神の糸
〈神の糸〉。
どうやら、それがゲオルクの純魔法らしい。
かざしたその手から、白い糸のような物体が放出されている。最初は数本だったそれは、徐々に数を増やし数えきれないほどになっていく。
「……気持ち悪いな」
それは、さながら繭のように宰相の体を覆っていた。完全な防御陣形。
俺は即座に〈白刃〉を放った。しかしその繭はまるで鋼鉄でできているかのように白い刃をはじき返してしまう。
硬いな。
次なる手を思案していた時、繭に変化が生じた。両サイドから突出した腕状の糸の塊が、さながら大槍のような形に凝縮して俺へと迫ってきたのだ。
突く!
突く!
突く!
俺はその槍型の攻撃を寸前で回避した。早く、そして固い水晶の床を穿つ強力な一撃だ。人間の肉や簡単な防具なんて、何の抵抗もなく貫通してしまうだろう。
〈神の糸〉。それは自らの体を覆いつつ、相手に攻撃を加える。攻防一帯の魔法だ。
どうする?
俺は即座に戦法を考えた。
まずは……。
「〈白刃〉っ!」
俺は再度〈白刃〉を放った。と言っても同じように放つだけではバカの一つ覚えだ。
一つ、二つ、三つ四つ五つっ!
俺は同じように〈白刃〉を四回放ち、繭の中央へと結集させる。
五つの〈白刃〉が重なる、その中心で――
「な……」
白い糸の繭は、砕け散ったのだった。
*******
〈神の糸〉による繭が破られるのを、宰相ゲオルクは目の当たりにした。
「な……なんということでしょうか。私の〈神の糸〉が破られるなどとは……」
と、驚愕に震えるような声を出しながら、内心では全く別のこと考えていた。
(……ヒヒヒッ、我ながら名演技といったところでしょうか)
そう、演技だ。
確かに、繭が壊されたことには驚かされた。しかし、それは一応『想定内』なのだ。
幾重にも重なる白い糸。これはただの囮だ。
そもそもこの〈神の糸〉と呼ばれるゲオルクの純魔法は、強靭な糸を使って攻撃したり防御したりするものではあるが、それが主たる目的ではない。
100を超える白い糸の中に、隠れ潜むただ一本の真実。地面を這うように匠の元へとたどり着いたそれは、透明な糸である。
白い糸はすべて囮であり、本命はこの透明な糸。どれか一つでも、敵へたどり着けばミッションコンプリート。
ゲオルクはこの糸を使い、相手の記憶や思考を読み取ることができる。一紗の記憶を読み取ったのも、この糸による力だ。
〈神の糸〉は脳神経に接続され、敵の頭を覗く。物理攻撃ではなく、精神面に特化した必殺なのだ。
これで匠のすべてがわかる。彼の性格、彼の考えていること、ゲオルクへの敵対心や一紗や優に対する感情などなど……。
ゲオルクは匠へと繋がった〈神の糸〉を消失させた。この糸は透明になっているだけで触ればバレてしまうため、長い間引っ付けておくことは難しいのだ。
だがこのわずか数秒の間に。すべての事を終えた。
匠を理解できた、と言ってもいいだろう。
さすがに未来のことやとっさに思いついたことまでは読めないが、敵の傾向を知ることができるのはかなりのアドバンテージになる。
――そして、それと同等に重要なミッションが存在する。
肉人形、園田優は偽物だ。勇者一紗の記憶を元にして作ったから、彼女に対してバレてしまうことはないだろう。しかし、匠に関してはそうとは言えない。
恋人である一紗と、男友達である匠。当然ではあるが、話す内容も態度も異なってくる。長く話をしていれば、恐らく矛盾が生じてくるだろう。
その齟齬は異世界転移による記憶喪失でごまかすこともできるが、それではやや弱い。内通者としての彼を完成させるためには、もう一押しが必要だったのだ。
完全な園田優を創造するために、肉人形の頭脳をアップデートする。
ゲオルクは例の透明な糸を、今度は肉人形の園田優に突き刺した。むろん、表面上は匠に警戒の視線を向けながら、ではあるが。
(しかししかし……厄介ですね)
ゲオルクが心配したのは、肉人形とは別の件。
〈神の糸〉はそれ自体が強力な技だ。糸は鞭のようにしなり、鉄よりも固く強靭。並みの雑魚魔族ではどうすることもできない、ゲオルクの必殺技である。
だがそれを、新人勇者であるこの少年は破った。
眼前の勇者、下条匠は危険だ。
少なくとも、ゲオルクの命を脅かすことができるレベルに。
(……これは、万が一に備えておく必要がありますね)
互いを殺さない程度に、とゲオルクは匠に耳打ちした。しかしそんなものは口約束――否、約束にすらなっていないただの願望だ。記憶を読み取ったゲオルクは知っている。匠は追い詰められれば、仕方なくではあるがゲオルクを殺すだろう。
肉人形はゲオルクの操り人形だ。
〈神の糸〉を通して、彼の脳に命令を刻み込む。
〝――万が一の時は、私を庇いなさい〟
偽園田優の目的は、勇者たちの中に潜入し魔族への敵対心を削ぐこと。
その計画は重要ではあるが、ゲオルク自身が死んでしまっては元も子もない。
が、あくまでこれは『念のため』だ。〈神の糸〉によって匠を理解したゲオルクは、さながら未来予知でもしているかのように彼を翻弄できるはずなのだから。
(さてさて、ブリューニングのご機嫌取りといきましょうか)
ゲオルクは白い糸を結集させて自らの槍を作り上げた。
ここからは、野蛮な魔族たちが好む肉弾戦でも十分だ。




