偽物の死
「…………」
迷宮宰相、ゲオルクは己の体が冷たくなっていくのを感じた。
死神の鎌が首を捕らえ、薄皮一枚でつながっている状態。もはや死を待つ病人にも等しいこの状況は、嘆いてもわめいてもどうしようもない。
肉人形、偽園田優は見事ゲオルクを庇ってくれた。ただ、彼の体だけで長剣を防ぎきることができず、結果として主を守り切れなかったわけだ。
(……無念)
肉人形はゲオルクの生み出した人形である。
身体能力は人間と同じ、あるいはそれ以下。魔法も使えず技も使えず、そんな弱い生き物なのである。
剣で腹部を貫かれれば、間違いなく死ぬ。
もっとも、これから死にゆく自分にとって、彼が生きていようが死んでいようがどうでもよいことなのだが……。
(……それにしても)
ゲオルクを直接殺したのはミゲルの信者だ。だがそれ以上に、決定的な要因となった人物のことを思い出す。
勇者、下条匠。
確かにミゲルの信者はゲオルクを殺した。しかし下条匠がいなければ、自分は死ななかった。その事実は、絶対に揺るがない。
(憎い……)
恨み。
辛み。
死の恐怖から爆発的に増加した負の感情は、匠への憎しみへと収束していく。
(せめて、あの男に……一矢……報いて……)
ゲオルクは最後の力を振り絞って〈神の糸〉を肉人形に接続した。自分にも、偽園田優にも、もはや残された時間は少ない。それほど複雑な指令を与えることはできない。
命令は――
(……ヒヒ、ヒヒヒヒヒ)
ゲオルクは最後の命令を下した。そしてこの後の未来を想像しながら……絶命したのだった。
*********
優が、腹を刺された。
俺が掴んでいたゲオルクも巻き添えにして。
俺は何もできなかった。剣を奪われ、魔法も間に合わず、大切な友人を……こんな目にあわせてしまって……。
ミゲルの信者は、ブリューニングが斧を使って粉砕した。
俺、そして一紗は、崩れ落ちる優の前で呆然としていた。
止血とか、やれることはあるんじゃないかと思う。でも、この状況は……俺たちにとってあまりに辛かった。何をどうすればいいか、冷静に判断できる状態じゃなかったともいえる。
そしておそらく、もう無駄なのだ。
優は死ぬ。
それがわかっているから……動けなかった。
「嘘……嘘よ……優」
一紗が体を震わせながら、顔面を真っ青にさせている。友人である俺ですら悲しいのだ、恋人である一紗はなおのことだろう。
「……た、匠」
震える声で、優が手を伸ばしてきた。
俺はその手をそっと掴む。昔はあれほどたくましく頼りになっていた優の手が、今や子供のようにか弱い握力しか出せていない。
「……俺は、もう駄目だ。一紗を、頼む」
「一紗を?」
「俺の代わりに、一紗を……守ってくれ」
その、遺言みたいな言葉に……俺の頭が一気に沸騰してしまった。
「お前、一紗の彼氏だろ! 守るのはお前の仕事だ!」
死にゆく者に、こんな言い方は酷だったかもしれない。でも俺は認めたくなかった。大切な友人が、こんなところで死んでしまうなんて……事実を。
「一紗は、お前に惹かれていた。お前だって、一紗に思うところがあったはずだ……。俺がいなければ、お前たち二人は……きっと仲のいい恋人同士だった」
「お……お前……」
何、言ってるんだよこいつ。
俺が……一紗のことを好き? 一紗も俺のことが好き?
確かに一紗とは仲が良かったし、正直なことを言えば……見た目超美少女だしそういうことを全く考えなかったといえば嘘になる。
でも、それだけだ。
俺たちは幼馴染で、仲の良い親友。それだけの関係。それだけの好意。
そのはず、だったのに……。
「ゆ、優?」
「隠さなくても……いい。心当たりは……ある……だろ?」
「…………」
一紗は狼狽していた。無理もない。恋人の死を目の前にして、冷静でいられるはずがないんだから。
でも、優は頭のいいやつだ。決して、何の確信もなくこんなことを言わないとは思う。
俺自身が知らない心を、見抜いていたとでも言うのか?
いや、何言ってんだよ! そんなはずはない!
俺だって、一紗と優の関係を祝福していたはずだ。
……でも、本当にそうか?
絶対嫉妬していなかったと言えるか? イケメン親友に美少女幼馴染を取られた、そう思わなかったと言えるか?
俺は……俺は……。
「俺の代わりに……一紗を、愛して……くれ……」
力を失った手が、まるで人形か何かのように……地面へと崩れ落ちた。
「優?」
俺は優に声をかけた。体を軽くゆすったりもした。しかしどうやっても、優は反応を示さない。
「優っ!」
俺の隣にしゃがみ込んだ一紗が、優の体を必死に揺らしている。
「ねえ、優、優……しっかりしてよ。ねえ……せっかく、会えたのに。また、話ができて、触れられて……嬉しかったのにっ!」
俺は思わず目をそらしてしまった。
見ていられなかった。
ぐったりとした優の姿も、悲しみに暮れている一紗の姿も……。
「優ううううううううううううううううううううっ!」
この日、俺の友人で一紗の彼氏である……優が死んだ。
俺は泣いた。
一紗も泣いた。
周りの魔族は、俺たちを眺めているだけだった。襲ってくる気配はないが、同情している様子もない。
見世物だ。
でも今は、それでいいのかもしれない。
俺も一紗も、誰かと戦ったり話をしたりする余裕なんて……なかったのだから……。
俺達の慟哭が、宮殿に木霊した。