11話 剛力の訪問者
ナターシャが新たな環境にようやく馴染んできたある日、屋敷へ一人の男が訪問……というより半ば殴り込んできた。
遣いを頼まれていたギルバートが門の中へ入ろうとしたところ、赤髪の身長が二メートル程もありそうな若い男が、彼の胸ぐらを掴んで怒鳴りつけた。
「冷酷非道の呪われた騎士と噂の男はこの屋敷にいるのか。彼女を…ナタをどうした!」
突然のことに驚いたギルバートだったが、体格や気性の荒さからして種族は恐らく人喰い鬼だと推測した。
死神であるギルバートが対抗するには些か相性が悪い。
抵抗は諦めて会話を試みることにした。
ギルバートは冷静になり彼の言葉を思い出す。
騎士は恐らくローレンスのことだが、彼の言うナタという女性について心当たりがあるのはナターシャくらいだ。
「ナタ…?それはナターシャのことでしょうか。」
「そうだ、彼女を返せ!」
返せと言われても、カリナの屋敷の使用人は全員この屋敷に連れて来たはずだ。
ならば彼は何者なのだろうか。
混乱するギルバートの背後を通ったローレンスが、険悪な状況を察して声をかけた。
「私の屋敷に何か用か。」
ローレンスの放つ威圧に表情を強張らせた男は、ギルバートの襟から手を離した。
男はローレンスがこの家の主であるとわかると、彼へ歩み寄り殺意を向けた。
「テメェがナタを……!」
そう呟いた男は突然ローレンスに襲いかかった。
男の動きは素早く、加えて剛力で腕を振り回した。
ローレンスは涼し気にそれらを軽い身の熟しで避けるが、彼が攻撃した後には屋敷の敷地に穴を空けていく。
屋敷への被害を想定したローレンスは、厄介に思い舌打ちをして振り下ろされる拳を平手で受け止めた。
勢いよく振り下ろされた拳を力尽くで止めた衝撃波が空を切り、辺りに突風が吹いた。
ローレンスもそれなりに強靭な肉体を持っているが、男は物理攻撃に特化したオーガだ。
そんな彼の拳を受けて無事であるわけもなく、奥歯を噛み締めてどうにか対抗していた。
地面がミシミシと音を立てている。
そのうちにもう片方の拳が振り下ろされ、ローレンスもまた空いた手でそれを受け止める。
しかしローレンスが下から押し上げるには体格差があり、当然上から押し潰す男の方が圧倒的に有利だ。
自身が優勢であると判断した男は口元に笑みを浮かべ、更に拳に力を込めた。
「はは、やるじゃねえか。その細身でこの俺の拳を受け止めるとは…さてはテメェ、吸血鬼か。」
流石のローレンスも持久力の限界を迎え、男の拳を受け止める手が震え始めた。
首筋を冷や汗が伝う中、何やら逆転の糸口を掴んだローレンスは歪んだ笑みを向ける。
「っ……それはどうかな、異能かもしれないよ?」
その言葉の直後に突然ローレンスが力を抜き、それを予想していなかった男が前のめりになった瞬間を狙って腹部を強く蹴りつけた。
男は衝撃に腹部を押さえてよろめいたが、その表情にはまだ余裕が見える。
物理攻撃での応戦ではあちらに分がある。
しかし魔法でも恐らくこの屋敷を吹き飛ばす威力でなければ、彼を無力化することはできないだろう。
ローレンスは彼から距離を取りながらこの状況を打開する策を考える。
「私に恨みがあるのならば聞くが、それはナターシャに関する事か。」
その言葉に男は目を見開き、更に怒りを露わにした。
「とぼけんじゃねえ、テメェがナタを殺したんだろ!」
身に覚えのないことを言われ、ローレンスは困惑で戦闘体勢を解いて不思議そうに眉間に皺を寄せた。
「待て、彼女がいつ死んだと言うのだ。彼女は生きているし、今はこの屋敷で働いている。」
それを聞いた男は何故か面食らった様な顔をすると、彼も戦闘体勢を解いた。
「アイツは、生きてるのか…?」
ようやく話が通じるようになったと思い、ローレンスは外行き用の態度へと戻った。
「何か事情があるようだが、貴方の素性がわかるまでは詳しく説明する気はない。名を名乗れ。」
男がカリナ邸の近所で聞いた話では、ローレンスによって主以外の使用人は皆殺しにされたという。
どういうわけかわからないが、彼女が生きているのならと自身の素性について話始めた。
「俺はレオン、ナタの幼馴染みだ。屋敷に行ったらアイツも使用人も居なくて、それで…。テメェが噂通りの男なら、生きてたとしてもあのクソ女みてえに嫌がらせしてるに違いねえ。そうなんだろ?」
ローレンスはようやく彼の言動の理由を理解した。
なるほど、つまり悪い騎士に捕らわれた幼馴染みを奪還しに来たというわけか。
偽りの噂で自身を守ることに関して悔いたことはなかったローレンスだが、今この時だけは少し後悔した。
荒れた敷地は責任を持って自分で整えよう。
ローレンスは仕事を増やされた憂鬱感で溜め息をついた。
一方、ギルバートは二人の闘いぶりに怯んで身動きがとれずにいた。
その場で立ち尽くしていると、ローレンスが此方に向けて手招きをした。
「ギル、彼を客間へ案内してくれ。私はナターシャを連れて後からそちらに向かうよ。」
「え、あ、はぁ…。」
先程までの殺伐とした雰囲気から一転し、まさか彼を客人として扱うとは思わなかったギルバートは間の抜けた返事をした。
レオンはローレンスの視線を追ってギルバートの方へ振り返るが、なにせ彼は元から目付きが悪い。
ギルバートは不安に思いながらも男を客間へ案内することになった。
二人は互いを警戒し合っており、客間へ向かう最中は一言も会話をしなかった。
客間へ案内したギルバートは奥のソファへとレオンを誘導し、助けを求める様な思いでローレンスを待った。
沈黙が流れる中、レオンが口を開いた。
「なぁ、あんたは何であの男に従ってんだ?いかにも嫌われてそうなヤツなのによ。」
レオンは決して悪気があるわけではない。
何か事情があるのではないかと同情しているのだ。
しかしギルバートからすれば、慕っている主を侮辱されて黙ってはいられない。
「当然、私が彼を慕っているからです。貴方の様な他人の屋敷で暴れる野蛮な輩にはわからないでしょうが、旦那様はこの魔界を支える偉大なお方なのですよ。」
レオンは彼を心配しているというのに、それを無下にされたことに腹を立てた。
「あ"?あの弱っちい力で魔界を支えるだ?冗談はそのセンスの悪い眼鏡だけにしとけよ。」
「何だと?これは旦那様から頂いた魔道具です。ただの眼鏡と一緒にしないでいただきたい。」
初めは軽い口喧嘩だった二人の会話は、段々とヒートアップしていくのであった。
一方ローレンスは、恐らく休憩中であろうナターシャを呼びに彼女の部屋を訪れていた。
扉を軽く叩くといつもの気弱な返事が聞こえ、ローレンスが外から要件を伝えると彼女はすぐに扉を開けて顔を出した。
「ナターシャ、貴女に客人が来ている。名をレオンと名乗っていたが、彼とは幼馴染みなのか?」
「へ!?れ、レオが、このお屋敷に…?かしこまりました、すぐに向かいます!あ、でも一応お客様だし、お茶を持って行かないと…。」
ナターシャはあたふたとしながらもお茶を用意し、ローレンスの後を追う様にして客間へ向かった。
客間が近付いてくると、中から何やら大きな物音や悶える様な声が漏れ聞こえてくる。
ローレンスとナターシャは何が起こっているのだろうかと互いに顔を見合わせ、非常時に備えてそっと扉を開けた。
すると扉を開けた先では、レオンがギルバートの上に馬乗りになって彼の顔面を床に押さえてつけていた。
逆にギルバートは拘束を逃れようと脚をバタつかせながらレオンの頬を抓って引き伸ばす。
そうした状態で二人は互いに睨み合っている。
何をしているんだ…。
初めは呆気に取られていたローレンスだったが、なんだか幼い子供の喧嘩を見ているように見えて微笑ましげにフッと口元に笑みを浮かべた。
「なんだ、二人はもう仲良くなったのか。」
茶化す様な声に反応したギルバートとレオンが、ローレンスへと同時に視線を向けると声を上げる。
「仲良くない!」
「仲良くありません!」
二人は息が合ってしまったことが非常に気に入らなかったらしく、屋敷の主を差し置いて再び言い争いを始めた。
「俺の真似をするな!」
「貴方が私の真似をしたのです。私の方が先に言いました!」
「いいや、俺の方が零点一秒早かった!」
ローレンスはギルバートの珍しい一面を見れたことを密かに嬉しく思っており、止めに入ることはしなかった。
するとローレンスの背後から二人の言い争いを聞いていたナターシャが、二人の喧嘩を止めようと震える声を張り上げた。
「あ、あの、あの……お、二人ともお辞めください!旦那様の御前ですよ!」
部屋中に響き渡った彼女の声にローレンスは驚きで一瞬目を見開き、ギルバートとレオンも彼女の意外性にぴたりと動きを止めた。
レオンはナターシャの姿を見てギルバートから離れると、彼女の方へ歩み寄った。
「ナタ…嗚呼、本当に生きて……。」
安堵の表情を浮かべたレオンはあることに気付いた。
カリナの屋敷で働いていた頃の彼女はいつも顔色が悪く、メイド服で隠された腕の痣が痛々しかった。
しかし今は顔色も良くなっており、傷一つない腕を隠す必要がなくなったためか肘まで袖をまくっている。
ローレンスの屋敷で働いてから、彼女は変わったのだ。
ナターシャは用意した紅茶をテーブルに置き、レオンに向けて柔らかく微笑んだ。
「ええ、そうよ。初めて会った時の旦那様は少し恐かったけど、私の痣に気付いて助けてくださったの。これからはきっと、もう貴方に心配をかけずに済むわ。」
レオンは信じられなかった。
第一印象は噂通りの騎士であるように感じたが、彼女の変化を見る限りは確かに前の屋敷で働いていた時より労働環境が良くなっているように思う。
自身の立場はただの庶民でカリナから嫌がらせをされていると知っても、力だけではどうやっても彼女を助けることはできなかった。
しかし最強の騎士であるローレンスならば、彼女をどんな脅威からも守ってくれるのではないか。
そう考えていた時、ローレンスが冗談交じりに言った。
「ナターシャ、どうやら彼は悪い騎士に捕まった貴女を助けに来たらしい。さぁ、逃げるなら今のうちだよ。」
「わ、悪い騎士だなんて、そんな…!私の様な役立たずでも旦那様はいつも気にかけてくれて、貰ってばかりでは、私は……。」
ローレンスはレオンがこの屋敷を訪れてからずっと考えていた。
もし彼がナターシャを連れ帰ると言うのならば、それを受け入れるのが彼女にとっての幸福なのではないか。
彼女には選ぶ権利がある。
主への忠誠か、これからを自由に生きるか。
しかし彼女は自覚していないだけで実に有能だ。
手放すのは惜しいが、迷っていたら背中を押そう。
そう心に決めていたのだ。
ローレンスが俯いているナターシャの頭にポンと手をのせると、彼女は驚いて此方を見上げた。
「それは違うよ、貴女は役立たずなどではない。今の貴女を縛るものは何もないのだから、これからは自由に生きるといい。」
彼の言葉にナターシャは暫くまた悩んでいたが、やがてレオンの方へ向き直ると真っ直ぐに見詰めた。
「レオ、私、自由に生きてもいいのなら…もっとこの方の下で働きたいわ。だめ、かしら…?」
「えっ…。」
ローレンスはすんなりと自身の下から離れていくと思っていたため、想定外の言葉に思わず間抜けな声が漏れた。
ギルバートも面食らってはいたが、自分の仕事が増えずに済むと思うと安堵した。
レオンも矢張り予想外だったらしく、どう返答したら良いものかと困惑している。
「ナタ、本当にいいのか?お前の夢は格闘家だろ?」
「そんな夢が…って、格闘家!?」
それまで黙って聞いていたギルバートが声を上げた。
ローレンスは格闘家の彼女を想像したが、あまりに飛躍した話だったため目が点になる。
そんな二人の反応を見たナターシャが恥ずかしげに少し頬を赤く染め、その理由を話した。
「あ、えっと…野蛮なことが好きだからではないんです!ただ、レオみたいに強くなりたくて、憧れて…えへへ。」
可愛い顔して武闘派だったのか。
しかしその容姿なら初見の相手くらいには勝てそうだ。
確かにレオンが幼馴染みとなると、自分にはない強さを求めてしまう彼女の気持ちもわからなくもない。
ローレンスは納得した様にうんうんと何度も頷く。
密かにトレーニング器具の購入を決意した。
そんな中、レオンがローレンスの前に歩み出た。
「なぁ、あんたに頼みがある。それが聞き入れられないなら、俺はナタを連れて帰る。」
「…わかった、聞こう。」
相変わらず上から目線なこの男に腹が立つ。
しかし彼女の為に、そして自身の目的の為にも口を挟みたくなる気持ちを抑えた。
「俺の力だけじゃ、ナタは救えなかった。あんたのおかげで彼女は笑うことに無理をしなくなった。だからあんたが俺の代わりに彼女を守ってやってほしい。それから、俺もあんたの所で雇ってくれ!」
ローレンスへ深々と頭を下げるレオンの横で、ギルバートはそわそわとしていた。
この男が雇われたら、毎日喧嘩ばかりになる自信しかないからだ。
そんな彼の気持ちをよそに、ローレンスはあっさりとそれを承諾した。
「もちろんだよ。丁度、王が私に護衛をつけたいとうるさかったんだ。これからよろしく頼むよ、レオン。」
そう言って彼へ右手を差し伸べた。
レオンとローレンスが手を取り合う中、ギルバートは胸の内で涙を流すのであった。
一方手を取り合っている二人だが、ローレンスは小声で耳打ちをした。
「そういえば、時と場合だけ弁えてくれれば屋敷での恋愛は自由だから。私は応援するよ、レオン。」
顔から火が出る勢いで真っ赤になったレオンの反応を見て、ローレンスは悪戯をする少年の様に笑った。
そんなこんなで屋敷に新たな仲間が加わってそう時が経たない頃、ローレンスが仕事をしようと自室へ行くと、デスクに例の薄桃色の液体が入った小瓶が二本、そこへ置かれていた。
誰の仕業か容易に予想がついているローレンスは、すぐにギルバート、レオン、ナターシャを呼び出した。
三人がローレンスの部屋の前まで来ると、扉の隙間から何やら黒い霧の様なものが漏れ出ている。
非常事態でも起きたのではないかと慌てて部屋へ突入するが、そこにはあの黒いオーラを纏ったローレンスが此方に背を向けてデスクの前に立っていた。
三人の到着に気付いてそちらへ振り返るローレンスは、口元に歪な笑みを浮かべる。
怒気を含んだ低い声で説明を求めた。
「ギル、これは一体どういうことかな。契約なんてそう息をする様にやるものじゃないんだぞ。」
彼の威圧に萎縮してしまったナターシャの隣で、レオンが真剣な面持ちでローレンスに訴える。
「いや、これは、その…契約に関しては俺とナタがコイツに頼んだんだ!……です。俺達の忠義はあんたのモン…じゃなくて!旦那様のものです。その証として受け取ってください。」
ギルバートは知っている。
ローレンスはあの見た目でも押しには弱いのだ。
そのうちに彼は諦めた様に溜め息をつき、二本の小瓶を手にして眉を下げて呟いた。
「これ、私もノーダメージじゃないんだけどな…。まぁいいや、後で調整すれば。」
三人にはこの呟きの意味が理解できていない。
ローレンスは一本ずつ小瓶の蓋を開けて中身を一気に飲み干して詠唱した。
直後、ナターシャとレオンは心臓部への一瞬の痛みに儀式の成功を確信する。
一方ローレンスはというと、一瞬だけではあるが眉間に皺を寄せて口元に手を添えた。
ギルバートが契約をした時は見せなかった行動だ。
本で読んだ時には契約する側に身体的な影響はなかったはずだ。
もしや副作用の様なものがあったのかもしれないと心配になったギルバートは、ローレンスの下へ歩み寄った。
するとローレンスは此方にパッと手を伸ばし、全員退出するよう指示をした。
指示に従った三人は、それから部屋の中でローレンスがどうなっていたのかはわからない。
しかし、数時間経って普通に屋敷を歩いているところを見ると、異変がないことを確認して安心した。
数時間前、三人が退出してローレンス一人となった部屋。
彼は口元を手で覆ったまま歪んだ視界の中を、何かを探す様に空いた手でデスクの引き出しを開ける。
そこには青い液体の入った小瓶がいくつかあり、そのうちの一本を手に取って蓋を開けると、荒くなった呼吸を抑え付けながらそれを飲み干した。
空になった小瓶を握り締めたまま、うずくまっていた。
暫くして症状が治まった頃、ローレンスは気が抜けたのか気絶してしまいその場に倒れ込んだ。
次話から現在の時系列へ戻ります。