御影と春樹
時任春樹と阿澄咲は取引をした。それは国家という型枠にはめ込まれた正式な取引であり、春樹にとってかなり満足がいくものだった。
そして、阿澄咲はかつて下条匠と一緒に召喚された異世界人。彼女の持つ情報は、これまで話してきたどんな平民や貴族たちよりも重要度が高かった。
話の過程で、春樹たちは阿澄咲から様々な情報を得た。
匠が魔剣の呪いで暴走、というのが真っ赤な嘘であること。
この世界に召喚された時から始まっていた、貴族たちの横暴。
赤岩つぐみの革命と、共和国の成立。
だが、肝心の五人ハーレムについての情報はあまり得られなかった。咲はその時にはすでにマルクト王国にいたので、それは仕方ないことだろう。
分かったことといえば、下条匠と赤岩つぐみが婚約しているということぐらいだ。もっとも、その婚約すらつぐみの求婚者避け用の嘘である可能性すらあるが……。
ともあれ、春樹たちは貴族を引き連れてマーリン地区へと戻った。
貴族居住区まで足を進めると、フェリクス公爵が出迎えてくれた。
「これはこれは春樹殿。交渉の件はいかがでしたかな?」
自慢のカイゼルひげを撫でながら、フェリクス公爵が駆け寄ってきた。
笑みを浮かべたその表情。春樹たちを見て、自らが課した試験に合格したと思ったのだろう。
だが、事実はその逆だ。
「……控えろ」
春樹はそう言った。
「俺はこの国、マルクト王国王妃阿澄咲よりマーリン行政区、知事の位を拝命した。この地に住まわせている君たちは、俺の支配下に入ることになる」
「は? 春樹殿? 行政区知事? 何かの冗談ですかな? いやはや、あまりセンスがいいとは言えませんな」
「公爵様……」
暗い声で公爵に話しかけたのは、春樹の後ろに控えていた貴族の一人。ユーフラテスという名前の、この貴族集団における隊長的な役割だった男だ。
「この男の言うことは間違いありません。彼は王妃と交渉し、この地の長として認められました……。申し訳……ございません」
「…………」
フェリクスの顔から笑いが消えた。
聡い男だ。自らの敗北を悟ったのだろう。
「君は魔剣が使えるんだったな公爵殿。俺たちは魔剣を使い彼らを圧倒した。自ら試験に参加していれば、引き分け程度には持ち込めたと思わないかね? 今後謀略を練る時の、参考にしたまえ」
「……善処しよう」
二人の間に、冷たい空気が流れている。
阿澄咲と接触を持ったということは、匠と魔剣に関する嘘が暴かれということ。その設定さえ消え去ってしまえば、後に残るのは横暴な貴族と常識を持つ異世界人。とても相容れる存在ではない。
敵対は確実。しかしだからといって今すぐ殴り合いになるほど険悪というわけではない。
互いの出方を探りあうように、奇妙な膠着状態が続いた。
「あれあれ、どうしたの?」
膠着を破ったのは、第三者の介入だった。
御影新。
今日はいかにも豪華そうな毛皮のコートを身に着け、大事そうに撫でている。口にはデミグラスソース風の調味料が付いており、朝から豪勢な食事を食べていることがすぐに分かった。
(御影……)
春樹は考える。
御影には謎のスキルがある。それも貴族たちの劣勢を覆すことができるほどの、強力なスキルだ。
匠たちだって魔剣と聖剣を持っている。にもかかわらず圧勝を確信できるということは、魔剣一本持った程度の優ではどうしようもないということだ。
だが御影の敵は春樹や優ではなく匠。公爵もその設定で話を進めてきたはずだ。今、この時『奴らを殺せ』と命令したからといって、素直に従ってくれるとは思えない。
つまり今、この場で優や春樹をどうこうすることは不可能だろう。しかしもし、この後適当な嘘を吹き込まれたとしたら?
この地で馬鹿に見えるほど調子に乗っている御影だ。やすやすと騙されるに違いない。
不本意ながら敵対行動をとる。その可能性は十分に存在する。
「なあ、公爵さん」
春樹はそっと、公爵に耳打ちした。
「君とて、あの傍若無人な貴族たちを苦々しく思っているだろう? ここは手を組まないかね?」
「…………」
「俺たちは約束通り、阿澄咲から支援の約束をもらった。もちろん貧しい民たちのためだが……多少なら君たちに渡してもいい。君が煩わしく思っている傲慢な貴族たちは、優が穏便に退治してくれるさ。もちろんやり過ぎないように俺が手綱を握る。その代わり、君は御影の敵意が俺たちに向かわないように話をして欲しい。可能かね?」
「……いいだろう」
フェリクスは頷いた。
春樹は胸を撫で下ろした。頭の回る相手は交渉しやすくて助かる。
振り返ったフェリクス公爵は、再びにこやかな笑みを浮かべながら御影に話しかけた。
「はっはっはっ、やはり異世界の方々は優秀ですな御影殿。彼らは王国の役人へ支援の要請に向かっていたのです。持ち前のスキルと交渉力で、見事支援を受け取りました。貧しい人々もこれで救われますな」
「ふーん、頑張るんだね。この近くの貧しい人たちって、自業自得でこの状態になったんでしょ? わざわざ助けなくてもいいと思うけど……」
どうやら、御影は貧しい人たちが自らのせいでその地位にいると思い込んでいるらしい。ギャンブルで破産した、とか犯罪を犯したとか吹き込まれたのだろうか?
「御影君は、本当にそう思ってるのか?」
これまでずっと話を聞いていただけの優が、御影にそう問いかけた。
「御影君も見たことあるだろ? 女の子がさ、奴隷みたいに扱われてるところをさ。あれは貧しいとか自業自得とかそんな話じゃない。犯罪だ」
「おい、優……、あまり余計なことは……」
春樹は焦った。
話の方向はまとまっていたはずだ。ここで御影を煽るような発言をすれば、フェリクス公爵を敵に回してしまうことになる。
彼は魔剣を使える。その戦いは……おそらく熾烈を極めるだろう。
過度な挑発はまずいのだ。
「それ、悪いことじゃないと思うよ、園田君」
「え……?」
御影が、少女奴隷を肯定した。
その言葉を、優は信じられなかった。
「女が出しゃばるとね、駄目。女が社会進出する国は廃れるんだ。僕はこの地域の制度が理想だと思うし、むしろ元の世界の日本もそうすべきだと思う。大人しく男に従ってくれる、そんな女の子が一番なんだからね」
「…………」
優は頭を抱えた。御影を説得することは無理だと悟ったのだ。
「はっはっはっ、やはり御影殿は異世界人随一の天才だ。女とは何たるかをよく理解していらっしゃる。その調子で下条匠も成敗していただきたいですな」
「うーん、不安だなぁ。まだスキル使いこなせてないし……」
「そうですな。やはり当初の予定通り、訓練を完成させてから……」
話を聞く限り、御影が下条とぶつかるまでまだ時間はありそうだが……その時間的余裕もそれほど多くないだろう。
匠と御影が戦うのなら、できれば匠に勝ってほしい。それが友としての春樹の願いだ。
もっとも、友だからといってすべてにおいて匠を応援しているわけではないが……。
御影とフェリクス公爵は、話をしながら貴族居住区の屋敷へと入っていった。おそらくはスキルの訓練を行うのだろう。
「……優、物事には順序というものがある。君があの公爵を快く思っていないのはわかるが、今はまだ敵対するべきでない。言葉には気を付けたまえ」
「悪かったな春樹。俺もあいつらの話聞いてたら、なんか許せなくなってきて……」
「…………」
「お、怒るなって。これあげるから、機嫌治してくれ」
そう言って、優は春樹に木の棒を差し出した。太鼓のような形をした中央部に、何か丸いものが入っている。振ると楽器のような音が聞こえる、そんなおもちゃっぽい何かだ。
「ど、どうしたのかねこれは?」
「俺のスキルで作った」
「スキル? 例の〈交友法〉か?」
「ああ、スキルのレベルが上がったみたいなんだ。前のやつも使えるんだけど、力を加えたら上のレベルのスキルが使えるようになった。ちなみにこれはレベル3、手からおもちゃの出るスキルだ」
「…………」
子供を喜ばせると言う意味では、確かに『交友』を深めることができるかもしれないが……。
自分の〈発火陣〉といい、優の〈交友法〉といい、どうして優秀な人間にこのような微妙なスキルを与えるのだろうか?
春樹は天の神に向かって、そう嘆いた。




