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姉捨山

作者: 予備吾

 「わかっていただけただろうか依神女苑? 君の姉がこの幻想郷にとって存在価値のない存在であることが」

 そう言って豊聡耳神子は、私の前で威勢のいい音を立てソバをすすりあげた。

「姉さんが役立たずってのは同意だけど、いったい急になんの用よ?」

 この日、私は新しいカモ探して里を歩いていた。でもその途中、急にやってきた神子につかまって里のソバ屋へと引きずり込まれた。ちなみにアイツは天ソバを注文した。

「単刀直入に言おう。私は君の姉、依神紫苑をこの里から追放しようと思っている」

「だったらアンタ一人でやりゃあいいじゃない。いちいち人を巻き込むなっつの」

「もうやったさ。私だけではない。幻想郷の多くの人間がそ試みた、が、ことごとく無駄だった。あの貧乏神はいつもいつも幻想郷に戻ってきてしまう」

「妥当な結果ね。貧乏ってのはそこから脱出しようともがけばもがくほどドツボにハマっていくものよ。ちょっとやそっとで姉さんと縁を切れるなんて思いあがりもいいとこだわ。私だって何度も試してみたけど、結局最後は姉さんと一緒になってしまう……」

「君のいうとおりだな。貧窮の性質とはいつの時代も変わらぬもののようだ。しかし、私には秘策があってね、女苑、君は幻想郷の外れに姥捨山と呼ばれる土地があることを知っているかい?」

「姥捨山?」

「かつてはこの里にも姥捨ての習わしがあったのだよ。しかもこの山にはね、大昔の人間たちがかけたあるかしりがまだ残っている」

「かしりって、呪いのことだっけ。いったいどんなやつよ?」

「ひとたびそこで人を捨てれば、もう二度と会えなくなる。言うなれば縁切りの呪詛さ。心変わりしもう一度会おうと思っても、助けようとしても二度と叶わない。人知を超えた力が彼らを引き裂きつづける。要するに君がその山で姉を捨てれば、君たちは永遠に離れ離れになるわけさ」

「なんですって!?」

「先程の口ぶりだと、姉を捨てたいと何度も願ってきたわけだろう? 喜べ女苑。君の念願はまもなく叶う」

「……ま、まあね」

「おや、随分気のない返事だね。まさか今更未練でも?」

「ま、まさか! 今更未練なんて……ただ、その、永遠に会えないっていうのは、ちょっと効き目が強すぎないかしら……」

 言うなれば、ブランド品と同じ。一度手に入ってしまえば大して価値を感じられない。手が届かない時が一番まばゆい。姉さんも同じだった。絶縁できると分かった瞬間、たちまち未練が湧いてきた。

「何かさ、他の方法はないの? あの不良天人に引き取ってもらうとか」

「彼女なら天界に連れ戻されたようだよ。地上の人々にこれ以上迷惑をかけるのは忍びないという理由でね。現在は幽閉されており身動きがとれないようだ」

「じゃあさ、アンタアイツの活用法とか思いつかないの? 邪魔な住人はすぐに切り捨てるのが、為政者としてのアンタのやり方なわけ?」

「私とて考えてた。考えたのだよ。君たち二人をなんとか活かしてやる方法はないか。まさかこの私の掌にすくいきれぬものなどあるまいと。まあ結論からいうとフツーにあったわけだな。私の頭脳を持ってしても社会転覆とか人工飢饉とかそういう方面の発想しか思い浮かばなかった」

「アンタホントいっつも上から目線でイラッと来るわね」

「……? 君は太陽光線が頭上から注ぐのにも愚痴を吐くタチかい?」

(無敵かよコイツ……)

「まあいい。君は必ず承諾する。私とて為政者のはしくれ、民がどれほど貧窮というものを厭うか、それは知っているつもりだよ。ほら、これは前金さ」

 神子は懐から数枚の紙幣を取り出し私の前に並べた。

「受諾してくれたならこの三倍は出そう。断る場合でも金は返さなくていい。これはほんの気持ちさ」

 神子はそういうと、好物は最後に残すタイプだったのか、最後に残ったエビ天を華麗な箸さばきでたいらげて、店を出ていった。

「……どうしよ。とりあえず、天ソバでも食べるかあ」

 

 天ソバを食べて満腹になった後も、私の葛藤はつづいた、認めざるを得なかった。アイツに指摘された通り私は姉さんに未練がある。

(だってしょうがないじゃない。なんだかんだ言ってたった一人の家族なのよ? 生まれた時からずっと一緒だったのよ。とっくの昔に別れることなんて諦めてたのに、今更あんなこと言われたって……)

 私は行く当てもなく歩きつづけた。そのうち私は命蓮寺の前まで来ていた。

(寺かあ。なつかしいわね。私がアイツと縁切ったって聞いたらアイツらなんて思うだろ。特にあの、善人気取りの住職とかさあ……)

「久しぶりですね女苑」

 振り向くとそこには、命蓮寺の住職、聖白蓮が立っていた。

「白蓮じゃない。なんか用?」

「聞きましたよ女苑。あの貧乏神と縁を切るようあの人から提案されたとか」

「そうよ。めんどくさいわよねえ。私のこと巻き込まず勝手にやれっつの。あーあ、どうすりゃいいんだろ」

「決めるのはあなたの自由です。ただ……家族は、兄弟は、大切にすべきだと思います」

 白蓮は私の目をまっすぐ見て言った。強く何かを訴えかけてくるようなまなざしだった。それで私は思い出した。

(ああ、そういえば、コイツも弟と死に別れてたっけ……)

 思い返してみると、この時の私はホントに救いようのないバカだった。

「決めたわ。私は姉さんを捨てない。姉さんといっしょにここに留まりつづける。白蓮、アンタだって許してくれるでしょ? 私と姉さんがここにいることを……?」

 でも白蓮の答えは、私の予想とは違うものだった。

「ええっ!?」

「……え」

 白蓮は心底驚いた表情を浮かべた。そしてしどろもどろになりながら私に尋ねてきた。

「で、でも……あの姉のせいで散々酷い目に遭ったのでしょう? そ、それでも女苑は、あの貧乏神を見捨てないというのですか!?」

「そりゃあ数えきれないくらい迷惑こうむってきたけどさ、私にとってはたった一人の肉親なのよ。アンタだって弟と死に別れてるわけだし、私の気持ちもわかってくれるでしょ……?」

「みょ、命蓮とあんな貧乏神をいっしょにしないでください!!」

 露骨にムッとした表情で言い放った後、白蓮はハッとして顔をうつむけた。いかにも気まずそうな含羞の表情。ついうっかり聞き苦しい本音を漏らしてしまった……そんな感じの表情だった。

 それでようやく勘づいたわけだ。

(そういやあ、コイツの夢人格って……)

 昔姉さんといっしょに白蓮の夢人格とやり合った時のこと、夢人格のアイツは割合俗っぽくて怠惰な性格だった。んでもって表人格も夢人格も根っこの部分は一緒。まあ、答えなんて一つしかない。

(立場上止めただけであって、コイツも内心は姉さんのこと追放したいわけね。私の手で追っ払って欲しいってわけね)

 さっきの白蓮のまなざしに込められてたものは、念押しだったということに私は気づいた。「これは立場上そう言ってるだけ。はっきりあなたの口から姉を捨てると宣言しなさい」、言外にそう伝えようとしていたわけだ。結局白蓮にとっても姉さんの存在は心底煙たいものらしい。

 私はひどくやけっぱちな気分になった。わかっちゃいたけど再認識した。私たち姉妹の味方なんて誰もいない。もし私が意地を張るようなら、白蓮まで敵に回りかねない……

「……わかったわよ」

「わかったって……」

「やっぱりアイツの提案受け入れて、姉さんのこと捨ててくるわ。それでいいでしょ?」

「も、もちろ……じゃなくて、い、いやあ残念ですねえ……で、でも女苑がそういうなら、私の出る幕ではありませんよねえ…………」

 腐っても尼僧っていうか、多少は罪悪感を感じてるっぽかった。途切れ途切れになりながらのためらいがちな言葉。でも安堵の表情は隠しきれていなかった。なんていうか、情けなかった。やるせなかった。

(神も仏も見捨てるとは、まさにこのことかしら……)


 白蓮と別れた後、私は途方に暮れた気分で人里をさまよってた。一度宣言してしまった以上撤回は許されない。私はこれから姉さんを見つけて、その姥捨山とやらに姉さんを捨ててこなきゃならない。でもいくら探しても姉さんは見つからなかった。無意識のうちにストッパーがかかっていたのかもしれない。私は姉さんと会いたくなかった。

 そのうち、大きな歓声を聞こえてきた。人里の一角で異様などよめきが巻き起こっていた。何事かと声の方まで歩いてみると、あの騒霊三姉妹たちがライブだった。大勢の村人が集まって大いに熱狂している。ぼんやり眺めていると、メルランがリスみたいに頬を膨らませ威勢よくトランペットを吹き鳴らした。客たちはたちまち大興奮。飛び跳ねたり歓声を上げたりとかくライブを満喫していた。

 でも観客たちが騒げば騒ぐほど、私の中の虚しい気分は強まっていく。かつてはあの狂乱の真ん中には私と姉さんがいたのだ。幻想郷の強者たちを相手に知恵と工夫で連戦連勝。最終的には負けたとはいえあの頃は楽しかった。私たち二人ともキンキラキンに輝いてた。

(そうよ。姉さんとの間に、楽しい思い出がなかったわけじゃない……)

 

 ますますわからなくなっていく心。迷いを抱えたまま私は歩きつづけ、気づけば里の外れにまでいきついてた。そこで私は珍妙な物体を見かけた。ボロ切れとかムシロとか新聞紙とか、そういう薄くてひらひらしたものが寄せ集められて大きな塊になって、道の端にポツンと転がっている。私はなんだかバカにされてるような気分になって、体中の力を固くとがらせた爪先の一点へと集中させた。そしてその大きな塊を思いっきり蹴飛ばした。でも「のれんに腕押し」じゃない。たしかな鈍い手ごたえがある。少し遅れて、「いった……」って間の抜けたうめきが聞こえてくる。聞き覚えのある声。

「何すんのよ……って、女苑じゃない」

 塊の中からもぞもぞと、姉さんが顔を見せた。呆れたことに、ミノムシみたいにゴミを巻き付けて布団の代わりにしていたわけだ。

「姉さん……」

「急に何なのよ女苑……私まだ眠いのにぃ……」

 姉さんは大きなあくびをした。ライオンがするような余裕たっぷりのあくびだった。私はその呑気さ加減にイラっとした。

「あくびしてる場合じゃないのよ姉さん! 緊急事態なのよ! あのエセ聖人主導で姉さん追放計画が進行中なの!!!」

「ああ、それ知ってる。まあ、私にはどうしようもないけどさ」

 その時の姉さんは私の大キライな顔をしていた。キョトンとしてるような、最初からすべてをあきらめているような、やる気もシャカリキも感じさせないカラッポの表情。私はこの顔を見るたびに、「君たちがしてきたこともしていることも、これからしようとしていることも全部全部ムダなんだよ」って、運命のカミサマに指さされて笑いものにされてるような、そんな気分になったものだった。実際そうだったのだ。姉さんが隣にいる限り私の計画はすべて失敗に終わる……。

「いい加減にしてよ姉さん!! 今度はホントなのよ! 姥捨て山の呪いとやらで私たち二度と会えなくなるの!!」

 ここまで言っても姉さんはまったく動じてなかった。やっぱり興味なさげなあのカラッポの表情を崩さなかった。私はますますイラついた。どれくらいイラついていたかというと、もう哀しみと見分けがつかないくらい……。

「どうしてそんな態度取れるのよ! 私たちなんだかんだ言ってさ、これまでずっと一緒だったじゃない! 一旦離れることはあっても、最後にはまた二人いっしょにくっついてたじゃない!!」

 姉さんは答えなかった。代わりに、

「ぐぎゅるるるるううう!!」

 ウシガエルのゲップみたいな音が姉さんのおなかから鳴り響いた。私の中で何かがプツンと音を立ててキレた。

「もういいわよ! 姉さんなんてもういらない! 絶交よ!!」

 私はほとんど涙目になりながらそう絶叫した。

 

 すぐさま人里を出発した。神子曰く、その姥捨山っていうのは幻想郷の南の外れにある。私は姉さんの手をぎゅっと握りしめて、ぐいぐい進んでいった。

 山の麓には疎林が広がっていて、例外なくやせ細り、代わりに上背だけは高い木々がうっそうと茂っている。私たちはその中を進んでいった。静かだった。普通森の中っていうのは生命の気配に満ちているものだけど、ここは違う。鳥の声一つ聞こえない。時々風が吹いて葉が揺れる以外何も動きがない。代わりにぬめぬめした大きなキノコなんかが、わがもの顔でデンと居座っていたり。そういう空間の中だと、自分たちの動き、落ち葉を踏むカサカサって音。そればっかり強調される。私と姉さんを置き去りにしてあらゆる命が消えてしまった世界……。

 世界における唯一の他人である、姉さんの存在がたちまち強調される。姉さんの足運びはなめらかなものじゃない。早足の私と比べていちいちトロトロしていて、私をイラだたせる。

「姉さん、もうちょっと早く歩いて」

「別にいいでしょ。疲れるのいやだし、のんびり行こうよ」

「呑気なものね。もうすぐ今生の別れってこと、ホントにわかってるの?」

「わかってるわよ。そもそも私は今自分の意志で、捨てられようとしているんだもの」

 私は振り返って姉さんを見た。

「待って姉さん、それって……」

「抵抗しようと思えばいくらでもできたよ。人里の真ん中で不幸大爆発を起こすとかさ。でもそんなことしたって、みんな不幸になるだけ。不幸になるのは私だけでいい」

「姉さんは、いったい何を考えて……」

「私たちってさ、正反対の姉妹だよね。女苑はなんだかんだいって前向きだけどさ、私は最初から全部諦めてる。でも私たちは離れられなくて、私のせいでいつも女苑を不幸な目に遭わせてしまう。それが昔から心苦しかった。離れられる方法があるならその方がいいよ。女苑がひとりでしあわせになりなよ」

 私は愕然とした。姉さんは最初から全部わかっていたのだ。自分が追放されること、私と二度と会えなくなること、それを承知の上で今、私に捨てられようとしている。私のしあわせのために……

「で、でも、姉さんはそれでいいの? 何か、望みとかはないの?」

「望みならあるよ。例えば、お腹いっぱいになることとか……」

「そういうのじゃなくて、もっと大きな望みよ! それを持つことで前向きになれるような……」

「前向きになるってことが、あらゆる不幸の源じゃないの? だって私たちは、必ず最後には不幸になるんだから。失敗するんだから」

 姉さんの口ぶりは冷たかった。批評的な冷たさだった。私の動揺が強まっていく。

「でもだからって、すべてを諦めて生きるなんてみじめすぎるわよ!」

「みじめでもいいじゃんって、私はそう思っちゃう。その点女苑は強いと思う。立派だと思う。でも私はダメなヤツだから、とっとと諦めてくれないかなってずっと思ってた。そうすれば私は、女苑の目の強い光を見てひけめを感じることはなくなる。私は女苑が熱い目をしてるのを見るのが、昔から大キライだった」

 ようやく気づいた。私たちは根本的に違っている。でもそれと矛盾することなく私たちは似た者同士だ。同じ悲劇の中で生きている姉妹だ。

「ねえ、姉さん、どうしてこうなっちゃったんだろう。どうして姉さんを捨てたりしなきゃいけないんだろう」

 もうひとつ気づいたことがある。私は姉さんをキライになりきれない。姉さんがいないと私はさびしい。きっと永遠にさびしい。

「……女苑、今更躊躇してるの? ダメよ。今未練に流されたらいずれ必ず後悔する。二人いっしょにいたって二人とも不幸になるだけ」

「……」

「さあ行こ、女苑」

 姉さんは私の手をギュッと握りしめた。私は握り返さなかった。全身から力が抜けてしまっていた。そんな私を引きずるようにして姉さんは先へ先へと進んでいた。立場が変わってしまっていた。私が普段の姉さんみたいに無気力になって、姉さんの方が意志の光をその瞳にひらめかせている。

 きっとこの時の私はキョトンとしているような、最初からすべてを諦めているような、そんなカラッポの顔をしていたと思う。私の大キライなあの顔。

 長い間歩きつづけて、その間一度も新しい気力が湧いてくることはなくて、私たちはとうとう姥捨山の頂上まで着いた。そこにはもう一本の木も生えていない。すっかり禿げあがっていて、赤土の上に石がまばらに転がっているだけ。代わりに風が恐ろしく強かった。絶え間なく吹き荒れて激しい音を立て、砂塵をもうもうと巻き上げる。ホントにこの世の果てみたいなさびしさだった。

「さあ帰りなよ女苑。人里に帰ってさ、女苑一人でしあわせを掴んで」

 姉さんの言葉に逆らう気力が私にはもうなかった。私は姉さんに背を向けてひどくみじめな気分でフラフラと歩きはじめた。一歩歩くごとに涙があふれてきた。奥歯を嚙みしめこらえようとしてもどうしても嗚咽が漏れてしまう。私はすっかりグズグズになっていた。でも、まだひとつだけ心の中に火種が残っていた。私はその火種の力を借りて、一度だけ立ち止まり、振り向き、姉さんに伝えようとした。

「ごめんなさい姉さん……。姉さんの妹に生まれることができて、よかった……」

 これを言うだけでもう、気力の限界だった。私は泣きじゃくりながら、おぼつかない足取りで山をくだっていった。


 言葉というものが矢みたいに心に刺さって、抜けないということがある。――姉さんの妹に生まれることができて、よかった――女苑が去ったあと、私は女苑が残したこの言葉について考えつづけた。

 ――私は自分が、女苑から嫌われていると思っていた。

 それはきっと間違いではないはずだ。私たちはいつも喧嘩ばっかりだった。それもそのはず、望みを持って前向きに生きようとする女苑と、望みを捨て無気力に生きようとする私。そりが合うはずもない。そうでなくとも女苑は小憎たらしいヤツだ。金にがめつくて見栄っ張りで、いつも私のことを小馬鹿にしてばかり。でも、ホントにキライになったことは一度もなかった気がする。それは女苑も同じだったみたい。じゃなきゃ、「姉さんの妹に生まれることができてよかった」なんて、そんな言葉が最後に出てくるはずもない。

 私たちは根本的に違っている。でもそれと矛盾することなく似た者同士みたいだ。違っているから、キライになる。でもキライになりきることは二人ともできない。似た者同士だから。この世でたった一人の、「姉妹」だから。

 「ねえ、女苑、しあわせってなんだろうね」、そうつぶやいて、私はある言葉を思い出した。この前毛布の代わりに使ってた古新聞の社説に、引用があったのだ。外の世界で有名なコメディアンのセリフ――人生はクローズアップで見ると悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ――「意味が分からない、コイツはバカだ。悲劇はただの悲劇だ」と私は内心罵ったものだった。けれど、ようやく意味がわかった気がする。あれは私と女苑のことだ。私たちはいつも失敗しつづける。決して不幸から抜け出せない。でもその不幸は、ロングショットで見れば喜劇だったのかもしれない。今自分の人生を振り返ってみて、しあわせだったのはいつも女苑とバカをやってる時だった。どうせ失敗するんだろうな、不幸になるんだろうな、薄々感づいてるけど、今の楽しさがそれを忘れさせてくれる、そんな時間が一番しあわせだった。その時は悲劇でも、振り返ってみればいい思い出。大切で豊かな人生の悲喜こもごも……。

 なのに私たちはついさっき、そのしあわせを手放してしまった。別れの間際に女苑が流した涙をぬぐってくれる者はきっともういない。お金? ブランドものの服? そんなもの孤独を際立たせるだけだ。憑依異変の際私は、実は女苑がこころの豊かさを望んでいたことを知ってしまっている。

(――これまでずっと、姉らしいことはしてあげられなかった。だけど、今回だけは違う。私がもう一度女苑の隣に立って、アイツの涙をぬぐってやる)

 私は覚悟を決めた。私は死ぬほどの目に遭うだろう。それでもかまわない。

 多分この時の私の眼には、普段の女苑みたいな、強い意志の光が宿っていたはずだ。


 茫然自失のまま歩きつづけ、夕方になって女苑はようやく人里へとたどり着いた。里の通りには大勢の人がいて誰もが家路へと急いでいた。愛する家族の待つ我が家へと……。

「姉さん……」

 女苑はポツリとつぶやき、後ろを振り向いた。しかしそこにはもう誰もいない。

 そんな時だった。ある人物が人ごみをたくみにかきわけ、女苑のもとへと歩みよってくる。豊聡耳神子だった。

「おかえり女苑。無事役目を果たせたようだね。ほら、これは報酬だ」

 神子は紙幣の束を女苑へと握らせようとした。

「いらない!」

 女苑は声を荒げてそれを拒んだ。

「おや、どうしたんだい? 君が愛してやまないお金じゃないか」

「いらないったら、いらない! そんなもの今更、今更……」

 はらはらと涙を流しながら女苑は何度も繰り返した。

「ダメだ。受け取りなさい。君が自発的に、ではなく、私の命を受けてというのが大事なんだ。里の連中に私の手腕をアピールする上で格好の材料になる。貧乏神追放という大手柄のね。それを証だてるのがこの報酬だ」

(もうやだ……どうしてあんな馬鹿なことしちゃったんだろう。こんな惨めな思いをすると知っていれば……)

 その時だった。夕暮れの空に突然、一匹のオオワシの鳴き声がとどろいた。ワシは何か大きいものを持っていたが、それを不意に放した。当然そのまま落下したそれは、神子の頭を直撃した。

「ぐわっ!!?」

 神子がバタリと倒れる。女苑は目を見開いた。そのオオワシが落としたあるものとは、女苑の姉――依神紫苑だったのだ。

「姉さん!? ど、どうやってここまで戻ってきたの!!?」

 紫苑はすぐには答えなかった。答えられなかった。紫苑はどうしてか全身ボロボロになっていた。それでも最後の力を振り絞り、立ち上がって女苑の問いかけに答えた。

「わ、私の不幸パワーを一気に爆発させたのよ……その、姥捨て山の呪いってヤツの因果修正力を、上回るくらいの……。とんでもない目に遭ったわ。いきなり土砂降りの雨が降って大風が吹いて……。大風に吹き飛ばされて山肌をズタボロになりながら転がって、川に落ちたの。雨のせいで増水しててさ、何度も溺れそうになりながら流されつづけて……その途中で、魚と間違えられたのかオオワシにさらわれたの。でも途中で食べられる箇所がロクにないって気づいたのか空の真ん中で解放されて……ようやくここまでたどり着いたってわけ」

「で、でもどうしてそんなひどい目に遭ってまで、私のもとまで……」

「決まってるでしょ女苑」

 紫苑はにっこりとほほ笑んだ。女苑がこれまで見てきた姉の表情の中で、もっとも美しいものと言ってよかった。

「もう一度女苑と、いっしょに生きるため」

 差し出された紫苑の指先が、あふれ出した女苑の涙をそっとぬぐいとった。


 女苑が肩を貸し、ボロボロの姉を支える格好で、二人は人里の通りを歩いていた。

「どこ行くの女苑……」

「そうねえ。まず銭湯にでもいきましょうか。私がボロボロの姉さんをキレイに洗ってあげる。そうしてさっぱりしてさ、生まれ変わった気分で、何かおいしいものでも食べに行きましょ。なあに、お金の心配はいらないわ」

 神子の「報酬」である紙幣をヒラヒラさせながら、意気揚々と女苑は言った。

「結局もらってきたんだ、それ」

「言われた通り、私はちゃんと姉さんを捨ててきたからねえ。その後姉さんが勝手に戻ってきたからって、契約不履行にはならないでしょ。損害賠償ならだらしのない姥捨山の呪いにふっかけてやってくれって感じ」

「やっぱり女苑はがめついねえ」

 皮肉られても女苑が不機嫌になることはなかった。むしろケタケタと愉快そうに笑うばかりだ。

「そうだ姉さん。最近幻想郷でさ、黒い水が湧き出る異変が起きてるみたいなの。私と一緒に参加してみない? 私この異変にさ、金の匂いを嗅ぎつけたのよ」

「いいねえ。面白そうだねえ。でもいいの? 私を参加させたらまた失敗するかもよ」

「最初はそう思ってさ、姉さんに内緒でひとりで参加しようと思ってたけど、もういいの。最終的に失敗することになろうとも、姉さんと異変を楽しむ方がずっと大事。ねえ、こんな言葉知ってる? ――人生はクローズアップで見ると悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ――悲劇に見えてもさ、長い目で見れば、人生っていうさ大きな喜劇を彩る大事な一コマなのかもしれない。今回のことを経て、そう考えるようになったの」

「……フフ」

「どうしたのよ姉さん、急に笑ったりして」

「やっぱり私たち、似た者同士だなって」

 どこかなつかしいような感じのする、夕暮れ時の空を見上げながら紫苑は言った。どんなにまぶしくたって日は必ず暮れる。どんなに楽しいことだっていずれ必ず終わりがくる。その最後の時必要なものとは、思い出。そしてほんとうによい思い出とは、かたわりに気心知れた誰かがいなければ、けして作りえぬもの……。

「女苑、私たち一度離れ離れになったことで、少し互いのこと、分かり合えた気がするわ……」

 そう言って紫苑は、女苑に微笑みかけた。

「ホントに、ホントに少しだけね」

 女苑もまた笑った。二人仲良く並びながら、紫苑と女苑は意気揚々と銭湯ののれんをくぐった。


 





 

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