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憂鬱の公園


 乃蒼が妊娠した。


 その事実を屋敷の前で聞いて感じたことは、戸惑い、喜び、焦り、驚き、いったい何だっただろうか。言葉にできない複雑な感情が胸中を渦巻き、俺は『おう』とか『そうか』とかあいまいな返事しかできなかったと思う。


 俺だって子供じゃない。することすればどうなるかは知ってたし、その覚悟だってしていたつもりだった。

 収入はある、この世界で生きていく。そんな上っ面だけの言葉ではおよそ覆せないような漠然とした感情が、俺の心を支配している。


 ここは王都の公園。大通りから少し離れたところにある場所だ。かつての乃蒼と一緒に、二人で安らかな時を過ごしたことがある。

 あの時は、猫と戯れてたんだったか。

 つい最近のことなのに、まるで遥か昔のことのように思えるから不思議だ。あの時は鈴菜もつぐみも璃々も一紗も、屋敷にいなかったからな。


 俺は芝の上に寝転がった。

 空には青空、そしてその中を白い雲が延々と流れている。小鳥たちの綺麗な鳴き声が聞こえるこの場所は市民たちの憩いの場だ。心を落ち着かせるのには、とても向いていると思う。


 俺はしばらく、そこでぼんやりとしていた。


「何ぼーっとしてんのよ」


 そんな声が聞こえて、頭の上に木の葉っぱを落とされた。

 ゆっくりとその葉を取り除くと、目の前には美少女がいた。


「一紗、か」

「そーよ、第五夫人の一紗ちゃんよ」


 リボンでまとめた彼女の金髪が、公園を拭く風によってゆらゆらと揺れている。


「第五夫人って……」

「ごめん……言ってて悲しくなってきたわ」


 あの後、一紗は屋敷に入った。

 本当はいろいろ話題があってもおかしくなかったと思う。でも、乃蒼の件があまりに衝撃的だったため、それほど何か言われることもなかったらしい。


「あーあ、あたし、あんたのこと好きになるなんて思ってもみなかったわ」


 そう言って、一紗は俺の隣に腰掛けた。


「……雫絶対あんたのこと好きよ。ホント、やになっちゃうわね」

「……マジで?」

「たぶん自分では自覚してないと思うけど、あたしだってりんごだってそう思ってるわ。……あぁ、マジ鬱自己嫌悪。死にたい」


 一紗は深いため息をつきながら項垂れた。彼女の言っていることがもし本当だとしたら、それはかなり気持ち良くないことだと思う。


「それに、あの子も……」


 一紗は、そう言って遥か青空を眺めていた。

 どうやら、あまり心地よい話題ではないらしい。人を好きになったり誰かと付き合ったりって、難しいことだよな。


 俺は一紗が屋敷にやってきた時――すなわち乃蒼の妊娠が告げられた時のことを思い出す。


「みんな、すっげーテンション高かったよな。次は次は、みたいなこと言われてちょっと戸惑った。」

「なにそれ。あんた、まだ生まれてもないのに子供で鬱になってんの? しっかりしてよね」


 一紗に、強く背中を叩かれた。


「子供、嫌いなの?」

「そうでもないぞ。むしろ好きな方じゃないか? 学園に行くときさ、よく近くの小学生が登校とかしてるじゃん。ああいう小さい子が頑張ってる姿見るの嫌いじゃないし」

「うわぁ、ロリコン? そういえば乃蒼ちゃんも雫も……」

「おいおい、なんでそこで雫の名前を出す。昔フェリクス公爵にも似たようなこと言われたんだけど、俺にはそんなつもりないから。だいたいそんなこと言ってたら、俺は鈴菜や一紗のこと好きになれないじゃないか。おかしいだろ」

「あたしも、こー、ランドセルとか背負った方がいい? 指をくわえながら『お兄ちゃーん』とか、呼んだ方がいいかしら? ん? どーなのおにーたん?」

 

 まるで赤ん坊か何かのように親指を口にくわえた一紗が、上目遣いにこちらを見てきた。正直めっちゃ可愛いけど、ここでそんなこと言ったらまた変に思われてしまうかもしれない。


「冗談だよな? もしそうじゃないならやめてくれ…………」


 そんなこと言われて喜んでたら、自分自身が情けなくなってしまう。

 ……なんて、俺は何の話をしてるんだろうな。


「……なあ、俺、いいお父さんになれるかな?」

「いいお父さんになる前に、まずはいい男になることね。こんなところでぼんやりしてるようじゃ、ダメ、絶対」

「そうだな」


 俺は芝から立ち上がった。しばらく変な体勢で座っていたため、下半身に違和感があるけど、歩けないほどじゃない。


「俺、帰って乃蒼と話をしてくる」

「じゃああたしも帰るわ」

「むっ、帰るのを急かしたつもりはなかったんだけどな。一紗はしばらくゆっくりしていっても……」


 不意に、一紗が俺の隣に立った。


「こういう二人きりのときぐらい、あんたの恋人気分満喫させてよね」


 そう言って、腕を絡ます一紗。

 乃蒼には話をしたし、別に浮気というわけではないのだが、彼女を置いて一紗と仲良く遊んでいるのは……あまりいい気分ではないな。

 なんだか、罪悪感がある。


「乃蒼になんか買っていこうか。おいしいものとか。あっ、妊婦はあんまり食欲ないのかな?」

「あたしに聞かれても……。そんなの知らないし」

「男の俺がわかるわけないし……。一紗、なんとなく知ってるんじゃないかなーって。子供、なんとなく好きそうだし」

「そうね、子供好きよ。あんたとの子供も、いっぱい欲しいと思ってるわ」

「は?」


 ちょ、急に何言いだすんだこいつ。ただ軽い話のつもりだったのに、子供がいっぱいとか……。


「お、おう……まだ、先の話だけどな……」

「…………匠」


 不意に、一紗は声のトーンを落とした。


「お、男の子が生まれたら……優、って名前にしない?」

「優? そうだな……」


 優はイケメンで、強くて賢くて人望があった。

 俺の息子がそんな風に育ってくれたら、これほど嬉しいことはない。


「俺たちの子供だ。きっと優の生まれ変わりみたいにさいっこーの男になる。俺もその名前、いいと思う。むしろ俺が『優』って名前に改名したいぐらいだな」

「じゃああたしは生まれてくる男の子に『匠』って名前付けるわね。馬鹿でかっこ悪くて情けなくて、ママにひたすら甘えてきそうな名前よね。ずっと息子をかわいがれる、さいっこーの名前ね」

「じゃあ俺は女の子が生まれてきたら『一紗』って名前に――」


 などと互いに冗談を言い合いながら……俺は思う。


 優。

 今は死んでしまった、俺の親友よ。

 天国で見ててくれ。俺と一紗は、いろいろあるけど……仲良くやってるぞ! 一紗はきっと、幸せだ。


 俺たちは、手をつないで家に帰った。

 今度はもっと、乃蒼にいい顔ができるだろうか。


なお天国にいるはずの優君は……。

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