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セキトリ!〜満員電車 Sit or Dead〜  作者: 伊波氷筍
許さない!座ると触るは大違い
13/52

電車は移動するためのものですらない

 金曜日。午後8時30分。


 エリは最寄り駅のホームのベンチにカオリと並んで座っていた。


「本当に来るのかな?」不安そうに呟くカオリ。

「大丈夫、絶対に来る」

 エリはチラリと時計を確認した。おそらく次に着く電車。ここの車両。

「でも、金曜日だし仕事終わりに飲んだりとかもあるんじゃ・・・」

「いや、飲み会があっても断る。この時間のこの電車なら確実に座れるから。飲み会とか付き合いとかよりも座ることを選ぶはず、アイツは」


「・・・ふふっ」

 カオリが笑った、屈託なく吹き出すように。

「そ、そうだよね、おかしいよね、本当に」

「エリ、素質があるかもね」

「えっ、何の?」

「何だっけ?その、ス・・・スワリスト?」

「スワリスト!?ちょっとやめてよ、私は絶対に素質なんてありませんから」

 エリは頬を膨らませてプイっとカオリの反対方向へ顔を向ける。

「冗談冗談」カオリがそのふくらんだ頬を指でつついた。

「もうっ」と言ってエリも微笑む。


 カオリがまるで地元にいた頃のように笑っている。エリにはそれが何よりも嬉しかった。

 そして同時に、そんなカオリを苦しめる犯人への怒りが、また沸々と体の奥からこみ上げてきた。


「ごめんね」カオリが慌てて謝る。「スワリストがそんなに嫌だったなんて」


 一瞬何を言っているのか分からずきょとんとするエリ。

 そしてすぐに理解する。

「違う、違うよ、もちろんスワリストは嫌だけどそれで怒ってるんじゃなくて・・・」




 そんな会話を続ける二人の前に電車が定刻通りにやってきた。

 エリはその光る窓ガラスの疾走を目に焼き付けていく。

「の、乗ってるのかな・・・」

 不安げなカオリのその言葉とほぼ同時に電車は動きを止め、全ての扉が一斉に開いた。

 放たれる沢山の乗客たち。

 二人はじっとその降りてくる人の流れを見つめる。


「ねぇ、いないの?」

「・・・うん、まだ・・・」

 そう、まだ、なのだ。エリは予想していた。座太郎は座っているはず。だから最初は降りてこない。まず立っていた人たちが降りていき、そのあと最後に降りてくるはず。


 もう人はほとんど降りつくした。

 大柄なパンクファッションのお兄さんが降りようとしている。

 どうやら彼が最後のようだ。


「・・・いない・・・」


 エリはその事実が受け入れられず思わずパンク男の顔を確認するがもちろん座太郎ではない。

 諦めよう。

 カオリに謝って、また後日座太郎を探そう。

 ただ、その間にもカオリは苦しみ続けることになる。

 それまでは自分のアパートに泊まってもらって一緒に通勤しようか。パンク男の動きを見つめながらエリは考える。


 パンク男がホームに降り立った、まさにその瞬間。


 ドア横の端の席に座っていた男がさっと立ち上がり、流れる様に出口へ向かった。


「いた・・・」

「えっ、あの人が?」



 座太郎が降りてきた。降りると同時に背伸びをし、その瞬間に扉が閉まった。



「なんか普通のサラリーマンだね」とカオリ。

「見た目はね」

「凄く勝手なイメージだけどハチマキとか巻いてるの想像してた・・・」

「フフっ、何それ」

 エリはカオリの手を取り、座太郎の元へ歩き出した。




「こんばんは」

 何を考えているか分からない表情でホームの階段を黙々と目指す座太郎に遠慮なく声をかけ、肩を叩いた。

「ゲゲッ、また生徒会長・・・」

「ん?」一瞬怪訝な表情を浮かべてエリは続ける。「ゲゲッて、失礼な!」


 座太郎の視線はそれからカオリの方へ向いた。

 その視線に気づいたエリが紹介する。

「友人のカオリです。幼馴染の友達で上京してからも一緒なんです」

「常磐カオリです」カオリが緊張した面持ちで頭を下げる。「お忙しい中、突然お声がけをして申し訳ありません」

「ども・・・」座太郎が小さく頭をさげた。「それで、用件は?」


 エリは先週の金曜日も一緒に座ったベンチを指さす。5人掛けベンチは今日も誰も座っていない。




 誰が決めたわけでもなく左端からカオリ、エリ、一席空けて座太郎が座った。 


「・・・なるほど・・・」


 エリは隣にいるカオリに配慮しつつも全てを座太郎に伝えた。

 痴漢のこと、そして座らせてあげたいことを。


「金曜日の夜に呼び止めてしまって本当にごめんなさい」エリは頭を下げる。「でも、頼れる人がアナタしかいなくて・・・」

 座太郎は今までにない真剣さで話の最後までしっかりと聞いてくれた。もし「俺には関係ない」なんて言われたらどうしようかと不安も感じていたが、それは杞憂に終わり、むしろその頷きや相槌から優しさすら感じた。

 左に座るカオリは自分の話をされている間も今もグッと地面を見つめている。


「なるほどね・・・」座太郎がゆっくりとした口調で言った。「細かいことは分からないことも多いけど、一つだけ言えることがある。生徒会長、アンタの選択は間違ってはいない。正しいよ」

「正しい・・・」

 エリはその言葉の意味がすぐに理解できず、思わず聞き返した。


「ああ、正しい。その状況に対して座ることは一つの解決策だ」

 座太郎の視線が一度カオリの方へ向き、それからゆっくりと再びエリの目を捉えた。


「ありがとう」

 エリは素直にお礼を言った。


「俺からも一つ言いたいんだ。これは別にアンタたちじゃなくて世間に対してなんだけど。この世には痴漢をするためにわざと混む電車に乗る奴もいるらしい。最低な連中だ。電車はそんなことのためにあるわけじゃない」

 怒りで語気が強くなる座太郎。

「うん」

 エリは座太郎に尊敬に近い感情を覚え始めていた。

 そして何より、自分の親友のためにそこまで親身になってくれる人がこの東京にいることが嬉しかった。あまり知りもしないで座太郎の存在を面白おかしくカオリや知人に伝えていたことを申し訳なくも思い始めた。


「電車は違うんだ」

 座太郎は繰り返す。

「うんっ」とエリ。


「電車はそんな満員の状態で乗るものじゃない」

 座太郎の言葉に力がこもる。

「う、うん」とエリ。



「電車は座るためのものだ」



 座太郎の声が駅のホームに響いた。


 エリは改めて痛感した。

 コイツはスワリストだ。


 隣に座るカオリが驚きで顔を上げたのが見なくても分かる。

 ベンチの反対側にいつからか座っていたメガネのサラリーマンも驚愕の表情でこちらを見ている。

 エリは恥ずかしさで顔から火が出そうになる。


「・・・電車は移動するためのものですらない」座太郎が最後にボソッと言った。


「ちょっと、今なんて?」エリは思わず口調を強め座太郎を問い詰める。「移動するためじゃなくて、座るためのもの?そんな本末転倒なこと・・・」

 その後、エリと座太郎は先週のように言い争いを続けた。


「ふふ、はははっ」

 そんなやりとりをずっと聞いていたカオリが突然笑い出した。

「カ、カオリ・・・ごめんね、この人やっぱりおかしくて・・・」

「生徒会長、俺はおかしくなんてないぞ」


「あー、本当にスワリストだ」

 カオリがクスクスと笑いながら続ける。

「エリの言ってた通り、本当にスワリストだね・・・いいなぁ・・・私もなりたいな・・・スワリストに。私も座りたいよ・・・」

 その最後は少し涙声になっていた。


「カオリ・・・」

 エリはシリアスな話題の中で座太郎とくだらない言い合いをしてしまったことを反省した。

「スワリストになりたい、か。ところで、お友達の最寄り駅はどこなんだ?」

「 ・・・駅です」カオリが消え入るような声で答えた。

「・・・駅?」座太郎が驚いたような表情を浮かべる。そして次の瞬間「はっはっはっは」と大きな声で笑い出した。

「ちょっと、何がおかしいの?」

 エリは座太郎の無神経さに腹を立てる。

「はっはっはっは、あー、すまんすまん。ただ、その駅ならイージーだぜ、大丈夫絶対に座れるよ」

 エリとカオリは驚いて見つめ合う。

「座れるって?」エリが聞き返す。


「だからその駅なら座れるって。混むことはあっても座ることが難しい駅じゃない。ちょっとしたテクニックで座ることができるはずだ」座太郎は続ける。「だから大丈夫。アンタが引っ越す必要も、仕事を辞める必要もないよ」

「・・・はい、ありがとうございます」

 カオリが座太郎の方を向いて大きく頭を下げた。


 座太郎の優しい口調にエリはつくづく分からない人だと感じる。感謝と呆れが入り混じった不思議な感情だった。


「それならば、明日にしよう」

 座太郎はそう言うと立ち上がった。

「その駅の改札前、朝の9時に集合だ」


「ちょ、待って」

 エリも思わず立ち上がる。

「座れはするが、そのための準備は必要だ。じゃあな」

 座太郎はそのまま返事も聞かずにホームの階段へ向かって歩いていった。




「行っちゃった・・・」

 エリは消えゆくその後ろ姿を呆然と眺める。

「本当にスワリストだったね」カオリが驚いている。

「でしょ?でしょ?」エリは座太郎の顔真似をして人差し指を立てて言った。「電車は移動するためのものではない。座るためのものである」

「ははっ、ちょっとエリやめてよ」思わず笑ってお腹を抱えるカオリ。「そんなポーズ取ってないって、はははっ、笑ってお腹痛い」

「えっ、私の中ではそんなイメージなんだけど」エリも笑う。

「でも、いい人だった。何て言うか、優しい人」

「まぁ、それはそうなんだけどね」エリは素直に同意した。「変わってはいるけど悪い人ではないっぽい・・・けど、明日の9時だって・・・」

「9時・・・」カオリが噛みしめるように繰り返した。

「こっちからのお願いだからね、土曜だけど起きますかっ」

「だね」

「カオリ、どうする、このままうちに泊まっていく?」

「やった、久しぶりにお邪魔しようかな」

 二人は地元に戻ったかのような雰囲気で、楽しそうに並んで階段を下りていく。


「人類史上最大の発明は電車の座席である!」

「もうっ!だから、そんなこと言ってなかったって、はははっ」


 カオリの明るい笑い声が響いた。


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