加藤VS御影(後編)
加藤は驚愕に震えた。今、確かに御影へ拳を叩きつけたはずだったのだ。しかし今、御影は文字通り『目にも止まらぬ速さ』で加藤の背後へと回りこんだ。
(身体強化系のスキルか?)
明らかに、加藤の身体強化を圧倒している。その速さは、まるで瞬間移動でもしたかのように。
「ちっ!」
加藤は即座に御影から距離を取った。得体の知れない恐怖が、心の奥底から湧き上がってくるような気がする。
(俺が……あの御影を?)
恐れている?
そんな事実を認めたくはなかった。だが無意識に震えるその手が、否が応でも心からの叫びを表している。
「ぎゃあああああああああああああああっ!」
加藤は思わず悲鳴を上げた。
攻撃だ。御影から攻撃を受けたのだ。
距離は取っているはずだ。しかしその見えない刃は、離れた位置にいるはずの加藤に牙をむいた。
(なんだ、何をした? 俺は何をされた?)
左足を出血。死にはしないが、歩けないレベル。
御影が腕を振り下ろしたように見えた。透明な剣? あるいはかまいたちのような風の刃? どちらにしろ、魔法でも魔剣聖剣でもない、スキルの力だろう。
「痛い?」
気が付けば、またしても御影に距離を詰められていた。例の瞬間移動的な動きだ。
加藤はすぐさま回復薬を使用した。このまま御影を相手にするのは、あまりに危険すぎる。
だが――
「ちぃっ、な、なんで俺の回復薬が……」
回復薬が、効かない。
おそらくは御影に無効化されてしまったのだろう。こうなってしまってはもうお手上げだ。加藤は歯ぎしりしながら、ただ、御影を睨みつけることしかできなかった。
あるいは、冷静になれば御影の強さは察せたかもしれない。貴族たちの反応を見ていれば、それは当然の帰結だったのだ。
だが加藤はそれを認めようとはしなかった、否、認めたくなかったというべきか。
クズでノロマで弱い御影。自分より圧倒的格下。元の世界でも、そして異世界でもそうであって欲しいという……願い。
その願望が、彼の戦略を破綻させたのだった。
「がっ!」
突然、御影が馬乗りになって体重を乗せてきた。
「ひひ、フヒヒヒヒヒッ! し、主人公に逆らうからこうなるんだよ。馬鹿だなぁ、テンプレすぎて笑っちゃうよ。君ねぇ、僕はスキルを解除できるって言ったでしょ? その薬だって、妨害できるに決まってるじゃん」
「は、放せこの糞野郎がっ!」
「ねえ、謝ってよ」
鼻の先が重なるほどに、御影が顔を近づけてくる。
「ねえ、ねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえねえ」
「う……うるせええええええええええええええええええええええ。黙れよこのメガネ野郎が。てめぇそんなんだから俺にいじめられんのがわかんねーのか! 気持ちわりーんだよクズが!」
「あーそー」
「ぎゃああああああああああああああああっ!」
今度は右腕をやられた。熱く出血しているその手は、もはや怪我から先の感覚がない。神経が切断されている。
「あーあ、それにしても僕もまだまだだなぁ……。腕ちょん切るつもりだったのに。このスキル、調整が難しすぎ。こんな雑魚に手間取っちゃうなんて……」
これほどの凶事にもかかわらず、御影には一切の情が見られない。むしろこれ以上を平気で行ってしまうようですらある。
ある種の狂気。
加藤は己の死を覚悟した。
「お待ちください」
己の運命を覚悟した加藤だったが、突如として救世主が現れた。
魔王、レオンハルト。美しき金髪を持つ大柄の男である。
貴族として、この地に住まう魔族たちの王。当然ではあるが御影にはその正体を明かさず、ただの貴族として名乗っている。
レオンハルトはその巨体を縮め、まるで王へ進言する兵士のように地へ足を付けた。
「御影殿、どうかお気持ちを静めていただきたい。あなた様にはご学友の少女たちを救う崇高な使命があるのです。仲間割れは下条匠の思うつぼ」
礼儀正しいその姿に多少思うところがあったのか、御影はすぐに加藤から体を離した。
「ふ、ふん、まあいいよ。貴族さんたちにはよくしてもらっているからね。僕も少しだけ大人気なかったかな。ソイツ、貴族さんたちの方で叱っておいてね」
「御意に……」
レオンハルトは恭しく頭を下げた。それに呼応し、御影はこの場から離れていく。
後に残ったのは、魔王と加藤。
「……おい、今のはなんだ?」
加藤は、不機嫌だった。
そこには、助けてもらった恩などは微塵もない。先ほどまで惨めな姿をさらしていたことすら忘れてしまうほどの、呆れを感じていた。
「見損なったぜ魔王さんよぉ。あんたさ、強いスキル持ってるやつがいたら媚びるのか? ……反吐が出る。あんなクズに、頭を下げて頼み込むなんてな」
「…………」
「それともこの世界の魔王はああやってペコペコして生きてんのか? 殺すとか奴隷とか言うのは口だけか? はっ、どっかの社長か政治家かよ」
「…………」
「なあおい、何とか言ったらどうなんだっ!」
気が付けば、加藤は魔王の胸倉をつかんでいた。
まったく、許せない所業だ。御影に頭を下げるなど、たとえ加藤のためであっても許されるものではない。
それ相応の理由がなければ、この怒りは収まらない。
加藤の怒声にさらされた魔王は、全く臆することなくこう言った。
「御影新は、島原乃蒼に惚れている」
「あ? だからなんだっつーんだ」
加藤はクラスの全員を覚えているわけではない。女子についてはなおさらだ。島原乃蒼がどんな女だったかの記憶はあいまいであるし、たとえどんな奴が御影の想い人でも関係がない。
「そしてその島原乃蒼が、下条匠の子を身籠った」
「あ?」
その言葉に、加藤の思考は止まった。
身籠る。
妊娠?
下条匠の子を? クラスの女子が?
その言葉を理解したとき、加藤は……笑った。
「く……くくく、ははははっ、あっははははははははっ!」
ひどく、笑ってしまったと思う。それまでの不機嫌さを吹き飛ばすほどに、強く、そして愉快に笑った。
「し、下条の奴、クラスの女孕ませやがったのか。こいつぁ傑作だぁ。おいこらぁ赤岩ぁ。下条が校則違反だぞ」
「おごり高ぶった御影新に罰を与えるのは、我らの仕事ではない。もっと適任者がいる、そういう話だ」
「くっ、くく、そりゃそーだ。横恋慕の糞野郎は勇者様が絞めてやらねーっとな。ああ、やっと分かったぜ魔王さんよ。あんたの言うとおりだ。ここは俺の……出番じゃない」
加藤は、先ほどまでの怒りをすでに忘れていた。それほどまでに、下条匠の話に衝撃を受けたのだ。
「……少年、我はもうすぐ君と別れねばならない」
「……いきなりだなおい。どういう意味だ?」
「長い別れになるであろう。だが我らは再び巡り合う。その日こそ、君が望み、乞うていた世界の実現を約束しよう。心して待て」
「……はっ、期待してるぜ魔王さんよぉ」
正直、魔王が何を言っているのかよく分からない。しかし面白いというのであれば、断る理由などない。
――翌日。
加藤達也は御影に謝った。
気を良くした御影は加藤にスキルを使い、下条匠が放った〈操心術〉を解除した。
愚かな道化――御影新は、貴族と魔王に糸を引かれ、今日も日夜スキルの鍛錬に励むのだった。
戦いの時は、そう遠くない。




