5話 ローレンスの正義
ローレンスに対するレミリオの壁は薄れ、他愛もない話をし始めた頃、その話し声を聞きつけたのか裏からクレイが戻って来た。
二人の仲が深まった様子を、作業をしながら微笑ましげに眺めている。
レミリオは魔界に来て居心地の良い場所などなかったが、この店には自分の居場所があるように思えた。
それはクレイの作り出す馴染やすい雰囲気と、ローレンスの懐の深さによるものだろう。
これから彼らに何度嘘をつくことになるだろうか。
そう考えているうちに、目の前に置かれたアップルパイはそう時間をかけずに減っていく。
自分だけでは食べ切れないからと、三人でアップルパイを分けて食べた。
そんな暖かな空間にいると、つい此処に来た目的を忘れそうになる。
レミリオの感情は忙しなく、複雑に揺れ動いていた。
そんなことは一切感じ取られることなく、賑やかで心地好い時間が緩やかに流れていった。
ふとローレンスが壁掛けの時計を見上げると、時刻は二十一時になろうとしていた。
魔族には夜行性の者もいるらしいが、彼はそれに属していない。
「リオ、私はそろそろ帰ろうと思うのだけど、貴方は夜行性だったりするのだろうか。」
レミリオは天使であり魔族ではない。
彼らの生態に関しての情報はあまり詳しく得られず、夜行性などと言われてもすぐに理解が追いつかなかった。
すぐに答えられず不自然な間ができてしまう。
「…いや、俺も同じだ。ラリーが帰ると言うのなら、俺もそうしよう。今日から世話になることだしな。」
先程まで賑やかだった店が一気に静かになると思うと、クレイは名残惜しそうにに眉を下げながら二人に笑いかけた。
「あら、もう帰っちゃうのね。また明日も待ってるわ。」
帰り支度を整えて店を出ようと背を向けたローレンスだったが、クレイの言葉に足を止めて振り返る。
レミリオも彼の後に続いて店の出入り口まで歩いて行き、別れの挨拶をしようと振り返った。
「あぁ、明日もリオを連れて此処に来るよ。」
「俺の都合は無視なのか。」
「だってマスターと二人きりも楽しいけれど、貴方がいるともっと楽しいんだ。代金は私が払うから気にせず飲んでもいい。もちろん、遠慮はいらないよ。だから付き合ってはくれないか。」
確かにレミリオにとって悪い話ではない。
幸いクレイは料理が得意であることがわかった。
美味しい食事と酒を嗜みながら、ローレンスから情報を得ることができる。
これ以上の好条件はないはずだ。
「…わかったよ、そこまで言われたら断れないな。お言葉に甘えてたんまり飲ませてもらう。懐が寂しいことになっても知らないぞ。」
「リオが笊だなんて想像がつかないな。」
「アタシは大歓迎よ。お客さんの少ないこのお店だけど、おかげでちょっぴり贅沢な暮らしができるようになるわ。」
三人は冗談を言いながら互いに軽く手を振り別れを告げ、レミリオとローレンスは店を後にした。
二人はローレンスが店の外に待たせていた馬車に乗り込み、屋敷へ向かった。
初対面であることで、道中は話題が尽きることがない。
初めての友人を疑わないローレンスは、レミリオが質問したことのほとんどに丁寧に答えた。
種族の種類とその特徴、王都での常識、そしてローレンスの所属する騎士団のこと。
どうやら騎士団は、普段は治安維持を行っているらしい。
そうして会話をしているうちに、馬車が段々と速度を下げた後に停車した。
ローレンスは御者の声を待つことなく扉を開けると、普段の様に表情を堅くして馬車を降りた。
ローレンスの後に続いて馬車を降りたレミリオは、目の前に広がる光景を見て唖然とした。
老若男女、様々な種族が綺麗に両脇に整列し、ローレンスに深く礼をしている。
恐らく彼らはメイドや執事といった、この屋敷に勤めている使用人なのだろう。
その中の一人である、黒縁の眼鏡をかけた若い男がローレンスの前へと歩み出る。
「お帰りなさいませ、旦那様。」
「あぁ、只今帰った。こんな夜遅くですまないが、今日は友人を連れてきた。田舎から出てきたばかりで寝床がないらしい。暫く屋敷に滞在してもらうことにしたから、丁重に饗すように。」
ローレンスの言葉に使用人達は驚いて思わず顔を勢いよく上げた。
それと同時に彼らは静まり返り、目の前の男の眼鏡がガクリと曲がった。
レミリオは彼らの様子から察するに自分は歓迎されていないと思った。
当然こんな夜遅くに他人の屋敷を訪問し、図々しくもその屋敷に泊まろうとするのだから無理もない。
しかしここで引き返すわけにもいかないため、挨拶をして完全に拒絶されるまでは諦めないことにしようと思っていた。
「レミリオ・ノワールだ。突然ですまないが、これから暫く世話になる。」
申し訳ない気持ちでいっぱいだが、今夜の行く宛は此処しかない。
彼らは互いに顔を見合わせ、誰からともなく一斉に大きな歓声を上げた。
これまで孤高の冷酷騎士と呼ばれてきたローレンスが、初めて屋敷に友人を連れてきたのである。
男性陣はローレンスの初めての友人ができたことを喜び、女性陣はレミリオの淡麗な容姿を見て別の意味で喜んでいるようだった。
今夜は宴だ、明日も宴だ、と彼らは客人の前であるにも関わらず歓喜しながら大慌てで屋敷の中へ戻って行き、客人用の宿泊部屋の準備を大慌てで始めた。
一人だけ置いてけぼりにされたらしい先程の眼鏡の真面目そうな男が、呆れた様に溜め息をついきながら眼鏡を押し戻して此方に向き直った。
「レミリオ様、騒々しい者ばかりで申し訳御座いません。私は使用人統括のギルバートと申します。すぐにお部屋の手配を行いますので、まずは客間へご案内致します。」
ギルバートを先頭に、レミリオとローレンスは屋敷の中へと進んで行った。
この屋敷は正面から見ても窓の数の多さから部屋数を推測はしていたが、矢張り奥行きも相まってかなり広い。
長い廊下を歩いた突き当りの部屋まで来ると、ギルバートがその内開きの扉を開けて中へ入るよう促した。
時折ドタバタと忙しなく廊下を行き来する音が聞こえる。
そこは客間と呼ぶだけあって矢張り広く、壁際に暖炉が置かれていた。
ソファがテーブルを挟んで向かい合う様に二つ置いてあり、レミリオは奥へ、ローレンスは手前に座った。
ギルバートは扉を閉めるとローレンスの左後ろに控えた。
「お茶とお菓子はメイドがご用意致しますので、少々お待ち下さい。」
黒髪で落ち着いた雰囲気の彼は眼鏡越しに緑色の瞳でレミリオを興味深そうに見ている。
「ラリー、こんな夜遅くに来て歓迎されるとは思わなかったんだが、彼らはいつもああなのか。」
「この屋敷の使用人のほとんどは、私が拾ってきた元々は一般市民だったんだよ。ギルも含めてね。貴方と同じく田舎の出身の者もいれば、事業に失敗して食い扶持を失った者、奴隷として売られてきた者…。貴方もきっとすぐに馴染めるはずだ。」
つまり訳アリの集団ということだ。
どうりで街の者達と使用人達とのローレンスを見る目が違ったわけである。
ローレンスの言葉にギルバートは眉間に皺を寄せた。
「旦那様、事実ではありますが私まで彼らの様に頭がお花畑みたいな言い方はお辞めください。」
「いいじゃないか、私はギルにもお花畑でいてほしいんだよ。」
ローレンスは彼を振り返って僅かに口角を上げると、冗談交じりに言った。
これにギルバートは呆れた様に溜め息をついたが、彼もまたローレンスを慕っているのだろう。
彼に向ける暖かな眼差しがそれを物語っている。
しかし、ならば何故ローレンスはレミリオを使用人として屋敷に呼ばなかったのだろうか。
レミリオと彼らでは何が違ったのだろうか。
「それなら、俺は友人で彼らを使用人としているのは何故なんだ。」
「皆、自分の命が一番大切だ。誰だって生きていたいのは当然だし、それが悪いとは言わないよ。けれど、力ある者の場合は別だと私は思うんだ。未来ある弱き者の為に自らを危険に晒してまで、その尊い命を守った貴方は真の正義であると。そんな貴方なら、私の思考を理解し良き友として接してくれる気がしたんだ。」
レミリオはローレンスの予想もしなかった言葉に思わず聞き入ってしまっていた。
魔族のくせに正義を語る彼の瞳には、街での冷たい雰囲気からは想像もつかない、信念の様な情熱の焔が静かに灯っているかに見えた。
そんな彼は突然レミリオに顔を向けると、その表情は眉間に皺を寄せ明らかに怒っていた。
「でもね、リオ、今後は自己犠牲なんて考えては駄目だ。彼女を助けて貴方が死んだら、私は唯一最初で最後の友を失ったかもしれないんだぞ。よって十数えるまでお風呂から出てはいけない刑に処す!」
相変わらず冗談好きな主にギルバートは苦笑いを浮かべていたが、レミリオはその言葉に笑って応えた。
「ははっ、なんだよそのショボい刑は。というか、何気に俺の身体を気遣ってるじゃないか。」
レミリオはそんなローレンスを見て思う。
彼は魔族であり、まるで聖人だ。
少しずつ長くなってる気がするのは私だけでしょうか…。