加藤VS御影(前編)
マルクト王国マーリン地区、亡命貴族の居住区画にて。
建物の壁にもたれかかり、加藤達也は物思いに耽っていた。
ここは御影が囲われている地区から近い場所。園田優や時任春樹がめったに来ることのないところだ。
「……」
思い返すのは、かつての屈辱。赤岩つぐみを屈服寸前まで追い込みながらも、下条匠によってすべてを覆された、官邸への襲撃事件。
ただ負けただけならいくらでも挽回できる。だが、今回はスキル封じという強力な枷を付けられてしまった。文句なしの完敗なのである。
歯がゆい気持ちは多い。だが、もう諦めるしかない。
猪武者のように突撃し、無残に敗北する気など加藤にはない。敗北を受け入れ、不愉快な気持ちを我慢しているだけだった。
ふと、視界にある人物が映った。
「御影……」
御影新。
庶民たちが苦しみに喘いでいるマーリン地区において、貴族さながらの高級衣装と高級食材を欲しいままにする少年。シミ一つないシルクのシャツはキラキラと光沢を放ち、顔色は元の世界よりもずいぶん良くなっている。
上機嫌に、貴族たちと話をしている。もっとも、興奮していても彼の声は活舌が悪いため、何を言っているのかよく分からないが。
「…………」
その様子を見て、加藤はいら立ちを募らせた。
加藤に正義感などない。強い者が弱い者から搾取するのは当然のことだと考えている。
しかし、御影は弱い者だ。にもかかわらず、貴族たちに乗っかってああして贅沢の限りを尽くしている。アンフェアなこの状況は、自らを多少の悪人であると自覚している加藤にとっても不愉快極まりなかった。
不意に、御影と目があってしまった。
加藤は即座に目をそらしたが、どうやら遅かったらしい。別に怖がって避けているわけではないから、ここから逃げてしまうのは逆に不自然だ。
舌打ちをし、御影の前に立つ。
「あははっ、聞いたよ君。下条匠に負けて、力を封じられたんだって?」
「……何が言いたい?」
上機嫌の御影は、元の世界では考えられない口ぶりで話しかけてきた。
「僕のスキルならね、君の力を元に戻すことができるかもしれないよ」
「…………」
どうやら、加藤の事情を知っているらしい。おそらくは貴族に聞いたのだろう。
これほど貴族たちから期待されるスキルだ。御影の言うように、加藤にかかった下条匠のスキルを解除できる可能性は高い。
だが加藤は御影を見下している。このひ弱で気持ち悪いメガネ男に何かを乞うつもりはなかった。
「んなもん、できるかどーか分かんねーだろーが……」
加藤は御影を一瞥して、その場から立ち去ろうとした。しかし、彼によってその手を掴まれてしまったため、立ち止まることになった。
「……なんだよ?」
「謝ってよ」
「……あ?」
「謝れって言ってるんだよ。聞こえなかったかな? 地面にはいつくばってさ、僕に謝ったら許してあげるよ。僕は慈悲深いからね。君が反省してるとこ、僕に見せて欲しいな」
どうやら、はじめからこれが言いたかったらしい。
元の世界であれほどいじめられてきた御影だ。強大な力を手に入れたら、真っ先にその矛先を加藤へと向けるのは容易に想像がつく。
「……く」
加藤は笑う。
「くくくっ、くくくくくくっ」
深く、沈んだ笑い。ある種の不気味さを孕ませたそれは、以前の御影であれば泣き出してしまっていたかもしれない声だ。
「謝れだ? 反省しろだ? おいおいおい新ちゃん。違うだろ? ぜんっぜん違うだろ」
地面に唾を吐きつけた加藤は、改めて御影を睨みつけた。
「勘違いしてるみてーだから教えてやるがな、俺ぁ別にてめぇを攻撃できねぇんじゃねーぜ。『下条たちを攻撃するな』ってのがあいつの命令で、てめぇはその範疇に入ってねーからな。俺があの人の顔を立ててるうちに、さっさと俺に謝れ。今なら腹三発蹴るだけで許してやるからよぉ……」
「……はははっ、呆れた。やっぱりいじめっ子は痛い目見るべきだよね。それがクラス転移の常識だし」
加藤は目を疑った。
これがあの、御影か? 自分の前でうずくまりながら泣き言を言っていたあの少年と、同一人物なのか?
「テンプレっぽく僕の超スキルでぼこぼこにしてあげるよ。そのサル山の上で粋がってる馬鹿な頭でも、格上が誰か理解できるようにね」
その瞬間。
加藤の頭の中で、血管の切れる音が聞こえた。
「御影えええええええええええええええええええええええっ! てめぇ調子に乗ってんじゃねーぞ! ぶっ殺してやるっ!」
笑う御影。
激怒する加藤。
こうして、スキルを駆使した二人の戦いが始まった。
加藤は、すでに薬を作っている。
あまりに強力な下条匠の〈操心術〉を前に、彼らに向けて薬を使うことを諦めてしまったのだ。今、ここで御影や自分に使う薬は、彼が自分のために生み出したものである。
下条たちのことを忘れれば、加藤に敵などいない。
加藤は腰のホルスターに固定した瓶を取り出した。
「こいつはなぁ、てめぇのために作った薬だぜ。全身から出血して苦しむ、そんな毒薬だ。惨めな声まき散らしながら、のたうち回ってろやっ!」
加藤は薬入りの瓶を投げつけた。緩くふたをされていただけのそれは、御影の体にぶつかると中の液を飛散される。
「う……あ……」
すると、御影の体に変化が起きた。
じくじくと、まるで細胞の一つ一つが裂けていくかのように、ズボンに赤いシミが広がっていく。血だ。皮膚が裂け、血が噴出している。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
御影は地面に転がりこんだ。当然だ。あれだけの出血をしているのだから、その痛みは打撲や骨折レベルでは済まない。文字通り、死ぬほど痛いはずだ。
加藤は痛快だった。先ほどまで強がっていた御影がこの様だ。何の覚悟もできていない弱虫が、こんな目にあうのは当然なのだ。
そう、思っていたが――
「なーんてね♪」
そこには、いつもと変わらない御影が立っていた。
服に血はこびりついている。しかし先ほどまでの出血は止まり、この様子だと怪我の痛みもなくなっているだろう。
完全に、毒から完治している。
(な……なんだこりゃ……)
加藤は焦った。
薬が効かない。否、効果を打ち消されたというべきか。
なるほど、先ほど話していた『加藤にかかった〈操心術〉を解除できる』という話は本当らしい。
スキルキャンセル系の能力か? と疑った加藤であったがすぐに否定する。そんなものでは、貴族たちのあの喜びようは説明できない。
回復、解毒系スキル。加藤はそのように御影のスキルへあたりを付けた。
「ならよぉ……」
加藤は自ら瓶の薬を飲んだ。
――身体強化薬。
かつて下条匠を肉弾戦で圧倒した薬だ。スキルではない物理的な攻撃によって御影を圧倒する、そんな作戦だ。
よしんば身体強化を解除されたとしても、もともとの身体能力は加藤の方が上。このまま身体能力の差で押し切るっ!
加藤は弾丸のような速さで御影に肉薄した。魔王へ顔を立てて殺さないでおくが、死なない程度に痛めつける。どうせどれだけ痛めつけてもスキルで治るのだ。気にする必要なんてない。
身体強化され、筋肉によって膨れ上がった腕。そこからたたき出される拳は、大岩すらも砕けるほどの威力を秘めている。
加藤は急所をわざと外し、惜しみなくその力の本流を御影へと叩きつけ――
「遅いよぉ、加藤君。僕あくびが出ちゃったなぁ……」
「なっ!」
背後に、御影が立っていることに気が付いた。




