第八階層迷宮伯爵、万壊のブリューニング
魔族、祭司ミゲルは俺の手によって倒された。
強かった。
これまで倒してきたどんな魔族よりも強く、厄介で恐ろしい相手だった。
敵は倒した。
だが、傷ついてしまった雫はいまだ怪我のためにうずくまっている。俺たちを取り巻く状況は、決して簡単なものではない。
「雫、大丈夫か?」
とりあえず、そう声をかけてみる。
青い顔をした雫は、ゆっくりとその目をこちらに向けた。
「問題な……くはないが、見てくれ」
雫はそう言って、俺に脇腹を見せた。
血に染まった服の中に、矢が紛れ込んでいるのが見える。
「これで防いだ」
とっさに矢を使い、ミゲルの爪を止めたらしい。
だが矢だけで爪のすべてを防ぎきることは不可能だったようだ。止まるまで爪は確実に彼女の脇腹を抉っている。血は流れ、激痛で雫が倒れこんだのは事実。
強がれるぐらいだ。今すぐ命に別状はないと思う。しかし戦力としてあてにならないのはもちろんのこととして、このまま怪我を悪化させれば大変なことになってしまうかもしれない。
ならばどうするべきか?
考えるまでもない。
「帰ろう……」
悔しさに歯を食いしばりながら、俺はそう言うことしかできなかった。
「……雫の命には代えられない」
暗く、重い空気が無人の教会に降りてきた。俺としても苦渋の決断。だが、仲間を探して仲間を失うなんて本末転倒だ。
「ダメだ」
しかし、俺の意見は雫に却下されてしまった。
銀髪の奥に、意志の燃える瞳が見える。
「くっくっくっ、怖気づいたか下僕? 魔族が怖くてしかたないか?」
「こんな時にまで冗談言ってる場合か?」
俺は若干のいら立ちを隠しきれなかった。
お前のためを思って言ってるんだぞ?
「一紗だって別に死んだわけでもないんだ。放っておいたら目的を果たして俺たちのところに戻るかもしれないし、そのまま元の世界に帰るかもしれない」
「本当にそう思うか?」
…………。
自分をそれほど強くないと言っていた祭司ミゲルがあの強さだ。冗談である可能性もあるが、もし……本当にそうであったとしたら?
一紗が向かっているこの先には、さらに強敵が待ち構えていることになる。
死んではいないとは思うが、連れ戻さなければ遠からず殺されてしまうと思う。
「しずしずはりんごが地上まで連れてかえるよ」
「…………いいのか?」
「ごめんね、りんごもしずしずも間違ってるよね。でも、どうしてもかずりんのことが心配で……」
……そうだな。
この状況で、雫が上層まで上っていくのは絶望的だと思う。だがりんごがいれば、その可能性は飛躍的に高まる。
「わかった」
「たっくん!」
「……ふっ」
二人はそれぞれの表現で俺の意見を喜んだ。
さてと、決めたら急がないとな。
ここは祭司と自称していたあの魔族の教会だ。あいつが言う『信者』とやらが、いつまたここに押しかけてくるか分からない。
ここより少しだけ上の層に移動しよう。その辺で綺麗な水や食料を調達して、雫の容態がよくなるまで安全地帯で待つ……それが一番の選択肢だろう。
雫。
お前の意思は確かに受け取った。
「俺は一人で行くことにする。……とはいえさすがにここで別れるのはまずい。とりあえずは三人でましな場所に退避して、そこから別れよう」
「そーだね、その方がいいよね」
「問題ない」
こうして、俺たちはミゲルの教会を後にした。
俺は雫たちを送っていった。
ミゲルがいた場所から二時間程度歩いた場所だ。
魔族の侵入した形跡のない、俺たちが休憩室と呼んでいる場所。そこに食料と水を集めて、一端休憩を取ってもらう。ある程度回復したら、もっと上の階へと行ってもらうつもりだ。
雫のことが心配、大いに心配ではある。だが今は一紗を見つけるという目的を優先しよう。
怪我を我慢して俺の背中を押してくれた雫。彼女の決意を……無駄にしないためにも。
迷宮をひたすら進み、時には魔族と戦い……俺は前に進んだ。
そして、そこにたどり着いた。
そこは、俺が今まで見たこともない場所だった。
目の前にそびえ立つのは、石英のような鉱物でできた透明な門。足元の床は、まるで大理石かなにかのように光沢を放つ石材が敷き詰められている。
すでに足跡は存在しない。だが、その点に関してはたぶん心配する必要はないと思う。
一紗の足跡は、見失った後でも土の床が現れればすぐに見つけることができた。要するに俺は、知らず知らずのうちに彼女の通った道を進んでいたことになる。
おそらく、レグルス迷宮というのは横から見て逆三角形の構造をしているのだと思う。下層に行くにつれ、分かれ道が減っているようだから。
要するに、ここが魔王城ってことだ。
気合を入れなおさないとな。
俺は勇気を奮い立たせ、門へと進む。
遠くから見たときは気が付かなかったが、人影が見える。
「人間の客か……」
門の前に立った俺に、声をかけるソイツ。
身長二メートルを超える頭のハゲた大男。浅黒い肌と隆起した筋肉、黒いタンクトップ型のシャツと少し汚れた青いズボンを身に着けた、どこかの鉱山で働いていそうなおっさんだ。
「俺は魔族、第八階層迷宮伯爵――『万壊のブリューニング』」
ブリューニング、という名前らしい。
彼は斧を持っていた。巨大な斧は俺の身長よりもはるかに長く、その重さはとても人間が持てるレベルではない。
ブリューニングはその斧をまるでステッキか何かのように軽々と振り回し、床にたたきつけた。
「何用かな?」
さっきの祭司ミゲルもそうだったけど、こういう名前とか役職持ってるやつは結構強いと思う。
「俺の仲間がここに来てるはずだ。心当たりはないか?」
「昨日この門を通った女か。俺が門番の日ではなかったがな。そいつのことだろう?」
やはり……一紗はここに来ていたか。
ならば俺の行くべき場所は一つ。たとえ強大な敵が立ちはだかろうと、前に進まなければならない。
俺は呼吸を整え、剣を構えた。
「悪いがそこを通してもらう。俺は仲間を連れ戻しに来た。邪魔をするなら……ここで戦いを――」
「待て待て、俺は君と争うつもりはない」
「は?」
ブリューニングは手から斧を手放し、愛想よく笑った。




