君たちはどう座るか 4
「凄い・・・」
カオリが感心して呟く。
「ああ、俺はホームに並んでいる時から座る席を決めているからな。もちろん、これをやるには気温の分析、日光の当たり方、経済の動向、人間の心理研究や統計学も必要になってくる。まあ今回はここまでのことをする必要はないだろう。ただ一つだけ、より確実にするために、ワンポイントで簡単にできることはやっておくぞ」
「はいっ」とカオリ。
「列の先頭に並ぶ人間を見極めろ。そいつがしっかりと先頭の責任を果たせる逞しいリーダーかどうかをな。最近はスマホに集中しすぎて列の後ろにまで被害を及ぼす不届き者が増えてきている。そいつがその群れを率いるに相応しい奴かどうか、それを見極めるんだ」
「そんなのどうやって見極めるんですか?」とエリ。
「すぐに答えを聞こうとするな。まず自分の頭で考えろ」
「・・・はい。すみません。えっと・・・気が強そうな、グイグイ行きそうな人?」
「全く違うが、いいだろう。自分の頭を使って考えたということが成長だ。じゃあ正解を教えよう。見極める方法は、先頭に並んでいる奴の内側に立つことだ」
「内側に立つ?」エリは聞き取れたが意味を理解できない。
「ああ、座るために先頭に立っている奴が最も許せないことが割り込みだ。ポジションを取ってずっと待っていたんだから割り込みなんて絶対に許さない。逆に、そこまでの意思はなくただ先頭にいるだけの奴、コイツは割り込みへの警戒が希薄だ。こういう奴は電車が来てもスマホをいじって乗り込みが遅れることがある。こんな奴の列に並ぶくらいなら、左側の列や2番目の扉の列に並ぶほうがマシだ。その先頭を見極めろ。そのために、そいつより内側、つまり整列マークのない空白の部分に立て。絶対に誰も来るはずがない、並ぶことが許されていない場所。その聖域を踏みにじれ」
「ふ、踏みにじる・・・」カオリがその言葉に戸惑いを示す。
「ああ。わざと一度そこに立つんだよ。その時に先頭の責任を果たせる人間なら絶対に物凄い警戒を示してくる。チラチラ横目で見てきたり睨みつけてきたり、最悪足を蹴ってくる奴もいる。暴言を吐いてくる奴もいるだろう。ただそれが正解、先頭に立つ人間のあるべき姿なんだ。だってちゃんとルールを守っていたのに後から来た奴がドアの近くに立って先に乗り込むなんておかしいだろ?それに先頭の人間が割り込みを阻止しないと後ろに並ぶ全員が被害を被るんだ。そいつが明らかに攻撃的な態度を示してきたならその列は大丈夫だ、安心していい」
「でも、それで揉めたりしないですか?」
エリはそのチェック方法に不安を覚える。
「ああ、だから何かを探していたり、風景を見ていたフリをして、すぐに元の位置に戻れ。それで大人しく戻れば奴らも絶対にそれ以上は追ってこない。だって追ってしまったら先頭のポジションを後ろの奴に奪われるからな」
そう言って座太郎は大声で笑い出した。
「だ、大丈夫かな・・・」カオリが不安そうな声を出す。
「うん・・・」
「伝えなきゃいけないことはまだあるぜ。あっちで話そう」
座太郎がベンチを指さした。
先ほどと同じベンチに、同じ並びで座る。
左からエリ、カオリ、座太郎の順だ。
エリが座太郎の方を向くと彼の右隣に座っていた少女と目が合った。
その視線を追うようにカオリと座太郎も自然と少女の方を向く。
ふふっ、と小さく微笑んで三人に会釈をする少女。
年齢はエリよりもずっと若く、中学生か、小学生の可能性もある。
真っ白なワンピースを着てどこか現実味のない雰囲気を漂わせている。
「こんにちは」
初めに目があったエリが率先して挨拶をした。家族や友達を待っているのだろうか?
「ごきげんよう」
その少女が上品に小さな声で言った。
ごきげんよう・・・。
エリは現実で初めて聞いたその言葉に小さくない感動を覚えた。
しかも、それを言いそうな少女である。
これが東京。
電車の席に座ることに異常な情熱を持つ男がいれば、物語に出てきそうな少女もいる。
まだまだ世界は広い。
「こんにちは」カオリが続けて挨拶をする。
「おうっ」座太郎も手で軽く挨拶をした。
「へぇ、電車に座りたいんだ」
その少女は初めにカオリ、次にエリ、最後に座太郎を見て、そう言った。
先ほどまでのベンチやホームでの会話を聞いていたのだろう。そうであることは分かっていても、少女のその言葉に表現しがたい不気味さを覚える。
「座りたいんじゃない」座太郎が至近距離で少女に言う。「座るんだよ」
そして、ポンポンと少女の頭を優しく叩いた。
こんな時のスワリスト。
何故かエリはその誰に対しても変わらぬ座太郎のスタンスに今日一番の感銘を覚えた。
「このお兄さんが今から電車で座れる方法を教えてくれるんだよ」エリが続ける。「一緒に聞いていく?」
ふふっ、と微笑むと同時に少女が小さく頷いた。
エリは笑顔で優しく微笑み返す。
そして同時に安心した。
何となく言葉をかけたら消えてしまいそうな儚さも感じていたから。
「よし、小娘が一人増えたが続けるぞ」座太郎は座太郎だ。「さっきのポジショニングで座れる確率がグッと高まったはずだ」
「ポジショニング・・・」カオリが呟いて頷いた。
「だが確率が上がっただけだ。まだ確実じゃない」
「ちょっと待って」エリが口を挟む。「確率が上がったことは十分すごいんだけど、確実は無理じゃない?だって、バラバラでランダムで・・・」
「生徒会長の言うことは正しい。確かに100%確実は無理だ。でも、限りなくそれに近づけることはできる」座太郎は指をピッと立てた。「この次の駅でな!」
「「次の駅!?」」エリとカオリは同時に声を上げた。
「次の駅も含めて戦略を考えると、ランダムでもバラバラでもない、一つの確実な方法があるんだよ」
「早く教えて」エリが身を乗り出す。
「まぁ待て。二人と、じゃあそこの君も一緒に考えてくれ。電車に乗る。座席は満席で座れない。しかし、絶対に次の駅で降りる客が分かっていたらどうだ?皆はどうする?」
「それは・・・その人の前に立ちます」カオリが答えた。
「そうだ。優秀なスワリストの卵だ。そうすれば次の駅で確実に座れる。それをやるんだよ」
「でも、そんなの・・・」とエリ。
「ナイスワトソン。生徒会長、できないか?本当か?私は次の駅で降りますと首からプレートかけているやつはいないか?」
「そんな人・・・」
そんな人がいるはずはない。
座太郎は比喩で使ったのだ。それはエリにも分かっている。
でも誰だろう?いつも座っているサラリーマンに職場を聞くとか?毎日一人ずつ後をつけて職場を調べる?職場?勤務先?でも毎日同じ人を探すことができる?白いワンピースの女の子みたく分かりやすい格好でいたら目立って観察しやすいのに。サラリーマンたちも職場ごとに服装が決まっていればどこで降りるか分かるのに。服装・・・制服・・・制服?
「高校生だっ!」エリが言った。
「正解だ!どうやら隣の駅には大きな高校が2つ,3つあるらしい。この駅からも奴らは乗るだろうし、すでに乗っているんだ。そして、高校生は自分の高校がある駅で絶対に降りる。これは100%、確実だ。奴らを使え。もし席が埋まっていたら奴らの前に立て。そうすれば確実に次の駅で座れるぞ」
「「・・・」」二人は無言のまま尊敬の眼差しを座太郎に向ける。
「まずはこの駅から座れるように確実にポジションを取ること。もしこの駅で座れなくても、他の扉の乗客よりも早く乗り込んだその車両で高校生の前のつり革を確保すること」
「これで常磐さんは絶対に大丈夫だ」
座太郎がそう言って力強く二人に頷いた。
そのタイミングで隣に座る白いワンピースの少女がふわっと立ち上がった。
「ふふっ」
彼女は真っすぐに座太郎を見つめて言った。
「まっすぐですね」
そして会釈をして去っていく。
「またお会いいたしましょう」
そんな言葉を残して。