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セキトリ!〜満員電車 Sit or Dead〜  作者: 伊波氷筍
許さない!座ると触るは大違い
11/52

あなたの色は何色ですか?

 新宿駅のホーム。


 エリは電車のドアから吐き出された。まるで汚い吐瀉物のように。


 電車が遅れたこともあってホームはいつも以上に混雑し、そして殺気立っていた。

 エリは中央のベンチに身を寄せ落ち着くのを待つことにした。満員電車で負ったダメージを抱えながらこのホームを進むのは不可能だ。皆がギュウギュウに押し合いながら牛歩のように進んでいく。誰かが突き落とされて線路に落ちてしまっても不思議ではない。さらに酷なことに急がなければ次の電車が到着してしまう。そうなるとこのホームはさらに地獄絵図と化す。

 ここから脱出するための階段では、我先に上がろうとする愚かな人間たちがせめぎ合い、衝突し、余計にその消化率を下げてしまっている。

 人類に平和は不可能なのだ。いつも優しく利他的な心を持つ人たちも、いざ自分が苦労を味わうポジションに行くと途端に心が貧しくなり攻撃的になる。所詮は制度によって守られた階級や安定が余裕と優しさを生み出しているだけで、本当の心の優しさなど存在しないのだ。


 大移動のピークがようやく少し落ち着きを見せ、歩くことができるスペースが生まれ始めた。

 エリはタイミングを見てその列に加わりゆっくりと歩き出す。

 アナウンスが流れ反対側のホームにまもなく電車が到着することを知らせる。

 大丈夫、このペースで進むことができれば問題なくホームから脱出することができる。


 乗ってきた電車は折り返し待ちでまだホームで出発時間を待っていた。さっきまでとは打って変わってガラガラの車内。乗客は全員が座っている。いいなぁこんな電車で通勤出来たらストレスもないだろうなぁ、エリはアンバランスなこの現状をまざまざと目の当たりにした。


 するとその電車の中から涼しげな顔をしたサラリーマンがひょいっと飛び出し、彼女の目の前のスペースに入ってきた。

 その男が列に加わるときにエリとバシッと目が合った。


 その男は武蔵座太郎だった。


 目が合ったのにまた無視してる。

 エリは目の前を歩く座太郎の背中に不条理な怒りをぶつける。別に、列に割り込まれたわけではない。座太郎はタイミング良くスペースに入ってきたため誰の迷惑にもなっていない。しかし、どうにも腹が立つ。自分の怒りが間違っているのは分かっているが上手に感情を落ち着かせることができない。その背中、歩きながらリズミカルに上下に動き、時に左右に揺れる。まるで彼女の怒りを颯爽とかわすかのように、軽やかに。


 そこでエリは気がついた。座太郎には色が付いている。


 このどんよりとしている朝の新宿駅。人間は皆が黒に近いグレーのオーラを纏っている。それは、しがないおっさんサラリーマンだけではない。カラフルな服を着た可愛らしい女子大生も、バシっとメイクを決めた綺麗なキャリアウーマンも、皆がグレー。


 その中で座太郎だけが色を持っている。色彩を放っているのだ。


 どうして?

 その超常現象とも言うべき光景を目の当たりにし、彼女は自分の見ている光景が信じられず、思わず自分の両手を広げて見つめた。




 他の誰よりも、自分が一番、限りなく暗黒に近いグレーを纏っていた。




 反対行きのホームに電車が到着する。座太郎に続きエリもようやく階段にたどり着いた。ゆっくりと重い足取りで登っていく。まるで止まっているエスカレータを登っているような、あの飲み込まれそうになる感覚に陥りながら。

 その一方で前を進む座太郎はそのままどこかへ飛んでいってしまいそうなくらい軽やかな足取りだ。

 対照的な二人はそのまま階段を登り切った。新宿駅もここまでくればパッと開けて人の過密感はなくなる。


 エリは迷いなく座太郎の肩をポンポンと叩いた。

 座太郎が驚いた表情で振り返る。

「突然すみません」とエリ。

「あ、あの時の。休日っていうのはあっという間だな。週末はどうだった?」


 エリは拍子抜けした。何となく金曜日の件をとやかく言われたり、先ほどの電車内での醜態について指摘されると思っていた。しかしどうだろう。座太郎はまるでそんなこと意に介さず、爽やかにそう言ってきた。


「ま、まあ、普通にいい週末でした」

「そっか、それは何より」

「・・・はい」とエリ。

「じゃあ、また!」

 座太郎はクルりと向きを変え人の流れに加わろうとする。


「ちょっと」

 エリは急いでそのスーツの背中を掴む。

「話は終わってないじゃないですか!」


 座太郎はまたクルりと向きを戻す。

「そうなの?じゃあ、話って何?」

 怒り口調のエリとは対照的に座太郎が淡々とした態度で聞いてくる。


 本当に信じられない。

 エリの中で座太郎への怒りがさらにドンドンと増していく。

 なんでこんなにも飄々としているのだろうか?

 まだ声をかけて呼び止めたこと、服を掴んだことに対して嫌味を言われる方がマシだ。


「・・・どうして・・・」

「えっ、どうして・・・?」戸惑う座太郎。


「なんなんですか?アナタは!」

 エリは謎の怒りをそのまま座太郎にぶつけた。通り過ぎていく何人かのサラリーマンが横目で様子を確認してくる。


「なんでアナタのようなタイプの人がそんなに輝いているんですか?」

「えっ?」呆然とする座太郎。


「アナタはもっと卑屈でへそ曲がりなんだから、もっと、こう何て言えばいいんだろう・・・。嫌な人のはずじゃないですか?なのにどうして月曜日の朝からアナタはウキウキとしているんですか?キャラに合ってない・・・そうキャラに合ってないんです。もっとアナタより真っすぐに生きて、老人とかにも席を譲って、そんな人たちが真っ黒なのに、どうしてアナタはカラフルなんですか?教えてください」



「それは、俺が座れてるからだ!」



 エリの知っている、むしろ心の奥で求めていた座太郎が現れた。


「座れてるから俺はくだらないしがらみに囚われることがない。それに比べて生徒会長、お前はどうだ?」

「生徒会長って・・・私?」

「誰もがびっくりするくらいの理不尽な怒りを俺にぶつけてたぜ」

「それは・・・」


「そう、それはな、アンタが座れていないからだ」

 座太郎の視線は鋭く、容赦がない。

「金曜日に俺に言ったよな?座ることが全てじゃないって。大切なことが他にあるって。それがどうだ?満員電車のイライラを無関係の人間にぶつけてる。もしアンタが今日、電車の席に座れてたらどうだった?周りの人を見てグレーだ真っ黒だ何て思ったか?いやそんなこと微塵も考えていないはずだ。今頃は、今日も仕事頑張ろうとか、ランチどこに行こうとか、週末はでかけちゃうぞとか、そういうくだらんことでウキウキできていたはずなんだよ。でもアンタにはもうそれができない。何故か?それはアンタの心がこの30分間で汚れちまったからだ。そして周りの他人まで巻き込み始めてる。あそこを歩く猫背のオッサンを見てみろ。アンタはあの人を見て黒いオーラを纏ったネガティブな人間とか思うんだろ?本当に自分勝手でナンセンスだ。俺には全くそうは見えないぜ。あのオッサンはきっと歩きながら家族と過ごした、楽しかった休日を思い返しているんだ。休日に出かけたから疲れてるかもしれないな。でも奥さんや子供の笑顔のために今週も頑張ろうって気合を入れて会社に向かってるんだ。それなのに勝手に人を真っ黒だなんだって」


 座太郎がここで喋るのを止めて空気を吸い込む。




「アンタの心の汚れで世界まで汚すんじゃねぇ」




 エリは愕然とした。


 急に世界から音が消えた。

 世界はモノトーンになりエリを取り残して無機質に時間だけが進んでいく。

 目の前の座太郎の口は動いてる。

 しかし、何も聞こえない。

 何かを言い終えたのか向きを変えてそのままどこかへと歩いていく。

 エリの体は動かない。

 その背中との距離が果てしないものに感じる。


 もう背中を掴むことなんて、できない。


 記憶がフラッシュバックする。大好きだった祖母の膝の上に座るエリ。「エリちゃんはいい子だねぇ」優しく頭を撫でてくれる、その温かい感触を思い出す。

 いい子、前向き、明るい、ポジティブ、天真爛漫・・・中学・高校と生徒会長を務め、大学そして職場でも積極的に何でも頑張り、常にそんな言葉で褒められてきた。周りのために無理をしてきたわけでもないし、ごく自然に接してきただけだ。だから自分はそういう性格なのかと周りの言葉で自己認知を形成してきた。


 しかし、積み上げてきたその全てが、座太郎の一言で脆くも砕け散った。


 目の前を疲れ切った様子の若い猫背のサラリーマンが通っていく。前方からは元気な男の子が周りに一切の注意を向けずに走ってくる。そのサラリーマンはギリギリのところでサッと横にズレ、子供との衝突を回避する。子供はぶつかりそうだったことすら気がつかず、そのままどこかへ楽しそうに走り去っていく。サラリーマンは避けた反動で隣にいた大柄な外国人とぶつかってしまう。その外国人は歩きながら指を立ててサラリーマンに何かを言っている。彼は何度か頭をさげて謝る。そして自分に何かを言い聞かせるように小さな笑みを浮かべ、また猫背のまま歩き始めた。


 私ってメッチャ嫌な奴じゃん・・・


 エリは座太郎の言葉を思い出していた。さっきのサラリーマンだって、グレーでも、真っ黒でも、何でもない。ただ月曜の朝を一生懸命生きているだけだ。しかし、自分の五感のフィルターが汚れていたせいで、周りの全てが汚れて見えていた。


 エリの目に涙が浮かぶ。


 世界は再び色と音を帯びてエリを迎える。


 彼女は涙を拭かずに、歯を食いしばりながら会社に向かって歩き出す。




 その途中、通勤に使っている電車が見えた。ちょうど新宿駅に入っていく。

 乗客は満員。外から見てもその密度の高さに眩暈を覚える。


「私だって、座りたいよ・・・」


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