肉人形
迷宮宰相、ゲオルクは勇者一紗の様子を眺めていた。
同じクラスメイトであり彼氏でもある園田優に、不安と喜びが交じり合った声で話しかけている。
(良いですねぇ、良いですねぇ)
宰相ゲオルクはその様子を見て、満足げに頷いた。
ゲオルクはこの迷宮において重要な働きをしている。
配下の魔物たちを操り、地上から水や食料を調達したり。
レベルも知性も低い雑魚魔族に、最低限の教養を与えたり。
迷宮――特に上層における領地分割を公正に行ったり。
およそ戦闘や娯楽に関係のないすべての事柄にかかわっているといっても過言ではない。
しかしどれだけ食料を集めても、雑魚魔族を統率しても、評価されず蔑まれる。
それは彼がどちらかと言えば醜い容姿をしているせいもあるが、それよりなによりもっと重要な原因がある。
力が……ないからだ。
迷宮魔族は力を貴ぶ。この世界では力ある魔族が上。ゆえにゲオルクは『宰相』という人間界における権力者の名称とは裏腹に、それほど周囲の魔族たちから敬われてはいない。
ゲオルクは常日ごろから思っていた。王への不満。魔族全体を支配する力への異常崇拝。そして自らが不当に蔑まれていると。
だが、それでも王はレオンハルトだ。ゲオルクは彼に反抗する力を持たないし、これまでずっとその言い分には従ってきた。
そのはずだった。例の命令が下るまでは。
(そもそも……魔王陛下のあの命令)
いまだその命令内容は他の魔族に漏れてない。この話を知るのは、レオンハルトの腹心である三巨頭と、迷宮全体を統括する職務に携わるゲオルクだけだ。
おそらく獅子帝レオンハルトには考えがあるのだろう。彼は力を持ちながら策謀を練る。まさに魔王と呼ぶにふさわしい逸材なのだから。
だが、嘘をつくようなことはしない。どんな意図があるにせよ、最終的にその命令は『絶対』なのだ。
多くの死者が出る。魔王に忠誠を誓い、力強い魔族たちの犠牲が……。
(良いですねぇ)
つまり、チャンスが回ってきたのだ。目障りな暴力主義者たちを一掃でき、弱き者が立ち上がるための……チャンスが。
そのチャンスを無駄にしないためにも、今、弱小魔族だけでは対抗しきれない『勇者』を無力化する必要がある。
(私はまだまだ死にたくないですからねぇ)
ゲオルクは戦闘能力の弱い魔族ではあるが、あくまでそれは魔族の中における話である。並みの人間は当然のこととして、勇者と称えられる一紗ですら戦いの末葬ることもできる。
目の前の一紗を殺すことは、できる。
だがゲオルクは知っている。そんなことをしても無駄なのだ。
もし、ここで勇者一紗を殺したと仮定しよう。
勇者一紗の死は伝説となり、詩となり歌となり、そして多くの仲間たちを激怒させるだろう。
魔族であるゲオルクの目から見ても、目の前の長部一紗は美少女といって差し支えない。美しく柔らかい肌、整えられた金髪、そして時々こちらを警戒する意思の強い瞳。どれをとっても一級品だ。
ゲオルクは他種族に性欲を覚えたことなどない。しかし美しさ、可憐さ、そして凛々しさを兼ね備えた一紗に対し、ある種の芸術作品を眺めるような心地を覚えている。
美しい者の死はさらにその悲劇性を高めるはずだ。すでに彼女を追って別の勇者たちが迷宮を進んでいるという報告も入っている。彼女が死ねば、復讐に燃えて魔族たちを根絶やしにしようとするだろう。
そのような結果は望んでいない。
ゲオルクは明日を見て一手を打つ。勇者たちの戦意を喪失させ、自らの『生存圏』を確保するための戦力を。
そのために用意した、最高の道具。
それは魔族ゲオルクの純魔法。彼はこの魔法を『肉人形』と呼んでいる。
ゲオルクは魔法を使い、眠っていた一紗の記憶を読み解いた。そして彼女が最も望み、最も言うことを聞きやすい少年――園田優の存在を理解した。
その記憶をもとにして作られた、生きた操り人形。それこそが今、目の前で一紗と会話をしている園田優なのだ。
肉人形、園田優は一紗の知る優の精巧なコピーである。園田優その人と同じ行動をとりながら、ゲオルクの命令に従う。
むろん、魔族を賛美したりゲオルクを称えさせることも可能だ。その気になれば命をなげうってでも彼に尽くし、目の前の一紗に牙を突き立てるだろう。
だが、ゲオルクはそのような悪手を使わない。
園田優が奇怪な行動に走れば、一紗をはじめ周囲の人間はどう思うだろうか? 魔族、それも彼を引き渡したゲオルクが魔法や魔具の力を使って操ったと理解するだろう。
そうなれば、やはり怒りの矛先はゲオルク――ひいては魔族へ向く。これでは全く意味がない。
迷宮宰相ゲオルクは恒久和平を望んでいる。そのためにはこの肉人形を裏から操り、勇者たちを誘導する必要がある。
例えば、一紗の身を案じて迷宮入りを止めたり。
捕らわれていた時、思ったほどひどい扱いを受けなかったと言ったり。
心配のあまり、魔族たちとの交渉に応じてしまったり。
さらには、異世界への帰還を強く勧めたり。
これはごくごく自然な行為だ。下手に疑われる心配もないだろう。
ゲオルクは戦闘狂の他魔族たちとは違うのだ。レオンハルトやイグナートも頭を使うが、戦いを好む本質はそう違わない。
裏からすべてを終わらせる。ゲオルクはそのつもりだった。
〝――ゲオルク様〟
内心で笑みを浮かべていたゲオルクは、配下のコウモリから超音波の連絡を受けた。
〝敵、敵、ブリューニング!〟
たどたどしい言葉であるが、ゲオルクはすべてを察した。
門番である万壊のブリューニングが、どうやら侵入者である勇者を連れてこちらへ向かっているらしい。
(全く、困りますねぇ。これだからゼオン殿の配下は……)
ゲオルクは狡猾に笑いながら、これからの戦略を練るのだった。




