公爵の試験
領地の支援を地方役人にお願いしたい、というフェリクス公爵の頼みに従って、優と春樹は旅に出ることとなった。
馬車に乗せられ、決して速くはない旅だ。
マーリン区の地方役人は、西側の端に滞在している。
ここまで来るともはやマルクト王国王都マルクスとは目と鼻の先であり、都会といっても差し支えない場所らしい。
道中、とある森の中の道。
鬱蒼とした森林の中に、大きめの通路が走っている。揺れる馬車からその光景を眺めていた園田優は、深いため息をついた。
「暇だな」
「空いた時間を暇とするか長考の機会ととらえるか。それは君の行動次第だよ優」
春樹は目を瞑りながら考え事をしている。これからのこと、現状、彼には考えることが山積みなのだろう。
優はそんな気持ちになれなかった。深く考え事をすると、どうしても一紗のことを思い出してしまうからだ。
(一紗……)
今はまだ、余計なことを考えてはならない。
「奴隷~、何人連れてきたっけ?」
「三人だな。へへへ……」
貴族たちの下卑た笑い声が聞こえる。
馬車は全部で二台。優たちと護衛たちが一緒に乗っているこの馬車と、もう一つの馬車だ。
優はてっきりその馬車には護衛だけが乗っているのかと思っていたが、どうやら雲行きが怪しいように思える。
「助けてえええええええええっ!」
突然、隣の馬車から女性の悲鳴が聞こえた。何事かと外に出ようとしたちょうどその時、馬車の中に駆け込んでくる女性が見えた。
頬を傷つけられた、怯える若い女性。
「た、助けてください異世界人の方。私は死にたくない。どうか、どうかこの男たちから私を……」
ごん、と鈍い音がした。貴族の一人が女性を殴ったのだ。
ずるずると、まるで人形ように引きずられていく女性。とてもではないが人として扱われていない。
「いい加減にしろ……」
優は、激怒していた。
これまで、気に入らないことは多くあった。子供や少女が不当な扱いを受けているとは感じていた。
だが、こんな強姦まがいの現場を目撃するのは初めてだ。
「その人だって、生きてるんだぞ! 俺たちと同じ、人間なんだぞ! どうしてそんなことができる! 今すぐその人を離してやれ!」
優は我慢できなかった。持ち前の正義感が、彼らの行動を許さなかったのだ。
ギラギラした瞳でこちらを睨みつける貴族たち。その中から、比較的冷静さを保った一人の男が前に出た。
この護衛の中で一番偉い、いわゆる隊長格の男だ。
「……勇者殿、どうかご自重いただきたい。これはこの世界の常識。そう、あなた方の世界ではこういったことを『郷に入れば郷に従え』というのでしょう?」
「黙れっ!」
もはや、優は止まるつもりなどなかった。
「たとえ世界の常識でも、人が人を傷つけるのは間違ってる。あんたたちはクズだ! 最低だ! もう、匠も魔剣も関係ない! 今すぐその人から手を放せ!」
「…………」
深い、沈黙が続いた。
これまで、幾度となく似たような場面があった。しかしここまで対立が決定的になるのは、これが始めてだ。
「……はっ、よく吠えた異世界人っ!」
やがて、口火を切ったのは隊長風の護衛貴族の方だった。
「俺はフェルナンド伯爵長男、ユーフラテス! 世が世なら近衛隊の隊長として国王陛下をお守りする立場にあった。忌まわしきあの反乱が起きなければ、名誉も奴隷も欲しいままだったものを……」
「自業自得だ。あんたたちは自分の行いを反省しろ」
「粋がるな異世界人。俺に勝てると思ってるのか? 剣の腕は貴族随一、魔法も第四レベルまで使える俺に……。そして……公爵様のテストは失格! 貴様らはもう終わりだ!」
「テスト?」
「なるほど、試されていたか……」
納得いった、といった様子で春樹が頷いた。
「どういうことだ? 春樹?」
「君が試されていたということだよ優。匠たちのように反乱を起こすか、起こさないか。その試金石だったというわけかね? このわざとらしいシチュエーションは」
「…………」
ここにきて、優は納得した。
これまで、貴族たちはのらりくらりと優の追及をかわしていた。彼らだって、決定的な場面を押さえられることを避けていたはずだ。優には利用価値があるのだから。
しかし先ほどこの場で起こった出来事は、誰がどう見ても殺人。あえてそんな場面を見せつける必要性があったとしたら、それは優を試す試験的な意味合いがあったからに他ならない。
「はははっ、察しがいいなその通りだ。まあテストといっても、さっき逃げ出した女が演技というわけじゃないがな。『異世界人に助けてもらったらどうだ?』と吹き込んだだけだ」
「……クズめ」
「は、何をおっしゃるか異世界人殿。素直に俺たちを見逃せばよいものを……」
気が付けば、馬車の周囲を囲まれていた。
貴族たち。それも恐らくは、こんな事態を想定した……腕の立つ者たちだ。その数は二十人を超えている。
舐められたものだ。
「優」
「任せろ」
優は腰に掛けていた剣を構えた。黄土色の宝石がはめ込まれた、きらびやかなロングソードである。
貴族たちが魔法の詠唱を始めた。
その、瞬間。
「解放、魔剣ザント」
優は魔剣の力を解放した。
瞬間、貴族たちは顔を青くした。
「ば、馬鹿なっ! 魔剣だと! 貴様、適性があるのか? いや、それ以前に……どこで……あ、あああああああああああああああああっ!」
魔剣ザントは砂を操る魔剣である。
今、深い森の中であったはずのここは、まるで巨大なアリジゴクの巣であるかのような様相を呈している。木が、岩が、そして人が砂の濁流にのまれ、中央へと沈んでいるのだ。
「た、助けてくれ! このままじゃあ、息ができないっ!」
「砂に溺れて死んでしまう!」
「わかった、俺たちが悪かった。もう悪さはしないっ!」
「…………」
無言のまま、優は魔剣の力を停止した。
砂の濁流となって周囲を飲み込んでいたその力がなくなった。後に残ったのは、森の中にくっきりと残された円状の砂漠……ただそれだけ。
命乞いをしていた男たちは、息も絶え絶えと言った様子で地面に横たわっている。優を見るその視線はひどく怯えていた。
魔剣の力は、男たちを殺すレベルまで到達していた。もし本当に優がその気であったのなら、貴族たちは生きていなかっただろう。
「こいつら、どうすればいいと思う?」
「このままだ」
隣にいた春樹が、貴族たちを見下すようにそう言った。
「丁寧にこんな監視を付けられたんだ。あの公爵は俺たちに余計な情報を与えたくないらしい。ちょうどいい、監視の足枷も解けたことだから、その地方役人のいる街でいろいろ聞き込みをしようではないか。田舎町の貧民や秘密主義の貴族たちよりは、はるかに常識を知ることができるだろうからね」
「今後のことはそのあとってことか。分かったよ春樹、それがベストだな」
こういう時は頭のいい春樹の言うことに従っていればいい。少々他力本願感は否めないが、下手に素人が動くよりもよっぽど上手くことが進むだろう。
「まあ、わざわざそこまで行かずとも、こいつらがそれ相応の情報を教えてくれそうだがね……」
「ひぃ……」
貴族たちが小さな悲鳴を上げた。
こうして、優たちは貴族から情報を得ながら本来の目的地へと進んでいった。
連れてこられた女性たちは優に守られ、二度と貴族に襲われることはなかった。