人生を生きる価値
「生きる価値の無い人間なんていない」
読書などをされる方なら一度は目にしたことがあると思いま
す。どんな人にでも人それぞれの個性があって、決してこの
世界に不必要な人はいない。そういったニュアンスが込めら
れているのだと思われます。ですが本当にそうでしょうか?
これは僕個人の意見なのですが、結論から言いますと
「人生を生きていく価値の無い人間は存在する」
と、僕は思います。
なぜこのようなこと書き留めているのかといいますと、改め
て僕自体が「生きる価値の無い人間」に値すると実感したか
らです。
僕は高校三年生の私立の進学校に現在通っています。
ただ、進学校に通っているといえど、テストでは常に最下位
争いをしており、二年の学年末のテストでは赤点に赤点を重
ね、一時は進級の危機に陥っていました。
今はなんとか三年になれたものの、大学進学は絶望的であ
り、仮に進学できたとしても単位を落とし留年という結果は
目に見えています。
単に勉学ができないというのだけであるのなら、まだ大丈夫
でした。
世の中には大学に行ってない人もたくさんいますし、それで
もみんな頑張っているだろうと思います。
ですが僕の場合、勉学だけでなく、生活能力、自己管理能力
、その他ありとあらゆる点で他人に劣っているということを
自覚しました。
例えば、「人の話を聞かない」や「提出物をださない」な
ど、さらに身近なことで言えば「朝、顔を洗わない」など
と、普通の方々から、そんなこともできないのか、と言われ
てしまうことさえ僕はこなすことができません。おそらく皆
さんはこう思っているでしょう、「それくらい努力しろよ」
と。
中には、「そんな当たり前のこと当たり前すぎて努力も何も
ない」と思う方もいらっしゃるでしょう。ですが、それらの
発言に対し、僕はこう述べます。「僕は努力をすることすら
できない」と。
なに事も、努力をすることによってそれができるようにる、
あるいは、改善されると思います。
例えば、テストで良い成績を修めたいと思ったときに、勉強
という努力をすればテストで点をとることができます。
ですが勉強をするという‟努力”はどうでしょうか?
皆さんは物事を語るときに‟努力”を前提として語りますが、
そもそもこの‟努力”自体もできる人とできない人が存在する
のです。
ですが、普段から何事にも努力してこの世界を生きている人
からしたら、僕のこの発言は呆れてしまのでしょうね。「誰
だって好きで勉強してるんじゃない、みんな我慢して耐えて
るんだ」「努力ができないなんてのはただの甘え」僕は今ま
でさんざんとこれらの言葉を聞かされてきました。
皆さんは、「次のテストで赤点をとったら留年になるかもし
れない」という場面に直入した場合、どんな行動をとります
か?おそらく、というかすべての方は「勉強する」以外の選
択肢はないと思います。
そりゃそうですよね、だって勉強しなかったら留年してしま
うかもしれないわけですし。
そこで「勉強しない」という選択肢をとるのが僕なんです。
別に留年してもいいと思っているわけではありません。高校
で留年なんて死んでもごめんです。じゃあなんで勉強しない
のかって?
それは「めんどくさいから」これ以外の答えはありません。
実際、二年の学年末試験の際にこの状態に僕はなりました。
テストで赤点を取り、単位をとれてなく、今の状態じゃ進級
できない人だけに課せられた追試験にすら僕は落ちました。
本来ならここで留年なのですが、いくら義務教育ではないと
はいえ、進級は当たり前の高校での話なんで、特別にさらに
追試験を用意され、先生方の徹底的な指導の下、なんとか三
年に進級することができました。
大学なら追試験に落ちた時点で留年でしょうね。
普通の学生生活を送っている学生、または送ってきた社会人
の皆さんは理解できないような内容なんでしょうね。これだ
け言えば、僕の「努力のできなささ」がどれだけ異常かわか
っていただけましたか?
努力と才能は別の存在なんて言われますが、そんなことはあ
りません。努力ができることだって立派な才能です。
じゃあいかに自分の無能さを赤裸々に綴っていれば、僕は何
もしなくても許されるのか。そんなことはないということは
もちろんわかっています。「僕は努力ができないので仕事を
しないでお金をください」こんな甘い言葉が通用するような
ら誰だって努力なんてしません。
だから最終的に僕に浴びせられる質問は一つ、「努力も仕事
もできなくて、あなたには何があるの?」でしょうね。それ
に対する僕の答えは「何もない」ですね。
僕はこのままいけば、大学には絶対進学できないでしょう。
適当に専門学校あたりで無駄金を浪費した後は、親に言われ
て渋々とハローワークに向かい、たくさんの面接でふるい落
とされ、仮に受かったとしても、無気力のまま職場へと向か
い、たくさんの不注意から一か月程度でクビ、そして親の家
からフリーター生活、いや、フリーター生活すら送れない可
能性だって普通にあります。いつまでも親元から離れれず、
いわゆる「ニート」と呼ばれる存在。僕は今、それになりつ
つあります。
高一の時に、本気で自殺を考えたことがあります。理由は、
「学校の提出物に対する抑圧」です。
前々から、家で首を吊れる場所を探してて、友達に「首吊り
の予行練習をしてる」なんて血迷った発言をしてしまったく
らいです。ある日、学校からため込んでいた課題の提出の催
促の電話が家にかかり、それを知った親が激怒し、僕を机に
拘束しようとしたときに、僕の何かが吹っ飛んだ気がしまし
た。
僕は、制服で使うネクタイをとると、前にみつけておいた、
家で一番首を吊れそうな場所に向かい、首を吊ろうとしてい
ました。僕は精神が限界に達すると発作が起きて、過呼吸と
手足の痺れを発症するらしく、そのせいでネクタイをうまく
扱えず、その間に親に止められました。
今は自殺しようなんてことは思ってませんが、たびたび、
「あの時死んでしまった方がよかったのではないか」と思っ
てしまうことがあります。
本当にこの世界に生きる価値の無い人間なんていないのでし
ょうか?
こんな僕にも生きる価値はあるのでしょうか?