君たちはどう座るか 1
土曜日。午前9時。
信じられないくらいの晴天。
二人はカオリの最寄り駅の喫茶店にいた。
カオリによると平日の朝は列ができるほど混んでいるというチェーンの喫茶店だが、休日である土曜日はその喧騒とは無縁のようで席も自由に選ぶことができた。
二人は改札がよく見える場所に並んで座っている。
「ちゃんと来るかな?」
エリはストローを咥えながら心配そうに改札を見つめる。
座太郎らしき人影はない。部活動の高校生だろうか、ジャージ姿の若者たちが続々と改札横に増えていく。
「座太郎さんって、いい意味で変わってるよね」カオリも同じ光景を見ながら言う。「私みたいな初対面の人のために休日に時間をくれるなんて。座ること以外は興味ありません、みたいな人かと思ってた」
「まぁ、確かに」
エリは素直に同意した。
座太郎とカオリに面識はない。エリの友達。つまり言ってしまえば他人である。それにも関わらず、突然の話であったにも関わらず、真剣に相談を聞いて今日は何やら準備をしてくれるらしい。
やはり電車の座席絡みで困っている人がいるとほっとけないタイプなのだろうか。しかし、老婆が目の前に立っていても席を譲らない男だ、それはない。満員電車が原因で発生する痴漢や冤罪などのトラブルに腹を立てているのだろうか。それなら少しあり得そうだ。
「それにしても、エリと座太郎さんって仲いいよね」
「ブッ」思わずエリはレモンティを吹き出しそうになる。「どうして?どうしてそう思ったの?」カオリの方を向き真剣な表情で問いただす。
「だってまだ数回しか会ってないのに生徒会長って呼ばれてなかった?エリの昔の話とかもしてるんだ、とか思ったり・・・?」
「そうなのよ、それそれ!」
エリはずっと引っかかっていたものが取れたかのような感覚になる。
「それ?」カオリが不思議そうに聞き返す。
「そう、私、言ってないもん!生徒会長をしてたことなんて!」
「えっ?でもそう呼んでなかった?」
「そうなの!2回目会った時からなんか突然そう呼んできて。最初にツッコめなくてそのままになっちゃってるんだけど。私、どこかで言ったのかな・・・?言い合いをしてるときに熱くなってとか?」
「そうじゃない?だって、そうじゃなきゃ知ってるはずないし・・・それか、エリの何かを知っている人だとか?」
「何それ?やばっ・・・実は同郷の人とか?高校のOBとか?」
推理を繰り広げる二人。
「あ、あれ、あの人は?」
カオリが話を中断して改札を指さした。
「うわっ、めっちゃオフだ」
高校生の集まりの横。
少しサイズが大きい白いTシャツとジーンズ、サンダルを履いた座太郎がスマホをいじりながら立っていた。
「おはようございます、お待たせしました」エリが声をかける。
「おはようございます、今日はお時間をいただきありがとうございます」カオリも続く。
座太郎は小さく「おうっ」と言い、片手を軽く上げた。
「どうですか?今日の私服、可愛いですか?」
エリは腕を広げ座太郎を挑発するように見上げた。
「な、な・・・」
分かりやすく狼狽する座太郎。
そんな様子を見てエリはカオリにウインクをした。
いつものように先にペースを握られないため先制攻撃を仕掛けたのだ。
かわいいとこもあるじゃん、座太郎の反応を見てエリは思った。
「まあ、二人とも、可愛くなくはないかな」と座太郎。
「もう~、何それ」とエリ。
「ふふふっ」カオリはそんな光景を見ながら微笑む。
「そんなことよりも、本題だ!」
座太郎がスイッチを入れたかのように切り替えた。
「そんなことって・・・まぁ、そうですね、本題です。それで準備とは?」
座太郎が改めて二人を順に凝視する。
「まず、しっかりと知ることだ」座太郎はカオリの目を真っすぐに見つめる。「確かに朝の電車は通勤で混むだろう。ただ、アンタ、生徒会長のお友達、えっと常磐さんか、常磐さんはどれだけ自分の乗る電車について知っているんだ?」
「電車について・・・ですか?」指名されたカオリは背筋をシャキッと伸ばした。「車両の種類とか、電車とか、私はあまり分からなくて・・・」
「そういうことじゃないだよ」座太郎は軽く息をついて続ける。「そうだな、じゃあ駅についてはどうだ?この駅だ」
「この駅ですか?」カオリは困ったような顔をして駅の天井を見上げて、それから大きく構内を見渡した。「えっと、喫茶店があって、2階建てで、人がいっぱいで・・・」
「・・・じゃあ、この街はどうだ?」少し呆れたように座太郎が続けて質問する。
「ま、街・・・」カオリは困惑してヘルプの視線をエリに投げながら答える。「サラリーマンが多くて、居酒屋が多くて・・・休日は人が少なくて・・・」
「まぁ、いいだろう」と座太郎。
エリは黙って見ていることにした。
座太郎の準備とは?そして質問の真意とは?これはカオリだけでなくエリにも当てはまると思ったのだ。スワリストの考え方を少しでも取り入れることができれば自分も通勤電車に座れるんじゃないだろうか。エリは二人の問答をじっと見つめた。
「じゃあ、次だ。次はいつも通勤するようにこの改札を通って、そのままホームまで行ってくれ。俺と生徒会長は後ろから黙ってついて行く」
「え、はい」
戸惑いながらカオリが歩き出す。スマホを改札に近づけて駅に入る。
その後ろから座太郎が続く。彼はカードタイプのSuicaを財布から取り出してタッチした。
最後にエリが続く。まだまだチャージには余裕がある。遅れないように早歩きで続いた。
先頭のカオリがチラッと後ろを確認し、二人がついてきていることを確かめて再び歩みを進めた。駅構内にある売店の横。そこにあるエスカレータを使ってホームの二階へ向かっていく。
「いつもエスカレータなのか?」後ろから座太郎が聞く。
「はい、エレベータは乗らないです。階段も高さが結構あるので。奥にももう一つ階段があるんですが改札から距離があるし、もっと急こう配で・・・迷わずエスカレータに乗ってます」
「なるほどね」
座太郎は再び無言になる。
答えるために振り返っていたカオリが再び正面を向く。
一同はゆっくりと進むエスカレータがホームに到着するのを待った。
意外と長い。確かにこの高さを階段で上がるのは大変だ。エリは自分の駅と比較する。
エスカレータが全員を2階のホームにようやく運び終えた。到着する先がちょうどホームの端になっており、下りたところからホーム全体を眺めることができる。この造りはエリの駅とは大きく異なっていた。彼女の駅では階段もエスカレータもホームの中央に配置されている。
「それで、どこから電車に乗っているんだ?」
エスカレータから下りて座太郎がカオリの横に並び、聞いた。
「えっと、決めてはいないんですけど、大体はこっちです」カオリは電車のいないホームを案内する。「大体ここの2号車なんですけど、混んでいたら3号車に乗っています」
それを聞いて座太郎は探偵のようにその乗り場をじっくりと観察した。
隣にある柱にも触りながら何かを確認している。
そして最後にそこから見える街の景色をじっと眺めた。
「大体わかった、ちょっとあのベンチに行こう」
「えっ、もう?!」
エリはそのスワリストの推理の速さに驚いた。
三人は座太郎が指定したベンチに移動した。
今日はエリが左端、隣がカオリ、その隣に座太郎。
「常磐さん、自分の毎朝の行動を改めて振り返って、何か思ったことはあるか?」
「思ったことですか・・・エスカレータの時間が長く感じました。いつもこんなに長かったかな、って」
「・・・なるほど。他には?」
「他ですか・・・。休日はやっぱり人が少ないなって思いました」
「オッケー。じゃあ生徒会長、アンタはどうだ?この駅やホームについてどう思った?」
「わ、私ですか?」
エリは完全に油断していた。急いで頭を回転させる。まるで授業で突然指名された生徒のような感覚だ。
「えっと、カオリの言う通りエスカレータが長いなってのと、私の駅と違ってホームの端に到着するので、何か下りた後の風景に迫力がありました」
「なるほど」座太郎は考えをまとめるかのように一度小さく息を吸った。「常磐さん、痴漢に関して言えばもちろんアンタに落ち度はない。100%犯人が悪い。それをアンタが何か反省する必要はないし引っ越しや退職なんてもってのほかだ。でもな、席に座れるかどうか、その観点で考えるとアンタには落ち度がある」
「カオリの落ち度・・・」エリは無意識にその言葉を反芻した。
「ああ、あるんだよ」
そして座太郎の講座が始まった。