二十二話「カザフさん、起こされた」
「カザフさん! カザフさん! 起きて、起きて下さいっ!」
朝、カザフはナナの声のよって意識を取り戻した。
窓からは穏やかな光が射し込んでいる。けれど、ナナの声は妙に緊迫した雰囲気をまとっていて。そこに違和感を感じたカザフは、すぐに上半身を起こした。
「……どうしたの? そんなに慌てて」
「呑気なことを言ってる場合じゃありません!」
鋭い物言いをするナナの目元には、涙の痕がうっすらと。
「魔物!」
ナナは青い顔をしたまま、部屋の入り口の方を指差す。
彼女が示している方を見て、カザフは愕然とする。
「えっ……」
寝惚けて騒いでいるのかと思っていたが、それは間違いで。そこには確かに、魔物がいた。
「魔物!?」
入り口の扉は外れていて、斜めになった状態で壁に引っかかっている。幸い、すぐには倒れてきそうにない状態だ。
だが、問題はそこではない。
宿の客室に魔物が入ってきていることが大問題なのである。
「だからそう言ってるじゃないですかっ」
「どうしてこんなところに……」
全長一メートルほどで、四足歩行の、狼に似た魔物。全身に生えている灰色の毛は、ごわごわしていて硬そう。触り心地の悪そうな毛質。尻尾は長く垂れている。
そして、獰猛そうな顔つきをしている。
口からだらりと垂れた長い舌には、赤い液体が付着している——既に誰かを襲った個体なのかもしれない。
「そんなこと言ってる場合じゃないです! ナナは戦えないんですよ!?」
「うん! 取り敢えず僕の後ろに!」
「寝起きで大丈夫ですか!?」
「いいから!」
「は、はいっ」
狼風の魔物はまだこちらを睨んでいる。カザフの巨体を見てもなお、襲いかかるつもりのようだ。
カザフはベッドの脇に置いていた剣をすぐに手に取り、鞘から抜いて構える。
魔物は視線をカザフに向けた。
だが、その程度で怯むカザフではない。
魔物との戦いとなれば強いのだ、彼は。
「とぉりゃあっ!」
カザフは剣を豪快に振る。
その凄まじい威力は、寝起きであっても健在だ。
襲いかかろうとしていた狼風の魔物は、カザフに飛びかかろうとしたところを剣で殴られ、床に叩きつけられる。
「どっせい!」
倒れ込んだ魔物に、剣を突き刺す。
止めの一撃だ。
——だが、その瞬間部屋に入ってきた別の個体が、ナナの方へ駆けていく。
「きゃあ!」
部屋の外に待機していたかのようなタイミングで駆け込んできた狼風魔物は、部屋の奥でカザフの様子を見つめていたナナに襲いかかる。
「ナナちゃん!?」
狼風魔物の前足によって床に押さえ込まれたナナは、身をよじって抵抗する。だが、完全に力不足で。まったく抵抗になっていない。
「た、助けて……」
ナナは恐怖に支配されながら、震える声を発する。
「すぐ助けるから!」
カザフはすぐにそちらへ向かう。
そして、魔物の首辺りを片方の手で掴み上げる。
「ナナちゃんに触るんじゃない!」
叫び、カザフは掴み上げた魔物を剣で切った。
魔物はすぐに動かなくなる。動けなくなったことを確認してから、その亡骸を放り投げ、ナナに手を差し出す。
「大丈夫?」
「か、カザフ、さん……」
ナナは全身を小刻みに震わせている。経験したことのない状況に陥り、怯えきってしまっている様子だ。
「怪我は? すぐに手当てを——」
「カザフさん後ろ!!」
直後、いつの間にか入ってきていた狼風魔物二匹が、同時にカザフに襲いかかった。
反応が遅れた。
カザフは背に噛みつかれる。
「っ……!?」
「カザフさん!」
ナナは涙目になりながらも、カザフが寝ていたベッドの上の枕を掴み——投げる!
が、枕はカザフの顔面に命中した。
「ちょ、な、何!?」
「あ! ごめんなさい! 当てる場所間違えました!」
カザフを助けようと枕を投げたナナだったが、緊張のあまり手が滑ってしまったようだ。
「こんなことしてる場合じゃない……! でもどうすれば……」
ナナは一人おろおろしている。
数秒後、カザフは体を回転させ、狼風魔物を何とか振り払った。
「ナナちゃんはそこにいていいから!」
「は、はいっ……で、でも……えいっ!」
混乱しきっているナナは、枕を再び投げる。
今度はカザフの後頭部に命中した。
「何で!?」
いきなり後ろから枕を当てられたカザフは、思わず叫んだ。
「ご、ごめんなさいっ……! また外してしまいました!」
「わざとじゃない……よね……?」
不安になりつつも、カザフは剣を握る。
噛まれた背中が少し痛むが、戦うとなればそんなことは気にならない。
「どりゃあ!」
再び向かってきた魔物を一振りで真っ二つに。
「どっせいっ!」
もう一体も真っ二つに。
「お、終わった……?」
二体を倒した時、客室内にようやく平穏が訪れた。
次の個体は現れない。
どうやら、狼風魔物の襲撃はここまでのようだ。




