嘘に嘘を重ねて、嘘にまみれる男
新しく連載を作ろうと思っていたのですが、どうにも進まなかったので、短編を作ってみました。
時間があって、暇だなと思うときにでも、読んでいただけると嬉しいです。
どうして、気がつかなかったんだろう。
こんなに大事な存在だったのに。
ああ、俺のバカ。
眠る彼女の、白い、青白い、肌。
それだけで、胸が痛くて、苦しい。
暗い病室。
点滴。
白いベッド。
『大丈夫だよ。大したこと、ないから。』
彼女は、そう言っていた。
命に別状はない。
骨折もしていない。
それでも。
心配で、心配で。
もっと早く、自分の気持ちに素直になるべきだったのだ。
そうすれば、こんなことにならなかったのに。
俺は最低な男だ。
あいしてる。
きみが、好きだ。
今後は、大事にすると約束する。
だから、お願い。
早く、良くなってくれ。
♢♢♢
うんざりだった。
それでも、自分をとめることができなかった。
まるで、麻薬のよう。
『俺も、その俳優好きだな。シブくていいよな。』
『あー、俺も行ったことあるよ!いいよな、そこ。』
『ごめん。その日は無理なんだ。実は英会話スクールに通いはじめたんだ。』
息をするように。
なにげない嘘を。
まわりに合わせるために。
バカにされないために。
人から良いように見られたいがために。
ついつい嘘をついて、その場をごまかしてしまう。
そうやって。
小さな嘘を守るために、また嘘を重ねる。
その繰り返し。
おそらく、本当は周囲も気がついていたと思う。
ときどき、俺を試すような、からかうような目をする人がいたから。
「おい、コウセイ。
おまえ、英会話スクールに通ってるんだって?
どこの?
俺も行こうかなー?」
ニヤニヤ、と肩を組んでくるヤツ。
こんなこと。
正直に嘘だと言えば楽になるのに。
内心あわてながら、その嘘を真実にするために。
もう一度、嘘を。
「ちょっと遠いんだ。
うちの父さんの知り合いがやってるところだから。」
バレなければ、ほっとする。
でも、同時に。
心にひとつ、黒いシミができる。
何をやっているんだ。
そう思うのに。
むなしい心を抱えながら。
また、今日も。
俺は、嘘をつく。
「バカじゃないの。やっぱり、私がいないとダメね。」
幼馴染のホシコ。
彼女は、俺の性格を良く知っていた。
年上で、おせっかい。
嘘つきな俺を心配しているらしく、しょっちゅうガミガミ言ってくるのだ。
おまえは俺の母親か。
正直、うっとうしい。
しかし。
俺が嘘を重ねて、孤立してしまいそうになると、さりげなくフォローしてくれる存在でもあった。
いつも、なんとかしてくれる。
ならば。
自分がいないとダメだと思わせておけば、良いのではないか。
困ったときは、ホシコがなんとかするだろう?
なぜ、彼女が俺の世話をやくのか。
なんとなく、彼女の気持ちを察してはいたけれど。
関係をハッキリさせることを望んでいないから、気づかないフリをした。
ただの幼馴染のほうがいい。
付き合うのも、断るのも、ダメ。
都合の良い関係が崩れるから。
だからこそ。
俺は、ホシコの気持ちに気づかないフリ。
告白もさせない。
そういう雰囲気になれば、なにか言い訳をつけて逃げる。
それに、彼女は昔からずっと俺が好きだ。
今さら、ほかの男を選ぶとも思えない。
やはり。
このままが一番だ。
♢♢♢
「合コン?」
「そ。人数足りないんだよ。
それに、みんな女子大生だ。
あそべるぞー。」
昔からの付き合いのコイツ。
嘘つきな俺にはお似合いの、クズな友人だ。
だが、たまには良い話を持ってくるじゃないか。
学生時代も、なんとなく過ぎ去り。
なんとなく就職した会社で、可もなく不可もなく働いていた俺。
合コンなんて、久しぶりだった。
それも、女子大生!
ちらっと、ホシコの顔が頭をよぎったが。
付き合っているわけでもないのだ。
それに、三十路手前の女より。
一夜だけでも女子大生と遊ぶほうが、楽しいに決まっている。
「行く行く。いつだ?予定あけておく。」
一瞬よぎったホシコを、頭の片隅に追いやって。
俺は、週末の合コンに思いを馳せたのだった。
母親から、電話がかかってきたのは翌日の夜のことだった。
息子ということもあって、家を出てからは放任されている。
だから、会話をするのは久しぶりだった。
「はいはい、なに?」
帰宅して、部屋着に着替えて一服。
ビールも飲んで、気分は良い。
「ちょっと、コウセイ!
あんた、ホシコちゃんと何かあったの?」
突然、叫ぶように言われて。
思わず、スマホを耳元から離す。
「なに?いきなり。なんもねーけど?」
なんなんだよ、いったい。
「あんた、ホシコちゃんと付き合ってるんじゃなかったの?
別れたの?!
あんたと結婚してくれるのは、絶対にホシコちゃんしかいないと思ってたのに!!」
そうヒステリックに叫ばれても、意味がわからない。
せっかく気分良く飲んでいたのに、なんなんだ?
「いや、付き合ってねえよ。
突然なに?意味わからん。」
「えっ?やだ、そうなの?母さん、てっきり…。
じゃあ、仕方ないのかもね…。
ホシコちゃん、お見合いしたんですって。
もう何度かお会いして、結婚間近かもって聞いたから驚いちゃって。
コウセイと別れちゃったのかと思ったけど、付き合ってなかったの…。
ああ、もったいない!
ホシコちゃんなら、あんたを任せられると思ってたんだけど。
ねえ、あんた付き合ってる子はいないの?」
は?
おみあい?
けっこん?
一瞬、なにを言われているのか、わからなかった。
だが、理解が追いつくと、カッと頭に血がのぼった。
なんだ、それ?
おまえ、俺のことが好きなんじゃねえのかよ!
「…ちょっと、コウセイ?聞いてる?」
母親の声が、右から左へと流れていく。
「…あんた、やっぱりホシコちゃんのこと好きなんじゃないの?
ちゃんと言わないとダメよ。
でないと、ほかの男と結婚しちゃうわよ?」
俺の様子を察したのか、母親がそんなことを言い出す。
「ちがうって言ってんだろ!
俺はホシコのことなんて、好きじゃねーよ!」
気がつけば。
ぐつぐつと沸騰する頭のまま、そう叫んで通話を切っていた。
ぶん、とスマホを投げる。
ばふっ、とクッションの上に落ちた。
ホシコが押し付けてきた、ふわふわのクッションだ。
それを見て、さらに腹が立ったものの。
はた、と気がついた。
週末には、合コンがあるではないか。
三十路手前の、おせっかいな女のことなんて、どうでもいい。
だいたい、俺のことが好きなくせに。
ほかの男と見合いするなんて、バカじゃねーの。
どんな尻軽だよ。
あれか?
わざわざ、俺の母親から連絡させて嫉妬心でも煽りたかったのか?
だが、ざんねん。
俺は別に、おまえのことなんか好きじゃねえ。
あーあ、三十路手前にもなると女は必死だな。
そうやって、心の中でバカにしつつ。
心のどこかで、俺は。
まさか本当に結婚なんてしないよな、するはずがない、と自分に言い聞かせていた。
いつからなのか。
もう俺にもわからないが。
俺は、自分自身にも嘘をつくようになっていたのだ。
♢♢♢
それを見かけたのは、偶然だった。
社内食堂もあるが、たまには外に昼飯を食いに行きたくなる。
そういう気分の日だっただけ。
だから、本当に偶然だった。
パリッとしたスーツ。
がっしりとした体格。
30半ばぐらいの、柔和な顔だちの、男。
女性に人気がある、イタリアンの店。
テラス席で、楽しそうに談笑している。
ホシコと見知らぬ男が。
スマホを見せ合って。
2人の距離が近くなる。
なんだよ、それ。
母親の声が、よみがえる。
『ホシコちゃん、お見合いしたんですって。
もう何度かお会いして、結婚間近かもって聞いたから驚いちゃって。』
おい、まさか。
本当に?
おまえ、俺のこと、好きなのに?
びっくりして。
見ていられなくて。
俺は逃げるように、その場から立ち去った。
それしか、できなかったのだ。
そのまま声をかけて、真実を知る勇気がなかったから。
なんだよそれ、なんだよそれ、なんだよそれ…!!
それなのに。
俺の中には、ホシコに裏切られたという思いでいっぱいだった。
腹が立って、腹が立って。
どうしようもない。
もんもんとした思いを抱えながら、午後をやり過ごし。
週末の合コンについて、店が決まった、と電話してきた友人に、彼女の悪口をブチまけた。
「…え?おまえ、マジで?いや、待って…マジで言ってる?」
「なにが?」
むかむかとした気分のまま。
八つ当たり気味の俺に、友人がため息をつく。
「おまえ…。その、ホシコさん、だっけ?
全く悪くねーじゃん?
つか、マジで言ってる?
俺のこと、笑わそうとしてんの?」
「おまえを楽しませて、どうするんだよ。
笑わせるのはホシコだよ!
ったく、三十路手前の女は必死すぎて痛いんだよ。
マジねーわ!」
「いや、おまえがマジねーわ。バカじゃね?
今すぐ心を入れかえて、告ってこい。
なんで、告白もさせねえような脈のない男のために、いつまでも尽くす必要があるわけ??」
はあ?
なに言ってんだ。
俺が言ってるのは、そんなことじゃない。
「おまえこそ、なに言ってんだよ?
好きな男がいながら、結婚のために見合いをする尻軽さを見てられん、痛い女だってハナシだよ!
俺が好きなんじゃねーよ!!」
そう言うと。
あからさまに、呆れた空気がスマホごしに伝わってくる。
「いや、おまえマジでバカ。
一応、俺は忠告したからな。」
こいつダメだ、なんて言いやがったソイツは。
言い返そうとした俺を無視して、通話を切ってしまった。
なんでだよ。
俺のなにがダメだって言うんだよ。
その日は、一日中。
いらいらとして、落ち着かなかった。
♢♢♢
ホシコから、連絡が来た。
少しでいいので、時間をとれないか、と。
ほら、みろ。
やっぱり、俺の気をひくためだったのか。
「あー、ムリムリ。俺、今夜は合コン行くからさ。
今度にしてくれない?」
合コン、と少し強調して。
おまえのことなんて、なんとも思っていないと伝えておく。
「そうなの?何時から?5分で良いんだけど。」
それなのに。
彼女は、合コンという言葉に対して、特に反応しなかった。
少し、ムッとする。
「20時。でも仕事終わるのギリギリになるだろうから時間ねーよ。
なに?そんなに俺に会って話がしたいわけ?」
自分でも意地の悪い言い方だな、とは思ったけど。
数日間の、もんもんとした日々を思えば、止められなかった。
「そうよ。一応、会ったほうが良いかと思って。
すぐ済むから、会社の近くで待ってるね。」
じゃあね、と切られた通話。
俺の言葉に一切の反応を示さなかった彼女。
あまりにも、そっけなくて。
俺のほうが、動揺してしまった。
なぜ?
おまえ、俺のこと、好きなんだろう?
そういえば。
彼女と電話をしたのは、いつぶりだろう?
久しぶりに声を聞いた気がする。
1週間?2週間?
確認してみれば。
最後に電話をしたのは、2ヶ月も前だ。
メッセージのやりとりも。
いつも、彼女が連絡してくれたから。
こちらからは、特に連絡する必要がなかった。
つまり。
彼女が、俺との関係を努力して保っていたのだ。
でも、その努力も2ヶ月前にやめている。
全く、気がつかなかった。
いや、気にもしていなかった。
だって、彼女は俺のことが好きだから。
多少、連絡がなかっとしても。
今さら、俺以外の男を選ぶハズが、ない。
『ホシコちゃん、お見合いしたんですって。
もう何度かお会いして、結婚間近かもって聞いたから驚いちゃって。』
母親の声が、頭の中で響く。
『なんで、告白もさせねえような脈のない男のために、いつまでも尽くす必要があるわけ??』
友人の声が、グルグルと頭の中でまわる。
そして。
イタリアンの店で、楽しそうに笑っていたホシコ。
一緒にいた、男。
まさか、本当に?
ざっ、と血の気がひく。
スマホをもつ手が震えた。
いや、ちがう。
俺が、好きなんじゃない。
好きなのは、ホシコのほうだ。
だから、べつに、もんだいない。
あんな、おせっかいな女。
見合いまでして、そんなに結婚したいのかよ。
バカなんじゃねーの?
そう、思っているのに。
手の震えは、おさまらない。
クッションを買ってきたときの、ホシコの笑顔が。
しょうがないんだから、と俺の世話をやくホシコの横顔が。
告白してきそうな雰囲気を感じて、話題を変えたときの悲しそうなホシコの顔が。
いくつもの、ホシコが。
情景が思い浮かぶ。
まさか。
まさかまさか。
ホシコ。
おまえ、俺のこと、もう好きじゃない、なんて。
そんなこと、ないよな…?
♢♢♢
仕事は、手につかなかった。
あまりにも使いものにならなくて、上司に、
『とっとと帰れ』
と言われてしまった。
そのため、会社を出たのは18時ごろだった。
近くの店で合コンがあるが、正直、あまり行きたくはない。
友人から誘われたときは、あんなに楽しみだったのに。
認めたくはないものの。
少しずつ、自分の気持ちに気がつきはじめていた。
しかし、まだ信じられない。
まさか、俺がホシコを…?
そんなバカな!
「コウセイ!!」
駅に向かいながら、ブツブツと考えこんでいたとき。
突然、腕をつかまれた。
のろのろ、と顔をあげる。
そこには。
今まさに、俺を悩ませている存在。
ホシコ、がいた。
「もう、用があるから会社の近くで待ってるって言ったじゃない!
仕事が早く終わったからって、移動しようとしないでよ。
合コンあるのは知ってるけど。
ほんと、私の話を聞いてないんだから。」
いつのまにか、駅前の大通りまで来ていたようだ。
すれ違いになるところだった、とホシコがぶつくさ言う。
不満げに、軽くオレを睨んできた。
それを見て。
ホシコとは逆に、俺は落ち着きを取り戻してきた。
いつもどおり、だったから。
以前と変わらない、彼女。
2ヶ月前と、同じ。
それは、ひどく俺を安心させた。
「私も早めに仕事を終わらせて良かったわ。
このあたりのカフェで時間をつぶそうかと思ってたけど。」
そうだよな。
俺のために、いくらでも待ってるのが、ホシコだよな。
やっぱり、俺を好きなんじゃないか。
「それで?用ってなんだよ。
電話のときも言ったけど、今日は合コンあるからさ。
あんま時間とれねーぞ。」
自信を取り戻した俺は。
彼女への想いを、うっすら自覚しつつはあるものの。
認めがたくて、いつものように冷たくあしらった。
いつもどおり、彼女の傷ついた表情を見たかった。
痛みをこらえて、俺に微笑む、いつものホシコを見て確信したかったのだ。
彼女は俺が好きなんだ、と。
ところが。
ホシコは、それを聞いても呆れた表情をするだけだった。
「5分で良いって言ったじゃない。
コウセイは、ほんとに私の話を聞いてないよね。
まあいいや。
これ、返しておくね。」
はい、と差し出されたもの。
びっくりして。
すぐに反応できなかった。
「……え?」
銀色に鈍く光るそれ。
俺が学生の頃から住んでいる、古いアパートの鍵。
まだ学生の俺が心配だからと言って、強引に作らされた合鍵だった。
ホシコは、勝手に部屋に入ることはしない。
俺に連絡して、行ってもいいか聞く。
ホシコが持っている鍵は、俺よりも早くアパートに着いたときに使う程度。
ごくたまに、ちゃんと食べているかと料理を作りに来るときぐらいしか、使わない。
それでも。
合鍵を持つことを俺が許している、ということ。
そのことに、ホシコがひそかに喜んでいたのを知っている。
なのに、なぜ。
驚きすぎて固まってしまった俺を見て、不思議そうに首をかしげる彼女。
だが、すぐに俺の手をとって、鍵を握らせた。
「たしかに返したからね。私の用はこれだけ。
じゃあね、コウセイ。」
ばいばい、と立ち去ろうとした彼女。
考えるよりも、先に体が動いていた。
とっさに、腕をつかむ。
振り返った彼女は、驚きに目を見ひらく。
「待てよ!どういうことだよ!」
俺の反応が意外だったのだろう。
しばらく、ぱちぱち、と目をまばたいていたが。
なぜ鍵を返すのかという疑問には、サラリと答えた。
「なんでって。いつまでも持っているわけにもいかないでしょ。
ここ数年、ずっと思ってたんだよね。
まあ、ちょっと返すのにズルズル時間がかかっちゃったけど。
それに、婚活はじめたの。
それなのに幼馴染とはいえ、男の家の合鍵を持ってるのはおかしいでしょ。」
こんかつ。
では、母親の言ったことは事実なのか。
あの日、一緒に昼食をとっていた男が、相手なのか。
返すのにズルズル時間が、かかった?
それは、ここ数年、ずっと俺に見切りをつけようと思っていたってことか?!
興奮して、ワナワナと体を震わせる俺の様子を見て、彼女は改めて驚きの色をあらわにした。
「もしかして…怒ってるの?」
プツン、と何かが切れる音がした。
「なんでだよ!おまえ、俺のことが好きなんだろうが!!
なに勝手に婚活はじめてんだよっ。」
「…いやいやいや。嘘でしょ?なに言ってるの?」
俺の言葉に、信じられない、とホシコがつぶやく。
「俺のことが好きなくせに、結婚いそいで婚活とか情けねー!
行動が痛いんだよ!!
おとなしく今までどおり、俺にせっせと連絡してこいよ!!」
ぽかん、とホシコが口を開けて固まった。
そして、次の瞬間。
すさまじい勢いで、爆発した。
「バカじゃないの?!
なんでアピールしてもアピールしても、脈のない相手を好きでいなきゃならないの?!
私だって、つらいの!
幸せになりたいの!!
ハッキリ拒否してくれれば、ふっ切れるのに告白もさせてくれなかったクセに!!
やっと気持ちの整理をつけたのに、本当になんなの?!
もう婚活はじめてるの!
私の幸せを邪魔するようなこと、言わないで!!」
俺がつかんでいた腕を、暴れてふりほどく。
今度は、俺が固まる番だった。
「ねえ、コウセイ。私のこと、好きなの?
それなら、もっと早く言ってほしかった。
気持ちを返してくれない人のことを、いつまでも好きなわけがないでしょ?
私は次へ進むの。
もう私を傷つけるようなことをするのは、やめて。」
衝撃だった。
彼女は、いつまでも俺を好きだと思っていた。
だが。
それは否定された。
「うっわー。修羅場?つか、彼女かわいそー。」
「だよね。男のほう、マジで何様?」
「俺は愛さないけど、おまえは俺を一生愛せって?バカじゃね?
そりゃ彼女も愛想をつかすわ。」
「なになに、モラハラ?」
「男がガキすぎてウケる。」
そして。
駅前の大通りで、人目もはばからず、大声で怒鳴っていたために。
周囲の人たちに、注目されてしまっていた。
恥ずかしい。
もはや、穴があったら入りたいどころではない。
昔から、責められるのが嫌だった。
バカにされるのも。
仲間はずれにされるのも。
だから、嘘をついてきた。
誰かに、認めてほしくて。
すごいと言ってほしくて。
自分の、至らない部分を隠すために。
俺の心は、いつも嘘で塗り固めてきた。
そうやって、心を守ってきた。
嘘をつくたびに、カラッポになっていくボロボロの心であったにもかかわらず。
そして、ホシコだけが。
それを知っていた。
本当の俺を知っても、好きでいてくれる、唯一のひと。
だから、俺も甘えていたのだ。
彼女なら、なにをしても許してくれる。
一方で、試してもいた。
彼女の愛を。
まだ大丈夫。
じゃあ、次はもっと冷たく。
ああ、やはり大丈夫だった。
では、次は…。
俺は、バカだ。
ホシコだって、傷つく。
拒絶ばかりされたら、心がすり切れる。
俺が嘘ばかりついて、心がすり切れていったように。
どうしよう。
ホシコが、俺を捨ててしまう。
いなくなってしまう。
目の前が真っ暗になった。
混乱した俺は。
あろうことか、かんしゃくをおこした子供と同じように。
手にしたままの合鍵を、ぶんっと放り投げていた。
カンッと音を立てておちる合鍵。
ホシコが、とっさに手をのばす。
きっと。
彼女も混乱していたのだ。
ようやっと俺を忘れて、一歩踏み出そうとしたのに、実は俺も好きだったなんて言われて。
路上で、好奇の目にさらされて。
だから、落ちた合鍵を拾おうとしてしまった。
車道に、飛び出して。
駅前の、大通り。
合鍵は、交通量の多い車道に落ちた。
信号が青に変わって、当然のように発進した車は。
突然、目の前にあらわれた女に対応できるわけもなく。
ドンッと鈍い音と、ともに。
ホシコと衝突した。
あたりから、悲鳴がひびく。
大通りは、一瞬でパニックにおちいった。
『救急車!119番!』
とか、
『誰か警察よんで!』
とか、
『大丈夫ですか?!聞こえますか?!』
とか。
俺は、茫然と立ちつくしていた。
目の前のことを、信じられなかった。
いや、信じたくはなかった。
「おいっ!あんた、しっかりしろ!!
好きな女が、倒れてんだぞ!!」
おそらく、俺とホシコのやり取りを見ていたのだろう。
壮年の男が、俺の胸ぐらをつかんで怒鳴った。
男と目があって。
おもいっきり鋭く睨まれて。
クイッと、アゴで車道をしめす。
ホシコ。
そこで、はじめて、その光景が現実として目に飛び込んできた。
ホシコ。
彼女が倒れている。
うつ伏せていて、顔が見えない。
ホシコ。
彼女のまわりに、赤黒い血が、散っている。
ホシコ!
あわてて彼女の側へ駆け寄って。
抱きしめようと、手をのばす。
倒れた彼女の様子を伺っていた青年が、ギョッとしたような顔をした。
「ホシコ!ホシコホシコホシコホシコ!!」
気が狂ったかのように、彼女の名を叫ぶ俺を。
青年が、体を張って阻止してくる。
「うわっ!ストップストップ!!
落ち着いて!落ち着いてください!!
怪我人に、そんな勢いで触ったらダメだって!!」
彼の言っていることは、もっともだ。
しかしながら。
錯乱した俺には、そんな言葉、耳に入ってはこなかった。
救急車が到着するまでの間。
俺は、数人がかりで押さえつけられるハメになったのだ。
それでも、俺は暴れるのを止められなかった。
失いたくない。
きみが、いなくなってしまったら。
俺の世界は、終わる。
もう、認めるしかない。
ホシコ。
きみが、好きなんだ。
だから、お願い。
いなくならないで。
♢♢♢
ホシコと接触した車だが。
青信号になって、発進したばかりだった。
だから、そんなにスピードが出ていなかったのだ。
それが、良かった。
打撲と、すり傷。
骨折はしていない。
命に別状はない。
救急車がくるまでの間に意識を失った彼女は、病院に着いて間もなく意識を取り戻した。
そこで、ようやく。
俺にも、まともな思考ができるようになってきた。
「ホシコ…。良かった!!」
泣きながら、すがりつく俺を見て。
ホシコの、複雑な心境が顔にあらわれていた。
「…迷惑かけたわね。ごめん。
でも、もう帰っていいよ。うちの親も来るって言ってるし。」
さりげなく、そらされた瞳。
俺は、必死になって言いつのった。
「ごめん。ホシコ、ごめん。
俺、俺は…。本当は、ホシコが好きなんだ。
けど、素直になれなくて…。
傷つけて、ごめん。
本当に、ごめん。もうしない。絶対にしない。
大事にする。
もう嘘をつくのは、やめる。
大好きなんだ、ホシコのこと…。」
しかし、どんなに言っても、言葉が空回るばかり。
「あのね、もう遅いのよ。
どうして、今さらそんなことを言うの?」
グサリ、と胸に突き刺さる。
もう、本当にダメなのだろうか。
胸が苦しくて、痛くて。
もともと泣いていたが、さらに涙があふれて、止まらない。
つらい。
「ごめん。本当にごめん。
ホシコは、いつもこんなに苦しい想いをしていたんだな。
俺、バカだった。ごめん…。」
おそらく、今の俺はぐしゃぐしゃの顔をしているのだろう。
この世で一番、情けない男に違いない。
ああ、神さま、仏さま。
どうして、俺は正直な心をもてなかったのだろう。
どうして、見栄をはるような嘘をついたのだろう。
どうして、人の目を気にしてしまったのだろう。
嘘ばかり、ついて。
もはや何が嘘かも、わからなくなって。
自分の気持ちにすら、嘘をついて。
本当の自分まで、見失ってしまった。
なぜ、本来の、ありのままの自分を見てもらう勇気を出せなかったのか。
なぜ、自分に自信がないのなら、努力して自信を身につけようとしなかったのか。
根なし草。
ただの、ぬけがら。
俺は、そんな存在になっていた。
そして、いま。
唯一、そんな俺を愛してくれていただろう彼女まで、嘘に嘘を重ねた結果、失いつつある。
彼女への気持ちにだけは、嘘をつくべきではなかったのに。
後悔がつきない。
俺は、本当に、バカだ…。
はあ、とため息をつく音が聞こえた。
とうとう、振られるのか。
嫌われたのか。
「つらい?くるしい?いたい?
もう胸がつぶれそう?
好きな人に受け入れてもらえないって、苦しいよね。
私は何年も、ずっと、苦しかった。
それでも、あなたが好きだった。
いつも耐えられないと思っていたけど、諦めきれなかった。
でも、ようやく。
気持ちの整理がついてきたの。」
そこまで言って、俺の心臓あたりにトンと、指をあてる。
ホシコの細くて、白い指。
どくん、と心臓が音をたてた。
ぶわっと何かが背筋を駆けめぐる。
それだけで。
胸がいっぱいになる。
「あきれた。本当に、私のこと、好きなんだ。」
俺の様子を観察していた彼女が、ぽつり、とつぶやく。
しばらく考えを巡らせていた彼女は。
やがて、ひとつの結論にたどり着いたようだ。
「やっぱり、もうコウセイのことは信じられないかな。
気持ちも、かなり整理できていたし。」
先ほど高鳴ったばかりの心臓が、ぎゅっとしめつけられるように痛む。
「でも、コウセイが私のことを好きで諦められないのなら。
私と同じように、がんばってアピールしてみたら?」
その言葉に。
俺は、がばっと顔をあげる。
「期待はしないで。もうコウセイはレッドカードがでたあとだから。
でも、それでも良いなら。
事故にあって怪我もしたことだし。
婚活は、しばらく休止するわ。」
ホシコ。
きみが、好きだ。
「ごめんっ、ごめん、ホシコ!
ありがとう、好きなんだっ。
もうずっと前からっ、もう俺はっ。
ホシコがいないと、ダメなんだ…!!」
もはや自分でも何を言っているのか、わからない。
それぐらい、ぐちゃぐちゃで。
でも、想いだけは伝わったのだろう。
本当に、心底あきれた、と言いながら。
彼女は、以前のような慈しみのある瞳を、俺に向けてくれた。
♢♢♢
俺は、本当にバカでダメな男だった。
まるで、子供だ。
親を困らせて、それで愛情をはかる、だだっ子。
でも、このままでは、いけない。
一歩踏み出して、自分の足で立たなければならない。
本当に、彼女を好きなのならば。
彼女に守られているだけの自分では、ダメなのだ。
大切な彼女を守るために、勇気をだして進まねば。
素直に、正直に。
今度こそ。
もう彼女を傷つけないために。
嘘をつくことに慣れすぎて、なかなか直らず、自然と嘘が飛び出してしまうこともあるが。
それでも。
少しずつ、乗り越えていく。
どうか。
大事なものを、見失いませんように。
今日も、俺は。
彼女へ、愛をつげる。
相変わらず、振り向いてくれる気配は、ない。
こたえては、くれない。
ホシコ。
きみは、何年、こうやって俺を好きでいてくれたんだろう?
今度は、俺が。
何年でも、きみに好きだと言う番だ。
好きだ。
大好きだよ、ホシコ。
あいしている。
つい嘘をついてしまうこともあるけれど。
本当は、あんまり嘘をつくのは良くないですよね。
ホシコがコウセイを受け入れるのか?
それは、皆さまの想像にお任せいたします。