二十一話「カザフさん、心に何かが芽生える」
ナナとカザフは一緒に客室へ戻った。
「そろそろ寝ましょうか!」
「うん」
幸いベッドは二つある。そのため、ゆったりと眠ることができる。もしベッドが一つしかなかったら、ナナは随分狭い思いをしたことだろう。
「ナナはこっちを使いますね」
彼女が選んだのは、入り口に近い方のベッド。
「じゃあ僕がこっちだね」
「カザフさん奥で良いですか?」
「うん。ナナちゃんが好きな方を選ぶといいよ」
「ありがとうございます!」
ナナは入り口に近い方のベッドに横たわり、手足を広げて大の字になる。体を伸ばせて、ナナは心地よさそうだ。
「そういえば」
カザフはベッドの端に腰を下ろす。
「何ですか?」
「ナナちゃんの寝巻き、可愛いね」
「えっ!」
カザフが褒めた瞬間、ナナの表情が固くなった。それを見てカザフは「まずいことを言ってしまったか」と少しばかり焦る。
彼が寝巻きを褒めたのは、純粋に可愛いデザインの寝巻きだと感じたからであって、それ以下でもそれ以上でもない。
しかし、相手にそれが伝わっていない可能性はある。
もし邪な意味だと受け取られていたらどうしよう——そんな不安にカザフは襲われた。
「ご、ごめん。いきなり。急にそんなこと言われたら引くよね」
「えっ……ち、違います!」
ナナは起き上がる。
「引いてなんてないです!」
「そうなの?」
「はい! カザフさんに褒めていただけたのは嬉しいことです!」
「あ、ありがとう……」
カザフは思わず礼を述べてしまった。
理由はよく分からない。
「じゃあ寝ますね! お休みなさーい」
「おやすみー」
ナナはあっという間に眠りについた。
慣れない土地へ来て、慣れないことを色々したから、実は疲れていたのかもしれない。
もっとも、眠れないよりかはずっと良いのだが。
彼女はすぐに寝てしまったから、カザフは、客室内で一人きりの状況になってしまった。ナナはいるわけだが、起きていないから、一人ぼっちも同然である。
けれども、カザフの心は温かいままだった。
誰かが同じ部屋にいてくれる。ただそれだけのことが、妙に嬉しくて。
「懐かしいなぁ……」
カザフとて、一人ぼっちで生きてきたわけではない。実の親は知らないけれど、父親のような存在はいた。いつも色々なことを教えてくれるその人を、カザフは尊敬していたし、好きだった。
でも、その人はもうこの世にいない。
会いたくても、会えない。
カザフは父親のようだったその人のことを思い出しながら、窓の外の空を眺める。
父親のようだったその人が命を落とした時、カザフは既に十分な力を手にしていた。冒険者としてやっていけるだけの知識と戦闘能力を身につけていたから、生計を立てるのに困ることもなく。無事今日まで生きてこられた。
「……でも、たまに寂しくなる」
その人が帰ってこなくなった日まで、カザフは、その人が大切な人だということに気づけなかった。
前日も、喧嘩して、むくれて先に寝て。
いってらっしゃいすら言わず。
人は失って初めて気づくのだ——その人が大切であったことに。
誰もいない夜、用事のない夜は、いつもふと思い出す。
父親のような存在を失った日の喪失感を。
なぜもっと傍にいなかった? なぜ素直になれなかった? どうして喧嘩なんてした?
今でも繰り返している後悔がたくさんある。
何やら音がして、ナナがいる方のベッドに視線を向けると、彼女が安心しきった顔で寝返りしているのが見えた。体は動いているが、目覚めたわけではなさそうだ。
「よく寝てるなぁ」
安心しきって無防備に眠るナナを目にして、カザフはつい笑みをこぼしてしまう。
「……いい子だね」
彼女が喜んでいたら嬉しい。彼女が楽しそうにしていたら、自分まで楽しくなってくる。笑ってくれると、つられて笑顔になってしまう。彼女を暗い顔にさせたくない。
でも、カザフはまだ知らない。
その心に生まれ始めた、ナナへの想いの意味なんて。
◆
ナナが寝てから一時間ほどが経過して、カザフは自分用のベッドに横になった。まだつかわれていない枕からは、柔らかい香りがする。体を横にすることをこんなに気持ちいいと感じるのは、カザフにとっては珍しいことだ。
「おやすみ」
カザフは灯りを完全に消す。
客室内は真っ暗になった。
こうしてまた、一日が終わる。
幸せで穏やかな日ほど、あっさりと終わってゆくものなのだ。




