【始まり】
「わあ、凄い」
目の前に広がる光景に、ショウは思わず歓声を上げてしまった。
天に届かんばかりに高い山々は山頂部分に雪化粧が施され、きんと凍てつくような青い空に雲は1つも浮かんでいない。山の麓には澄んだ湖が清らかな水を湛えており、枝葉のない背の高い針葉樹が彩る。
冬の冷たい空気の中、音として聞こえるのは風のざわめきと水が揺蕩う音のみ。遠くで鳥の囀りが感じられるぐらいで、他には何もない。まさに雄大な自然の中にショウはいた。
針葉樹林の中にポツンと存在するコテージを訪れたショウは、木製のテラスから身を乗り出して目の前に広がる美しい自然たちに瞳を輝かせる。それから室内にいる愛する旦那様へ振り返り、
「ユフィーリア、綺麗だな!!」
「おう、喜んでもらえた様子で何よりだ」
荷物を運び入れていた銀髪碧眼の魔女――ユフィーリア・エイクトベルは、はしゃいだ様子のショウに苦笑する。
「ショウ坊、外は冷えるだろ。中に入って暖まった方がいいぞ」
「ああ、分かった」
ショウは頷き、雄大な自然が見渡せるテラスから室内に足を踏み入れる。
途端、全身を暖かな空気が包み込んだ。
部屋の隅で煌々と燃える炎を構えた暖炉が、室内を暖かく照らしてくれている。どうやら薪と炎を発する魔石でも使用しているようで、暖炉のすぐ近くにはバケツいっぱいに赤黒い石が詰め込まれていた。
「それにしても、静かな場所にあるコテージだ。ここでユフィーリアと7日間も2人きりだなんて、最高の誕生日プレゼントだ」
「まあな。旦那様だから、ちょっとだけ奮発したよ」
ユフィーリアは少し誇らしげに胸を張り、
「材料からこだわって建築したからな。そう簡単に崩れねえ」
「このコテージはユフィーリアが建てたのか!?」
「おうよ。魔法と知識があればチョチョイのチョイだ。昔、大工の親方のところで修行した甲斐があったってもんだな」
ユフィーリアは「それ系統の資格もちゃんと持ってるから安全面は保証するぜ」などと言っていたが、ショウは有能な旦那様に感心するばかりである。
外観は三角の屋根が特徴的な可愛らしい見た目のコテージだった。テラス席も設けられており、夏場に来れば避暑地としてのバカンスも満喫できちゃうほど立派な見た目をしていたのだ。室内の広さも衛生面もバッチリ完備されており、別荘と呼んでも過言ではない。
さらに家具にもこだわりがあるようで、どれもこれもなかなかお値段の張る品質のいい家具ばかりが揃っていた。高級品だと気後れしてしまうが、ふかふかなクッションを置いたソファも、雑誌が広げられたテーブルも、魔導書などを詰め込んだ本棚も、食事を楽しむ為のダイニングも、どれも高級品の1歩手前で止まっていた。これなら安心して使うことが出来そうである。
ショウの頭を撫でて笑うユフィーリアは、
「今日から7日間、よろしくな。ショウ坊」
「ああ、ユフィーリア。楽しく過ごそう」
ショウも笑顔でユフィーリアの言葉に応じた。
☆
この旅行が始まるのは、約1ヶ月前のことだった。
「ショウ坊。誕生日前の1週間、全部アタシにくれねえか?」
「それはもちろん、構わないが……」
唐突に言われたことに、ショウは首を傾げた。
ショウは最愛の旦那様に血の1滴、魂の1欠片だって捧げる所存である。求められればそれに応じない訳にはいかない。
ただ、理由はそれなりにほしいところではある。最愛の旦那様に限ってそんなことはないと信じたいが、もしもよからぬことに使用されるのだとすればちょっと嫌だ。
ユフィーリアは「これだよ」と言って、1枚のチラシを広げる。
「コテージに1週間ほど、旅行に行かねえか? この辺、結構自然が綺麗な場所だからさ」
「旅行」
ユフィーリアが見せてくれたチラシを受け取り、ショウはその紙面に視線を走らせる。
綺麗な湖に雄大な山々、枝葉の落ちた背の高い針葉樹林は元の世界の北欧を想起させる場所である。自然が綺麗な場所といえば空気も澄んでいるだろう。満点の星空も見ることが出来そうだ。
いいや、誕生日の1週間前といえば真冬である。ユフィーリアが魔眼を使う際に見える光と同じ、オーロラが見えるのではなかろうか。満点の星々もオーロラも、それこそ生きている間に見ることが出来るとは思えなかったので嬉しい。
パッとチラシから顔を上げたショウは、
「行く、行きたい」
「よし、決まり」
ユフィーリアはショウの手からチラシを抜き取り、
「じゃあアタシは準備があるから、ショウ坊はそれまで風邪を引かないように気をつけて過ごせよ。日取りが近くなったら準備しような」
「ああ」
ユフィーリアはそんなことを言って、居住区画に戻っていく。彼女は彼女なりの旅行の準備があるのだろう。
それにしても旅行である。毎年、夏休みを利用して色々なところに連れて行ってもらっているが、大自然の中の旅行は初めてだ。楽しみで仕方がない。
しかも1週間と長丁場である。もしかしたらユフィーリアと2人きりになれる瞬間があるかもしれない。その時は今度こそ既成事実に持ち込んでやるのだ。だって1週間もあるのだからそれぐらいはしてもいいだろう、誕生日だし。
途中で放り出していた先輩のハルアとのおままごとに戻ったショウは、
「旅行、楽しみだな。ハルさんは何がしたい?」
「…………」
「ハルさん?」
ハルアに問い掛ければ、彼はウサギのぬいぐるみを手にしたまま固まっていた。そんなに旅行の話は青天の霹靂の出来事だっただろうか。
いつもならば2人で盛大に喜び、現地でどんな遊びをするのか話し合うのが恒例である。今日もその話題を振ったつもりだったのだが、ハルアはピタリと止まっていた。
ショウはハルアの顔を覗き込み、
「ハルさん、具合でも悪いのか?」
「ショウちゃん」
ハルアはショウの両肩を掴むと、
「多分、それは2人きりの旅行だよ」
「え?」
「ユーリとショウちゃん、2人だけ。オレらはお邪魔虫だよ」
ハルアの真剣な様子に、ショウは彼の言葉に嘘偽りがないことを直感する。
同時に、心が弾んだ。
何せ、最愛の旦那様と2人きりの旅行である。戸惑いは大いにあるし、しかも1週間という短いようで意外と長い日取りだ。もしかしたらドキドキしすぎて心臓が壊れてしまうかもしれない。
オロオロと狼狽えるショウは、
「ど、どうしようハルさん。いいい今のうちから準備を、え、何を準備すればいいんだ!?」
「エド!! ショウちゃんが大変なことになってるから助けてあげて!!」
お目目ぐるぐるの上に頭から煙を噴き出す後輩を見かねたハルアが、我らが問題児の兄貴であるエドワードに助けを求めてくれた。こればかりは大人の力を借りる他はなかったのだ。
☆
そんな経緯があって、現在である。
(大丈夫、ハルさんとエドさんの助言を受けて身体も綺麗にしたし可愛い下着も用意した。もしもの時も多分、多分平気だ)
ドキドキと脈打つ心臓を抑えるように深呼吸をし、ショウは極度の緊張感を笑顔の下にひた隠す。
1週間も最愛の旦那様と、こんな人気のないコテージに寝泊まりなど何が起きない訳がない。ユフィーリアは気づいていない風だが、もし何も起きなければショウから何かを起こしてやるつもりだった。
絶好の機会なのだ。今しかない訳である。普段は鼻血を出されて回避されてばかりだが、もうショウだって18歳になる。大人の仲間入りを果たすのだ。今日こそは一線を越えるのだ。
グッと見えない位置で拳を握りしめ、
(待っていてくれ、ユフィーリア。名実共に貴女のお嫁さんになってみせる……!!)
「ショウ坊、荷物の整理を手伝ってくれるか?」
「あ、ああ。分かった」
ユフィーリアに呼ばれて現実に引き戻されたショウは、己の意気込みを隠して取り繕うように笑う。それから1週間のコテージ生活で必要な生活用品を整理し始めた。