そのまま反復横跳びをするかのような動きで移動する。

 左端の席に座り、素早く立ち上がる。

 そのまま、また同様に移動していく・・・。


 エリは彼の視界に入らないようにゆっくりと近づく。その光景が信じられない。休日の昼間に大の大人がベンチで座る練習をしていたのだ。おそらくその瞬発力に原因があったとでも考えたのであろうか。7月初旬の梅雨のジメジメとした蒸し暑さの中、汗をかきながら必死にトレーニングをしている。

 電車の到着を待つ家族が近くにいる。母親は意識的に視線を逸らしているようだが、母親の手を握った小さな男の子と女の子はその光景を珍しそうに見つめている。その隣には高校生くらいの女子二人組が笑いながらスマホのカメラを座太郎に向けていた。ああ、座太郎がtiktokの素材にされてしまう。


 一つの結論。スワリストはあり得ない。


 何となく、意識をしたわけではないはずのバシッと決めた私服が妙に恥ずかしい。朝、少し服を悩んだ自分を殺してしまいたい。このまま何も言わずに帰ってもいいだろうか?いや、いいだろう。むしろ、そうするべきだ。座太郎の知り合いだということがバレたらおしまいだ。自分までデジタルタトゥーを残すことになってしまう。体調が悪くなったことにでもしよう。


「座太郎~」

 

 その声にエリは固まった。

 座太郎が反復横跳びとスクワットを混ぜ合わせた独自トレーニングを中断した。首にかけていたタオルで汗を拭う。

 その声の主は老人であった。アロハシャツを着て綺麗にハゲ上がったやたらと小柄なお爺さんがゆっくりと座太郎の元へ向かっていった。


「師匠!」

 座太郎は間違いなくその老人のことを師匠と呼んだ。

 そして、不運なことにその師匠へ向けた視線がエリを捕らえてしまう。

「生徒会長!」

 さっぱりとした表情で汗を飛ばしながら爽やかにエリに手を振ってくる。


 まずい。エリはとっさに視線を逸らした。さっきまで座太郎を撮影していた女子高生たちを探す。いない。親子もいない。ちょうど少し前のタイミングで電車が到着し、座太郎の痴態を知る人間はほとんどいなくなっていた。

 ひとまずはよかった。エリは逃亡を諦め、仕方なく重い足取りで座太郎の元へ向かう。




「おほほ、可愛い娘さんじゃ」

 老人は開口一番そう言った。エリよりも小さな老人は下心満開の笑顔を浮かべている。

「座太郎の彼女か?隅に置けん奴じゃのぉ」


 座太郎が照れを隠すように黙って右手で後頭部を掻く。


「ちょ、違います!ちょっとアンタも否定しなさいよ、何なんとなく認めた感じ出してるの!」

 腹が立つ。エリは怒りがどんどんと湧いてくる。何なのコイツ?それにこのオモチャみたいな爺さんは。せっかくの日曜日が音を立てて崩れていく。

「おほほほ、照れてるの、照れてるの、可愛いのぉ」

「違います、何度も言わせないでください」

 エリは老人の前に移動し少し腰をかがめて両耳を左右に引っ張る。

「いたたた、すまん、すまんかった、可愛いのに勝気な娘じゃ」

 エリはふんっと鼻を鳴らし一度解放する。

 また何か言ってきたらコレにしよう。


「ねぇ、座太郎、このお爺さんは一体何?私はどうして今日呼び出されたの?」

「そうじゃ、座太郎。こんなきゃわきゃわな可愛い彼女を隠しておったな。毎晩、このおっぱいに飛び込んでいるのか?」

 エリは無言でしゃがみ込む。

「イタタタタ・・・冗談じゃ・・・冗談・・・ごめんなさい」


 腕を組みなおし座太郎を睨みつけるエリ。


「この方は師匠だ。もう3年くらいの付き合いになるかな」

「師匠ってこんなのが何の師匠よ?」

 エリは横に立つエロじじいのハゲ頭を見ながら言った。 

「汝、何時の電車に乗り込むか?この言葉を覚えているか?」何か嬉しそうな表情の座太郎。

「あー、響いてはいないけど、覚えてる。残念ながら」

 これは座太郎がカオリとエリに教えてくれたスワリスト界隈の格言だ。

「この言葉を作った方であり、スワリスト会の師匠なんだ」

「・・・はぁ」何となくそっち関連なんだろうなと感づいてはいたが、改めて言われるとため息が出る。「それで、どうしてその師匠との待ち合わせに私も呼び出したの?」

「ああ、久しぶりに会う師匠に紹介するチャンスだと思ってな」


「紹介って・・・私はアナタの彼女でも何でもありませんっ」

 それを聞いて座太郎が困惑した表情を浮かべる。

 エリもその様子を見て何か決まりの悪さを感じた。あれ?付き合ってないよね?思わず一度頭の中で整理する。


「生徒会長、何か勘違いをしているぞ。彼女としてじゃない、スワリストの後輩として師匠に紹介しようと考えたんだ」

「そっか、私ったらとんだ早とちりを・・・スワリストの後輩としてでしたか・・・これからよろしくお願いします・・・って私はスワリストの後輩でもありませんっ!」

「そ、そんな・・・アンタには素質があるのに・・・間違いなく優秀なスワリストに・・・」がっくりと肩を落とす座太郎。

「ち、違うのか・・・スワリスト会にもこんなに可愛いアイドルが降臨したと思って嬉しかったのに・・・」同様に肩を落とす師匠と呼ばれる老人。


 ダメダメ、こんな連中に巻き込まれてたら私の都会での生活が台無しになっちゃう。


「じゃあ、私はこれで!よい休日を!」

 エリは明るくそう言って背を向けた。さらば、スワリストたちよ。切り替えだ。切り替えが大切だ。まだ日曜日は半分残っている。これからの使い方次第で挽回できる。・・・。背後からは何の反応もない。てっきり引き留めの言葉や何かがあると思っていたが誰も何も言わない。少し寂しさも感じてしまう。いや、いいじゃない、どうしてそんなことを考えてしまうのか、エリは自分自身を情けなく思う。


 行こう。前に進まないと。

 エリはゆっくりと階段へ向かって歩き出す。


「きゃっ」

 お腹のあたりに何かがぶつかった感覚がある。


 なんと師匠が先回りしていた。

「いたた、お嬢ちゃん、いい匂いだなぁ」


 パチーン

 

 エリのビンタが師匠のハゲ頭に炸裂した。

「イタタタ」

「お爺さんの変態!」

 師匠を避けてそのまま歩き出す。


 でもどうして?エリは考える。歩き出したときは座太郎と一緒に後方にいたはずの老人がなぜ突然目の前に現れたのか。

「きゃっ」

 疑問を持ちながら歩いていると次は何かを蹴飛ばしてしまった。恐る恐るそちらへ目をやると綺麗な丸いハゲ頭が見える。なんと師匠はエリの進む先で土下座をしていて、それを蹴り上げてしまったようだ。


「いててて」

 頭を押さえながら立ち上がる師匠。

「お嬢ちゃん、ワシが悪かったから帰らないでくれい。このとおり。な、今日くらい憐れな老いぼれに付き合ってくれんか・・・」


 いつの間に?エリは師匠への怒りも蹴り上げてしまった罪悪感も一切感じることなく、この小さな老人が自分の進行方向にいたことに驚いた。

 師匠は蹴り上げられて赤くなった頭を自分で撫でながらエリの様子を窺うように見上げている。

 このお爺さんはただ者じゃない・・・?


「雷光」

 背後で座太郎の声が聞こえる。

「はい?」

「雷光、これが師匠の技だ」

 座太郎が何やら中二病的な響きを持つ単語を口にした。反応したら負けだと思い師匠の方を見るが師匠は消えている。慌てて見渡すと元いたベンチに座って頭を労わっている。


「ライコウ・・・」呟くエリ。

「ああ」嬉しそうに眩しい表情で座太郎が続けた。「師匠が師匠たる所以。電車で座るために長年の修行を経て手に入れた力。おそらくあの速さ、ボルトなんかよりもよっぽど速いぜ」

「ちょっと、そんなのあり得ないでしょ・・・あんな小さなお爺さんが世界記録保持者より・・・」そうは言いつつもエリは目の前でそれを見てしまっている。「こんな力があるならテレビとかネットとか何かで有名になってるんじゃ・・・電車でセキトリするためじゃなくて、何かもっと凄い偉業とか・・・」

「ん?偉業?有名?師匠は座れているぞ。セキトリ?・・・セキトリか・・・その言葉を借りればセキトリで無双状態だ」

「・・・だから、その力を使えばもっと色々できるんじゃないかってこと。あんな凄い技があるならネットでバズって大金持ちになるとか!」

「いや、師匠は座れてるんだ、それで十分さ!」

「・・・もうっ」


 エリは話が通じない座太郎に歯痒さを覚える。あの超能力のようなスゴ技を電車で座るためだけにしか使わないなんて。改めてスワリストたちの価値観の狂い方をまざまざと痛感する。その力を上手に使えばいくらでもお金が稼げるだろうし、通勤なんてしなくてもよくなるはずなのに。おそらくこんな当たり前の論理は通用しないのだろう。


「お嬢ちゃんも鍛えればできるぞ」

 おそらく雷光という技を使ったのだろう。気がついた時には師匠が目の前に立っていた。

「絶対に無理です」

「特訓じゃ。どれだけ時間がかかってもいい、自分を高め続ければこれくらいはできるようになる。ワシもこれができるようになるまで何十年も修行をしたんじゃ」

「でも、これを使えばもっと色々できるんじゃないですか?そもそも電車に乗る必要もないんじゃ・・・?」

「修行をホームと電車でやりすぎたせいで、その環境でしかできないんじゃ。外だとまず無理」

「・・・本当に座るためだけの力なんですか?」エリが呆れ顔で聞く。

「そうじゃ!席に座るためだけに研ぎ澄ませた究極の力じゃ」


 スワリストの師匠はやはりとんでもないスワリストだ。エリは軽蔑と驚きの入り混じった不思議な気持ちになった。


「師匠、生徒会長、電車が来ますよ」

 そんな二人に座太郎が声をかけた。

「えっ?私はもう帰・・・」

 もちろんどこか外出するつもりで来ていたエリだが、そんな気はとっくになくなり帰る気満々だった。


「お嬢ちゃん、帰らないでくれ、この老いぼれの人生最後の頼みだと思って」師匠がエリに頭を下げる。

「生徒会長、頼む!」座太郎も珍しく頭を下げた。「せっかく師匠もいるし、生徒会長もいれば何かを掴めそうなんだ。少しの間でいいから付き合ってくれ」

 さすがのエリもここまで二人に頼まれて邪険にするほど非情ではない。

「・・・まぁ、時間はあるし、・・・そんなに遅くならないなら」


 エリがそう言うと座太郎と師匠は嬉しそうにハイタッチをした。


 あれ、でもどこに行くんだろう?電車に乗るということはどこかに行くということだ。

 目的地というそんな当たり前のことも確認せず二人の願いを承諾してしまっていた。




 電車内。

 師匠は端の席に座ってニコニコしている。

 座太郎はその隣に座り何か野心に燃えた目をしている。


 エリはその2人の前のつり革に掴まり立っていた。

 

 こういう場合は女に席を譲るべきだ、もちろんそんなことを言うつもりはない。

 が、2人の頼みでエリがこの電車にいるのも事実。


 電車の扉が開いた瞬間、エリの隣にいたスワリスト連中は一瞬の気配りもなく座席へと突進した。師匠はどうやらあの技、雷光を使ったようでまるでその姿が見えなかった。座太郎はそれすらも計算にいれた動きで一切の無駄なく一直線にその隣へ腰かけた。


 師匠と座太郎は何やら熱くスワリスト談義を交わしている。


 エリは心のモヤモヤを発散するかのように、つり革を強く握りしめた。


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