月曜日の朝
月曜日の朝。通勤ラッシュ。
電車はキャパオーバーの満員でこれ以上どこにも隙間など存在しない。
しかし停車駅に着くたびにホームで待つ乗客たちをどうやってかその車体に飲み込んでいく。若干キレ気味のアナウンスで奥まで詰めるように促され、人々はさらに圧縮される。もう人権なんかは存在しない。
現代の奴隷線が走り出す。
ちょっとした揺れで憐れに圧縮された電車内の人塊は大きく揺れる。体の小さな子供や女性は死を意識することだろう。そこに追い打ちをかけるように電車が急に停車する。その惨めな人塊は慣性の法則の餌食となる。おそらく死者も出たのではないだろうか。
そして地獄のアナウンス。
「~駅で緊急停止ボタンが扱われたため運転を見合わせます」
車内には至る所で舌打ちが響く。
悲鳴のような叫び声も聞こえる。
床を見てみよう。
誰かが垂れ流した糞尿や嘔吐がねっとりとその範囲を拡大していく。
たった一度しかない彼らの今日一日がここで終わった。
バッドエンドで闇に葬られ、残りの時間は消化試合。
たった一度しかない人生。
奇跡のような生命。
どんな一瞬でも貴重で尊く素晴らしいはずの時間がこうも簡単に踏みにじられた。
一部の人々を除いて。
その選ばれた人間たちには緊急停止など何の意味も持たない。
何故?
そう、彼らは座れているから。
彼らの今日は、彼らの今は、輝いている。彼らに月曜朝の憂鬱など存在しない。彼らに満員電車のストレスなど存在しない。彼らは生命の奇跡を楽しんでいる。ある者は睡眠の続きを取っている。あたたかい眠りの中で緊急停止がずっと続くことを願っているだろう。ある者は音楽を堪能している。サブスクという無限の音楽の海を泳ぎきるには時間なんていくらあっても足りない。ある者はスマホでメジャーリーグの中継を見ている。大谷は今日もホームランを打ちましたか?
そのうちの一人、武蔵座太郎27歳。緊急停止の反動で薄っすらとした眠りから目を覚ました。今はどこの駅だろう?確認をしようと扉の上のモニターへ視線を向ける。その過程で人塊の中で押しつぶされているOLや重そうな荷物を持ちながらあり得ない体勢で固定されているサラリーマンらの視線を感じる。しかし感じるだけ。動じはしない。目的地はまだ遠いことが確認できた。視線を戻す。その途中、メガネをかけた神経質そうな男と目が合った。しかし目が合っただけ。それ以上の意味などはない。だって彼は座れているから。安心して目を閉じ、また眠りに帰っていく。
それから15分後、諸々の点検を完了した電車は走り出す。内部には憎悪を増幅させた不幸な奴隷たち。今日、彼らが利他の心を持つことは不可能だ。人に優しくなんてできない、むしろ攻撃的になるだろう。このネガティブな連鎖は日本を覆って月曜日をより殺伐とさせていく。国の活力は削がれ競争力が失われていく。
ああ、電車が新宿駅に到着する。この電車には沢山の悪魔が乗っている。ゆっくりと扉が開く。悪魔が一斉に解き放たれていく。彼らには憎しみと怒りしかない。悪魔たちはそれをまき散らすため、弾けるように東京に散っていった。
そんな不幸な連中が降りてから座太郎ら選ばれし者たちも立ち上がり電車を後にする。彼らは乗る前よりも元気だ。
あんなにイライラしなくてもいいのに。
座太郎は憐れな人々の顔を思い出す。
疲労で限界を迎えた足も怒りで震える背中も彼とは無縁の存在だ。
軽く背伸びをして足取り軽やかに会社に向かって歩き出した。