四十六話「カザフさん、虹色糞を混ぜる」
カザフは虹色糞を材料とした薬を作り始めた。
彼の右手には、色とりどりの鮮やかなそれが入った器。そして、左手にはナナから貰った白いスプーン。
「お湯、ちょっと冷ましてきました!」
少ししてカザフのもとに現れたのは、ナナ。
彼女はお湯で満たしたコップを大事そうに両手で持っている。
「ありがとう」
「ぬるくしておいて大丈夫なんでしたよね!」
「うん。助かったよ」
カザフが今から作ろうとしている薬。それを作るためには、ぬるま湯がいる。熱湯では熱過ぎて、しかし普通の水は使えない。指で触れて「温かいな」と軽く思う程度のぬるま湯が必要だ。
「そこに入れたら良いですか?」
ナナはコップを持ったままカザフの傍に寄り、尋ねた。
それに対してカザフはさらりと答える。
「うん。でも少量でお願いしたいな」
水分量が多くなり過ぎると、薬として使用することが難しくなってしまうのだ。
「ナナが入れて大丈夫ですか?」
「うん」
「じゃあ入れますよ。終わりの時は言って下さいっ」
器にぬるま湯を注ぐ重要な役を担うことになったナナは、緊張した面持ちで、両手で握っているコップを徐々に傾けていく。その手は、緊張しているせいか、若干震えていた。
コップは傾き、やがて、端から透明なものが零れ落ちる。
粘度の低い湯は、一度零れ始めると、するするとコップから離れてゆく。
「今!」
重力に従い上から下へと向かう湯をじっと見つめていたカザフが、突如叫んだ。
その叫びに反応し、ナナは咄嗟に、コップの傾きを平常時の位置まで戻した。
「だ、大丈夫でしたか……?」
一応カザフの声にきちんと反応できたナナ。だが、それでも心配がまったくないということはなかったようで、確認の意味を込めて言葉を発する。
「うん。ちょうどいいよ」
「よ、良かったですっ……」
カザフが微笑んで返したのを目にした時、ナナはようやく安堵したように笑った。
「この後もナナがお手伝いすることはありますか?」
「ううん。もう大丈夫だよ」
「そうなんですか?」
「うん。ここからは練るだけだから」
そう述べるカザフは幸せそうな顔つきをしている。
大切なナナと一緒に穏やかな時間を過ごせることを、嬉しく思っているのだろう。
「じゃあこのコップは——」
「あ、ここに置いていってもらっても良いかな」
ナナの言葉を遮り、カザフは言った。
最後まで喋ることができなかったナナだが、それを不快に思うことはなかったようで、明るい表情で「分かりましたっ」と返事をしていた。
それからナナは、カウンターの方へ移動する。
カザフは、スプーンと器を手に持ちながら、虹色糞を混ぜていく。まずは切るように、それから縁を描くように、そしてまた切るように。片手でスプーンを華麗に動かし、独特の方法で混ぜる。水分が減ってきたことに気づけば、ほんの少しだけぬるま湯を垂らし、またスプーンを動かす。それをひたすら繰り返す。
その動きは単調で、一見退屈しそうである。
だがカザフは退屈などしておらず、真剣な表情で、器の中身をひたすら混ぜていた。
ナナはというと、カウンターの奥の椅子に腰掛けて、近くのテーブルに置かれたビーズケースの蓋を開けている。
カザフの方は見ない。
真剣な彼の邪魔にならないように、と考えてのことなのだろう。
ナナは半透明の白いビーズケースから透明な細い糸を取り出す。それから、さらに、小指の爪の半分もないくらい小さなビーズも出してきた。赤、青、黄、と、出してくるビーズの色はランダムだ。
アクセサリー店はもう閉店している。それゆえ、人が入ってくることはない。灯りは消えていないけれど、ナナとカザフ以外の人間が現れることはない状況。
だからこそ、二人とも好きなことができるのだ。
来店を気にすることなく、それぞれ、今やりたいことをやることができる。
◆
「よし! 薬完成!」
混ぜることを始めてから三十分ほどが経過した時、カザフは突然声をあげた。
前触れのない大声に驚いたナナは、一瞬、ビクッと身を震わせる。が、急に放たれた大声がカザフのものだと気づくと、ホッとしたような顔でカザフの方を向く。
「完成したんですか?」
ナナの手には作りかけのビーズアクセサリー。
ちなみに、一個目に製作していたブレスレットは既に完成している。
今彼女が持っているのは、二つ目だ。
「うん。できたよ」
「どのようにして保存を?」
「紙を被せておいたら大丈夫だよ。使いたい時、もし乾いていたら、ぬるま湯を足せば問題ないよ」
カザフは丁寧に説明した。
それを聞いたナナは、カウンター奥の椅子から立ち上がる。
「じゃあ、その器に蓋できるくらいの紙が要りますね!」
「あ、今じゃなくてもいいよ」
カザフは遠慮がちに言うが、ナナはもう聞いていない。自身の思考のままに、紙を取りに行ってしまう。
「待ってて下さい! 持ってきますから!」
その後ろ姿を見て、カザフは「あぁ……」と小さく漏らしてしまう。そんなに急がなくても、とでも言いたげな顔をしていた。
ナナは行動が早い方だ。特に、カザフに何か頼まれた時には、素早く行動する。カザフとて、それ自体を悪く言う気はない。ただ、ナナがあまりに従ってくれるから、申し訳ない心境になってしまう時もあるのだ。




