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この世界の……

 俺は春樹を屋敷へと出迎えた。

 優は一紗に連れられ、客室で眠っている。本当に気絶しただけのようだから、しばらくすれば目を覚ますと思う。


 ここは応接室。

 俺は話をするためにソファーに座っていた。テーブルの上には、メイドの一人が用意してくれた紅茶や菓子が置かれている。


 俺の前には春樹が座っている。髪を七三分けにした、清涼感のある姿。イケメンとかそういった感じではないが、優とかとは違って整って知的に見える。


「……なるほどな」


 俺は春樹にこれまでのいきさつを話した。

 異世界で革命を起こしたこと。ハーレムを作るに至った経緯。そして何より、死んだはずの優について。 


 春樹は頭を抱えるようなしぐさをして、ゆっくりと口を開いた。


「……話を聞く限り、その迷宮宰相ゲオルクという魔族が怪しいな」

「怪しい? まあ、何か企んでそうな雰囲気はあったけど……」

「もう自分でも理解してるとは思うが、君が迷宮で会った優は偽物。人形、幻、ホムンクルス。ここは異世界だ。あらゆる可能性を想定すべきだと思うがね……」

「…………」


 なんてことだ。

 俺は優が死んだと思っていた。だから一紗を抱いた。それで一紗が元気になるならいいと思っていたし、天国で優が祝福してくれるだろうとすら思っていた。

 だが、現実で優は生きていた。


 俺は、彼の顔に唾を吐きつけながら一紗とイチャイチャしてたわけだ……。


「まあ、過ぎたことは仕方ないさ。君には君の事情があったんだ。この異世界での苦労は、俺も十分理解しているつもりだ。優は何というか分からないが、俺からとやかくいうつもりはない」


 意外にも、春樹は冷静だった。激昂して殴られたりするかと身構えていた俺だったので、若干ほっとしてしまう。

 まあ、春樹は彼女寝取られたわけじゃないからな。本当の修羅場は、優との話し合いになると思う……。


「ところで、島原のことなんだが。君の子供を妊娠しているのかね?」


 ティーカップに口を付けながら、春樹はそんなことを言った。


「……驚いた、そんなことまで知ってるのか?」


 まだ春樹は乃蒼と会っていないはずだ。というかここに来るまで俺や一紗以外の誰かと話をしたことはない。直接話を聞く機会はなかったはずだ。


「俺を舐めてもらっては困るね匠。これでもあのフェリクス公爵を出し抜いたんだぞ。まあ、その情報が嘘か本当か、なかなか難しいところではあったが……」


 乃蒼のことについて別段かん口令が敷かれていたわけではない。メイドに聞けば答えてくれるだろうし、冒険者ギルドの仲間だって何人か知っている。知ろうと思えば知れる情報だ。

 けれど春樹はここではない遠くにいたはずだ。知りたいことを簡単に知れる状況でなかったはずなのに。


 だが俺は不思議と納得していた。春樹は頭がいいし、行動力もある。きっと俺が想像もつかないようなサクセスストーリーを経て、いろんな情報を集めていたに違いない。


「そ、そうか。知ってたのか。なんか照れるな」


 この分だと、ハーレムとかの話も知っているのだろうか? 


「匠、いいか、冷静になって聞いて欲しい」


 言い訳の言葉を考えていた俺だったが、春樹の真剣な声色に思わず背筋を正してしまう。


「俺が見る限り、島原は体が小さい。骨盤もそれほど大きくはないだろう。難産になれば事だぞ? この世界の医療技術で帝王切開はできるかね? 陣痛促進剤は? 妊婦と胎児の死亡率に関する統計は?」

「え……」

「白子――あるいはアルビノか。そういった子供に対する偏見はないかね? 時々、アフリカでアルビノの子供が誘拐されたというニュースを聞く。この世界の文明レベルで、どれだけ遺伝子病に対する理解があるか甚だ疑問だ」

「え……え……?」

「口唇口蓋裂という口が裂ける先天性の病気を知っているのかね? 現代日本であれば適切な時期に手術が行われ幼いうちに縫合されるが、この世界にはそういった技術はないだろう」

「…………」

「たとえば一型糖尿病で インスリンを注射することができるかね? これは命に係わる――」


 春樹が、いろいろな話を俺にしてくれる。万が一、と言ってしまえばそれまでだが、そういった障害、事故、病気が絶対起こらないとは言い切れない。


 血の気が引く、とはまさにこのことだと思う。

 

 子供が幸せに生まれてくるなんて保証はどこにもない。そんな当たり前の事実を、改めて認識した瞬間だった。

 手が震えていた。

 ヒーリングなんて便利な魔法がないことは、鈴菜の件で十分理解している。


 春樹は、そんな俺の甘い考えを指摘してくれたんだ。


「お……俺、俺……」

「落ち着け匠。俺はお前の味方だ」

「は、春樹! お、俺、何も考えてなかった。ど、ど、どうすればいいんだ?」

「……元の世界に、帰るんだ」

「え……」

「島原と二人で、元の世界に戻るんだ」


 元の、世界に?


 俺は全く元の世界に戻るつもりなんてなかった。

 今すぐ帰ることは不可能だ。でももし、またあの帰還の腕輪が手に入ったとしたら……? 一気に五個も七個も手に入るなんてないだろうけど、一個、あるいは二個なら……。


 確かに、元の世界に戻れば、安心して子供を産むことができる。


「あ、でも、俺勇者で……」


 馬鹿な発言だったと、自分でも思う。焦っている人間は時としてどうしようもないことを言ってしまうらしい。

 魔王と乃蒼。どちらを優先すべきか、そんなことは分かりきっている。


 だけど今、俺は完全に冷静さを失っていた。この言葉は、そんな俺が発してしまった気の迷いなのだ。


「安心しろ。もう魔王は倒したんだ」

「は?」


 魔王、倒した?

 冷静さを失う俺をさらに混乱させる言葉。俺の頭はどうにかなってしまいそうだった。


「詳しくは後で、赤岩や優と交えてこの話をしようと思う。ともかくその件については何も心配はいらない」


 つぐみは大統領官邸にいる。春樹がここに来たことは使いを出して伝えたが、大統領である彼女自身がすぐに駆けつけてくることはないと思う。春樹は加藤みたいに暴れてるわけじゃないし、日々の職務を放り出すほどではないからだ。


「それに、君が元の世界に帰っても全く問題ない。勇者の代わりは優がやってくれる」

「優が?」

「あいつは魔剣と聖剣の適性があったんだ。もともと運動神経がいいのは君も知ってるだろ? 匠がいなくなっても、長部たちと上手くやっていけるさ……」

「た、確かに、優なら……」

「俺は鈴菜様を手伝おう」


 春樹は鈴菜のことを尊敬してたからな。あの方、とか鈴菜様とか仰々しい名前で呼ぶ。

 恋愛感情はないみたいだけど、彼女の研究に刺激を受けたのか?


「実はここに来る前、いくつもあの方が発表した論文に目を通させてもらったのだが……素晴らしい技術だ。彼女の頭脳はこの世界を救う。世界を変える技術とは、心が躍るものだよ」


 え? あ? 鈴菜と一紗はこの世界に残る? え? 俺たち、離れ離れになるの?

 ん? えと……。

 そ、そうだ乃蒼だけ先に戻ってもらって。

 いや、何を言ってるんだ俺は。


「君、島原さん一人だけ元の世界に戻そうと考えてないかね?」


 冷静さを欠いた俺の短絡的な思考を、春樹は見抜いていたのかもしれない。


「集団失踪で行方不明になった女子が、妊娠して戻ってくるんだぞ? どうなるかは火を見るより明らかだ。誰かがそばにいて支えなければならない。わかるかね匠、君が……彼女を支えなければならないんだ」

「…………」


 そうだ。

 乃蒼を一人だけ戻すのは最悪のパターンだ。もしマスコミに囲まれて、お腹の子供の事や行方不明中のことを聞かれたらどうする? 根掘り葉掘り質問されて、陰湿で不健全な噂を吹き込まれたらどうなる?

 耐えられるのか? あの子が。


 俺のことをじっと見ていた春樹は、そっと懐から一枚の手紙を取り出した。


「この手紙を、俺の父に渡したまえ。こういった事態を想定して、秘密裏に協力してもらえるように約束をしてある」

「……想定って、春樹。みんなが異世界に行ってたって、予想してたのか?」

「まあさすがに異世界に行ったとは思っていなかったがね。外国に誘拐されたとか、宗教団体に拉致られたとか、そういった路線での対策は想定していた」


 な、なるほど。

 それなら確かにありそうだな。


「多少の荒事はどうにかしてくれる。俺の父は政治家だ。行方不明だった息子のクラスメイトを保護することは、人気稼ぎにもつながる。悪い話じゃない」

「……俺」

「君は親になるんだ匠。俺たちにも、君の未来を応援させてくれ」


 春樹が俺の手を取って、力強くそう言った。


 気が付けば、俺は涙を流していた。

 こんな簡単なことにも気が付かなかったなんて。

 春樹は優しい奴だ。辛い言葉を浴びせて、俺に正しい現実を教えてくれたんだ……。


「春樹ぃ、ありがとう。俺、何にも考えてなかった」

「君はよく頑張った……。もう、俺たちに任せて休めばいいと思う」

「でも、でも俺……急に帰るなんて……」

「わかってる。どうせすぐ帰れないんだ。ゆっくり考えて決めた方がいい……。他の女子たちとは距離を置いた方がいいと思うがね」


 そうだよな……。

 子供の、そして乃蒼の健康には代えられない。

 でも……でも……。

 選択に迫られた俺は、ただ震えて未来を想像することしか……できなかった。

 

 

 下を向き、涙を流す下条匠。その隣で。

 春樹が暗い笑みを浮かべた。


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