12.甲斐の傷
「この世の理を破った罰だ。消え失せろ」
斗真がつぶやき、妖魔が消滅する。
「そのキメ台詞カッコいいよね」
家の縁側に座って見ていた愛瑠が、頬杖をつきながらそう言った。彼らとの生活が始まってから、半年が過ぎ、もう妖魔の出没も日常茶飯事となった。
「キメ台詞とか言うなよ。ちゃんとした呪文なんだから」
「呪文なの、それ?」
「そう。妖魔を無に還す妖術」
「だったら、最初からその呪文使えばいいじゃん」
不思議そうにつぶやく愛瑠に、斗真が面倒くさそうな顔をして、代わりに榛名が答えた。
「妖魔もそうみすみすやられはしないよ。妖術を跳ね返すくらいの力は持っているから。その力を奪ってからではないと効かないんだ」
「ふぅん。その妖術って、私にも使える?」
途端、榛名と斗真の顔が険しくなった。
「愛瑠。君は力を使っちゃいけないって」
「分かってるってばぁ。人間である私が力を使うことは、この世の理を破るってことでしょ? ちょっと聞いてみただけじゃん」
「分かってんなら、変なこと言い出すなよ。クソ甲斐に聞かれたらどうすんだよ」
「はーい」
愛瑠は肩をすくめてペロリと舌を出す。しかし、その数秒後には、
「ってことは、やっぱり私も使えるんだ?」
と言い出して、二人に睨まれた。
「冗談だってば」
愛瑠がさっと目を逸らせて、「おっと、こんな時間。遅刻しちゃうよ」と言いながら、その場を後にした。
「絶対、あいつ、いつか使うな」
「うん……」
あとに残された二人が、ため息交じりにつぶやいた。
学校に行く途中、腕を組んでフェンスに寄りかかって立っている甲斐が目に入った。
げ、朝からやな奴に遭った。
愛瑠が目を細める。
「おはよう。愛瑠」
ニヤリと甲斐が笑う。
「おはよう。甲斐先生」
負けじと愛瑠も微笑みを返す。
「お前ら、こえーよ」
二人の様子を気味悪そうに見ながら、斗真が通り過ぎようとすると、
「なぁ、斗真。先生をクソ甲斐なんて呼んだらダメだろう?」
と甲斐が低くつぶやいた。
ちっと、斗真が舌打ちする。
「聞いてたのか」
「いつだって、お前たちのことは監視している。おい、愛瑠。妖魔を無に還す妖術など、使ってみろ。即刻、処分だからな」
甲斐の言葉に、愛瑠が眉をひそめた。
「いつだってって、ずーっと見てるの?」
「そうだ」
「どこから?」
「俺は次元を自由に行き来できる。どこからだって、お前を監視できる」
「お風呂に入っているときも? 寝ているときも? キモイ。変態。覗き魔」
「はぁ? てめぇっ!」
甲斐の顔が赤く染まり、怒鳴り声をあげる。
「俺だって、こんな役目ウンザリなんだ! お前のせいで、下界に暮らさなければならなくなって、また人間なんかと関わる羽目になった」
そう怒鳴って、彼は姿を消してしまった。
「甲斐って、人間と何かあったの?」
「詳しくは分からないけれど、以前は、優秀なガーディアンだったと聞いている。だけど、ある時を境に、人間と関わるのを嫌って、結局、妖魔を退治する側ではなく、ガーディアンを監視する側に転職したらしい」
榛名の言葉に、愛瑠は首を傾げる。
「ふーん。てか、転職とかあるんだ。天界でも……」
「ちなみに、ガーディアンは人気の職種だから、なかなかなれないんだぜ」
斗真が自慢げに二ッと笑った。
放課後、ミニスカ軍団に囲まれて、なかなか帰れずにいる斗真と榛名を置いて、さっさと帰宅した愛瑠は、家の離れで、オオトカゲと戯れながら、ふと、後ろを振り返った。
「甲斐見てる?」
「なんだ」
問いかけに応じ、不機嫌な顔で、甲斐が姿を現す。
「ホントに、監視してるんだ。二十四時間三六五日勤務? 天界もブラックだなぁ」
「誰のせいだと思っている」
「そんな、苦味つぶした顔しないでよ。甲斐って、人間の女の子に、失恋でもしたの?」
「はぁ⁈」
ふざけるなと言わんばかりの形相で睨みつけられて、愛瑠は苦笑いすると、
「じゃぁ、なんでそんなに人間を嫌うの?」
と聞いてみた。
「下等な生き物だからだ。自分勝手で、他人を裏切る。地球上の生き物の中で、一番醜い」
吐き捨てるような言葉の裏に、彼の痛みを感じた。
「そうだね……。私もそう思う。この子たちは、こんなに可愛いのにね」
オオトカゲをよしよしと撫でながら、「なんで、人間を作ったんだろうね」と、愛瑠は誰ともなくつぶやいた。
「知るか。作った奴に聞いてくれ」
「……甲斐も裏切られたことあるんだね」
そう言うと、甲斐は黙って、その瞳を冷たく凍らせた。
「お前もいつか、斗真と榛名を裏切る時がくる。天界人の純粋な心を踏みにじり、絶望の淵に落とす。人間とはそういう生き物だ」
「裏切らないよ」
真っ直ぐに、愛瑠は甲斐を見つめた。
「私は、裏切らないよ、甲斐。斗真と榛名は私を裏切らないから。だから、私も絶対に二人を裏切らない」
少しだけ瞳を揺らがせた彼は、だけどすぐにその視線を落とした。
「口では何とでも言える」
深い哀しみと、痛み。
「大丈夫だよ。トカゲの尻尾は切れても伸びるから」
オオトカゲに顔を向けて、愛瑠は優しくその背を撫でてあげる。
「可哀想に。痛かったね。でも、大丈夫。一度切られても、また伸びるから」
「トカゲの尻尾と一緒にするなっ。一度切られた心はもう元には戻らない」
甲斐は苦しそうに言って、その場から姿を消した。
「あらら、怒らせちゃった」
愛瑠はため息をついて、オオトカゲをケージに戻す。
自分も子供の頃に負った心の傷は、まだ癒えてはいない。だけど、甲斐にも誰か、心から信頼できる人ができるといいなと思った。
私が、斗真と榛名に出会ったみたいに……。




