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月と星の下、海のベッドで

 目覚めると、まだ夜だった。

 南国風の海岸だが、日のない夜というものは予想外に寒いものだ。空の上から、月と星が俺を見下ろしている。ここがプラネタリウムなら何か気の利いた解説をしてくれるんだろうけど、生憎とそんな高尚な機材は置いてない。そして俺も、この世界の星々について知識がなかった。

 俺はゆっくりと体を起こした。背中の制服についていた乾いた砂を叩き落とす。


「一紗……?」


 ふと、隣を見ると、寝る前までそこにいた一紗がいなかった。

 一紗が、いない。トイレにでも行ったのか?


 やれやれ、隣にいた女の子が席を立ったのに、全く気付かずのんきに寝てたわけだ。こんなことじゃあ、魔族が侵入しても気が付かなかったかもな。

 疲れていたとはいえ、二人同時に寝てしまったのは不覚だったかもしれない。以後の教訓として心に留めよう。


 半分寝ぼけたままぼんやりと周囲を見渡す。ヤシの木、砂浜、そして海に目を移したその時、彼女を見つけた。

 ツーサイドアップの綺麗な金髪が、月明かりに照らされてキラキラと輝いている。

 水浴びか。

 俺たち、だいぶ汗かいてたからな。俺も体洗ってなかったから、変な臭いとかしてたかもな。心の中で『くっさ』とか思われてたら、たまったものではない。


「…………」


 ぼんやりと、一紗を見ていて気が付いた。


 水浴び? 服を着たまま? あんなに沖へ?

 違う!

 寝ぼけていた頭に、まるで電流を流しこまれたかのような衝撃が走る。俺は、何を馬鹿なことを考えてたんだ。


 俺は改めて一紗を見た。

 それはまるで、死にゆく亡者のように……。


 つまり……一紗は……。

 その瞬間、俺はすべてを察した。


「一紗あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」


 叫ぶよりも早く、俺は駆け出した。


 一紗は、さらに沖へと向かっていた。俺は彼女の名前を呼びながら、半狂乱のまま海を走っている。

 浅瀬が続いている海だが、海水はすでに脚の半分を覆っている。自然と足を取られ、動きが緩慢になっていった。

 まずい、このままじゃあ……間に合わ……な……い。


「〈白刃〉っ!」


 俺は聖剣の刃を放った。強力な力を持つ白い刃は、浅い海を一刀両断し、まるでモーセが海割りを行った時のように道を作った。

 走り抜けた俺は、一紗に追いついた。

 彼女の手首を掴む。


「何よ?」


 一紗は、俺にそう言った。その声には何の感情も込められていない。俺の声も、脚をすべて覆うほどの海の水も、握り締めたこの手も、彼女にとっては何の意にも介さないことらしい。


「こんな浜辺から遠いところまできて、どうするつもりだ! 流されたら大変だぞ? 死ぬつもりかっ!」

「そうよ」


 ……最悪の予想は、どうやら見事的中してしまったらしい。

 入水自殺だ。

 一紗は、海で自殺しようとしていたんだ……。


「もう、あたしなんか生きてたって仕方ないでしょ。優は死んだし、匠だって雫だって、あたしのせいで怪我して……危険な目にあって。さいってーのクズよねあたし。生きてる価値なんて……ないわ」

「俺たちは、お前を助けに来たんだぞ! こんなところで死んでどうする?」

「離して」


 俺の手を振り払った一紗は、そのままさらに海の奥へと進もうとする。

 俺はそんな彼女の手を掴み、無理やり押し倒した。これ以上前に進めないように、その手と腰を掴む。

 

 波にその身を任せる一紗。

 彼女の髪が、服が、海の水にゆらゆらと揺れている。傍から見ていれば、俺が女の子を押し倒しているように見えたかもしれない。


「洒落にならないな。お前を押し倒してるみたいに見える」

「そうやって……乃蒼ちゃんや鈴菜みたいあたしに手をだすのね。……いいわよ。好きなだけ犯せば? 苦労してここまできたんだもんね。少しぐらい、気持ちよくさせてあげるわ」


 一紗はそう言って、制服のボタンに手をかけた。ブラウスの下に隠れていた豊満な胸が露わになる。

 水で濡れたその下着は、少しだけ透けていて、俺を誘っているようにすら見えた。


「あたし、処女だから……優しく……」


 赤い顔をした一紗が、整わない吐息のままそんなことを言った。それはどんな卑猥な動画よりも激しく、強く俺の心を揺り動かした。

 ……でも。


「止めろ」


 俺は両手で一紗の手を掴んだ。


「俺はそんなことしない。また、一緒に地上に帰ってさ、おいしいもの食べたり服買ったり、普通の日常を、取り戻したいんだっ!」

「…………」

「勇者やりたくないって言うなら、俺がつぐみを説得するからさ。やる気がなくてもいい。ニートでも引きこもりでもなんでもいい。俺の屋敷、部屋いっぱいあるからさ。スマホとかゲーム機とかないけど、本とかカードゲームとかチェスぐらいなら用意できる。ああ……そういえばさ、俺子供の時から、お前に一度もチェスで勝ったことないよな。勝ち逃げは許されないな。遊ぼうぜ! 人生ってさ、出会いがあって別れがあって、そういうもんだろ? 優は死んだ、ああ……そうだ死んださ。でもお前は死んでない!」

「…………」

「俺は乃蒼だって養ってたんだから、また一人ぐらい増えても問題ない! お前が俺に小遣いせびってくる姿を思い浮かべるとさ、むしろ喜んでそうしてやりたいぐらいだ。餌だって毎日送ってやる。乃蒼の手料理だ。りんごと乃蒼、どっちが上手いか食べ比べてみろよ。俺は……りんごには悪いけど乃蒼の味が好きだな。ま、まあとにかく、地上に戻れたらそんな自堕落な生活を約束してやるよ。だからさ、ほんの少しでいい、生きる希望を……」

「やめてよ……」


 一紗は、俺のことを見ながら……震えていた。

 まるで猛獣を目の前にした少女のように、おびえているように見えた。なぜだ?

 俺は強姦するとも殺すとも言ってないのに、なんでこんなに……怖がってるんだ?


「一紗?」

「来ないでっ!」


 俺から距離と取った一紗は、震えながらそんなことを言った。海の方向ではなく陸の方向にだ。入水自殺をするつもりはないようだが、この距離は……一体?


「一紗? どうしたんだ? 俺は何か……変なこと言ったか? 怖がらせるようなこと言ったか?」

「これ以上、優しくされたら、あんたのこと……好きになっちゃう」


 え……?

 今、なんて言った?

 聞き間違いか?

 一紗が、俺のことを……好き? に、なる?  


「……あたし、あんたのこと好きになりかけてるかもしれない。あんたがあたしのことを助けに来てくれた時、たまらなく嬉しかった。ううん、それだけじゃない。あんたと話してると楽しいし、会話弾むし、し、正直、優がいなかったらあんたと付き合ってたと思う。しょ、小学校のころ、あんたの事好きだったし」

「……一紗」

「……でも、もう止めてよ。優は死んだのよ! 死んだから匠に乗り換えるの? あたしそんなに軽くない! あたしは死ぬの! 優のことを好きなまま、この海で死ぬの! もう放っておいて! これ以上あんたの声を聞いてると……あたし、あたし……は……」



 一紗は両手で顔を覆い、そのまま泣き崩れた。

 ……ああ、そうか。

 それが、一紗の気持だったのか。


 優はイケメンだ。勉強もスポーツも俺よりできる。俺は何度か彼と自分を比べて、落胆したのを覚えている。

 俺は常に優に劣等感を抱いていた。美少女の一紗が付き合うなら優がふさわしいと、心の中でずっと決めつけていた。


 事実として一紗と優は付き合っていた。彼が生きていたのなら、今もそれはずっと続いていたわけで……。

 

 一紗は言った。『死んだら匠に乗り換えるのか?』と。それは同時に俺へも跳ね返ってくる。

 俺は親友が死んだらその女に手を出すのか? 


「俺のことを好きになってくれていい。馬鹿にしてくれたって、怒ってくれたっていい。だから生きてくれ。死なないで……くれ」


 気が付けば、俺は泣いていた。

 一紗は幼馴染だ。そんな彼女を失ってしまっては、俺の心だって耐えられないかもしれない。


 優は、すべて分かっていたんだ。

 自分の死が、一紗を絶望させることを知っていた。その命をつなぎ留めることができるのは、俺しかいない。

 

 ――俺の代わりに、一紗を愛してくれ。


 優は死に際にそう言った。あいつは分かっていたんだ。死にゆく一紗を止める唯一の方法。それは、俺と彼女が互いに愛し合うことだったんだ。

 互いが互いを求めれば、死にたい気持ちは薄れ消えていく。 


「……あたし、許されるの? あんたのこと、好きになってもいいの?」

「死んだ優もきっと、お前が生きることを望んでいる。俺を好きになって生きられるならそうしてくれ。俺もさ、お前のこと……好きになっていいんだよな?」

「なれるの?」

「お前めっちゃ美少女じゃん。男なら誰だってそうなれるだろ」

「……馬鹿。匠以外にそんなこと言われても、嬉しくないし」


 誰かを好きになることで、生きる希望を得られるなら……。


 俺たちは互いに抱き合ってキスをした。海水と彼女の唾液の入り混じったその味は、しょっぱくて……まるで涙を舐めているかのようだった。

 柔らかな海の水に、彼女の体が沈んでいく。


「一紗……」


 海をベッドに、月明かりの下で。

 優が欠けて心にできた隙間を、二人の体で埋め合った。


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